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一輪に両手を  作者: リン
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70.一輪に両手を

 早瀬は、私の無責任な言葉に、満点で応えてくれた。

 『しつこいなぁ。そこまで責任感じるんだったら、二度と負けないで』

 『約束する』

 約束してからここまで、本当に一度も負けずに全国で優勝。

 初めての試合の時は、あんなに頼りなかったのに。

 『早瀬、あんま気にすることないよ。私も最下位になっちゃった』

 『サンキュ。藤井は自己記録更新して、凄かったな。俺も頑張らないとな』

 自分だって悔しくて、辛いはずなのに、そう見せないように振る舞って。

 選手になれなかった時だって、そうだった。

 『あの、早瀬……』

 『藤井、応援してるから頑張れよ。練習見てて思ったけどさ、最近、動きが良くなってるんだ。狙えるぞ、きっと』

 思えば、あの頃から、か。

 陸上に打ち込む早瀬の姿勢が変わっていったのも、二人の時間が楽しくなり始めたのも。

 『いや、ふざけてないで、無理なら休んだら?』

 『俺が休んだら、藤井一人でやらなきゃなんないだろ』

 体力が無くて冬期練習はいつも死にそうだったクセに、私のことばかり気遣ってくれたな。

 早瀬が成果を出して、私が自分の気持ちに気付き始めた頃には、沙耶も早瀬を見ていて。

 『格好良いよね、早瀬くん。一生懸命頑張って、結果出して。試合で跳んでるところ見た時、感動したもん』

 『そうだね』

 『あれ、今日は素直だね。もしかして、由希、本当に早瀬くんのこと……』

 『そんなことないよ。確かに、ちょっと格好良いとは思うけど、ね』

 色々、怖かったな。早瀬との関係も、沙耶との関係も、どっちも崩したくなくて、何もできなかった。

 でも、あの日はダメだった。

 『俺の、せいで』

 『いい加減にしてよ! 違うって言ってるでしょ! もし、わざとだったとしても、私がやったことで、早瀬は関係無い』

 何かしたくてもできなくて、それが本当に悔しくて、辛くて。

 『早瀬くんは、やるよ。由希が何を言ったのかはわからないけど、そんな風になったのは自分のせいだって、早瀬くんは思ってる』

 『だから――』

 『だから! もう、二度と、由希にそんなことを言わせないって、早瀬くんなら思ってる』

 どっちの関係も崩しかけた私を、二人とも救ってくれた。

 だから、早瀬がフラフラしていた時は、本当に許せなかったな。

 『待ってよ。何か理由があったんだと思うの』

 『どんな理由があったとしても、おかしいよ、こんなの』

 私でさえ、何かを裏切られたような気がしたのに、沙耶は責めることもしないで我慢して。

 『沙耶の誕生日、何してた?』

 『……女子と、遊んでた』

 『何で?』

 『……楽しかった、から』

 『最低』

 理由があるってわかっていても、言わずにはいられなかった。本当に、そう思った。

 それでも、早瀬との時間は捨てられなくて、大切で。

 『私から言わせるのか、自分から言うのか、どっち?』

 『この傷はちょっと不注意で』

 誰かを心配させたり、傷付けたりしないように、そんなことばかり気遣う優しさに、何度も救われた。

 『何が欲しいの?』

 『キスとかどう?』

 下らないことを平気で言うクセに、大事なことはすぐ隠して、本音を見せてはくれなくて。

 たとえ相手の為だとしても、責めるようなことは絶対に言わないと思っていた。

 『けど、な。藤井こそわかってんの? 俺がどんな気持ちだったか』

 『え?』

 『村松の為に自分を犠牲にして、それで問題が解決したって言われてた俺の――』

 『それは……!』

 『藤井が頼ってくれたから、何とかしたいって、頑張ってたんだぜ』

 あの日は、本当に惹き込まれた。

 プレゼントまで重なって、気持ちを抑えられなかったな。

 『好きなところに付けていいんでしょ。はい』

 自分でも、どこで線を引いていたのかよくわからなくなって、二人の時間も距離感が難しくて。

