セレナの旅 ~婚約者が出ていきましたが、追いかけるべきですか?~
「辺境領まで行ってくるので、探さないでください。」
仕事が終わり、家に帰るとテーブルの上には、こんな書き置きがあった。宛名も差出人も書いていないけど、この家に住んでいるのは俺ら二人しかいない。だから、これは自分の婚約者が自分に宛てたもので間違いなさそうだ。
周囲を見回しても、他に変わったところはない。急いで寝室に戻り、クローゼットを開けると、ホコリをかぶっていた旅行鞄がなくなっている。服も数枚なくなっているようだ。
サイドテーブルには、昨日壊したランプが置いてある。ひび割れた笠の部分に何枚かのテープで貼り付け、不格好ながら修繕されていた。
昨夜のせいだ。
彼女の怒った顔を思い出す。いつもの喧嘩と同じく、今夜にはケロッとしていると思っていた。まさか出ていくまで思い詰めていたとは。今朝だって、いつもの喧嘩の翌日のように、ムスッとしていたが、お詫びに買ってきた焼き立てのパンを食べて、少し笑顔が戻っていた。
何がダメだったんだろうか。
俺はこのままで終わらせたくない。
せめて、謝らなくては。
でも、肝心の本人がいない。
どこに行ったのだろうか。
辺境領とあるが、この国には辺境領が4つある。旅行日数から考えて、2つに絞れるが、どちらかも分からない。旅費や食料は足りているのだろうか。一番近い西の辺境領だって片道3日はかかるので、きちんと準備が必要だ。旅行鞄は持ったといえ、準備が十分かは怪しい。
ひとまず町の中心地にある、運送ギルドに向かった。
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顔馴染みのギルドスタッフに、事情を話し、彼女を見ていないか尋ねた。
「え!セレナさん、出てっちゃったんですか。」
すっとんきょうな声がギルド内に響いた。
運送ギルドには、従業員だけでなく、彼らに運送を依頼する商人や職人、農民など幅広い人が出入りしている。
口を押さえたが、時すでに遅し。この場にいた人に、セレナが出ていったことがバレた。もうこうなったら、誰も止めることはできない。明日には街全体がセレナの噂話にわくだろう。
もうこうなったら、と俺は開き直った。
「誰か、日中にセレナを見た人はいないか。」
俺は、ギルド内全体に話しかけた。すると、荷物を持って歩いたとか、馬車を待っていたといった目撃情報がポツポツと出てきた。わざわざ詳しいことを確かめにいってくれたものもいた。
気づけば、運送ギルドのホールがセレナの捜索拠点に様変わりしていた。ひとまず俺は、何人かを伴って、家に帰った。
数人が俺の許可を取りながら、彼女の行き先の手がかりを探す。
これはなんだ、あれはなんだの、関係ない質問ももちろん飛んでくる。特に彼女が吊るしていた乾燥ブーケやポプリなどは、女性たちの興味を引いた。
「あんた、こんないい匂いの部屋で暮らしていて、幸せ者だよ。」
と背中を叩かれる。当たり前になりすぎて気づかなかったが、我が家には部屋ごとに匂いが違う。確かそれぞれに効能があったはずだ。引っ越してきたばかりの頃に説明してもらったはずだが、もう覚えていない。そして、彼女がまとっていたのは、なんという花の香りだっただろうか。あの少し甘い彼女の匂いを、思い出していた。
「セレナさん、アクセサリーはどこにしまっていましたか?」
「え?」
「いや、本当に出ていったのならば、金目になるアクセサリーとかは持って出ていった可能性が高いと思って。」
寝室の枕元にある小箱を開けた。中には彼女のアクセサリーが数個しか残っていなかった。やっぱり戻ってくる気はないのだろうか。不安な気持ちを膨らませながら、ギルドに帰ってきた。
いつの間にか結成されていた捜索隊によると、セレナは東に向かう馬車へと乗り込んだらしい。その時に見知らぬ若い男性と一緒にいたらしい。
「駆け落ちってことはないですよね?」
