【第9章】ただいまを言うためにー完結ー
人々の灯り、生きていく上で必ず必要な灯り。
それが森の光となっていた。
アカネの記憶の中で、現実はそっと生き続けていたんだ。
町が移動したあの日、確かにアカネは未来を見ていた。
ーーあの時の記憶が蘇る。
「アカネさんは、まだ意識を取り戻していません。ですが、希望は捨てないで。」
施設の一室、白衣を纏った大人は優しく、だけど言葉は冷徹だった。
俺はベッドの横に座り、ただただ黙っていることしかできなかったんだ。
白くて大きな建物、目の前には原っぱが広がり木々が生い茂る。
長い戦いの中、親を失った子供たちはここで過ごしていた。
アカネの手を握り、ずっとこの部屋から離れられずにいた。
自分の気持ちの整理もつかないままーー
「…ロイゾはまだ、俺にして欲しいことがあるんだ。」
ポップを抱えたまま、とある場所へ向かう。
「父さん…!!」
この森は現実と幻想が混ざり合っている場所。
きっといるはず!!
部屋の奥。
長髪の白髪に小さな眼鏡をかけたその人が振り向いた途端、目頭が熱くなり喉が上下する。
繋いでいたポップの手を強く握りしめ、唾を飲む。
「父さん…。俺は今、アカネの幻想の中にいる。」
小さな眼鏡の奥から、鋭くて優しい瞳が、静かに俺を見つめる。
この先を、本当は言いたくなかった。
「戻りたいんだ、本当の世界に。…そこに父さんは、いないけど…」
グッと唇を噛む。
父さんは今、どんな顔をしているんだろう。
「エビン、大きくなったな。…わかっているよ。帰りなさい、お前の場所へ。」
父さんは驚きはせず、そう言うと一度だけ視線を落とす。
ほんの一瞬、寂しさが滲んだ。
それは、懐かしい声だった。
堪えていた涙の洪水が押し寄せる。
父さん…!離れたくない!
「よくここまで来たな。昔この研究所に来たことはあったかな?」
ほんの小さな時に、一度だけ連れてきてもらったことがあった。
薬剤が混ざり合った匂い、
至る所に貼られた「危険」の貼り紙、
他の人たちがみんな父さんのことを慕っていた。
「帰る方法を探しているのだろう?…来なさい、こちらへ。」
そこは、辺り一面が水面になっている不思議な空間だった。
コバルトブルーの綺麗な水。
水面には半透明の魚がふよふよと、自由に泳ぎ回っていた。
「魔力が存在しない世界の生命が、どのようにして”存在し、生きているのか”長年研究していたがね。無垢な気持ち、純粋な心、人を思うこと。…目には見えないものなんだよ、エビン。」
目には、見えないもの…。
「お前は、しっかりと持っているようだね。」
父さんは言葉を止め、ポップを見つめた。
「エビン、お前が解放した魔力は大きすぎたな。お前自身が時空の狭間に消えないためには、この子が必要だ。」
?全然わからない…。
「この子は、”魔力のない世界”からの真の存在だろう?お前の魔力を正しい方向に導く、帰還の羅針盤となるだろう。」
俺はまたポップの温かい手を握りしめていた。
ポップはただ、目をキラキラさせて俺を見つめている。
「この森は言わば、幻想と現実の間の世界。この水面は境界線だよ。」
境界線…。
ここに入れば、戻れる…。
「父さんは、どうするの?」
一緒に行こうとは言えなかった。
それは叶うことのない願いだから。
「そうだな、私はここからお前を見守っていることにしようかね。」
ほっほ、と少し笑う父さんは、不思議と俺の気持ちを全て包み込んでくれるような力があった。
「さぁ、”生きなさい”、二人とも。」
今度は真っ直ぐに父さんを見つめ、俺自身の心の決着をつける。
「ありがとう…さようなら、父さん。会えてよかった。」
もう、涙はとっくに乾いていた。
「私もだよ。今もこれからも、ずっと愛しておるぞ、息子よ。」
優しい言葉はずっと残り続ける。
「…いってきます!!俺も愛してるよ、父さん!!」
ニカっ、と笑顔で父さんと最後の視線を交わし、
俺はポップの手を引きそのまま水面へと飛び込んだ。
水の中は冷たくも温かくもなく、とんでもない速さで体を持っていこうとした。
必死に抵抗している時、最後に残っていた俺の魔力が体から抜けていくのを感じる。
その魔力のモヤは、まるで幽霊の手のように、不気味に俺たちを水面へと引き戻そうとしているのがわかる。
ダメだ、ここで戻ったら…!なんとしてでも抗わないと…!!
両手で振り払おうともがいていると、ポップと繋いでいる手を魔力が避けるのが見えた。
そうか、父さんが言ってたのはそう言うことなのか!
魔力のモヤはポップを嫌がるように避ける。
そもそも魔力がない存在だから、干渉できないんだ…。
ポップの手が、俺を抱きしめる。
小さな体で、俺を包み込むようにして。
ーーー守ってくれている。
そのまま、俺とポップは静かに水の流れに身を任せ続けた。
水の流れがふっと緩む。
あたりの光が柔らかく揺れ、誰かの手が背中を押した気がした。
まるで「行け」と言われた気がして、俺は目を閉じた。
ーーーーー
「…おはよう、エビン」
ベッドの淵に涎を垂らしていることに気がついて、急いで口元を拭う。
「アカネ!!…ここは…」
「戻ってきたよ、私たち。エビンはちょっと、遅刻だったけどね!」
クスッとベッドの上から笑うアカネ。
……っ。
拭いたはずの涎と、涙と、鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、アカネを抱きしめる。
「ありがとう、私のためにたくさん頑張ってくれて。私はもう、大丈夫。」
部屋には白衣を着た大人がいて、微笑ましく俺たちを眺めている。
嗚咽しながら泣き喚く俺を見て、アカネは楽しそうに笑っている。
「魔法少女は、もういいかなっ。」
それを聞いてまた、嗚咽が止まらなくなった。
ずっと寝たきりだったアカネに、外の景色を見せてあげたくて、保健室から連れ出した。
外は眩しくて、生い茂った草からしっとりと雨の匂いが漂う。
眩しさに目が慣れて、あたりを見渡すと、そこには一人のおじさんが立っていた。
「ダイラ!!!」
すっかり白髪に戻ったダイラは、大きく手を広げ俺たちを待っていた。
ダイラは、この施設を作った人だ。
戦争で親を失った子供たちのために。
父さんが亡くなる時、ダイラに頼んだと聞いた。
「エビンをよろしく」と。
ダイラは、ずっと約束を守ってくれていた。
俺とアカネは目を合わせ、そしてすぐに満面の花を咲かせ、ダイラの元へと駆け寄った。
遠い、近いのに遠い、この距離が
たまらなくもどかしく、愛おしい。
ダイラに飛びついた瞬間、大きな手のひらが、二人の頭を撫でる。
「おかえり、二人とも。…よかったら、私のことを、お父さんと呼んでくれるかね?」
その足元には、一匹の狐が嬉しそうに駆け回り、
俺の背中を登って三人の真ん中で尻尾を振っていた。
「あぁ。ただいま、父さん!」
ーロイゾの物語、[完]ー




