第5話
「どうも、バロウツ薬剤店の者です」
そう門番に声をかけながら、出掛けにスティーツより渡されていた許可証を提示する。それは身分証の代わりを果たし、通常なら発生する入門料といった通行税が免除されることになる。
「おー、お帰り。随分と時間がかかったようだなぁ」
「あー、仕方ないですよ。出遅れてますからね」
「そうだなぁ。一応中確認するぞ、新芽とかは採ってないだろうな?」
「さすがに採りませんよ。やらかした後が問題になると散々聞かされてますし」
門番の要請に応えながら、抱えていた籠にした蓋を開けてその中身を彼に見せる。
「だろうなぁ、だが、決まりなんでな」
そう言いながら籠の中の薬草をある程度外に出し、奥の方のものまでざっと確認する。
「ふむ、大丈夫そうだな」
「外縁は諦めて、少し奥の方まで潜りましたからね」
「おいおい、大丈夫だったのか、討伐者でもないのに、一人で」
「幸い小動物に遭遇したくらいですよ。魔獣が居るような領域にまで行く度胸なんてありませんし」
「腰に立派そうな剣を提げているのにか?」
「使えば狼くらいなら追い払う自信はあっても魔獣相手は厳しいですから」
門番の言葉に苦笑を浮かべてしれっと答える。籠とは別に持っている施術式収納鞄には道中で仕留めた小型の魔獣の死体が入っているというのに。
「まぁ、そうだろうなぁ」
「ええ、それでは、行きます」
「おう、ご苦労さん」
門番に見送られてオルファスは門をくぐり抜けて都市へと入って行く。
西門から東門までを一直線に繋ぐ大通りをしばらく歩けば、次第に露店の類が展開されているのが窺える。そこで売られてる品や人々のやりとりを遠目に見ながら進んで行く。途中、見たこともない果物を取り扱う果物屋を見かけて足を止める。
住んでいた村では栽培していないし、行商などが持ってきたこともない物で、興味を惹かれたのだ。
「すいません、この果物ってなんです?」
「ん?これかい。これは東部域穫れるメヤって果物だ。実が熟し過ぎちまうと甘すぎるし実がすぐ崩れるわで食いにくくなるんだが、今のこれくらいの熟し方なら程よい甘さと硬さでうまいんだよ」
「ほほー、1個いくら?」
「晶貨1枚だ」
「え?」
「晶貨1枚」
「高くないか、おじさん。5個買うから晶貨3枚位にならない?」
「おいおい、これをここまで運んでくるのにどれだけ大変だったと思ってるんだ、晶貨4枚大銅貨5枚だ」
「うーん、それじゃあ、そっちのランザの実を2つ合わせて晶貨4枚にならないか?」
「ふむ、よし、それならいいだろう」
「や、ありがとう」
草で編まれた簡易的な袋に露店主が果物を包んで渡してくる、それを受け取ろうとオルファスが手を伸ばしたところで、通りの一箇所がやけに騒がしくなってきた事に気がついた。
商品を受け取ったところで、訝しげに見回した先には、学園で見慣れた少女の姿が映る。
軽薄そうな装いをした強面に下心満載の表情を浮かべた青年と、何処からどう見ても嫌がっているようにしか見えない怯えた少女。
軽く顔をしかめて様子を見るように周囲に視線を向けるが、誰も止めようとする様子がない。
道行く人はその光景に嫌悪を見せているが、同時に怯懦の色も見える。おそらく界隈でもそれと知られた問題がある人物なのだろうと、それだけで察せられる。
オルファスとしては出来れば、関わりたくないと考える。そもそも、少女の実力であれば問題なく対処できそうなのだ。
だというのに少女が見せるのは怯えた姿。
世間知らずなところに加えて絡んでるのがあの強面だから、かな。そんな風に独りごちる。
小さく溜息を付くと、オルファスは露店の主を振り返る。
「……おじさん、さっき言ってた熟れきった実、ある?」
「お、おお。あるぞ」
「それじゃあ、それ、一個。あと、悪いんだけどこれ、預かっておいて」
言って晶貨を5枚手渡しがてらに籠を差し出して預け、代わりに熟しきったメヤの実を受け取る。
「……って、まさか、あいつに手を出す気か?」
「まぁ、絡まれてるのが知り合いのようだからさ、無視するのも気が引けるんだよ」
「だが、アイツはこの辺でもちょっと名の知れた中級討伐者らしいぞ」
「あー、まぁ、なんとかなるよ」
そう気楽そうに応えながら、オルファスは鞄の中を漁って目的のものを取り出す。
「それは、なんなんだ?」
取り出された見慣れないものに興味を持った店主が疑問の言葉を上げる。
「なんでも遮光硝子というらしいですよ。くれた人は、知り合いの友人が昔の道具を再現したらしい、とか言ってたかな」