俺は思わず、そう口走った奴の胸ぐらを掴んでいた。しかし、否定の言葉を投げつけようとすると、その勢いがしぼんでしまい、しまいには胸ぐらを掴んでいた手を下ろした。
セレナは、見知らぬ若い男性と出ていった。
いなくなったことさえ衝撃的だったのに、そこに追い討ちをかけるように現れた若い男。
セレナが俺のところに戻ってくることはないのだろうか。
急に惨めな気持ちが足元から込み上がってきた。
「すまん。俺は家へ帰る。」
消え入るような声で、近くにいたやつに告げると、俺は逃げるように家へ帰った。
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翌朝起きると、改めてセレナがいないという事実が重くのしかかってきた。
おはようの挨拶もなければ、朝食を用意する音も、淹れたての紅茶の匂いもしない。食卓についたものの、何もする気が起きずに、ただそこに座っていた。カチカチと時計の針の音だけが規則正しく時を刻んでいる。
そこに、ドアを叩く音がした。応えなければと思っても、腰が上がらない。すると、ドアが開いた。
「ディック、いるんだろ。」
向かいのパン屋の女将の声が聞こえた。彼女は、こちらの返事も聞かず、無遠慮に入ってきて、カゴをテーブルの上に置いた。
「おはよう。セレナが出てったんだって。聞いたよ。どうせ昨日から何も食べてないんだろ。パン食べな。」
いつもは迷惑ぐらいに感じていた一方的な会話が、今はありがたく感じた。俺はカゴに入っていた、まだ温かい焼き立てのパンをかじった。
女将は、俺がパンを食べるのを黙って待っている。ふわふわのパンは、ほんのり甘くて、涙が出るほど美味しかった。
「お腹が空いていたら、人間まともな判断が出来ないよ。どんなに辛くても、ちゃんと食いな。」
「おう。」
俺は小さな子どものように、コクンと頷いた。
「さて、時間がないよ。準備はできてるかい?」
「何の?」
「何言ってるんだい。セレナを追いかけるんだろ。」
「でも、仕事が。」
「そんなの、誰かがお前の職場に行って、了解をとっているから大丈夫さ。それよりも、馬車が出るのは、あと10分だよ。詳しいことは停留所で話すから、急いだ急いだ。」
俺はいつまでかかるか分からぬ旅の支度に取りかかった。適当に服を掴み、カバンに詰め込む。お金は、しょうがないので、結婚式のための貯金に手を出した。こんなことにならなければ、セレナに贈る指輪になるはずのお金だった。そんなこちらの思いは知らぬと、女将がすごい勢いで急かせてくる。女将に追い立てられるようにして、俺たちは慌ただしく家を出た。
停留所には見知った顔が何人もいた。どうやら俺の到着を待っていたようだ。
「ディック、遅いぞ。」
そう言ったのは、肉屋のダンだった。彼は昨日ギルドにはいなかった。きっと誰かが声をかけたのだろう。
「俺が隣町まで一緒に行ってやる。親戚がいるんだ。そこで事情を話すから、探すのを手伝ってもらえ。」
「お前、仕事は……。」
「水臭いこと言うな。1日ぐらいカミさんとバカ息子たちで、どうにかなる。」
「すまん。恩に着る。」
「その代わり、うちのカミさんが出てった時は協力してもらうからな。」
ダンはそう言って、大きな体を揺すりながら、大きな声で笑った。そこに馬車が停まった。
「これ、道中で食べろよ。しっかりセレナさんを見つけろよ。」
そう言って、見送りに来た人たちから色んな餞別を受け取り、カバンはパンパンに膨らんでいた。そして、すっかりしょげていた俺の気持ちを奮い起こすには十二分な量だった。
「ありがとう。セレナを探してくる。」
そう言って、ダンと馬車に乗り込んだ。
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ダンは馬車の上で、捜索隊に集まった情報を教えてくれた。昨日のセレナに怒った様子はなく、旅支度の買い物にいそしんでいたようだ。誰かが、遠出かと聞くと「そうなの少し家を離れるわ」と答えたそうだ。俺も一緒かという問いかけには「いいえ。今回は一人なの」と言っていたらしい。彼女が日頃出入りをしている薬屋にも、しばらく不在だと告げている。
