56.プライド4(藤井由希・佐野恭平)
昨年、早瀬はこの日に大敗した。悔しさや約束を抱えて、ずっと頑張ってきたんだから、負けないよね。
「由希ちゃん、ちょっと、いいかな」
「佐野くん? もう、コールでしょ。何してんの」
「だから、その前に話をしに来たんだよ」
佐野くんがわざわざ来たんだから、大事な話、か。
「試合に間に合うように行きなよ」
「わかってる。実はさ、怪我したんだよ。ちょっと、捻挫した」
「は?」
「意味が無いとは思うけど、修治にはナイショな」
「そんなの、試合に出なければすぐバレるでしょ」
「出るんだよ。で、勝つんだ」
「無理に決まってるでしょ。そんなの佐野くんだってよくわかってるはずなのに」
「そこなんだよ。だから、試合前に来たんだ」
「どういうこと?」
「俺は、今日の試合で全国標準を突破できなかったら、引退する」
「は?」
「突破できたら、県大会は捨てて、全国までに完治させる」
「今日突破できなくても、県大会で狙ったらいいんじゃないの?」
「完治まで二週間らしくてね。今日の試合で勝負に出たら、来週の県大会は今より跳べないよ」
ここで六位に入らなければ、県大会には出られない。先を望むなら、今日は出るしかない……。
「どうして、私に?」
「たぶん、修治にはバレる。で、そうすると、由希ちゃんの耳に入る可能性がある。それじゃ困るからだよ」
「今聞いても、同じことじゃないの?」
「由希ちゃんは優しいからな。怪我をしているのを隠してフェアに頑張った、なんて思うかも知れない」
「抜け道は嫌だって自分で言ってたでしょ。約束は約束。怪我は関係無いよ」
「それでも、色々悩むだろ。約束があったから無理したんじゃないかとか」
それは、そうかも知れない。
「だったら、無理するのをやめてよ」
「だから、そこをちゃんと話す為に来たんだよ、俺は。試合には出る」
「最初から、無理するつもりだったんでしょ」
「今、こうして話してみて、由希ちゃんのことを想うならどうすればいいのか、俺はわかってるんだぜ。それでも、俺は自分の意思で試合に出る」
「……何が言いたいの?」
「格好良いだろ」
「バカじゃないの」
「冗談だよ。俺は、怪我の重みも、修治の実力も、競技の厳しさも、ちゃんとわかってる。それでも出るって決めたなら、怪我は負ける理由にならないってことさ」
怪我を言い訳にするなら、試合を棄権すればいい――負けた場合は、実力で劣ったからだって、そう言いたいの?
「……バカじゃないの」
「男はみんな、バカなんだよ」
「そんなの、聞いてたからって、同じように比べられると思ってるの?」
「そこに甘えたくないから、こうして話したんだ。由希ちゃんがどう思っても、俺は自分で言い切ったんだから、後で甘えることはできない」
「自分で逃げ道を塞いで、進む道も決めて、それだけ伝えるのはずるいよ。話すなら、私の気持ちもそこに入れてくれなきゃ」
「男はみんな、我が儘なんだよ」
「何でもかんでも、男を理由にしないで。女の気持ちを背負う男だって、いる」
「……俺がこれから闘う男、か。強敵だよな」
今更、佐野くんに気持ちを隠す必要は、無い。
「早瀬は、佐野くんの気持ちも背負って、勝つよ」
「あいつが強い理由が見えた気がするよ。ただ、一つ、誤解がある」
「……何?」
「俺が修治と争うのは、由希ちゃんだけじゃないってことさ」
他のコにも気があるという意味ではないのはわかるけれど――
「どういう意味?」
「男の世界の話だよ。わからなくていいんだ」
「……早瀬には、わかるの?」
「あいつは男だから、な」
早瀬はきっと、それも勝ち取るよ。ただ――
「佐野くんが……競技に誇りを持ってるのは、よくわかったよ。だから、それは応援する。頑張ってね」
「サンキュ! それじゃ、男の生き様、見逃すなよ」




