第2話
話が入学式の日まで飛んでいます。
「起きろーっ!」
何が楽しいのか、妙に明るい声が室内に響き渡る。近寄る小さな気配をオルファスの半覚醒の意識が反射的に撃墜しようとするのを、すんでで抑え込んだ。同時、小さな足音を立てていた気配の主が床を蹴り、彼の寝床へと飛び込んでくる。
そのままにさせるか受け止めるかと悩むのも一瞬、何かあっても困ると判断を下す。伸ばした両手で飛び込んでこようとする小さな気配を捕らえて抱き込みつつ、上半身を起こす。
「……何をするんだ、スゥリ」
「起こしに来たのー!」
オルファスの言葉に小さな気配の主、まだ幼い少女スゥリが楽しそうな気配をにじませたまま、両手を挙げて返事をする。その勢いに合わせて頭の後ろで束ねられた淡い色の髪が揺れる。この少女はオルファスが学園に通うことにあわせて、世話になることになった下宿の主の娘の一人だ。
「スゥリ、起こしに来て、俺の寝床に飛び込んできたのは何故だ……?」
「おかーさんが、男の人を起こす時はそーするものだ、って言ってたよ?」
「あの人は……」
きょとんと大きめな瞳を見開くようにしながらされたスゥリの返答に、オルファスは頭痛がしてくるような気がして、思わずこめかみを押さえる。言いたいことはたくさんあるが、おそらく相手は全く意に介さないであろうと推測できてしまうから、オルファスは軽く息をついてスゥリに向き直った。
「スゥリ、今のは危ないだろう?怪我とかしたらいけないから、もうやらないようにな」
「え?大丈夫だよ?」
「いや、だからな、危ないから……」
「大丈夫だよ。危なそうでもお兄ちゃんがなんとかしてくれるって、そうお母さんが言ってたもん」
オルファスの注意を遮って、スゥリはどこか自信ありげに断言する。だが、その内容が完全にオルファス任せだ。と、いうかあまりに無責任なことを教えこんだ、少女の母親にこそ頭痛を覚える。師によって紹介された下宿の主である人物なのだが、色んな意味で問題がありすぎるようにオルファスは思う。
「……本っ当にあの人は……」
「だめ、……なの?」
上目遣いで見上げてくる少女。その瞳に涙が溜まり始めているのを見て、オルファスは両手を挙げて降参を示す。
「……分かった。分かったけど全力で突っ込んでくるのはやめてくれ……」
「うんっ!」
満面の笑みを浮かべて頷くスゥリだが、それがどこまで信用できるのかは分かったものではない、と心の中でオルファスは嘆息する。
「それで朝からどうかしたのか?」
「え?」
言われて考えこむ仕草を一瞬見せたスゥリだが、悩んだのは本当に一瞬ですぐに明るく告げる。
「だから、起こしに来たの!お兄ちゃん、今日は入学式でしょ?」
「……入、学式?」
ニコニコと笑いながら告げられたスゥリの言葉がなかなか脳に認識されず、オルファスは呆けたように呟く。「入学式、入学、式」と、その舌に載せた言葉が徐々に浸透していき、
「やっ…ばぁいっ!」
焦りの大声を上げて、自分の上に跨っていた少女を床へと降ろして立ち上がる。
「スゥリ、時間は!?」
「んー、とね。三の刻の鐘が、四分刻前、だったよ」
スゥリの言葉を聞いて、オルファスは今日の予定と、学園までの道程を考える。
入学式は四の刻から。
入学式場、まあ学園へはその八分刻前までに入場しなくてはならない。そして今オルファスが宿としている下宿から学園までの距離が四分三刻と考えれば……
猶予は四分刻しかない。
「スゥリ起こしてくれてありがと。用意するんで下に行っていてくれ」
「はぁい、じゃあねぇ」
スゥリが退出したのを確認すると、オルファスは寝間着として着込んでいた上下を寝床へと脱ぎ捨て、窓際に吊るされていた服を手に取る。学園生活用の制服として支給されたそれは、白を基調した意匠で派手にならない上着、下は黒いズボンである。それらを手早く身に纏うと、寝床の脇に立て掛けておいた剣を手にし、剣帯を通して腰から提げることで準備を終える。そうして室外へと出て、木張りの廊下の端にある階段から階下へと降り、すぐ右手にある戸を開き、
「お早うございます」
朝の挨拶とともにその部屋の中へと入った。
「はい、おはよー」
その挨拶に室内に置かれた大きめのテーブルに備え付けられた椅子に腰掛けた女性が応じる。オルファスが師から紹介されたこの下宿の家主であり、バロウツ薬剤店の薬師でもある人物、スティーツだ。最も現在下宿は開店休業中らしく、下宿生はドーナティの紹介だからと特別に受け入れられたオルファスしかいない。その開店休業中の理由は上の娘がお年頃だから男の学生を受け入れる訳にはいかないという至極まっとうな理由ではある。ならば女生徒を受け入れればいいと思われるが、それだと労働力にできないと返されてオルファスは返答に困った記憶がある。その後何度かその労働力とされて、彼は妙に納得してしまったが。
いかにも寝起きと言わんばかりの彼の姿を見て、微かに嘆息しながらスティーツが問いかけてくる。
「朝食は、どうする?」
「ちょっと時間がないんで抜きで」
「そう?分かったけど、まあ大変だろうけど頑張ってね」
「……大変?」
スティーツの言葉に恐る恐る問い返す。と、彼女は何を言わんとばかりに答える。
「大変に決まってるでしょう?
