第3話
無事に入学式を終えた後は、新入生達は各々に割り当てられた教室へと移動することになった。明日以降の予定の確認と通達を聞くためだ。同科同級となる者同士の顔合わせの意味もある。
朝に下宿の主であるスティーツに聞いた説明を思い出し、少々気分を沈めながらオルファスは自分が割り当てらた学級の教室の戸を開く。その行動で生じた音に集まる視線を感じながら、軽く室内を見渡せば集まっていた好奇の視線の半分以上が観察するようなものから半ば見下すようなそれへと切り替わっていく。残りの一部はちょっと感心したような目線、それ以外の残りのほとんどは更に見定めようとするのか探るように見てくるものである。そして数少ない同類だと認識したのだろうか、安堵の意味を含めたような様子が見て取れるものがある。
(うっ、わ。想像通りというか、朝言われてから覚悟はしていたけどやっぱりほとんどお貴族様だよ)
見下した視線を向けた者達がどういう類の生徒かを見渡し、一瞬で判断を下す。
(身分の持ち込み禁止とか学則で定められているみたいだけどまるで理解してなさそうなのが多いな)
オルファスがざっと見た感じでの感想を思い浮かべる。
勿論、貴族らしき生徒の全てがそうな訳ではない。中には友好的ではないにしても、努力を重ねて入ってきたんだろうと認める向きもある、どちらにしろそれは上からの目線であることに違いはないかもしれないが。
結論としては、どう見ても好意的な貴族は少数派、大多数は上位の貴族の反応を気にして無関心に近いか、もしくは彼らに迎合しているかのどちらかだろう。
オルファスが気になるのは、一般庶民と思われる一団が教室の隅に集まり席についていないこと。何故かの理由は見当もつかない。とりあえず、廊下側の右端中央当たりの席が空白地帯となっている為、その辺の席に座ることにする。
とは言え、どうにも室内の空気は不穏に満ちておかしい。迂闊な行動を取れば難癖をつけられ騒動の原因になりそうである。
オルファスは自分の行動に妙な注意を払う集団に気付かれないように呆れた吐息をこぼし、注目を続ける集団の前で自らの気配を薄く消して、注意の先を拡散させていく。そして新たにこの教室へと近づいてくる気配を感じ取り、その人物が教室に入ってくるのに合わせるようにしてゆっくりと扉の前を離れる。
室内の生徒の注目は移動するオルファスを追うことよりも、新たな生徒の入室に集まることとなった。上手いこと注意の先を逸らすことに成功したオルファスは、そのまま席へと座り、注意の矛先を押し付けた相手の様子を窺う。
無造作に掻き上げられた灰色の髪。精悍な顔付きを飾るのは、意志の強そうな鳶色の瞳。それは、首席合格者として入学式に壇上に立ち、新入学生の代表として挨拶をした生徒、イクトリアス・ローウェイだった。彼の登場によって完全に注目から逃れたオルファスはそのままこっそりと、周囲の意識を引かないようにしながら成り行きを見定めることにする。なにせ首席合格者の登場だ、何かしらの動きがあるだろうという予測ができる。
実際その動きはすぐに生じた。イクトリアスが教室内に入って空いてる席を探して周囲を見回していると、続いて入ってくる生徒の姿があった。それはイクトリアスの知り合いでもあったようで、彼は気軽に声をかけていく。
「おー、学年首席様。一緒のクラスだったのか」
気楽そうな口調で告げられた言葉にイクトリアスは振り返り、そこにあった見知った顔に目を瞠る。
「エフォルか、久し振りだな」
「ああ、全くだ。それで、どうだ?学年首席の気分は。お前の両親も鼻高々だろう」
「私は首席ではないぞ」
「は?いや、だって新入生の挨拶をするのは首席合格者なんだろ?」
あっさりと否定された言葉に思わず、エフォルは自身が認識しているその規定を確認し直す。改めて問い直された発言に微妙に苦い顔をしながら、イクトリアスは自分が告げた言葉について解説を行うことにする。
「まぁ、そうだが。実は実技試験を免除された者がいたらしくてな。その人物が実技試験を受けていたならば、私は2位だった可能性が高いそうだ」
「ほぉー……って、そもそも実技試験って免除されるのか?」
エフォルは感心したような声を上げたところで、ふと思い出した疑問を口にする。
「いや、なんでもその人だけの特例措置だそうだぞ」
「特例措置とかすごいな。誰だよ、それ」