そう応じて取り出したものを実際に装着しながら、顔を覆うようにして掛けるものだと説明する。目の周囲を覆い隠す薄黒い板状のものは、見ただけではどう考えても視界を阻害しているようにしか見えない。
「それで、ちゃんと見えるのか?」
「あー、一応見える、かな。少し周囲が暗くなって見えにくくはあるけど」
「はー。そんなの、一体何に使うんだ?」
「なんでもこれを装着すれば、太陽を見ても大丈夫、だそうだよ」
「……それ、どんな意味が?」
「そこまではさすがに分からないよ」
「それで、ホントにやるのか?」
「ん、あんなに怯えてるからね。最悪警邏が来るまで保たせればいい……しっ!」
言葉の終わりと同時に、手許で手遊んでいた果実をほとんど手首の振りだけで投げつける。それは狙い違わず男の顔面に的中し果肉が四散して男の顔や衣服を汚した。
彼女が一人で街を歩いていたのは、特に意味は無い。
そんな気分だったから、ただそれだけだ。
いつも人に囲まれていた彼女にとってアーカディアでの生活は目新しいことが多い。それは今まで体験したことがないものばかりだった。
本来であれば許されないであろう、今までとは違う日常の体験。
それに更なる好奇心が刺激された少女はお目付け役とも言える娘の目を逃れて街へと繰り出したのである。
その結果は……
直接目にする街の様子に楽しげに周囲を見回してたいた、彼女を鴨とでも捉えたかのように声をかけてきた男の存在だった。
(ううぅ、つ、ついていません。ちょっと街を歩いてみたいだけでしたのに……)
少女は己の境遇に嘆く。自分の行く手を遮り、にやけた笑みを浮かべた悪相が怖ろしい。別にいかつい顔をした人間を苦手にしているわけではない。ただ、目の前に居る男はそれまで彼女が知り合ったと事のある男性が纏う雰囲気とまるで違うのだ。それがにやけた顔をした悪相と相まって、余計に怖ろしく感じてしまう。
周りを歩いていた人々は、いつの間にか少女と男から一定以上の距離を保って遠巻きに、あるいは足早に歩き去っていく。彼女が助けを求めるように周囲へと怯えた視線を向けるが、誰もが申し訳なさそうに顔を背けるか、気の毒そうに心配をしてくれるが手出しをしてくれるような気配がない。その様に自分がどうやら運が悪い事態に巻き込まれていると、どうしても気付いてしまう。
自分に怯えている少女の様子に頓着もせずに、男は上機嫌で「なぁなぁ、いい店を知ってるんだぜ」等と口にしながらその顔を寄せる。
吐き出される息は昼間にも関わらずわずかに酒気を帯びており、少女が恐怖と嫌悪で顔を逸らしたところで……
鈍い音が響き、
「ぐぁっ、ぶべっ。……だ、誰だぁっ!」
続いて男の怒声が上がる。
少女からすれば突然に怒り狂った様を見せる男に、改めて恐怖を覚え周囲に助けを求めるように見回せば……
黒いモノで顔の半分を覆った青年が、怒声を上げる男に萎縮した様子を見せる群衆を掻き分けて姿を現した。
「いやいやいや、見苦しい格好が多少は見える姿になったんだから、別に感謝してくれてもいいんだよ」
不審を実体化したような風体で軽口を叩く青年オルファスに、男の様相が更に怒気で染まる。彼に絡まれていた少女は、その意識と拘束がそれていることを察し、続いてその男と相対している青年がこっそりと手招きしていることに気付く。
「女の子に声をかけるのはいいが、引き際くらいは見極めたほうがいいじゃないかな」
そう、のたまいながらオルファスは更に一歩二人の方へと近付く。
「ほら、その子なんて貴方の顔が怖くて怯えている」
「んだとぉっ!」
怒りとともに男は少女から身を離し、オルファスに真正面から向き直った。その瞬間を狙って少女が男の脇を擦り抜けて駆けた。
「なっ、待て」
唐突な少女の行動に焦って手を伸ばそうとする男を、更に距離を詰めたオルファスが腕を掴んで食い止める。
「て、テメェっ。そいつは今から俺と仲良くするところだったんだぞ!」
「……本当に?」
あからさまに自分主観の予定を真顔で叫ぶ男に、その表情を何とかしてから出直せと思いつつ、その予定に組み込まれた少女に問いかけると、彼女は慌てて首を左右に振って否定する。そのまま声にこそ動揺は残るがきっぱりと告げる。
「あ、ありえません。何度もお断り致しました」
少なくとも自分に絡んできた粗野な男からは自分を守ってくれるのだろうと、何故か確信を抱けるオルファスの背後に隠れてではあるが、そう断言する。
