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みどりの聖女は忘れられたい

作者: 調彩雨

「お嬢さま」

「んぁ?」

 わたしが朝食を摂るかたわら、黙って給仕をこなしていた雑役婦ざつえきふが、不意に名を呼んだ。没頭すると飲食を忘れがちなわたしに、一日三食とおやつを摂らせることを、自身の最大の使命と思っているらしい彼女が、食事中に邪魔をして来ることは珍しい。

「……あの」

 しかも声を掛けておきながら、言いにくそうに躊躇っている。ますます珍しい。

「なあに、どうかしたの?」

 言いにくいこととは、なんだろう。と、思って、ふと気付く。

「あ、もしかして、休みが欲しかった?」

 どうしていままで気付かなかったのだろう。朝から夜まで、それこそおはようの前から、おやすみのあとまで、彼女はずっとわたしの世話をしてくれている。三六五日、休みなくだ。わたしの仕事中と就寝中は離れられると言っても、食事と食事のあいだのわずかなあいだと、夜だけ。しかもそのあいだにも、彼女はもろもろの雑務をこなしている。彼女の代わりはいないから、代わって貰うことも出来ない。

 なんてブラックな職場だろうか。わたしだったらひと月で耐えきれずにブチキレて辞めていただろう。だと言うのに、彼女は何年も仕え続けてくれている。

「ご、ごめん、配慮が足りなくて。わたし、これだから駄目なのに。あのね、休みたいときは休んで良いんだよ。心配しなくても、やろうと思えば自分の世話くらい出来るから。ずっと甘えててごめんね」

「いえ、そうではなく」

「違うの?そっか、もうそんな段階じゃない?辞めたい?そうだよね普通に考えてあり得ないよね。良いよ解約届書くね。退職金も慰謝料も出すし、次の仕事なり、縁談なりが決まって移り住めるまでの生活費も出すから」

 彼女は優秀な雑役婦だからいなくなられるのは困るが、それはわたしのわがままだ。そんなもので、この劣悪な環境に、彼女を縛ってはいけない。

「辞めるつもりはありません!」

「えっ、そうなの?大丈夫?じゃあ、人員増やす?もう2、3人増やすくらいの収入はあったよね」

「嫌です」

「い、嫌なの?」

「嫌です。なぜお嬢さまのお世話をほかの者に任せなければいけないのですか」

 基本能面のように表情の動かない彼女が、不服をあらわにしている。今日は珍しいことばかりだ。

「えっと、ユヅがそれで良いなら、わたしは良いんだけど」

 いやでもやっぱり彼女に依存している現状は良くないのでは。

「やっぱりひとりくらいは増やさない?」

「嫌です」

 嫌なのか……。

 わたしは無意識に困った顔をしたのだろう。ユヅは苦渋、と言う顔で、唸るように言った。

「お嬢、さま、が、お望み、で、したら、わたくし、は……」

「そんなに嫌なのかあ……楽になるよ?出来ることも増えるだろうし」

「現状困っておりませんし、手ならございますでしょう」

「まあ雑用はね」

 つまり、ユヅが言いたかったのは雇用関係の希望ではなかったのか。

「じゃあ用事はなに?」

「その、たまには、外出しませんか?」

「外出?」

 そんなの。

「毎日してるじゃない。昨日なんて、四十キロも歩いたよ?歩く距離じゃないよ?」

「そうではなく。この圃場の外にです。最近増えた部分も安定して、数日であれば目を離しても問題ないでしょう?」

「確かに圃場は問題ないけど、なんで?」

 眉が寄る。

 ここは安全で、わたしを害する者がいない。自給自足はずいぶん前に整え尽くした。衣服も食糧も調味料も医薬品も、必要なものはここで全部作れるのだ。出て行く必要がない。

「その……」

 ユヅはまた言いよどんで、書類の束を取り出した。

「視察の報せが来ていて、お嬢さまを煩わせたくなくて」

「わかった外出する」

 即決即答したあとで、でも、と首を傾げる。

「わたしが外出するとなると、視察の案内にユヅは残るよね?どうしよ実家から誰か呼ぶ?」

 わたしは魔動車の運転が出来ないので、外出するなら運転手がいる。実家と関わるなんて正直御免(ごめん)こうむりたいが、背に腹は変えられない。

「いえ、わたくしが同行致します」

「え、じゃあ視察はどうするの?」

「勝手に見て勝手に帰れば良い、と言いたいところですが、荒らされても困ります。こちらにはわたくしの代理を置いて行きます」

「代理?」

「普段、外商や外渉を任せている者たちです」

 そんなひといたんだ……知らなかった。

「圃場の作物の出荷や、納税、給金の受け取りもありますから」

「それもそうだね」

 そうだ。本当なら、こんな風に籠っているだけじゃ、なにも、許されは、

「いいえ、お嬢さま」

 ユヅがしゃがんで、わたしの顔を覗き込む。

「お嬢さまは上に立つ方。手に余ることは、下に振れば良いのです。お嬢さまは、わたくしの手腕を信じて仕事を振って下さった。わたくしはお嬢さまの信頼に応えて采配を行い、結果としてここは巧く回っております。わたくしを信じて託した、お嬢さまの功績です」

 ユヅはわたしに甘い。ずっと。

「ごめんね。わたし馬鹿で」

 ユヅは、ぱく、と一度言葉を呑んだあとで、笑った。

「馬鹿な子ほど可愛いものですよ」

 そうして否定ではなく、肯定を口にした。

「それで許されるのは、若い子だけだよ。もうそんな歳じゃない」

 いい加減、お嬢さま呼びも痛々しいくらいなのだ。未婚の令嬢だから、そう呼ぶしかないのだと、どうにか自分を納得させているだけで。

「わたくしから見れば、いつまでも可愛いお嬢さまですよ」

 ユヅはてらいもなく、そうのたまった。

「さて、外出が決まったからには、早く朝食を済ませて下さい。視察が来る前に、支度を済ませて出ませんと」

「えっ、視察って今日来るの?」

「今日"も"来ます」

「複数日!」

 うへぇと顔をしかめて、わたしは放置していた朝食に顔を戻した。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「わあ、美男美女」

 せっかくなのでお世話になっている相手にお礼を言いたいと要求すれば、ユヅは渋々、嫌そうに、承諾してくれた。

 そうして引き合わされたユヅの部下?は、跪いて顔を伏していてもわかるほどの、美男美女揃いだった。一様にすらりとした痩身で、おそらく背も高い。まあいくら美男美女でも美貌でユヅに敵いはしないのだけれど。

「顔が良い方が、交渉には有利なことが多いので」

「そっかぁ」

 顔採用を隠しもしないユヅに苦笑しつつ、まぶしい顔の男女を見下ろす。美男が三人、美女が二人だ。魚鱗の陣で並んで、静かに跪いている。

「ええと、顔を上げて下さい」

 一斉に上げられた顔面のきらきらしさにたじろぎつつも、それぞれの目を見て告げた。

「お世話になっていたのに挨拶もせず申し訳ありません。いままでありがとうございます。これからもよろしくお願いします」

「この者たちはお嬢さまのしもべなのですから、敬語など要りませんよ。礼も不要です。お嬢さまのために働けるだけで、身に余る光栄なのですから」

 綺麗な顔でなんてことを言うのだろう。まるで悪代官じゃないか。

「わたしにそんな価値はないし、どんな地位でも相手への感謝や労いは大事だよ。えっと、一度で覚えられないかもしれないんですけど、名前を聞いても?」

「名はありません」

「えっ?」

 答えたのはユヅだった。

「便宜上名乗っている名はありますが、偽名です。必要でしたらお嬢さまが、お好きに名付けて下さい」

「ええ?それで良いの?」

「直答を許す。答えなさい」

 なんと。なにも言わないと思っていたら、ユヅは言葉を発することすら許していなかったらしい。わたしはそんな、大層な人間ではないのに。

「では、代表して私が」

 魚鱗ぎょりんの形で並ぶ男女の、先頭にいた男性が口を開く。

「お手を煩わせて申し訳ございませんが、願わくば姫より名をたまわりたく存じます。どうか、我らにご慈悲を」

 告げて男性は再び頭を下げる。後ろの男女も倣うのは、同じ気持ちだと言う意思表示だろうか。

「と言うことですが、いかがされますか?」

「名前が欲しいなら考えるから、とりあえず立ってひとりずつ顔を見せて貰えるかな」

「適当で良いのですよ?ポチとかタマとか、番号とかで」

「いや、名前は大事でしょ。ほら、手前のあなたから、こっち来て」

「チッ……お嬢さまの命令だ。早く従え」

 冷たい声でユヅが言う。ユヅ、部下相手だとこんななのか。

「は、はい」

 慌てて立ち上がった先頭の男性がこちらへ歩み寄る。背が高い。

「顔が見難いだろうが。膝を突け」

「え、いや膝突かなくてもちょっと屈んでくれたら、」

「危ないですから」

 彼らはユヅの部下だろうにどんな危険が?