(俺だよ、それ……)
学園長め、何言ってくれちゃってるんだよ。と、ぼやきたくなるのを堪えてオルファスは無表情を装う。
(というか実技試験を受けなくてもいいとか、特例扱いにしたのかよ。何が「英雄の直弟子を相手にさせられる試験管が気の毒になるからな」、だよ)
学園長が告げた言葉を思い出し、表面上には決して出さないが、憤慨する。オルファス自身はあずかり知らぬことではあるが、実際のところは完全に本気での発言であったのだが。
(くぅっ……ま、まぁ能力を平均程度まで落としておけばばれない筈だ。そうだ、きっとばれない)
必死になって自分に言い聞かせる。どことなく願望に近いものになっているのは、彼の目標からすれば致し方ないことなのかもしれない。
(取り敢えず実技ではこちらかの攻撃は控えて、防御に手一杯に見えるようにしよう)
そんな後ろ向きの決意をオルファスは誓った。
全ての学生が教室に揃い、各々がそれぞれの行動をとっている。
庶民生徒に向けて蔑視の目を向けていた学生達は、イクトリアスの動向に注目して、彼等に具体的に何かしようという行動は控えている。迂闊な行為で彼の不興を買うのは避けたいのが本音だろう。そんな一種の緊張も漂うが概ね入学式の緊張も解け、徐々に馴染んできたのか教室内の空気がやや騒がしくなり始めた頃。
再び教室の扉が開かれ、新たな人物が室内へと入ってきた。教室で思い思いの行動を取っていた学生達の注目を一身に集めたその人物は、入学試験の時にオルファスを学園長室まで案内した教師だった。彼は教壇に設えられた教卓の前で立ち止まると、抱え込んでいた荷物を教卓の上に置き、自分の挙動に注目する生徒達を見回す。その顔ぶれを確認すると、口を開いた。
「よし、全員席に着くように」
まだ立っている生徒達へそう促す。その言葉に友人の席に集まっていた者や未だ席を定めてなかった者は慌てて空いた席に座る。そうして全員が席に着くと改めて、教師に意識が集まる。
「まあ、一部知っている者もいるとは思いますけれど自己紹介をしましょう。
私はナーレイ・ガフォードです。
現在の学園代表である生徒アレイ・ガフォードの兄でもありますよ」
告げられた言葉に生徒の一部は唖然と教師を見直した。彼等が気を取られたのは、学園代表の兄である、という言葉にではなく、ナーレイが告げた家名にだ。
(……は?え、まて。あの人、ガフォードって、つまり公爵家……?)
一瞬の忘失、徐々に認識されていく現実に内心で頭を抱える。
ガフォード公爵家、つまりこの国でも上位に位置する貴族家の一つであり、王家の信頼も厚いと言われる忠臣の一族、その一員。
(あんの師匠のせいで、いきなり目をつけられてないか……)
「これから授業以外における君達の担当をすることになっています、よろしく」
(公爵家の人間相手によろしくとか出来る訳がない!)
オルファスは自分も含めた庶民一同の、そんな心の叫びを幻聴したような気がする。おそらく、確かめてみれば幻聴ではなく事実として確認出来るだけのように思われる。下手すれば下位貴族の子息達だって似たり寄ったりな心境だろう。
「さて、改めて言っておくことがあります。
予め知っての通り、この学園で過ごす間は対人関係に置いて身分を持ち込む事は禁止です。もちろん心配することはないと信じていますが、万が一その事が理解できていないような事があった場合には……」
ナーレイは一旦言葉を切って、生徒達を見回す。
「相応の報いを受けてもらいますよ。例え、王族や上位貴族家の人間であろうとも、です」
念を押す様に力を込めて告げられた言葉に、生徒達は理解する。何故彼のような公爵家の人間が教師として学園に所属しているのか、を。彼ならば、その言葉を実行しうることが可能なのだ。いや、貴族の子息が振り翳す親の権威が通じない相手である、と言った方が正しいのか。
「と、まあ。簡単な注意はここまでにして。これからについての連絡事項を伝える前に、まずはそれぞれの自己紹介をしてもらおうかな」
両手を叩きながら一旦生徒達の意識を引き戻し、続いて自己紹介をすること促す。始める前に一つ、注意事項を付け足すことを忘れない。
「あぁ、そうそう。紹介するときは出身領と名前だけにして下さい。今日に限っては家名を名乗ることは許しません」