「生理的に受け付けないってさ。気持ち悪いんじゃない、あんた?」
「な、んっ……」
少女の言葉を無意味に糊塗した暴言に、男は一瞬言葉を失う。
「こ、のガキがぁっ!俺は中級の討伐者だぞ、お前みたいな奴が生意気な口を聞くんじゃねぇっ!」
「へぇっ。中級討伐者様は、口で負けると次は力で掛かって来るのかな?情けなくないか?」
嘲笑混じりの言葉でオルファスは激高した男を更に挑発する。彼に守られた少女は、その行為に顔を蒼白にして止めるべきかを悩み、周囲の群衆はその挑発行為に青ざめて後退っている。
「はっ!そんな口は俺より強くなってからにするんだな、覚悟しやがれ!」
至極あっさりと短絡的な行動に移った男に、オルファスは内心で呆れる。
(いくらなんでも短絡すぎだろ……中級討伐者と聞いても動揺しなかった理由くらいは考えろよ)
そんな思考がオルファスの脳裏をよぎる。あまりに単純すぎて中級討伐者であること自体が疑わしく思えてくる程だ。戦闘技術だけなら、確かにそれなりではありそうだと感じ取れるが。
「らぁっ!」
抜き打ち様に振り抜かれた剣を、オルファスは最低限の挙動で躱す。
自信を持った一撃だったのか、男はそれを避けられたことに驚愕を隠せないでいる。一々そういった単純な反応を見せるごとにオルファスの中の男の評価はどんどんと目減りしていく。もっとも、最初の時点で0なのだが。
男は上へと振り抜けた剣を勢いに引きずられてバランスを崩す寸前で立て直し、そのまま直下のオルファスの頭へと振り下ろす。剣がまともに彼を捉えて頭を砕く、自分の姿を幻視したところで、意識が飛びそうなほどの衝撃に襲われた。
自分の体に何が起きたのか、それを理解できない男の至近にはいつの間に近寄ったのかオルファスの姿があり、その右拳が彼の腹部へと突き込まれている。
「な、なん……ぐぅっ」
「仮にも中級を名乗るなら目の前の相手が自分の手に負えるかどうかくらい判断付けられないとダメなんじゃないか?」
「っ、て、めぇっ!」
囁くような小声で告げられた言葉に男は反射的にオルファスを睨む。
だが、オルファスは男の怒気を気にもとめずに受け流す。
(中級討伐者ってどれ位の強さだろ……んー、まあ中位魔獣くらいの威圧でいいかな)
オルファスは知らない。中級討伐者は下位魔獣を部隊編成でようやく倒せるということを。中位魔獣になってしまえば、上級討伐者の部隊が2、3集まって五分五分だということを。
それと知らずに、絞り込んだ威圧を周囲には悟らせずに、ただ男へと向けて注ぐ。
小型の魔獣どころか下位魔獣ですら比にならない程の濃密な威圧に当てられ、呼吸すらままならなくなっていく。
その緊張が限界まで高まったところでオルファスが一歩足を前へと無造作に踏み出す。
「ひっ……ぁっ」
その一動作にぎりぎりで耐えれていた精神的圧力に耐え切れず、男の意識が消失した。色々なものを垂れ流しながら。
「あー……気絶したよ、これ、放置してもいいかな……?」
「……いいと思うぞ、俺だって触れたくないし」
誰にともなく言葉にされたオルファスの発言に、倒れた男のある一点の惨状に群集の一人が表情を歪めて応える。そのまま放置して解散、というか触らぬ神に祟りなしとでも言うべき空気が周囲に広がり、三々五々に散っていく。
その流れに紛れるようにオルファスも荷物を預けた露店の方へと足を向けた。
「あ、あのっ」
おそらくは少女にしては必死に張り上げたであろう声に反応して、オルファスは自分が助けた相手の存在を思い出して振り返る。彼が反応したことに少し安堵した様子を見せてから、少女が更に言葉を掛けようと口を開いたところで、新たに間に入ってきた存在があった。
「お嬢様っ!」
声を張り上げて近づいてきたのは使用人の格好をした少女である。声を張り上げて呼びかけた、という割にはその表情にはやけに平坦な印象を受ける。
「うっ、ガードナー……」
人垣をかき分け近寄ってくる使用人姿の娘に、クラヴィシエルはばつが悪そうな表情を浮かべて顔を伏せる。オルファスにも見覚えのあった彼女は、学園にて同級であり、常にクラヴィシエルと共に居る人物だと、遅れて気が付く。
「お嬢様。無断でお出かけになられますのはお止め下さいと、いつも申し上げていると思うのですが」
「う、で、でも……」
「御一人でお出かけになられて、お嬢様に何かが御座いましたらどうなされるおつもりですか」