 思う間にユヅはさっさと男性に膝を突かせ、さらには背後に立って後ろ手と肩を掴んでいる。

「どうぞ、存分にご覧下さい」

「いやいや、犯罪者や奴隷じゃないんだから、放してあげてよ」

「いえ、ユヅさまの警戒ももっともです。どうぞこのままで」

 それで良いのかい?

 不安に襲われつつも、それなら手早く済ませようと、男性の顔を覗き込む。

 近付いても非の付けようのない美男だ。あえて欠点を挙げるなら細身で頼りなさそうなところだが、それだって長身痩躯と言えば美点だろう。真っ直ぐな黒髪を伸ばして後ろで低く結んでいる。瞳の色は鮮やかな、

「……キヨ」

 だいだい色だった。

 浮かんだ名前を口にすれば、男性の表情が輝く。キヨ、キヨ、と何度も口のなかで唱えて、大きく頷いた。

「はい。私は、キヨ、です。これより一層の献身を、姫に誓います」

 ユヅに拘束されて動き難いだろうに、それでもキヨは深く頭を下げる。

 ユヅがため息を吐いて、拘束を解く。

「次。早くしろ。お嬢さまを待たせるな」

「いや、ユヅ?わたしそんなせっかちじゃないよ?それに部下だからって、そんな扱いは」

「良いのです。これは。そう言う扱いで」

「良くないと思うけどなあ」

 しかし、疑問を呈するのはわたしだけで、やって来た女性は自ら膝を突き、後ろ手に腕を差し出している。

「ねぇなにか弱味でも握られてるの?大丈夫?」

「弱味なんて。恩があるだけです」

「恩があるからって、なんでも言うことを聞くことないんだよ?嫌なことは言わないと」

「大丈夫です」

 ほんとかなあ。

 思いながら、女性の顔を見る。

 切りたての林檎の断面のような、薄黄檗うすきはだ色に山吹色の混じった巻き毛を、ポニーテールにしている。瞳の色は、赤と緑と黄色の混じった、不思議な色。

「メイ」

「はい次」

 え、いや本人に拒否する時間も与えないの?

 思ったが、女性はありがとうございます!と告げて、さっさと退く。メイで良いらしい。

 次も女性で、つやつやした、ピンクみのある真っ赤な髪を丸くショートカットにしている。瞳は象牙色。白い肌に散った雀斑が愛らしい。

「ジョナ」

「えっ」

 膝を突く前に、髪の印象からつい、もれた。

「あ、はい!ジョナです。よろしくお願いします!」

 髪型からクール系かと思えば、満面の笑みがまぶしい元気っ子だったらしい。

「うん。よろしくね」

「次」

 ちょっと交流するくらい許してくれても良いと思うんだけど。

「視察団とかち合いたいのですか?」

「かち合いたくないです」

 と言うか、"団"な人数が来るのか。怖い。

 震えているあいだに、次の男性が膝を突く。

 褐色の髪を狼のように切り揃えていて、瞳は紋白蝶の幼虫のような瑞々しい黄緑色。

「ルシー」

「はい。ルシーです。あなたに永久とわの忠誠を」

 ルシーになった男性は早口に告げ、ユヅに急かされる前にさっと退く。すぐに最後の男性が膝を突いた。真っ白な、本当に真っ白な髪に、葡萄茶えびちゃ色の瞳をしている。

「ライ」

 細く真っ白な髪がふわふわで柔らかそうで、思わず手が伸びた。

「はい。あなたのライです。姫さま」

 ライは手を避けることなく目を細め、触れた髪は絹のように滑らかで極上な触り心地だったが、

「名付けは終わりましたね。行きましょう、お嬢さま」

 ユヅが許さなかった。ライの髪に触れていたわたしの手を掴み、引く。情緒がないと思うが、わたしとしても視察団と会うのは避けたい。

「うん。それじゃあ、キヨ、メイ、ジョナ、ルシー、ライ、あとはよろしくね」

 余韻もなく立ち去るわたしたちを、キヨたちは跪いて見送った。

「急いでいるのに時間を取ってくれてありがとう、ユヅ」

「それがお嬢さまのお望みならば、わたくしは叶えるために尽力するのみです」

「うん。いつも助かってるよ」

 魔動車に乗り込みながら言う。ユヅの運転する魔動車は、揺れも少なく快適だ。外からは中が見えない仕様なので、周りの目も気にならない。

「ところで」

 流れる景色を眺めつつ問う。

「はい」

「外出って言っても、どこに行くの?」

 欲しいものもなければ、行きたいところもない。家族には年単位で会っていないが、会いたいとも思わないし、友人も恋人も婚約者もいない。

「そうですね」

 ユヅが運転しながら答える。

「最新の論文、は、お嬢さまの興味を惹くようなものはすでに入手してありますし、新種の植物、も、出た時点で取り寄せて調べ尽くしていますから、流行りの服は、」

「興味ない」

「でしょうね。人気の劇団」

「ヒトの多いところは嫌い」

「ですよね。話題の料理」

「口に合わない」

「薄味が好みですものね。ああ、そう言えば今日は、城でガーデンパーティが、」

「行かないよ」

「わかっていますよ」

 そうではなくてと、ユヅは言う。

「仕事中の者を除いた貴族のほとんどが城に集まっているので、ほら前に、見たいとおっしゃっていた植物園の、今日が狙い目かもしれません」

 植物園の?

 なんだっけと首をかしげてから、ああ、と思い出す。

「隣国が、友好のしるしでくれた薔薇」

「そうです。世にも珍しい青薔薇、でしたっけ。さすがに稀少過ぎて、わたくしも手に入れられませんでしたから」

「造ろうと思えば造れるけどね、青薔薇」

「そうなのですか?」

 遺伝子組み換えで造られた薔薇は、青と言うより紫だったが。

「白薔薇に青いインクを吸わせれば良いんだよ。カーネーションなんかでも出来るし、青だけじゃなく、ほかの色にも出来る。巧くやれば虹色にだって出来るよ」

 と言うかそもそもこの世界なら。

「そんな手間をかけなくても、色変え魔法ですぐだし」

「夢のないことを言いますね、お嬢さま」

「手品みたいで楽しいけどね、インクで色付け」

 本物の魔法がある世界では、タネのある奇跡なんて流行らないけれど。

「と言うか、貴族がいなくても混んでるんじゃない?有名な植物園なんでしょ?」

「格式高い植物園なので、入園料を取るのですよ。平民ひとりがひと月暮らせるくらい」

 それがどのくらいの値段なのか、わたしにはわからないけれど。

「えっと、でも、裕福な商人とかなら」

「そうですね。その辺りならいるかもしれません。ですが、多くはありませんよ。話題作りなら一度で十分ですし」

「じゃあ空いてるの?」

「おそらくは。綺麗な庭園ですから無料であれば賑わったかもしれませんが、外国から来るほどではありませんし、平民は花を見るのに払えるような金銭的余裕はないですから」

 まだそんなに、平民と貴族は隔たっているのか。

「餓死者が出ないだけ、この国はマシですよ。国の配給のお陰で、戸籍さえあれば平等に、生存に必要な食糧は得られます」

「餓死者が出る国があるの?」

「砂漠化に対処出来なかった国はそうですね。ひどいと、この四半世紀で人口が半分になった国もあったはずです。一国の不作であれば他国の支援も望めたでしょうが、砂漠化にはすべての国が一斉に直面しましたから」

 なんて答えて良いのかわからず、黙る。

「衣服に関しても、綿や麻の服が流通している国は減りましたよ。絹なんて余計です。辛うじて毛織はまだ細々と残っているようですが、それもいつまでもつか。化学繊維に席巻された国が多いです」