しかしその後、彼女は教会に寄り、その後に若い男と馬車に乗って、東に向かったらしい。二人が話しながら歩いていたという目撃情報もあるので、偶然乗り合わせた人である可能性は低い。その後、誰かが教会に話を聞きにいったが、残念ながら司祭は南の聖堂を訪ねており、不在だったそうだ。見習いの少年によると、男性は東から来た客人だったらしい。
というわけで、俺はこの街から出る馬車の終点である隣町にツテのあるダンと一緒に乗ることになったらしい。
いつもは煩わしいと思っていた街のつながりが、今は心強い支えとなっていた。
「それで、セレナさんが出ていった心当たりはないのかね?」
ダンは説明が終わると、今度は尋問モードに入った。そこで俺は、ダンに喧嘩のことを打ち明けた。
寝る前に結婚式で使うブーケの花について意見を求められ、適当に返事をしたら、急にセレナが怒りだしたのだ。そこで疲れていた俺は「ブーケの花なんて、なんでもいいだろ」と言ってしまった。その言葉がセレナの癪に触ったのだろう。セレナは泣き始め、くだらない言い合いが続いた。そして、ふと俺の手が、セレナの気に入っていたサイドテーブルのランプに当たり、床に落ちてしまった。それが合図になったように、「もういいわ」と言って、布団に潜り込み、寝てしまった。
話し終えた俺は、まるで大きな石がのせられたように体が重く、うなだれていた。その背中にダンの大きな手が置かれた。
「それだけか。」
「おう。」
「だったら多分、セレナさんが出ていった原因はそれじゃないな。」
俺は思わず、ダンの顔を見上げた。ダンは笑っている。
「そんな言い合いなんて、可愛いもんだよ。俺の知る限り、そんなくらいじゃ、家を出て、見ず知らずの土地に行こうとはならない。あって、実家に帰るくらいだ。」
これもこれで最悪だがな、とダンは小さな声で付け足した。きっと彼が経験したことなのだろう。
「ただ、セレナさんにブーケの花なんてどうでもいいって言ったのは、まずかったな。」
「どういうことだよ?」
「だって、彼女は薬師だろ。花とかこだわりありそうじゃないか。」
彼女は薬師でもあるが、それ以前に花好きである。確かに彼女にとってブーケの花は俺が思っている以上の重要性を持っている気がした。
「だったらやっぱり。」
「いや、違うな。うちのカミさんが、干し肉を買いに来た時に愚痴のひとつも言ってくれれば…と言っていたぞ。セレナさんは愚痴も言わずに、一人で抱えこんで、翌日に見知らぬ男と出ていくような人か。」
「確かに、おかしい。」
「だろ。」
ダンは得意げに頷いている。少しムカつく気もするが、彼の推理は的を射ていた。だったら、若い男は誰なんだ。どうしてセレナは辺境に向かっているのだ。解決したようで、現状は何も変わっていなかった。あるとすれば、俺の気持ちが少し軽くなったくらいだ。
「でもお前、気をつけろよ。俺も結婚式の時にカミさんのドレス代をケチったせいで、未だに嫌味を言われる。セレナさんを見つけたら、素直に謝った方がいいぞ。」
そういうと、一緒に馬車に乗っていた人たちが、うちもそうだったと、話に参加してきた。結果、隣町に着く頃には、俺は結婚式にまつわる恨みつらみが何十年経っても消えないことを知り、自分がしでかしそうになった過ちの大きさに、すっかり肝を冷やしていた。
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隣町に着き、俺はダンと一緒に彼の親戚の家を訪ねた。彼の親戚の家もやっぱり肉屋だった。
そしてダンから事情を説明してもらう。すると、ダンそっくりの恰幅のいい従姉妹のマリさんが、それは一大事と聞き込みを始めてくれた。「俺も」と言ったら、一旦休んだ方がいいといわれ、ダンと食卓につくことになった。そして、この肉屋の大将と遅い昼飯を取った。