淡々とした口調で叱責の言葉を浴びせながら、無表情にオルファスを見やる。密かにその場を離脱しようとしていた彼はその視線に縫い止められたかのように動きを止めた。その内心では離れようとしたことに気づかれた事に驚愕を宿している。
「危ない、ですよね?」
何かを含むように紡がれたガードナーと呼ばれた娘の言葉に、言い知れぬ恐怖を感じて、迎合するように言葉を返す。
「そ、そうだな。今もゴロツキまがいの討伐者に絡まれて、涙を浮かべて怯えていたくらいだ」
その言葉に、ガードナーが纏う雰囲気が一変する。
「ひぅっ」
その変化を敏感に察して、クラヴィシエルは怯えを宿した小さな悲鳴を漏らし、まだすぐ近くに居たオルファスの服の裾を掴み無意識に身を寄せる。オルファスはその変化に自分が致命的に言葉を間違えたことを遅れて悟る。
「……ほぅ、それはそれは。その不埒なヤカラハ今ドコニ?」
噛み殺しきれない怒気を漂わせて告げられた言葉に、クラヴィシエルは顔を蒼白にしてカタカタと身を震わせる。語る口調や身に纏う空気が恐ろしいまでに怒気と殺意を孕んでいるというのに、その表情は無表情と言っていいほどに変化がない。その事実が尚更に恐ろしい。
「あー、いや、その、あそこの……汚物」
頬を伝い落ちる冷や汗を意識の片隅に、何故自分がこのような目に遭うのだろうと世の理不尽に嘆きつつ、道端に転がる男を指し示す。
「ふむ」
それを見て一つ頷き、主たる少女に視線を向けて、きっぱりと告げる。
「かしこまりました、クラヴィシエル様」
「え?な、なにを?」
「ご安心を、制裁の方は私がしかと承りました」
誇りとか外聞とかそういったものが既に無残に打ち砕かれた哀れな男を見て、なお彼女が告げた無慈悲な言葉に、その場を見知った人々全員が戦慄する。
「え?が、ガードナー、私そんなことお願いしていませんよ?」
「分かっております。ええ、分かっておりますとも」
「ま、待って。その私の心を代弁してると言いたげな言葉はやめて下さいっ!?」
「あー……俺はもう帰っていいかな?頼まれ物の途中なんだよ」
「それはそれは、失礼致しました。そういえば、お嬢様のご恩人のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「……いや、大した事はしてないから」
「ですが、お礼の方も御座いますし」
「いや、ホント、大した事じゃないから。そういう事で」
「そうですか。分かりました。お嬢様をお助け頂き、誠にお世話になりました、御学友、様」
「何の話だ?」
内心の動揺を抑えこみ、遅滞なく空惚けて返す。
「ゴガクユー様?という、お名前ですか?」
「変わった響きのお名前ですね」と、小首を傾げる少女。
(((なに、この可愛い生き物)))
口にすれば失礼と言わざるを得ない、周囲の心の声が唱和する。その少女の様にメイド娘の表情も心なしか緩んでいるようにも思える。
「一応、言っておくが、それ、俺の名前じゃないからな」
クラヴィシエルの、それを名前と思い込んでそうな雰囲気に、思わず言わなくてもいいことを口走る。
「え?違うのですか?」と、心底驚いたように応じる少女。
懸念が当たり思わず項垂れるオルファス。
「あー。まぁいい。それじゃ」
色々と言いたいことを飲み込んで、今度こそ会話を打ち切って立ち去る。その彼の背にクラヴィシエルが声をかける。
「まだ、お礼が……」
「お嬢様。お急ぎのご様子ですからこれ以上はご迷惑になるかと存じ上げます」
「でも、ガードナー……」
「大丈夫です、お嬢様。いずれ、必ず逢えますのでその機会になさればよろしいかと」
忍び寄るように聞こえてきたガードナーの言葉に、思わず振り返りそうになるのを必死に抑える。なぜか見抜かれているようだが、カマかけの可能性とて捨てきれないのだ。些細な事でボロを出す訳にはいかない、とオルファスは自分に言い聞かせる。
「……本当に、ガードナー?」
「ええ、真でございますとも」
「どうして、分かるのです?」
「それは勿論、メイドでございますから」
「ずいぶんとごゆっくりでしたね、オルファスさん?」
「……色々とありまして」
にこにこと笑いながら凄味を見せるスティーツに、若干の怯えを見せながら採取した薬草と鞄の中から数体の小型魔獣を取り出して渡す。と、用は済んだとばかりにそそくさとオルファスは部屋へと逃げ込んだ。
その後姿を見送った後にスティーツはポツリと呟いた。
「森の外縁から少し入っただけの場所なのに、これだけの魔獣が……?」