「化石燃料も、取り続ければ枯渇するよ」

「そう、お嬢さまが言ったから、この国では化石燃料に依存しない方法を模索しています。植樹も進んでいるようですよ」

 ああ、それで。

「だから最近、雨が増えたのかな」

「……どう言うことですか?」

「植物は、地中の水分を吸い上げて葉から吐き出すから、空気中の水分量を増やすんだよ。だから、緑の豊かな土地は雨が増えて、その雨がまた緑を育てる。正の循環だね」

 あるいは、生の循環だろうか。

 この循環が途切れてしまうから、一斉伐採や山火事、砂漠化は恐ろしいのだ。

 森や草原を壊すのは一瞬なのに、創るには途方もない時間と労力が必要になる。

「植物は貯水もするけどね。水の貯蔵と循環をコントロールしてくれるから、森のことを緑のダムなんて言ったりもするね。山地林は、土砂崩れを防いでもくれるし、生き物の棲み処にもなる。木を植えるのは良いことだよ」

 もちろん、やみくもに植えれば良いわけではないし、人工的な植林はある意味環境破壊でもあるけれど。それでも砂漠化が問題になっている現状、森と言う貯水池を造ることは理に適っているだろう。

「そう、ですか」

「うん……うん?」

 ふと、流してしまった言葉に引っ掛かりを覚える。

「あれ?ユヅ、わたしが言ったからって言った?」

 わたしにはそんな、発言力も影響力もないが。

「……正確には、お嬢さまの発言がグリーンリーヴス公に伝わって、グリーンリーヴス公がその発言の正当性を認めたからですね。世を動かしたのはグリーンリーヴス公です」

「ユヅ」

 眉が寄る。

「まさか、実家に報告書とか送ってるの?」

「お嬢さまの実家には送っていませんよ。ただ、わたくしも一応は管理者として席があるので、報告書を出さないわけには行かないのです」

「圃場管理の報告書を出すのは良いけど」

 仮にも国営施設だ。報告の義務があるのはわかる。

「わたしの雑談まで報告する必要ある?」

「それが国家を利する内容であれば、捨て置けないでしょう」

「………………」

 確かに、資源枯渇は由々しき問題だ。国家の存亡も左右しかねない。でも。

「そんなの、誰だって気付くでしょ。水も土も、無限にはないんだから。石油だって宝石だって魔石だって、永遠に掘り出せるわけじゃない。女神の加護すら、有限だったくらいだしさ」

 無限に降り注ぐように感じる、この温かい陽射しすら、寿命があるのだ。まあ、陽射しに寿命が来たときは、この星も一緒に滅びることになるだろうけれど。

「気付くとは限らないから、砂漠化で国が滅びかけるのでは?」

「……」

 そうかもしれない。少なくとも、わたしは馬鹿だから、知らなければ、きっと気付かなかった。

「人間ってなんて愚かなんだろう」

「馬鹿な子ほど可愛いものですよ。それで、行き先は植物園で良いですか?」

「行ってみて、混んでなかったらね」


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 植物園は、閑古鳥が鳴いていた。広い敷地に色とりどりの花々。見るひとがいないのは、少しもったいない。

「普段はもう少し、賑わっていますよ。貴族で。庭木を維持出来る貴族も減りましたから」

「へぇ」

「だから城のガーデンパーティは、貴重でこぞって行くようです。さすがに城は、威信をかけて維持しているようですから」

 ユヅの説明をBGMに、植物園を練り歩く。

 だんだんと、自分の眉が寄って行くのがわかった。疲れたわけではない。広い庭園だが、いつも歩いている圃場と比べるとずっと狭い。

 庭園の奥、薔薇園の中央にもったいぶって植えられた青薔薇の前で、ついにため息が出た。

「枯れるよ、この薔薇」

「確かに、元気がないですね。栄養か、水の不足でしょうか」

「逆」

「逆?」

 土を見て、息を吐く。

「肥料をやり過ぎて、肥料焼けを起こしてる。あと、株によっては水のやり過ぎ。根がちゃんと伸びなくて、生育不良になってる。根腐れしてる株もあるな。あと、うどん粉とサビ病。水のやり方が悪い」

 ひょいと裏返した葉の裏にアブラムシがひしめいていて、ますます眉が寄った。

「害虫対策も出来てないじゃん。庭師はなにをやって、」

 言葉の途中で、理由に思い当たって、片手で顔を覆った。三度目のため息が落ちる。

「肥料も水も、多ければ良いってもんじゃないんだよ。過ぎたるは及ばざるが如しって言うでしょ。人間だって、いちどに大量に塩食べたら死ぬのに、なんで植物は大丈夫だと思うの」

「では、対策としては」

「余分な肥料を取り除いて、傷んだ根や葉は切り取る。断面には薬剤塗布。虫も一匹残らず駆除。株によっては株ごと処分して土も入れ換えだね。病原菌や虫の卵が地中で増殖してる可能性があるから。と言うか」

 息を吐いて、片手で髪を掻き混ぜる。

「ここまでひどいと、いったん全部抜いて洗って、土の総取っ替えした方が良いくらいだよ。土壌汚染が確実にある」

 いや、この世界には、魔法がある。

「そうでないなら浄化かな。全体を浄化して、治癒もかけて、余分な肥料は取り除いて、適切な施肥と水やりに変える。ああ、そうそう、土むき出しもやめた方が良いね。藁か腐葉土かチップか、なんでも良いけどマルチングすれば、水やりが原因の病気を多少防げる」

「水やりが原因の病気とは、具体的には?」

「根腐れもそうだけど。雑に水やりすると泥がはねて、葉っぱに着く。土ってのは菌類の宝庫だから、着いた土に植物へ寄生するような菌がいれば、そこから増殖して病気になる。だからマルチングして泥はねしにくくすれば、土から葉にうつる病気の予防になるんだよ」

 そこまで説明したところでふと、背筋がぞわりとした気がして振り向く。

「!!」

 ぎょっとして、ユヅにすがり付いた。

 いつの間にか少し離れたところにヒトがいて、こちらを見ていた。数人じゃない。十人、いや、二十人はいる。

 なんで気付かなかったのだろう。怖い。

「ユヅ、もう帰ろう」

「まだ、見ていない場所もありますが」

「もういい。もう帰ろう」

 ユヅの服を、ぎゅっと握り締めて言う。

「この花は、このままで?」

「管理してるひとがいるでしょ、勝手にいじったら怒られるよ」

「許可は出ていますよ」

 その言葉で、はめられたのだと気付いた。

「最初っから、そのつもりで……!」

「この青薔薇は隣国との友好のしるしで、」

「枯れるとまずいって言うんでしょ。わかったよもういい」

 首を振って、ユヅを背後に押しやる。ユヅの身体が壁代わりで、多少は視線の妨げになった。

 浅くなりかけた呼吸を、意識して深くする。薔薇と土にだけ、意識を集中して。

 バラバラと音を立てて、バークチップが薔薇の根本を覆った。

 手に持った紙袋を、ユヅに押し付ける。

「ここまで育った地植えの薔薇に、水やりはいらない。雨だけで十分。肥料も、この土なら追肥は多くなくていい。チップに肥料成分を入れたから、分解されて減ったら足して、それだけで十分」

 早口に言って、歩き出す。

「お嬢さま、どこに」

「先に車に戻ってる」

「お嬢さまが戻られるなら、わたくしも、」

「ユヅ、嫌い」

 言い捨てて、あとは脇目も振らず足早に庭園を通り抜けた。慌てたように道を空けるヒトとすれ違う瞬間、緑の聖女と呟かれたのが耳に入った。

 魔動車の扉を開けて滑り込み、乱暴に閉める。鍵を掛けて、抱えた膝に突っ伏した。

 ユヅが悪いわけじゃない。わかってる。

 わたしもユヅも、国に雇われる身だ。権力には、逆らえない。

 最初から、知識をくれと、あるいは、助けてくれと、囲まれる可能性もあったのを、わたしが他人と接しなくて良いように配慮させたのは、きっとユヅだ。おそらく、無遠慮に大勢で押し掛けるなと、伝えてもあったはず。

 悪いのはユヅではなく、騙される馬鹿なわたし。まともにヒトと話せない、落ちこぼれのわたしだ。ユヅはわたしに負担が掛からないよう、最大限努力してくれた。

 わかってる。さっきのは八つ当たり。ユヅは悪くない。

 息が苦しい。寒い。手が、いや、身体全体が震える。痺れる。苦しい。意識が薄れて、視界が明滅する。くるしい。うまく、こきゅう、できな、

「お嬢さま!」

 焦った顔のユヅを最後に、わたしの視界は暗転し、意識が落ちた。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「よく見なさい」