 『自信が、無いんだ。何か、具体的に聞いて安心したいのかも知れない』

 『……何かに一生懸命になれるヒト。あと、約束を守るヒト。これでいい?』

 浮かんだのは、早瀬だった。あの時、早瀬は――

 『好きって、どういうことなんだろうな』

 ――沙耶とのことを真剣に悩んでいて、私はそれを見逃した。

 『藤井と一緒にでもいい。とにかく、連れて来てくれれば、あとは俺が話す。頼む』

 『何か、大事な話なんだね。わかった。ちょっと時間かかるかも知れないけど、待ってて』

 何か、別の道もあったのかも知れなかったのに。

 『今日ね。初めて、手を握ってくれたんだ』

 『私ね、その時、死んでもいいって思ったよ』

 『二人で座って話したんだ。星も見えて、ちょっといい雰囲気だったんだよ』

 『早瀬くんが、言ってくれたの。好きだって』

 『やっぱり、手紙とは違ったよ。凄く嬉しかった。私、幸せだよね』

 微笑みながら涙を零して、それでも沙耶は――

 『私ね、思うんだ。急にそうなったんじゃなくて、ずっとそのコのことが好きだったんじゃないかって』

 『素直になるって、大事だよ。……由希も、ね』

 ――バカだよね。私は、沙耶よりも、もっと。

 そこまでしてもらっても、私はまだ、やっぱり怖くて。

 『……俺が行くなって言ったら、行かないのか?』

 『……早瀬が、それを言えるなら』

 行かないのは決まっていたのに、早瀬の気持ちを試すようなことまでして。

 『俺は、行って欲しくない。けど、藤井が行きたいなら、止めない』

 『じゃあ、止めて』

 それでもやっぱり、踏み出すことはできなかった。

 『私はいくら何でも全国は無理だよ?』

 『一緒に行くんだよ。だから引退は全国大会まで待ってくれ』

 早瀬は、あの時から私を付き添いにって考えていたのかも知れないけれど――

 『私ね、早瀬みたいに陸上に懸けてるってほど、走高跳が好きって訳じゃなかったんだけどさ』

 『こんなところまで来られたのって、その、たぶん、早瀬のお陰だと思うんだよね』

 ――私は、本当に一緒に行けたらって思ったんだよ。どんどん遠くへ行っちゃうんだから。

 そんなに甘い世界じゃないのはわかっていた。それでも、ずっと頑張ってきた早瀬を知っているんだって……そんな早瀬のそばで私も一緒に過ごしてきたんだって、見せたかった。

 結局は、連れて来てもらっちゃったけれど。

 『全国大会に来たんでしょ?』

 『それは俺。藤井は俺とデートしに来たんだよ。いいだろ、思い出の一つや二つ、作ったって』

 『……予選突破したらね』

 『任せろ。不純な動機を持たせたら、俺に勝てるやつはいないぜ』

 心配はしていても、負けた時のことは考えていなかった。いつもの跳躍が崩れた時は、それが急に現実味を帯びて、本当に怖かった。

 でも、やっぱり早瀬は負けなくて。

 『そろそろ、戻るか』

 『もういいの?』

 『楽しみは取っておくんだ』

 『優勝できなかったらそれどころじゃないでしょ』

 『するんだよ。で、楽しくデートして帰るんだ』

 私だって、楽しみにしていたんだから。昨日だって頑張ったけれど、今日はもっと――

 『やっと、由希の本音が見えた。今度は、私と約束。早瀬くんが約束守ったら、素直になるんだよ』

 ――私の、本音。やっぱり、ずっと。

 『だからこそ、もう、私に遠慮するのは許さないからね』

 沙耶、私、早瀬のことが好きだよ。誰よりも、そばにいたい。


 早瀬、約束を守ってくれて、ありがとう。沙耶を放してまで空けた両手は、私に添えてくれるかな。

 沙耶、背中を押してくれて、ありがとう。私、素直になるよ。


「お待たせ」

 ここまでお付き合い下さった方々、非常に長いこと、ありがとうございました。

 貴方が誰かを思う気持ちと同じくらい、誰かが貴方を思ってくれています。

 願わくば、貴方には見えない青春のひとかけらが、貴方に幸せの一輪を咲かせますように。

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