ナーレイが言い終えると同時に、室内の空気が張り詰めていく。彼が放った威圧が生徒達の反抗心を根こそぎ叩き折っていく。
(え、えげつないなぁ……)
自身もナーレイの威圧に萎縮したように見せながら、他の生徒達に同情したように呻く。教室が震えるほどの圧力で放たれる彼の威圧に抵抗できている生徒は半分にも満たない。萎縮せずに済んでいるものなどほんの数人だ。
「それじゃあ、首席代表の君からお願いするよ」
高密度に放っていた威圧を一瞬で霧散させて、穏やかな笑みを見せると、ナーレイはイクトリアスを指名して促した。
ナーレイの言葉に「はい」と応じて立ち上がり、イクトリアスは教室内に軽く視線を巡らせてから口を開く。
「ローウェイ領出身のイクトリアスです。若輩ゆえの未熟者ですがよろしくお願いします」
簡潔に告げて軽く頭を下げる。ナーレイは満足気に頷くと次の生徒を指名する。
「次は彼の隣の君だ」
「了解。ガドラエル領出身のエフォルだ。本当は討伐科の予定だったんだが、総合科を出れば自由にしてもいいと言われたので総合科に来た。まぁ、適当によろしく頼むよ」
そのように次々とナーレイに指名された生徒達が自己紹介を行う。
「プリムベルです。ブールトーリ森林領から参りました」
ナーレイに指名されて自己紹介をする生徒の中には、そう優雅に微笑む森人の姿もある。教室内を軽く見渡せば、その生徒の殆どは汎人ではあるが、中には他にも数人ほど森人の姿もあった。だが他の人間種族の姿は見えない。最も、種族毎の得意分野の問題もあって総合科所属の生徒が見当たらないだけだ。地人種なら入学者のそのほとんどが技術科に、獣人種は討伐科に所属するのが常だ。森人であれば施術科か討伐科に所属することが多い。
「エレンディーテですわ。ロクォート領より参りました。皆様よろしくお願い致しますわ」
赤毛の気の強そうな少女が、自らの紹介を終えて席に着く。
「それでは次はそこの金髪のお嬢様がどうぞ」
「は、はいっ」
ナーレイの言葉に促され、些か噛み気味に応えて立ち上がる次に指名された少女。
その柔らかそうな髪は、|オルファスの眼には銀色に見える(・・・・・・・・・・・・・・・)。
んーっ、と内心で訝しげに首を捻り、二度三度と瞬きを繰り返した後改めて少女を見れば、そこには確かに金色の髪の少女の姿がある。
長い髪を揺らした少女は、妙に気合の入った様子で紹介の言葉を紡ぎ出す。
「お、王都より参りました。クラヴィ、シエルと申します。不慣れなこともあり、ご迷惑をお掛けすることになるかと思いますが、どうぞ皆様よろしくお願い致します」
挨拶の言葉を終えると、ふわりと見惚れそうになる笑みを浮かべて、教室内の生徒を男女問わずに魅了し、優雅な動きで席に着く。座ると少し心配そうに周囲を見回した後、胸に片手を当てて緊張に動悸した心臓を抑えるようにしながら、自己紹介を無事終わらせた安堵の笑みをこぼしている姿が見える。緊張していた自らを落ち着かせようとする、見るものに微笑ましさを覚えさせる光景。
(……あれは、人気になる類の娘だな。うん、できるだけ近づかないようにしよう)
自分も僅かながらに心を惹かれながら、オルファスは寸秒も迷うことなく、彼女に対する行動の意思決定を下す。
「さて、それじゃあ、最後はそこにいる黒髪の、君ですよ」
ナーレイがにこやかな笑みを湛えたまま、オルファスに呼びかける。その順番決定にあからさまな作為を感じない訳ではないが、指名故にゆっくりと立ち上がる。
「あー、キヘナス辺境伯領から来ました、オルファスです。田舎者ですので物知らずではありますが、どうかよろしくお願いします」
通り一遍な彼の挨拶に、ナーレイが物言いたげな様子を見せるが、黙殺してさっさと座る。学園長室までの案内役を任され自分の師の事を知っていた人物ゆえ、学園長へと告げた己の立ち位置への表明は学園長から聞いているだろうとオルファスは判断している。今の行動がそれを肯定しているとナーレイが気付くであろうことも予測の内だ。
実際にナーレイはすぐに表情を切り替えて、言葉を綴る。
「それでは、今後の予定を説明します。
まあ、明日から数日は猶予期間みたいなものです。2年次生の受ける基礎授業などを回りながら授業の取得の仕方を説明します。