 母はよく、わたしを城のバルコニーに立たせた。山の中腹に建てられた城。張り出したバルコニーからは、城下の街並みが一望出来た。

 城を頂点として、扇状に広がる街。綺麗に張られたクモの巣のように、規則正しく道が整備され、そのなかを、たくさんのヒトが行き交っている。

「いずれあなたが治める国です。この地の命運を、あなたが握ることになる」

 そんなこと、出来るわけがない。

 母に言われるたびに、わたしはそう思っていた。

 わたしは馬鹿だから、難しいことは考えられない。誰かを導ける人間じゃない。だからわたしが上に立ったりしたら、すぐに嫌われて、いずれは引きずり下ろされ、処罰されることになる。

 愚王と断罪されギロチンにかけられた、どこかの国の王さまみたいに。

 怖い。権力を握るのは怖い。誰かの上に立つのは怖い。なんにも考えなくてよくて、誰に恨まれることもない、そんな場所に立ちたい。

 幸い弟は優秀で、わたしなんかよりずっと母の後継に相応しかった。

 わたしは弟に後継を押し付けて、責任から逃げ出した。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「早く医者を!」

「あなたが付いていながらなぜ!」

 意識が浮上して、最初に思ったのは、騒がしい、だった。

 目を開けて、眉を寄せる。見慣れない、けれど見知った天蓋。実家の自室のベッドだ。

「なんでここに……」

 ぼやきながら、身を起こす。

「エメル!身体は大丈夫なの!?」

 寝起きに大声を掛けられて、ますます眉が寄った。うるさい。

「問題ありません。健康です」

「ですが姉上、気を喪っていたのですよ?なにかご病気なのでは?」

 病気と言えば病気だが。

「ただの迷走神経反射です。騒ぐことではありません」

 寝て起きて、すっかり元通りだ。もう苦しくないし、呼吸も普通に出来る。

「メイソンケイハンシャ?なんですか、それは?あなたはなにか知っていますか?」

「いえ、わたくしは、」

 ユヅが弱りきった顔をしていた。そう言えば、八つ当たりしてそのままぶっ倒れたのだったか。悪いことをした。

「強いストレスを感じたことによる、心因性の血圧異常です。一時的なもので、後遺症も残りません」

「お嬢、さま」

「慣れない外出と、予期せず人目に晒されたことが、良くなかったのでしょうね」

 ユヅだけで判断したならば、ここには連れて来ないはずだ。

 つまり植物園の一件は、母と弟が噛んでいたと言うこと。

 このひとたちは、いまだにわたしを、表舞台に引きずり出そうとしているのか。

「と言うわけで、帰ります。二度と外出はしませんし、視察もお断りです」

「エメル」

「視察などせずとも、報告は上げています。嘘偽りなく。求められる仕事は、こなしているはず」

 立ち上がる。服は、着替えさせられていなかった。そう長い時間は、気絶していなかったのだろう。

「行くよユヅ」

「姉上」

「わたしは」

 顔は向けずに、告げる。

「今すぐわたしの圃場の作物をすべて焼き払って、他国に出奔することも出来るのですよ」

 やらないが。恨まれたくないし。

「賢い判断はなにか、その優秀な頭で、考えることです。あなた方がわたしの平穏を壊さないなら、わたしも自分の平穏を、壊すようなことはしません。今まで通り、なにも考えず、国に利を与え続けます」

 ユヅは言っていた。他国では未だ、食糧不足で餓死者が出ている。

「どうすれば有益か、よくよくお考え下さい。二度目はありません」

 言うだけ言って、あとは振り返らず、わたしはその場を立ち去った。

「ユヅ、車は?」

「ご案内します」

 ユヅの案内で魔動車に向かい、後部座席に乗り込む。走り出した車内で、両手を握り合わせる。

 震えの止まらない手の指先は、氷のように冷えきっていた。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 エメラルディア・グリーンリーヴス。グリーンリーヴス公アレクサンドラの第一子の名であり、わたしの名でもある。ここ、グリーンリーヴス公国の、第一公女だ。

 女の身で在りながら国主として政務を取り仕切っていたためか、長く子を授かれなかったグリーンリーヴス公アレクサンドラの、待望の第一子。花よ蝶よと可愛がられ、国一番の教育を施された。

 すべてはいずれ、グリーンリーヴス公を継ぐものとしての、期待ゆえに。

 わたしがなにも知らない、純粋無垢な子供であったなら、その期待と教育に人格を形成され、立派な次期グリーンリーヴス公候補に育っていたかもしれない。あるいは、才気か野心にでも、あふれる者であったなら。

 けれどわたしに為政者としての才などなく。野心も権力欲もなく。けれど、大人の言葉を素直に受け入れるような、無垢さもなかった。

 教育は、甘んじて受け入れた。求められる努力も、惜しみはしなかった。けれどそれで、無才が覆せるとは思えなかった。努力を続ければいつかはなんて、自分を信じる楽観性も、あいにくと持てはしなかった。

 それでも必死に努力を続けたのは、ただただ、怖かったからだ。

 出来の悪い王族の末路なんて、ろくなものにならないことは、記憶が物語っている。

 わたしには、別の世界で生きた、四十年の記憶があったから。

 記憶のなかの歴史は物語る。あるいは創作の物語たちも。愚かな王族がどうなるか。どんな悲惨な目に遭うか。

 わたしは愚者だ。統治者の器にない。賢王になど、決してなれない。

 恐ろしかった。いまは前世の記憶と言うバフで、才あるものと思われている、その鍍金メッキがいつ剥がれ、いまは自分をもてはやす人間たちが、手のひらを返すのかが。

 だから後に生まれた弟が、鍍金メッキではなく真の天才で、統治者の器のあるものだと気付いたときに、喜んで次期グリーンリーヴス公の座を、明け渡そうとした。もう、身を磨り減らして鍍金メッキを保ち続けるのも、限界だったのだ。

 保ち続けた鍍金メッキのせいで、周り中から猛反対された。それでも、ユヅと言う味方を付けて、無理矢理に意思を通した。

 全世界規模の厄災が、顕在化し深刻な問題となっていたことも幸いした。

 国主の娘として、国民を守る手を打ちたい、共に苦難の道を行くことになる、国民の模範となりたいなどと、綺麗事のお題目で、本心を押し隠して。わたしは、自分が果たすべき役目を、投げ出したのだ。


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 そこからは、呼吸が楽になった。

 適性に合わぬことを強いられることもなく、ただ、やるべきことをこなせば、あとは自由だった。

 いつ手のひらを返すかわからない相手は、徹底的に遠ざけ、ユヅだけをそばに置いて。

 母のことも、国のことも、自分の代わりに重責を押し付けた弟のことも忘れて顧みず、見たいものだけを見て、やりたいことだけをやった。

 楽しいときはあっと言う間に過ぎ、ふと、気付いたときには、知らぬ間に、"緑の聖女"なんて言う、おぞましい二つ名が独り歩きし、美談の主役として、国中に語られていた。

 曰く。女神に見放された国に舞い降りた救世主だの。未曾有の危機から国を救った立役者だの。苦しむひとびとを救うために遣わされた神の子だの。彼女こそが女神の生まれ変わりだの!

 あり得ない。信じられない。受け入れがたい。

 しかし外界を遮断し引きこもっていたことが災いして、もうどうしようもないほどに、その妄言たちは広まっていた。

 わたしを後継者として引き戻したい、母の差し金に、違いなかった。でなければ、ただ、誰にでも出来るようなことを、黙々とこなしていただけのわたしが、名声を得るはずがないのだから。

 城に戻れと言う母の声を突っぱねて、わたしは無理矢理得た地位にしがみ付き続けた。

 いつ、国民が張りぼての名声に気付き、怒りの鉄槌を振り下ろしに来るかと怯え、外界を遮断したわたしの楽園の、防護を固めながら。

 張りぼての名声などまやかしだ。まやかしと気付いたとき、国民は誰に怒りを向けるだろうか。

 恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。

 でも、わたしに出来ることはない。聖女と呼ばれるに足るような才など、ひとつも、ないのだから。

 せめて少しでも怒りを鎮めたいと。あるいは没頭して恐怖をまぎらわせたいと。わたしは地位に付随する職務に、ますます打ち込んだ。

 音沙汰もなく、顔も出さず、大きな功績もなければ、張りぼての聖女のことなど、みな忘れてくれないだろうか。どうか忘れてくれと、信じてもいない神に祈りながら。

 母も無理には呼び戻そうとしなかったので、これ幸いとわたしは、引きこもり生活を続けていた。

 続けていた、のに。


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「ユヅ」

 帰り着くなりユヅが扉に回るのも待たず、車を飛び出す。

「しばらく、顔も見たくない」

 端的に告げて、自室にこもった。

 八つ当たりだ。ユヅは悪くない。わかってる。わかってる!