その後も、ダンと大将は肉屋同士の情報交換に勤しんでいる。俺はというと、聞き込みをしてくれている女将に合流するのではなく、俺がこういう地方には珍しい魔道具師ということもあり、調子の悪かった肉屋のオーブンの魔法陣を補修することになった。すると、その噂がすぐに街中を駆け巡り、いつの間にか、肉屋の前が一時的な魔道具工房となってしまい、依頼の列が出来てしまった。
セレナを追いかけなければいけないと焦る一方で、この人たちを放っておけないという使命感が生まれてしまい、結局今晩はここに泊まり、緊急性が高いものを優先に、時間の許す限り対応した。
急がば回れとはよく言ったものだ。これが功を奏して、俺は指輪のための資金に手をつけることなく、次の馬車に乗れるようになった。さらに、隣町の人も好意的にセレナの目撃情報を寄せてくれた。
どうやら、セレナも俺と同じようにここでひと稼ぎしたようだ。市場でハーブティーを売り、薬屋でも煎じた薬草を売っていた。隣には若い男が付き添っていたらしい。マシューという名のその男は、甲斐甲斐しくセレナの手伝いをしていた。
工房に来た、セレナたちを目撃した人たちは、「お前の方がいい男だよ」と励ましてくれるが、やはり落ち着かない。
俺と婚約してからのセレナは、薬師の仕事はたまにするくらいになっていた。それよりも、家の仕事や庭に出て、植物の世話をしていることが多かった。俺はセレナの仕事を手伝ったことがあっただろうか。むしろ、勘定等こちらの手伝いばかりさせて、彼女が働くのを邪魔してきたんじゃないだろうか。しまいには、肉屋の女将さんが「セレナさんは薬師の仕事を続けたいって言っていたのかい」という質問にすら答えられずにいた。
セレナが困らないように稼がなければいけないと思ってはいたが、それだけでは足りなかったのだ。俺のなかでセレナに謝らなければいけないことが、またひとつ増えてしまった。
そんな不安でいっぱいになっているところに、薬屋の青年がやってきた。
「セレナさん、薬草を売りに来た時に、ここから東にいった都市カルデナに行くって言っていました。僕、そこで行なわれる薬師の試験を受けに行くんです。よかったら一緒に行きませんか。」
こうして俺は、クレルという新しい同行者を得て、カルデナに向かうことになった。
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カルデナの町までは2日かかる。その間、俺はクレルからは薬草の話を聞いた。そして家で使われていた薬草の多さに改めて驚いた。飾りだと思っていたものも、実用性の高い薬草で、快適に過ごせるように工夫されているものだったのだ。
「お店に来ていた時も思っていましたが、やっぱりセレナさんって素晴らしい薬師なんですね」と、本人がいないのに、賞賛される始末である。そして、セレナが使っていた香水が「サンシシ」の花だということもわかった。とても人気のある香りなんだそうだ。夏の始めに白い花を咲かすと聞いて、家の前に植えられた茂みのことを思い出した。もしかしたら、あれがサンシシなのかもしれない。もうセレナに聞けないと思うと、自分の不甲斐なさが悲しくなった。
夜になると、俺の不安はさらに大きく重くのしかかった。セレナは俺と別れ、薬師として独立し、マシューという男と暮らしていこうとしているのではないだろうか。そんな考えが、浮かんでは、「そんなことはない」と自分で必死に打ち消していた。しかし、クレルによると、この試験に合格すれば、二級薬師として薬屋を開くことができるようになるのだという。薬師として一人前になったセレナが俺の手が届かないところに行ってしまう気がしてならなかった。
そして、カルデナの町に着くころには、俺はすっかり意気消沈しており、さらに睡眠も上手く取れず、顔色まで悪くなっていた。