総合科に通う庶民なんてほとんどいないんだから。専属教師をつけてきちんと勉強した貴族がほとんどっていう話だし、所属する生徒は将来を嘱望される選ばれた学生よ」
「ソンナコト初耳ナンデスガ……」
「初耳って?」
聞いてないと片言で呻くオルファスに、疑問を覚えたスティーツが問い返す。
「……将来を嘱望される選ばれた学生、とか」
「それじゃあ、なんで総合科を選んだの?」
「学園の大図書館にある本を出来るだけ読みたいと思ったので、なるべく在籍期間が長くなるような学科を選んだのですが……」
オルファスが述べる回答に、スティーツは憐れむような目を向ける。その反応に嫌な予感しか感じない彼に、彼女は無慈悲にも告げる。
「アーカディア中央学園にある大図書館は、卒業生なら誰でも無料で自由に使えるわよ。卒業時に発行される証明書さえ持っていれば」
「……え?」
「卒業してからも自由に閲覧可能よ」
スティーツの言葉を受け入れ難いのか戸惑いの言葉を漏らすオルファスに、噛んで言い含めるかのように同じ内容の言葉を簡潔にして伝える。
「……誰もそんなこと言ってないデスヨ?」
「誰かに、聞いたの?」
「……イエ、キイテマセン」
「自業自得ねぇ」
オルファスの回答に処置なしとばかりにスティーツが言い放つ。言われたオルファスは返す言葉もなく、際限なく気分を落ち込ませる。言い訳ならば思い付く。あの師匠が試験前一ヶ月に言い出したからだ、とか、学園長に聞いた説明にそんな言葉はなかった、とか。だが、そんなことを言ったとしても、総合科に所属するという事実に変わりはないのだ。そして迂闊と言われてもオルファスには否定出来ない。学園長の説明をよく吟味して考えれば、予測はついた筈ではあるのだから。
「時間、いいのぉ?」
そのままいつまでも落ち込んでいそうな雰囲気を漂わせるオルファスに、言葉を掛けるスゥリ。少女の言葉に時間がぎりぎりであったことを思い出し、慌てて用意しておいた背負い鞄を手に取る。
「あ、やばい。行ってきます」
玄関を通り抜けて家を出る。その彼を追いかけるように、
「行ってらっしゃーい」
母娘の見送りの言葉がかけられた。
急ぎ足で通学路を通り抜けていくオルファス。彼の視界に試験の時にも見かけた、おそらく都市のほとんどの位置からでも確認できる高層の鐘楼を奥に控えさせた、学園の入り口たる門が見えてくる。それと同時に門の前で形成された、入り口を塞ぐような人集りがあるのが目に映る。
(なんだ、あれ)
そう、疑問も覚えるが、どうにかして確認しようという気も起きないので、その集団を避けてさっさと中に入ろうと思う。だが、どうやら人集りは門を塞いでしまうように形成されてしまっていて通り抜けるのは容易ではない。
(ここまで来て遅刻とか勘弁して欲しいんだけど……)
朝食抜いてまで急いできたんだしと、思考しながら大回り気味に門へと近づいていく。その行動の途中で、時折聞こえてくる怒声から、騒ぎが、おそらくは言い争いか喧嘩が起きているようだと把握できた。漏れ聞こえた内容から、王都にある学園と並び様々な地方から人が集まる学園であるが故か、領同士の仲が悪い貴族の子息が顔を合わせてしまったようだ。罵り合いの会話からそんなことが推測される。
(うわぁ、面倒そうだなぁ。ま、俺には関係ないか)
始まりがどちらかは分からないが、売り言葉に買い言葉といったところだろう。共に引込みがつかなくなっているのか、どんどん激化してるように思われる。
(巻き込まれると面倒そうだし、さっさと通り抜けよう)
交わされる会話という名の怒声に、どうやら実力行使にまで発展しそうな気配を感じるのか、そこかしこで「やばくないか?」とか「誰か先生とか呼んでこいよ」と囁き合うのが聞こえ始めている。そういった野次馬をしている学生の隙間を、オルファスは縫うように通り抜けていく。
オルファスが無関心を貫く事態は最悪の方向へと進行していた。
「もう、ゆるさねぇっ!