「お嬢さま」

 律儀に部屋には入らず、ユヅが扉の向こうから言う。

「せめてなにかお食事を、昼食もお摂りになっていらっしゃらないのですから」

「要らない。放っておいて」

「ですが」

 傍らの端末に手を伸ばして、セキュリティを発動させる。

 この部屋に、なにものも近付くことなかれ。

 八つ当たりだ。わかってる。わかってる!!

 圃場は安定している。数日で大きく変わることは、おそらくない。自動人形の世話で、しばらくは問題ないはずだ。

 誰にも会いたくない。なにも、考えたくない。

 ならばなにも考えず、目の前のことにだけ没頭すれば良い。

 端末の、青く光る画面を見つめて。

 わたしはキーボードに、指を走らせ始めた。


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 あるじの部屋の前にいたはずの身体は、気付けば廊下の端にいた。

 防火用の壁が降りて、あるじの部屋までの道を閉ざしている。

 壁に扉は付いているが、あれは一方通行。こちらから開けることは出来ない。

 完全に拒絶された。理解するのに、そう時間はかからなかった。

「失敗した……」

 呆然と呟き、壁を背にずるずると座り込む。

 油断して、許容外の部分に、踏み込んでしまった。

 あるじの許しがない限り、自分はもう、あるじに近付くことすら出来ない。

 否。許されるときなど、来るのだろうか。あるじを裏切り、逆鱗に触れておきながら?

 あるじは家族を、切り捨てる発言をしていた。脅しではないだろう。あるじはやると言ったらやる。国の頂点に立つ権利を持ちながら、惜し気もなくあっさり捨てて見せた、あのときのように。そのときわたくしは、共に捨てられるのか。あるいは供として、共に在ることを許されるのか。

 いままで、捨てられることのないよう、有能さは示して来た。

 だが、実のところ、あるじは。

「ユヅさま?」

 あるじから、ライと名付けられた同胞が、顔を見せる。

「なんだか、大きな魔法の気配がしましたが、って、珍しいお顔をしてますね」

「うるさい」

 今日まで、名を与えられる栄誉は、わたくしだけのものだったのに。

 今日は、なにもかもが、上手く行かない。

「うわこれ、結界魔法ですか?ユヅさまでも入れない強度のものを、人間が?」

 そうだ。あるじは、拒絶しようとすれば、なにもかもを拒絶出来るのだ。本人は、気付いていないようだが。

 カタカタと、魔動人形の動く音がする。

 圃場の世話も、警備も、整備も、収穫も、ルーティン作業は魔動人形がすべてこなしている。建物や道具の保守や整備も、収穫物の加工もだ。さすがに服を縫ったり、料理を作ったりまではしないが、あるじは裁縫も料理も、やろうと思えば出来る。

 今日行った植物園など、百以上も入るような、広大な圃場を、一括管理する魔導システムも、その手足となる数百の魔動人形も、生み出し管理しているのは、あるじだ。

「天才なんだ、あの方は」

 その気になれば、外界すべてを遮断して、たったひとりで衣食住に医療までもを、賄える能力を有しているのだ。我があるじは。

 つまり、いくら有能さを示そうとも、しょせんは切り捨てて構わぬものと言うこと。

「さすが、魔界の公爵閣下が心酔する人間、と言うことですか」

 興味深おもしろい。そうありありと浮かんだ表情に、反吐が出る。否。わたくしだって、最初は興味本位から、あの方に従ったのだ。


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 喚び出されるのは、何百年振りだろうか。

 思いながら目を開いた先にいたのは、年端も行かぬ少女だった。どこか気の抜けたような、ここではないどこかに心を遺したような、うすらぼんやりとした顔で、わたくしを見上げている。

「本当に、喚べるものなんだ。はは、女神だなんだもそうだけど、ファンタジー、ここに極まれりって感じ」

 歳に見合わぬ斜に構えたような言葉が、やけに様になる。

「わたしは、グリーンリーヴス公女、エメラルディア・グリーンリーヴス。あなたは魔界の公爵が一柱、山吹公で間違いない?」

「……ええ。相違ありません」

「あなたが代価に求めるのは、モノや魂でなく、あなたの興味を満たす娯楽と聞いた。あっている?」

 あっている。その、曖昧な代価がゆえに取引が難しく、複数いる魔界の公爵のなかでも、喚び出されることが極めて少ない悪魔だ。

 それを、わかっていて喚び出したと言うことは。

 頷いたわたくしに少女は、そう、と気のない相槌を打ち。

「あなた、別の世界に興味はある?」

「別の世界?」

 そもそもわたくしが、こことは別の世界である、魔界から喚び出されているのだが。

「そうじゃなくて、関わりのない、全く別の世界の話。魔法がなくて、悪魔もいなくて、でも、魔法みたいに鉄の塊が空を飛んだり、遠くのひとの声や姿が届いたりする世界の」

 そんなもの。

「興味が湧いたようで良かった。それならあなた、わたしの人生に付き合わない?代価は頭のおかしい人間の一生を、近くで観察する権利。こことは全く別の世界で生きた、前世の記憶があるなんて言う、イカれた人間のね」

「そんなもの、口ではいくらでも言えるのでは?」

「そう言うと思って」

 少女は頷いて、一本の棒を取り出した。

「証拠を用意してあるよ」

「証拠」

「魔法は全く使いません。魔道具でもない。わかる?」

 言われて渡された棒は、確かに欠片も魔法を感じなかった。

「危ないから、離れていてね」

 わたくしの手から棒を取り返した少女が、少し離れてから、棒の先端に火を、

 待ってくれ、今どうやって着火した?魔法も、火打ち石も使わずに?その、謎の道具はなん、

「!」

 棒の先端が燃え上がり、派手な火花が上がる。だけではない。火の色が、次々に変わっていく。赤、黄、紫、橙、緑、紅。魔法の気配はしない。それなのに、火の色が変わる。

「いったい、なにが」

「思ったより驚くね。ただの炎色反応なのに」

 化学領域はその程度なんだ。

 少女は驚くわたくしを見て、そんな感想をもらした。

「驚かないかもと思ってほかにも色々用意したけど、いらなかったな」

「ほかにも?いや、その前に、これは」

「前の世界なら、子供でも知ってる知識でできるやつだよ。手作り花火を作ってみよう!ってね」

 ふふ、と、笑った顔はようやく年相応に見えた。

「つまり、この世界とは全然違う技術と知識と文明が、発達発展した世界ってこと。そしてその叡知が、この頭のなかに入ってる。どうかな?暇潰しにはなりそうじゃない?」

「その前に、もちろん色の変わる炎もほかの知識も気になります。気になりますが、それより、今、火を着けた道具はなんですか」

「え、これ?」

 なんでそんなことを訊かれるのかわからない。そう言いたげな顔で少女は首を傾げた。

「ただのロングノズル式点火ライターだけど。花火だと普通のライターは危ないから、ロングノズル式のにしたんだ」

 普通のライター。まず、ライターと言う道具が、この世界にもわたくしの世界にもないと言うことを、この少女は知らないのだろうか。

「マッチの方が手軽だけど、やっぱり危ないし、線香は作るのが面倒だし、ロウソクやアルコールランプだと着火の圧で消えそうだしね。結局これが一番かなって」

 ロウソクはわかる。アルコールは、飲み物ではないのか?マッチ、センコウ、と言うものはなんだ。

 わかっていないのだ。自分の持つ知識が、どれだけ異質なものなのかを。

 コレは、野放しにしてはいけない。

 異端として排除されるか、天才としてもてはやされるか、誰にも気付かれず、凡愚として埋もれるか。どれにしたって、どれほどの叡智が取り零されるか。

 そんなこと、許せるはずもない。

 しかもこの少女はいま、わたくしの手を取ろうとしている。

 逃がせない。この、降って沸いた好機を。

「あなたはわたくしに、なにを望むのですか?」

「家を出たくてね」

 家。さきほど少女は、グリーンリーヴス公女を名乗っていなかったか。ある程度、人間の世界の情報は仕入れている。グリーンリーヴスは公国で、現国主は女。その女には、娘がひとり息子がひとり。上の子である娘の方が、次代の国主と目されている、はず。