「薬師の卵として、今のディックさんを一人にしておくのは出来ません」とクレルに言われ、試験前にもかかわらず、宿で二人部屋を押さえられてしまった。だが、休んでいる場合ではない。俺はクレルの制止を振り切って、セレナを探しに外に出た。
しかし、あてもなく数時間歩き回ったため、夜から高熱が出て、結局クレルに看病されることになってしまった。
「試験は2日後です。そこにセレナさんが来るそうです。その時に、きちんと話ができるように備えましょう。」
そう年下のクレルに励まされ、俺は眠りについた。
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2日後、俺は体調を取り戻し、朝一番で薬師の試験会場の前にいた。そう、セレナに会うために。隣にはクレルがいる。試験時間になるまで付き合ってくれるそうだ。勉強しなければいけないだろうに、行き先が一緒だっただけの俺を看病をしてくれた上に、こうして寄り添ってくれるあたり、お人よしすぎる。
すると、少しずつ到着し始めた学生たちのなかに知った顔があった。セレナだ。俺は、思わず駆けだした。
「セレナ。」
学生の影から現れた俺を見て、彼女はとても驚いていた。
「ディック。どうしてここに。」
「どうしてって、お前を探しにきたんだ。」
「でも、探さないでっていったじゃない。」
「でも、俺はお前じゃないとダメなんだ。」
ただならぬ雰囲気に、周りがこちらの様子を見ているのがわかった。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。俺はセレナの手を掴んだ。
「俺が悪かった。お前が薬師として一人前になりたいということに気づけず、家に縛りつけてしまった。どうか許してもらえないだろうか。」
一気にまくし立てた。それを聞いている彼女は、大きく目を見開き、唖然としている。そんなに彼女にとっては、俺が謝るということはありえないことだったのだろうか。自分の傍若無人さに焦り、彼女を掴む手にさらに力が入った。
「ちょっと待って、ディック。誤解だわ。あなたは何も悪くない。」
セレナの優しい言葉が胸に刺さる。しかし、俺がほしいのは彼女の弁解ではない。帰ってきてほしい。俺にはセレナが必要なんだ――。
「でも、ごめんなさい。今は時間がないの。夕方にあなたのところに行くから、話しましょう。」
そうして、俺の宿の名前をメモし、彼女は試験会場の方へ歩いて行った。すると、彼女の一歩後ろに若い男性がいることに気がついた。あれがマシューか。そう思った瞬間、俺は彼に掴みかかりそうになっていた。が、それは未遂に終わった。俺が何かやらかすだろうと目を光らせていたクレルが、一歩目を踏み出した瞬間に、しがみついて止めてくれたのだ。
「ディックさん、ダメです。まだ彼がマシューさんと決まったわけではないし、マシューさんとセレナさんの関係もはっきりしていません。今晩、セレナさんと話すんでしょ。自分でその機会をつぶしちゃ駄目ですよ。」
俺は大きく息を吸い込み、ゆっくりとはいた。全く何をしようとしていたんだ。クレルがいなければ、またセレナを泣かせるところだった。自分の浅はかさを悔やみながら、クレルに礼を言った。そして、クレルを試験に送り出し、一人で宿に戻った。
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夕方前、宿にクレルが戻ってきた。出来は上々だったようで、ひと安心した。セレナはどうだったのだろうか――。そんなことを思いつつも、俺はクレルを誘って宿を出た。せめて花でも贈って、彼女に笑顔になってほしい。そう思って昼前に花屋に寄ってみたものの、花の種類が多すぎて何にしていいか見当がつかなかった。さらに、ダメもとでサンシシの花はあるか聞いてみたものの、それも季節ではないからと言われてしまった。でもやっぱりセレナに花を贈りたい。そう思って、クレルと一緒にまた来たというわけだ。