穿てっ、砂礫の散弾!」
言い争いをしていた一方の少年が、激昂して攻撃用の技を放つ。
対象も定めずに無差別に放たれた砂礫で出来た弾丸は、相手の少年をめった打ちにした上で、周囲で高みの見物をしていた観衆へと牙を剥く。
「ちょ、無差別かよ!」
誰かが思わずと言った体で声を上げる。慌てて避けようとするものもいるが、周囲が人で埋まっていて、そう避けきれるものではなく、避けられれば避けられたでその背後の者が犠牲となる。
そういった流れ弾の一つが、オルファスと同じように門の向こうへと移動しようとしていた少女に迫る。人の隙間を通り抜けることに集中していて、状況を把握していなかった彼女は自らに迫る脅威に気がつかない。
「白翅よ、盾成して防げ」誰にも聞き取れぬほどの小声で【源獣】の力を基とした術を発動させながら、オルファスは何食わぬ顔で彼女の横をすり抜けて行く。他の流れ弾に関しては、遠巻きとはいえその喧嘩を面白半分に野次馬していたような輩達のため無視した。
少女に迫った砂弾が不可視の盾に防がれ、大きな音を立てて弾ける。
「ふぇっ!?」
突然の音に何が起きたのかすら理解できずに、少女は戸惑いの表情で周囲を見回す。だが、派手な音が響いてようやくそちらへと意識を向けたような野次馬達には何が起きたかなど分かるはずもなく、彼女の疑問には答えられない。
「え、あの、なにが?」
少女の戸惑いをよそに、事を成した張本人は我関せずとばかりに、既に幾人もの人垣の向こうへと立ち去っている。
オルファスは振り返るような素振りすら見せずに、そのまま門へと至って通り抜ける。
ようやく門を抜け人集りからも抜け出せるといったところで、事態が新たな展開を見せた。
「何の騒ぎだ!」
凛と響き渡る声。そちらへと目を向ければ、長身でありよく鍛え上げられた体躯の青年の姿があった。その彼が騒ぎの場へと足を踏み出せば、まるで気圧されるかのように人垣が割れ、彼が進むための道が拓かれる。
(大した風格だ。周りの人間が無意識に身を退いてる)
背後に数人の生徒を従え、堂々たる態度で悠然と歩く姿に、オルファスは心中で感嘆する。
「おい、学園代表だぞ」
新入生以外の生徒も混じっていたのだろう、そう彼の姿を目にした誰かが周りに告げる。続くのは「さすがの迫力だな」「やっぱり格好良いね、あの方は」「相変わらずの凛々しいお姿で、やっぱり憧れちゃう」といった男達の感嘆と憧憬の言葉と、女達の恋慕と黄色い声が、そこかしこで起きる。その中には、わずかに同情の言葉も交じる。
「あの新入生は大変だな」
「ああ、出てきた相手が悪い」
もはや誰にでもこの先の展開が想像つくのだろう。口さがない者達も無責任に迎合する。
「小便ちびって泣いて謝るんじゃねぇ?」
「これだけの騒ぎを起こしたらそれじゃ済まない気がするな」
「だが、あの二人、貴族の子息だぜ?」
「それでもだよ」
「この学園に身分と領のいさかいを持ち込むことは禁止。もし破って騒動を起こしたのなら退学すらありえる」
「本当かよ……」
「実際、五年前に公爵家の子息が一人退学になってるよ」
「なんでも国王陛下のお墨付きらしいぜ。というか、公爵家の当主が学園に抗議すらせず受け入れたって話だし」
「それはまた……あー、もしかして退学になったのってひょっとして例の?」
「ああ、学園退学になって不名誉扱い。当主から貴族籍剥奪されて、病気療養という名目で僻地に閉じ込められた、アレだ」
「まぁ、爵位持ちの貴族の子息が退学処分とか不名誉きわまりないよな」
「というか、ここの学園を卒業することは一定の能力があることを世間に知らしめるのいいんだけど、逆に退学になるのは不適格者として世間に認知されるらしいからな」
小声で交わされる会話の中に不穏当な発言が混じって聞こえる。
(おっかねぇ……やっぱり出来るだけ、目立たないように立ちまわろう)
そう内心で決意を固めながら、場に背を向けて学園内へと入っていく。軽く周囲を観察すれば、学園代表が現れたことで場に決着がつくと見たのか、野次馬を止めて校舎へと向かうの人の流れが出来始めている。ただ、それは大体が在校生のようだ。
実際既に件の生徒は取り押さえられている。どうやら自分を取り押さえる生徒に抗議しているようだが、まるで相手にされていない。また攻撃を受けた少年の安否が気にされるところだが、そちらが連れだされている様子もまだない。
(もうすぐ、入学式なのに大丈夫なのかね?)
雰囲気に圧倒されたのか場に留まり続ける、自分と同じ真新しい制服を身にまとった生徒達を思い、オルファスはそんなことを考える。だが、わざわざ忠告する理由も思いつかない上、そんなことをすれば目立つだけだ。ましてや学園代表と呼ばれる立場の人間が事を収めに訪れたのだからその辺も大丈夫だろう、と勝手に決めつけてオルファスは入学式の会場へと向かうことにした。
時間について
1刻=2時間
八分刻=15分
四分刻=30分
四分三刻=45分
1の刻=2時、2の刻=4時、3の刻=6時~
といった感じで一応設定しております。ご参考までに