「国の頂点に立つ権利を、手放す、と?」

 少女は少し嫌そうに、ああ、知ってたんだと呟いた。

「残念ながら前世は労働者階級でね。経営者より労働者、将より兵が性に合う。根っからの、働き蟻体質で、とても女王にはなれそうにない」

「その知識を、国のために役立てようとは思わないのですか?」

「そんなことはないけど。統治者よりも研究者の方が向く気質なんだ。幸い優秀な弟がいるから、統治は弟に任せて、わたしは研究者として国に貢献したい。……建前だけど」

 明け透けな娘だ。

「本音は?」

「国主なんて辛いばっかで良いことない役職、絶対に就きたくない!何事もなく国を治めるのが当たり前で、誰も褒めちゃくれないのに、失策したと思われたら過失がなくてもめちゃくちゃ責められて、ひどいと見せしめに殺されるんだよ?誰が引きたいのそんな貧乏クジ!」

「地位や名誉などを、人間は欲しがるものでは?」

「要らないよそんなもの。他人より高いとこに立ったってね、落ちたときに、より痛いだけなんだよ」

 落ちなければ良い話、とは、思わないタチなのだろう。

 おそらくこの娘は、いまのまま国主に奉り上げられても、それなりに巧くやるはずだ。けれど本人の言う通り、この娘の実力が十全に発揮はされないだろう。

 わたくしはこの娘が、十全の力でもって世界を掻き乱すところが見たい。

「なるほど。それでわたくしに、家出の手助けをさせたいと」

「その後の生活も助けて欲しいよ。なにせ公女様育ちでね。下々の生活なんて馴染みがないんだ」

「前世では労働者階級だったと言う設定では?」

「残念ながらね」

 腕にはめていた腕輪を外し、少女がわたくしに見せる。

「生活水準が違う世界だったんだよ」

「これは?」

「クォーツ時計」

 時計?これが?

 動いている。カチコチと、音を立てて。断続的に、秒針が動き、分針が動いている。

 なんだこれは。

「これよりもっと高度な技術で作られた時計を、まあ正確には時計じゃないんだけど、とにかくこの世界じゃ王族でも持てないような高品質な品物を、労働者階級の人間が誰でも持っているような世界で、労働者階級をしていたの。だから、この世界の下々の暮らしに馴染めるなんて、楽観的な考えは持ってないよ」

 息を吐いて、首を振る。

「と言っても、完全に家と縁を切る訳じゃなくて、家の名を背負って開拓使に混じるつもりだから、平民として生きる訳じゃないけどね」

「開拓使?」

「知らない?ほら、女神の加護が消えたじゃない?そのせいで、農林水畜産業が大打撃を受けていてね。飢饉を避けるために、荒れてしまった土地の開墾を行うことになったんだよ。公女として民だけに苦しい思いはさせられないとかなんか良い感じの建前引っ提げて、その開墾を行う権利をぶん盗ろうと思っててね」

 辛いばっかで良いことない役職は、嫌だと言っていなかっただろうか。

「国主よりも、その方が苦労するのでは?」

「しないよ」

「根拠がおありで?」

 少女は当然の如く頷いた。

「森羅万象相手取って上手く転がさなきゃいけない政治と違って、開墾で相手にするのは土地と作物だけだ。もちろん、農業にだって森羅万象は影響するけど、やりようでいくらでも影響を少なく出来るし、治めなきゃならない土地もずっと限定的だ。しかも、正解が他人の評価によって決まる上に、評価を下すのが不特定多数の人間で、評価基準の定まらない政治と違って、開墾の正解は明確だ。限られた土地で、可能な限り多く高品質な作物を、持続可能に育てられるようにすれば良い。簡単ではないけれど、わかりやすい」

「なるほど」

 確かに政治の正解は時勢で変わるが、農業の正解は突き詰めればひとつだ。糧を得る、それだけである。

 なるほど政治より簡単かもしれない。

「重責を伴う華々しい生活より、少ない責のもと泥臭く地道な努力をする方が、良いとおっしゃる訳ですね」

「うん」

 なるほど。

「良いでしょう。わたくしが出す条件はふたつ。わたくしを楽しませること。天使とわたくし以外の悪魔の手を取らないことです。さすれば、あなたのその短い生のあいだ、わたくしはあなたをあるじとし、ありとあらゆる手助けをいたしましょう」

「ありがとう。わたしはエメラルディア。親しいひとはエメルとかエディとか呼ぶけど、まあ、呼びやすいように呼んで。あなたの名前は?」

 目を、見開く。

 名前を、訊いたのか?この娘は、わたくしに?

「あれ、なんか、駄目なこと言った?」

「悪魔に名を名乗ることはあまり、推奨されませんね。名を使って悪さをする悪魔もおりますので」

「あ、そうなんだ。気を付けるね。あ、てことは名前訊くのも良くないの?失礼なことした?ごめん、その辺詳しくなくて」

「いえ、その」

 人間も、悪魔も、お互いをお互いに、対等と思っていない。だから、名乗り合って仲良くなんて、考えたりしないのだ。魔女ならともかく、召喚して使役しようとするような奴は。

「召喚名が知られている時点である程度縛られますから、べつに失礼では。ただ、わたくしは名前を持ちませんので」

 親のいる悪魔や、人間や天使が堕ちて悪魔となったもの、あるいは、強い悪魔の眷族として造られたものならば、名を与えられていることもあるだろうが、わたくしは個を自覚したときには独りで、名を与えられることも欲することもなかった。気付けば山吹公と呼ばれ、それが呼び名としても召喚名としても定着していた。それでいままで、困ることもなかった。

「ただ、そうですね。あるじに山吹公と呼ばせるのもおかしいですから、良ければお好きな名をお与え下さい。あなたのしもべであるあいだは、その名をわたくしの名と致しましょう」

 少女はきょとんと首を傾げたあとで、そう言うもの?と呟いた。

 ただ、あまり深く考えるタチではないらしい。ま、いっかとすぐ疑問は霧散させて、それなら、と微笑んだ。

「あなたの名前はユヅ。これからよろしく、ユヅ」

「ええ、よろしくお願い致します。お嬢様」

「お、じょう、さま」

「未婚の主人のことは、そう呼ぶものでは?」

 少女は少し嫌そうな顔をしたものの、まあ、姫呼びとかより良いかと呟いて受け入れた。


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 そこからは、充実した日々だった。想定内の想定外に、日夜度肝を抜かれて、退屈する間もなく過ぎて行く月日。楽しくて仕方なかった。まるで、長い生の最初の頃、まだ、知らぬことばかりだった日々のように、あるいは、それ以上に。

 まあ、なぜかわたくしを女だと信じきっているあるじに、メイドの御仕着せを与えられたりとか、想定外の想定外もあったりしたが。いまだにあるじはわたくしを、女だと信じて疑っていない。

 グリーンリーヴス公から大事な公女をかっ拐ったときの反応は、とりわけ愉快だった。あの、間抜けた顔。今思い出しても笑える。お陰でグリーンリーヴス公と公子からは、いまだに目の敵にされているが。

 自分で向いていると言うだけあって、あるじの開拓使適性は、とんでもないものだった。ダブルスコア、トリプルスコアなんて、ちんけな差ではない。格が違った。周りが加減乗除の算数で躓いている横で、鼻歌混じりに数学の難問を解き明かしているようなものなのだ。

 それを、本人は、大したことじゃないと思っているのが、なにより滑稽だ。

 あるじにとっては当たり前で、常識で、改めて言及する必要もないこと。だから黙ってこなして、成果を上げてもひけらかすことがない。上がって当然の成果だから、誇るべきことと思っていないのだ。

 ひとつ成功したら次、それも成功したらまた次と、黙々と積み上げられるあるじの成果。

 渉外を任されたのを良いことに、ギリギリまで成果は隠し続けた。

 農作物だ。収穫までの期間はそれなりにかかる。ゆえに、成果報告までの猶予は長く取られていた。その、猶予ギリギリまで、報告を引き延ばす。

 周りが愚かにも自分たちの成果を横取りされることを危惧して、あるじに近付こうとしなかったのも幸いだった。滑稽なことだ。成果の横取りなどせずとも、あるじは比べ物にならない成果を上げていると言うのに。