「そういえば、ブーケのことで喧嘩したって言っていましたよね。」
ここ数日一緒にいるクレルには、すでに一通りの事情を説明してあった。
「どんな花が候補だったか覚えていますか。」
自慢ではないが、花の名前なんて全然知らなかった。多分、彼女はいくつか候補を俺に伝えていてくれたが、それが花の名前であることしか俺には伝わらなかった。
「じゃあ、色はどうでしょうか。セレナさんにあう色を考えてください。」
その時、春にいった花畑のことを思い出した。一面黄色にそまった花畑に、白いワンピースを着たセレナが笑ってこちらを向いている。半年前の出来事なのに、何年も昔のことのようだ。
「コルザですね。じゃあ、そのイメージで花束を作ってもらいましょう。」
そして、クレルが代わりに花屋とやり取りしてくれ、黄色い花がたくさんつまった小さな花束が完成した。
宿に戻ると、ちょうどセレナも到着した。彼女の横にマシューはいない。俺は反射的に小さな花束を後ろに隠した。
「あら、ディック。少し早かったかしら。」
彼女はクレルを見た。それに気がついたクレルが、「隣りのカフェにでも行くんで」と、気を利かせて立ち去ろうとした。
「いや、出来ればクレルもいてほしい。」
さっきマシューを前に自制心を欠いた自分のことを信用していなかった。だから、何かあったときのために、クレルにいてほしかった。
「分かりました。」
そう言って、セレナも一緒に部屋に戻った。すると部屋に入るなり、セレナが尋ねた。
「ねぇ、これってなんの香り?」
俺は花束をセレナに差し出した。
「これ。許してもらえないかもしれないけれど、俺が悪かった。お前がいないとダメなんだ。戻ってきてほしい。」
セレナは不器用に差し出された花束を受け取ると、顔を近づけて、その香りをいっぱい吸い込んだ。その動作が懐かしくって、こめかみの奥がじんとなった。
「いい香り。これあなたが選んでくれたの。私の好きな匂いだわ。」
「いや。こいつに選んでもらったんだ。」
やっぱり自分で選んだ方が良かったのだろうか。小さな石礫が飛んできた気がした。
「でも、…」
俺を庇おうとしたクレルの声にセレナの声が被った。
「コルザ畑みたいだな、と思ったんだけど。」
その一言に、下を向きかけていた俺は再び頭を上げた。
「やっぱり。あの畑、綺麗だったものね。」
ニコッと笑ったセレナを見て、改めて彼女に惚れ直した。来年もまた行きたい。そう心から思い、強く頷いた。
「それで、あなたはどうしてここまで来たのか、聞かせてちょうだい。」
俺とセレナは小さなテーブルに向かいあって座り、クレルはベッドの端に腰掛けた。そして俺は改めて、ブーケのこと、彼女が仕事をしたいことに気付けなかったことを謝り、戻ってきてほしいと告げた。そんな懺悔をセレナは、小さな子を見守るような温かい目で見つめながら、静かに聞いてくれた。
「つまり、あなたは私があなたの元を去って、薬師として生きていこうと思っているわけね。」
「そのために、マシューという新しいパートナーもいるんだろ。」
「マシューと私が……。」
するとセレナは声をあげて笑い出した。しまいには涙まで浮かんでいる。
「ごめんなさい。私、あなたってもう少しつまらない人だと思っていた。でも、結構想像力豊かだったのね。」
いつもならこういう皮肉を皮肉で返すところだが、今の俺には、想像だという事実が嬉しすぎて、素直に返してしまう。
「マシューとは違うのか。」
「何言っているの。彼は私の弟弟子よ。結婚式の招待状も送っているじゃない。」
セレナの方の招待客に関して、彼女に任せっきりにしていたので、全く覚えがなかった。クレルのため息が後ろから聞こえた。
「それに、私は試験を受けに行ったわけでもないわ。」
「じゃあ、なんであそこに。」
「試験官をするためによ。」
試験官?