授業には必修制と選択制が存在します。ちなみに必修科目の授業は必ず取得しなくてはいけないですし、1年次は時間割も固定ですので忘れずに組み込んで下さい。必修以外の授業は好みで選んでも大丈夫ですよ。ですが、1年次では選べても6科目が最大になっています。1年次でも選択科目は複数用意されていますし、最低3科目の取得を義務とされていますので忘れないように。
あぁ、そうそう。必修と選択3科目の単位が年度終了時に8割以下だった場合は留年、半分以上を落とした場合は退学となってしまいますので覚えておいて下さい。
授業の種類と詳細については、合格通知と一緒に送られた資料に載っていますので、今日の内にでも確認しておいて下さい」
授業のついての説明を軽く終える。今懇切丁寧に説明したところで不足が出るだろうし、一度に教えこまれても理解が追いつかないからの判断だ。また定められた時間内に説明すべきことが多いゆえの処置でもある。
「次にこれが皆さんに支給されます」
言葉とともにナーレイは、教卓に置いた荷物の中から腕輪のような物を取り出して生徒達へと見せる。
「こちらはこの学園で開発された道具でして、出欠確認などにも使われますから、明日以降も忘れずに持ってくるようにして下さい」
そう告げると、生徒各自の名を呼びながら取りに来るよう指示する。教卓の前まで取りに来た生徒と、腕輪に刻まれた個人の名前を照合し、間違えの無いように確認しながら渡していく。
「刻まれた名前が、自分のものと間違いがなければその腕輪を付けて下さい。左右どちらでも構いません。腕輪を付けたら、『登録』と一言口にすれば、皆さんのそれぞれの波長を読み取り個人専用の登録が完了しますので忘れずに行って下さい」
腕輪を配り終えると、そう取り扱いについての説明を行う。その言葉を聞き、全員が登録を完了させたところを見計らって、次の話題へと移る。
「通達事項の最後は来月初めに行う最初の大会です。新入生を対象とした個人戦を行います。今回の大会は技術科と文官科を除く学科の生徒全員が参加義務ありとなっています。詳細に関しては後日改めての告知となりますので楽しみにしていて下さい」
彼が告げた言葉に、生徒達が俄に興奮した様子を見せる。が、ナーレイはすぐに静かにするようにと、生徒達の喧騒を抑えこむ。
「それで最後に、ですが、学級の代表を決めます。これは男女各1名ずつ選出しますが……」
そう話を始めたナーレイを遮って、エフォルが口を挟む。
「男の方は首席でいいなじゃないでしょうか」
「っ!エフォル、お前っ!」
「イクトリアス君か。他に立候補か他薦はありませんか?」
ナーレイが室内を見回しながら問いかけるが、芳しい反応は一切ない。首席合格者であるイクトリアスを押しのけて、彼より上手くこなせる自信がある者などいないのだろう。
「どうやら、他にはいないようですね。どうしますか、イクトリアス君」
「……はぁ。
やらせていただきます」
ナーレイの問掛けにイクトリアス自身も教室内を見回すが、誰も代わってくれそうにはとてもではないが思えず、諦めたような吐息と共に承諾の言葉を口にした。
「うん、ありがとう。それでは後は女生徒の方ですね。誰か立候補者はいますか?もし、いないようであればこちらで指名することになりますが」
イクトリアスの承諾に感謝を述べたナーレイが再び室内を、今度は女生徒へと視線を巡らせながら告げる。彼と目があった生徒は一瞬悩む様子を見せるがすぐに首を左右に振って無理と意思表示を行うか、そもそも視線に気が付かないか気が付かないふりをしているか、で候補者が出てこようとしない。
少々困った表情を浮かべながら改めてナーレイが生徒達を見回そうとしたところで、
「私がやりますわ」
赤毛の少女、エレンディーテが挙手とともに宣言する。
「ふむ。他には、いませんね?それではエレンディーテさんにお願いします。よろしく」
「はい。承りましたわ」
「ではこれからよろしくお願いします。早速ですが、二人には今後のことについての話もありますので、申し訳ないけれど少し残って下さい」
そのナーレイの言葉に二人はそれぞれに、「はい」と応じる。それを確認するとナーレイは改めて教室を見渡して告げる。
「はい、それでは今日はここまでです。明日の朝もこの教室に集まるようにして下さい。
皆さん、本日はお疲れ様でした。さようなら」
「ありがとうございました」
ナーレイの挨拶に対する、生徒達の言葉が唱和した。