 春に任じられて、一年。報告の場で春蒔き秋蒔きでそれぞれ収穫した小麦を詰め込んだ袋を、山と積み上げたときの周りの顔も、非常に愉快だった。やつらが当然の如く枯らした麦を、あるじは収穫まで育て上げ、なんの感動もなく、期待したより収量が少ないなと顔をしかめて見せたのだから。

 唖然とした開拓使どもは、あるじに方法を聞きに押し寄せて。あるじはぎょっとしながらも、普通に世話しただけだと答えていた。その、あるじにとって普通の世話が、誰ひとり出来なかったと言うのに。普通の世話とはなんだと問われたあるじの、なに言ってんだコイツと言いたげな顔も愉快だった。それでも心優しいあるじは答えてやっていた。普通に、耕して施肥して播種して、除草して防虫して、土壌の環境や作物の成長度合いに合わせて、施肥や水やり等の手を加えることだと。

 次の年、あるじは三分の一の農地で同じ収量の小麦を育て、残る土地で春夏は大豆と玉蜀黍トウモロコシを、秋冬は白菜と豌豆エンドウを育てた。曰く、同じ作物ばかり育てていると、連作障害が起こるから、らしい。そんな話、わたくしは初めて聞いたし、開拓使たちも知らない様子だったが。

 一事が万事、そんな調子で、あるじ以外の開拓使は、誰もろくな成果を上げられず、年を経る毎に三々五々と音を上げて、放棄された農地は、成果を上げるあるじに回されて。

 否。あるじの成果のおこぼれに預かろうと、助手を申し出た開拓使もいたが、全員わたくしが追い払ったのだが。だってあるじは初年度の時点で手入れの自動化を並行して押し進めていて、人間の助手など必要としていなかったのだから。

 だいたい、あるじの発言を十分の一も理解出来ない助手など、いたって邪魔でしかないのだ。

 そんな状態で数年が経てば、開拓使に与えられた広大な土地はすべてがあるじの管轄下になっていて、不毛の土地だったそこは、一面の畑が拡がるグリーンリーヴス公国の食糧庫と化した。ほかのどの国でも成し遂げられなかった、女神の加護が消える前と同じ収量を出すこと。あるじだけは軽々と成し遂げ、むしろ以前より単位面積辺りの収量を上げて見せた。

 当然、その偉業を成したあるじはいたく評価された。当国どころか他国にまでその功績は知れ渡り、本人の預かり知らぬところで、みどりの聖女として名を上げていた。

 家名であるグリーンリーヴスの緑。御名であるエメラルディアの由来であるエメラルドの碧。大地に芽吹かせた新緑の翠。そして、食糧と言うこの上ない恩恵をもたらす実取り。幾重にも意味を与えられた呼び名は、あるじの異質さを誤魔化すには都合が好く、本人が気付いていないのを良いことに、わたくしはその二つ名が一人歩きすることを許した。

 人間は、名前がつくとわかった気になるから。あるじがどんなに異質なことをしようとも、『みどりの聖女だから』とそれだけで納得する人間たちは、心底愚かだと思うが非常に都合が良かった。

 問題は。

 名声が上がるとともに、あるじを大公にと言う声も大きくなって行ったことだろうか。ほんとうに人間は愚かだ。大公などと言う誰でも出来る仕事で、あるじの貴重な時間を奪おうとは。

 ずっと、わたくしで突っぱねていたが、それにも限界があって。あるじの安息の地に押し掛けられるよりはと、一部要求を飲んであるじを連れ出した。

 それがまさか、こんな結果になるとは。


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「あるじは、わたくしを許して下さるだろうか」

 座り込んだまま呟いたわたくしを、ライが見下ろす。

「ユヅさまなら、こころを操るくらい楽なものでは?」

 悪魔らしい台詞。けれどそれを、鼻で笑い飛ばす。あるじの魅力を理解出来ていない、憐れな奴と。

「それでは意味がない」

「そうですか?頭を覗けば、知識も思考も思いのままでしょう?」

 若いな。と思う。そして、青いな、とも。

「そうして、予想し得ることだけに囲まれて、わたくしが満足出来る、とでも?」

 嘲りが声に乗ったからだろう。ライが、むっとして、反論する。

「少なくとも、そうして心乱されて無様に地に沈むことはなくなるでしょう。そんな姿、あなたらしくもない」

 そうだとも。予想し得る出来事だけの世界。誰もわたくしの予想を超えない世界。そんな世界なら、こうして膝を突くこともない。恐れも、不安も、なにもない。

「そもそも女中の服で人間にへつらうなど。名前まで付けさせて」

「おや。お前も受け入れたでしょうに」

「公爵閣下の受け入れたことを、僕ごときが拒否出来るとでも?」

 ああほら。

 我があるじ。あなたがいないと、世界はこんなにも退屈だ。

「拒否すれば良い。わたくしはその程度で怒ったりしない」

「力ずくで、跪かせておきながら?」

「名が欲しいと言ったのはお前らだ」

 あるじの望みでなければ、わたくし以外があるじから名をたまわるなど、許しはしなかったのに。

「目を覚ましたらどうです。あんな小娘ひとりに執心して、無様をさらして、がっかりだ」

「無様。無様、ねぇ」

 立てた膝に腕を置き、そこに突っ伏した。

 確かに無様だ。読みを誤り、あるじに拒絶され、心を千々に乱して、弱味を見せるべきでない相手の前で、弱りきった姿をさらして。

「ああ、無様だな。みっともない。情けない」

 こんな無様をさらしたことなど、かつてあっただろうか。

 生まれながらに強かった。それでも未知が多いうちは楽しかった。しかし貪欲に知を求め続ければ、たちまちに未知は減って行き、世界は急速に色を喪った。

 誰も彼も、わたくしの予想を超えない。だから負けない。膝を折ることがない。

 それが、今はどうだ?この十年足らず、今までの生を思えば瞬きのような時間。それは、どうだった?驚きの連続。予想外に振り回され続け、心休まる暇もない。

「っ……、くっ……」

 堪えきれず、肩が震える。

 無様だ。無様だろうとも。魔界公爵、山吹公と畏れられるわたくしが、ちっぽけな人間の小娘の小間使いとして奔走して。

「見捨てれば良い。愚かな小娘など。あなたがいなければなにも出来ないでしょう。そうして泣きついて来たら、慈悲の心で支配してやれば良い。その方が、ずっと、」

「っくはっ、っくく、ふ、ははははっ」

「あなた、らし、え?」

 堪えきれず仰向いて笑い出したわたくしに、ライは目を見開いた。

「なにを、いきなり、笑って」

「無様だよ。ああ無様だ。無様だとも。それがどうした?」

「え?」

 立ち上がれば、こちらを見下ろしていたライより視線が高くなる。ほんとうに、あるじはなぜ、わたくしを女と誤解したのだろうか。ああ、そんなところさえ、あるじはわたくしを振り回す。

「わかったように講釈を垂れていたが、お前ごときがわたくしの、なにを知っていると?思い上がるな、若造」

 たかが人間の小娘。その通りだ。けれど。

 その、人間の小娘と過ごした瞬きのような時間が、わたくしにとってはそれまでの数万年より価値がある。

「お前など、お嬢さまと比べたら、芥子粒ほどの価値もない。お前では、わたくしの心をちらとも揺らせないのだからな。分をわきまえろ。お嬢さまの手足となって、馬車馬のように働け。お前の存在意義など、それしかない」