その言葉の意味を上手く咀嚼せずに、頭の中でひたすら反芻していた。
「あなた私が一級薬師だってこと忘れたの。一級薬師が二級薬師の資格試験を受けるわけないでしょ。」
クレルが後ろで、「一級なんですか!」と感心の声を上げていた。すっかり俺は蚊帳の外にいた。薬師の学校を出たとは聞いていたが、資格までは把握していなかった。いまだって、試験官ができるくらいすごいということしか分かっていない。
「この前、マシューが急に家を訪れて、試験官に一人欠員が出たから、急遽やってくれないかと訪ねてきたのよ。それで急いで支度をして、出発したわけ。本当は説明してから出発しようと思っていたんだけど、出来なかったでしょ。だから、手紙を置いてったじゃない。」
確かにあった。でも「辺境領に行くので、探さないでください」って、説明不足すぎじゃないだろうか。そして、だったら仕事だと一言添えてくれても良かったんじゃないか。そう言いかけた言葉は、恥ずかしさの津波に呆気なく飲み込まれた。
あらぬ方向に想像して、周りの人を巻き込むほど大騒ぎして、ここまで来てしまったのだ。全くどの面下げて帰ればいいのだろう。勘違いでした、なんて言ったら、街の、いや隣町も含めた地域の笑い者だ。俺はセレナの言葉を信じて待っているべきだったのだ。でもやっぱり、文句は言いたい。
「喧嘩した後に、あんな風に書かれたら、誰だって勘違いするだろう。」
いつもの喧嘩腰ではなく、呆れ半分で言った。
「そうよ、ブーケの色、考えてくれた?」
セレナにとって重要なのは、こちらの羞恥心よりもブーケの色なのだろう。「黄色でいいんじゃないか」というと、「黄色でいいのね」と言われてしまった。
そうだ、墓場まで恨み言を言われては堪らない。俺はダンたちのアドバイスを思い出した。
「黄色がいい。」
「わかったわ。」
セレナは満足そうに微笑んだ。
「それで、彼は誰なの?」
セレナはクレルのことを尋ねた。そこからマシューも呼び、俺たちは酒場に場所を移し、今回の大騒動を説明した。運送ギルドに始まり、パン屋の女将たちに送り出されたこと。ダンと一緒に隣町へ向かい、そこでダンの親戚にお世話になりながら、目撃情報を集めたこと。クレルと一緒にこのカルデナまで来て、倒れたこと。セレナは終始笑いながら聞いていたが、自分が悪者にされそうになったマシューは、青い顔をしながら聞いていた。
「セレナ先輩のせいで、僕ひどい男になるところでしたよ。」
マシューは、ものすごく感じのいい青年だった。あの時、クレルが止めてくれて本当に良かった。マシューとクレルは気が合ったのか、今度勉強会をする約束をしていた。でもまずは、俺たちの結婚式で再会することになるだろう。あとは、パン屋の女将とダン一家と...、この旅から帰ったら結婚式の招待客リストを見直す必要がありそうだ。
「そういえば、アクセサリーが何個かなくなっていたみたいだけど。」
俺は数が少なくなったアクセサリー箱を思い出した。セレナは楽しそうに笑った。
「あれはね、今回とは関係ないわ。何に使ったかは秘密。もうすぐ分かるわ。」
その後は、薬草関係の話でもちきりだった。今までは聞き流していたそれらの話を、知らないながらに一生懸命耳を傾けてみた。もちろん急に分かることはない。でも、知ろうとしなければ、知らないままである。
すっかり話が盛り上がり、気づけば夜も更け始め、店を出ることになった。お互い荷物があるため、俺たちは別々の宿に泊まる。だから、ここで一旦お別れである。
「ところで、試験結果を報告するために辺境領まで行かなければ行けないのだけれど、行ってもいいかしら、ディック。」
「おう。先に帰って、待ってる。」
「結婚式の準備、進めておいてね。」
今度は清々しい気持ちで、セレナを送り出した。でも、結婚式の準備って何かあっただろうか。俺は報告がてら、人生の先輩方に聞いてみることにした。




