70.本当に最後だからね
表彰式の頃には雨が上がっていた。さっきまでの空が嘘のように、蒼が一面に広がっている。
昨日も、この噴水の前で藤井を待っていたんだよな。
今日は、昨日とは違う。流石に緊張するな。
「お待たせ」
「その格好……!」
花柄のワンポイントが肩口にある黒のブラウスに、ライトブルーを基調にしたアーガイルチェックのロングスカート。昨日と全然印象が違う。
「ねえ、あまり見られると恥ずかしいってば」
「そういうのも、持って来てたのか」
「ううん。似合うって言ってくれたから」
「ううんって、まさか、買ったのか?」
「昨日、デートの後に時間があったからね」
凄く似合っている。どう褒めたらいいのか困るくらい、可愛い。
「やっぱり、似合うじゃないか」
「褒めても何も出さないよ。じゃあ、行こっか」
「あ、その前に、少し話したいんだけど、いいかな」
「うん」
どう切り出せばいいんだ。突然言うのも、何か変だぞ。
「これ、ありがとう。力になったよ」
「もう付けちゃっていいの?」
「あ、いや、できればそのままがいい」
「じゃあ、まだこのままでいるね」
駄目だ。一時凌ぎにしかならない。俺が何か言わないと会話も続かない。
「藤井」
「うん」
いつもなら、ここで茶化すはずじゃないか。
真剣モードなんだぞ。何か突っ込んでくれよ。
「えっと、ミサンガ、切れたんだ」
「そっか。願い事、叶った?」
「まだ、わからない」
「そっか」
そこは、『まだってどういうこと?』とか、言うんじゃないのか。
何で今日は何も突っ込んで来ないんだよ。どうすればいいんだ。
「あ、俺、優勝したからさ、お祝いにキスを」
「うん」
「え?」
「どこにする?」
絶対、おかしいよ!
何でなんだよ。いつもは、しませんの一点張りだったじゃないか。
「あ、やっぱり、ちょっと待った」
「うん」
もう、あれだ。余計なことを言っていないで早く言えって、神様が言っているんだな。
「あの、俺さ」
「うん」
「藤井のことが、好きだよ」
うわぁ! 何かこう、もっと気の利いた言い方があったんじゃないのか!
「……ありがと」
「その、藤井は、俺のことどう思ってる?」
「好きだよ」
「え?」
あれ? 随分あっさりと――
「ねえ。本当にわかってないの?」
「え? あ、何が?」
「あのさ。早瀬は私のことを、好きでもないヒトとデートしたり、間接キスを平気でしたり、褒められたからってわざわざ服を買って来たり、そういう女だって思ってるの?」
それはつまり、そういうことだよな。そうだよな。
いや、待て。はっきりと確認するまでは、うん、自惚れてはいけない。
「まさか。でも、恭平とはデートしそうだったよな?」
「そういう女だって、思ってるんだね?」
「あ、いや、そうじゃなくて」
「そうなんだ」
「あ、藤井は俺の何が好きなの?」
「何でそういうこと聞くの?」
「いや、何か、まだからかわれてるんじゃないかって」
――――!!
藤井の、香り。風で揺れる髪が頬をくすぐる。閉じた瞳は無防備で、長い睫が艶っぽい。触れた唇の柔らかさが心地良い。
「……本気だよ」
「あ、まだよくわからないから、もう一回」
「何バカなこと言ってんの」
伝わった。通じた。俺の気持ちが、藤井に。
藤井も、俺のことが、好き……。
「もう一回だけ」
「もうしません」
「優勝の分は?」
「……もう一回だけだからね」
可愛い。抱きしめたい。
「あれ、もう終わり?」
「もう、おしまい」
「さっきより短くない?」
「ねえ。私、かなり恥ずかしいんだよ」
「それがいいのに」
「もう、絶対しない」
「じゃあ、俺からしていい?」
「そういうことを聞かないで」
「勝手にしていいの?」
「だから、そういうことを」
してやったり。逃げないってことは、嫌じゃないんだよな。良かった。
「……ずるい」
「藤井がしてくれないからだろ」
「あのね。私、ずっと好きだったんだからね。色々あるの」
「ずっと? いつから?」
「沙耶と……付き合う前から」
「は?」
「いい。わからなくても」
そうか。思えば、いつも俺のことを気にかけてくれていたんだよな。
選手になれなかったり、試合が散々だったり、練習で死にそうだったり……。その度に、頑張って、無理しないで、怪我しないで、って声を掛けてくれて。
「ソフトクリーム、おごるよ。行こうぜ」
「今日はレモン味がいいかな」
「好きなの二つ買って、一緒に食べればいいじゃないか」
「うん。そうする」
「藤井」
「あ、真剣モードだ」
「俺と付き合ってくれ」
「今更、何それ」
「返事は?」
「これが、本当に最後だからね」
この笑顔を、ずっと大切に――。
ここまでお付き合い下さった方々、長いこと、ありがとうございました。
青春に終わりはありませんが、彼の物語はここで閉幕です。
願わくば、貴方の青春に、多くの幸がありますように。