 指を伸ばして、ライの顎を持ち上げれば、憎悪の隠せない目で見返された。

「この、老害が……っ」

「わたくしに勝ってから言え。負け犬が」

 ライが歯噛みして、わたくしの指から顔を逃がす。

 二歩身を逃がしてから、嘲る顔で言った。

「でも、今はあんたも負け犬だろ。大事な大事なアルジサマに、拒絶されてるんだから!」

「残念だったな、若造」

 開き直れば、頭も回るようになる。

 確かに顔も見たくないと言われた。しかし、『しばらく』だ。確かに部屋には近付けない。しかし、建物から放り出されたわけではない。

 あるじは、繊細で弱い方だから。

「単なる八つ当たりだ。お嬢さまのこれは。ひとりで心を落ち着ける時間が欲しいだけで、わたくしを嫌いになって完全に拒絶したわけじゃない」

 たぶん。おそらく。希望的観測で。

「本気で、そう思えているのかよ」

「さてな。お嬢さまは、わたくしの予想を超える方だから」

 不安はある。だが、それが良い。

「待つさ。人間の、短い生の終わるまでくらい」

 まあ、出来れば早く、許して貰えると良いのだが。

 さて。

「どこに?」

「お嬢さまが、いつ出ていらっしゃるかわからないからな。いつであろうと完璧に対応するために、やることは山ほどある。ぼーっとしている暇はない」

 とりあえずは、渉外か。国内を黙らせることはもちろん、いざとなれば国を捨てられるよう、移住先の候補を募って調えて置くべきだろう。

 ああ、やることが多い。楽しくて仕方がない。


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「ユヅ、いるー?」

 ユヅを呼びながら扉を開ける。勝手知ったる我が家なので、目を落とした携帯端末から、顔を上げもしない。

「……姫?」

 返ったのは、聞き覚えのない声。

「え?」

 ぎょっとして端末から視線を跳ね上げる。真っ直ぐな長髪の黒髪と、鮮やかな橙色の瞳の、眩しいくらいに美しい顔立ちの男性。

 誰?と怯えかけたところで、遠い記憶を掘り起こす。

「キヨ、だっけ」

 見た目から名付けておいて良かった。なんか良い感じの名前とかひねった名前とかにしていたら、たぶんわからなくなっていたと思う。

「はい、キヨです、姫。その、申し訳ありません、許しもなく御前に」

「え?いや、構わないけど」

 ユヅが許しているなら、問題はない。

「ユヅは?」

「いまお呼びしま、」

「お呼びですかお嬢さま!」

「うわ」

 ユヅの勢いが凄過ぎて面喰らう。

「どしたの。そんな慌てて」

「はっ、失礼しました。久し振りのお呼びだったので、つい気合いが」

「久し振り……?」

 はて。

「べつに毎日顔合わせて…………ないや」

 こちらからは見えていたので会っているつもりだったが、そう言えば映像越しだった。

「ごめん、映像で見てたから会ってる気になってた。えーっと、いつ振りだっけ」

「二年四ヶ月十八日二十一時間三十二分五十二秒四六振りですね」

「コンマ単位で帰って来ると思わなかった」

「一カンマ千秋の心地でお待ちしていたもので」

 そう言えば、八つ当たりしてそれっきり、だった気がする。

「あー、ごめん、研究に気を取られてて。あの、えっと」

 やったことを思い出し、時間を自覚すると気まずい。

「ごめん、八つ当たりして」

「いえ。お許し頂けるなら、わたくしはそれで」

「いやそんな許すなんて。むしろわたしの方が呆れられて見捨てられなくて良かった」

「わたくしがお嬢さまを見捨てるなどあり得ません。この身が果てるそのときまで、ユヅはお仕えし続ける所存です」

 すごい覚悟だね。

「そっか、ありがとう」

「お仕えし続けることをお許し頂けますか?」

「え?うん。もちろん。助かるよ」

 ユヅがいないといろいろ困る。

 わたしが頷くと、ユヅはとろけるような笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。それで、お嬢さま?ユヅにご用事だったのでは?」

「あ、うん。そうそう」

 端末を見せようとしたところで、控えていたキヨから、お茶をご用意しましょうと声を掛けられる。

「ありがとう」

 頷いて居間に移り、ユヅと並んで座る。

「ほら、この前視察が来たじゃない?」

「この前……まあ、この前、ですね」

 ああ、二年四ヶ月前だったか。

「そう、この前の視察」

 この前で押し通すことにして、端末を机に置く。

「それで、そのために外出するのもダルいし、入られたくないとこに入られるのも嫌だなと思ったんだよね。あと、わたしに助言とか、言って来ることもまたあるかも知れないし」

「そう、ですね」

「ね。それでさ、なら、視察用の施設と、案内用のAIを作っちゃえば良くない?と思ってさ」

 つまり、他人が入っても良いところと、わたしの棲息域を分断しよう、と言う考えだ。

「案内用のえーあい」

「そうそう。それでね、ここのとこ、圃場の世話を遠隔だけで出来ないかって、試してたんだよね。で、問題なかったから」

「なるほど。魔動人形が好き勝手動くものだと思っておりましたが、お嬢さまが動かしていたのですね」

「うん。計測機器とか映像機器とかいろいろ載っけた魔動人形を作ったから、代わりに圃場を回って貰っててね。その情報だけで世話は問題なく出来たから、今度はもっと遠距離でどうなるかも試したいなって」

 思って、ユヅに少し離れたところに圃場が造れないか訊きに来たのだ。

「手配出来ますよ。どのくらいの距離が好ましいですか?」

 話が早い。

「えと、距離によるノイズの差も調べたいから、出来れば何ヵ所か」

「かしこまりました。候補としては」

 いま言ったのにどうしていま候補が出るのか。

「国内ですとこんなところですね」

「んー、近いな」

「では国外の候補も挙げましょう」

 いま言ったのにどうして国外の候補まで挙げられるのか。

「え、許可取れるの?」

「問題ありません。どこも食糧難ですから、お嬢さまが圃場を造りたがっていると言えば、こぞって土地を差し出しますよ」

 ちょっと胃が嫌な感じにギュってなった。

「ご安心ください。わたくしとわたくしの手勢が、お嬢さまをお守りします」

「ありがと。でも、大丈夫」

 遠隔技術と並行して、防衛設備も開発していたのだ。

「核戦争が起きても生き残れる感じの防衛設備も開発したから、引きこもってれば自衛は問題ないよ」

「さすがはお嬢さまですね。では、お嬢さまが引きこもっていられるよう、外とのやり取りはすべてわたくしにお任せください」

 わあ頼もしい。

「ありがとう。助かる。わたしユヅなしじゃ生きていられないかも」

「わたくしも同じ気持ちです、お嬢さま」

「えー?そんなことないでしょ。あ、でね、とは言え、作物の世話はユヅの専門外でしょ。そのための、案内用AIでね」

 端末で、件の案内用AI搭載の魔動人形を呼び出す。

「こんにちは!ご案内しますにゃん!」

「こんにちは!お困りごとを解決しますめぇ!」

「……なぜ、獣の耳?」

「かわいいから?」

 ケモミミは可愛い。可愛いは正義だ。

「かわいい」

「可愛いでしょ?」

「かわいい、まあ、可愛い、です、ね?」

 気遣い満載の返答だ。

「ユヅが好きかと思って犬じゃなくて羊にしたのに」

「そうなのですか?」

「うん。ちゃんと役立つかテストして欲しくて。わたしじゃ予想外の質問とかもあるだろうから」

 なにせ、前世と今世では常識からして異なる。

「かしこまりました。わたくし含め、いろいろ試してみます。期間はどれほど?」

「状況にもよるけど、とりあえず二週間くらいかな。こっちの猫が圃場の案内用で、こっちの羊が畑の問題解決用」

「……この羊、持ち出しても?」

「良いけど、どうして?」

 首をかしげるとユヅは笑って答えた。

「ちょうど何件か、助言を求められているので。断ろうと思っていましたが、実地試験に利用させて貰いましょう。大丈夫ですか?」

「んー、まあ、大丈夫かな。AIで解決出来ないことは、わたしに情報が飛ぶようになってるから。通信は半径一万キロくらいまで届くはずだけど、心配だからまずは近場で試してくれる?」

「一万……わかりました。試すときは、お嬢さまに事前に伝えるように致します」

 さすがユヅ。気遣いばっちりだ。

「これで、成功するようなら、リモートワークにして、誰にも見付からないようなところに引きこもろうかなって。その方が、研究に集中出来るし」

「良いと思いますよ。わたくしも、お供させて下さるなら」

 むしろお願いしたいが。

「うん。ユヅがついて来てくれると助かる」

 なんにせよ、それで。

「そうやって、いなくなったらきっと、みんなわたしのことなんて忘れてくれるよね」

 忘れて欲しい。わたしのことなんて。

 ユヅはとても綺麗な笑顔で頷いた。

「ええ。きっと」

拙いお話をお読み頂きありがとうございました


五人も名付けたのにまともに喋ったのがひとりだけの件

反省の気持ちはとてもあります

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― 新着の感想 ―
うわぁ、緑の聖女を忘れる「みんな」のなかに綺麗な笑顔の貴方は含まれていないんですよね? 怖ぁ。 でも多分、お嬢様は研究に没頭してる間に何年経とうが頓着しないだろうから、なんにも気づかずにずっとずっと…
こういった、超越者が人間に仕える話を読むと思うんですけど、エメラルディアさん寿命を迎えることってあるんですかね。 ユズさんがエメラルディアの死を許せるかって話ですね。認められなさそう。なんとしてでも自…
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