【第1章】願いの代償
「エビン、いつものでいいかな?」
パン屋の店主が笑顔で訊いてくる。
この町の朝はいつもこうして始まる。
石畳の道を歩けば、魔法で水を撒く隣のおばさんが手を振ってくれるし、広場の大噴水は今日も変わらず水を吹き上げていた。
「……なんだよ、これ」
次の日の朝、広場に立っていたのは大噴水じゃなかった。
巨大な丸い扉。
まるで最初からそこにあったかのように、堂々と鎮座している。
噴水は、その下敷きになって跡形もなかった。
皆がゾロゾロと集まってきては各々考察を始める。
世界の終わりだとか、新生の世界だとか、町長の呪いだとか。
得体の知れない物体に怖がる子供、不安そうに周りの様子を伺う人。
ただ、何やら真剣に観察をしている大人ですら、その扉に近づこうとはしなかった。
飛び交う言葉はどれもとんでもない憶測ばかりだったけど、”とんでもないこと”が起こっていることだけは、みんなわかっていた。
「なぁアカネ、これなんだと思う?」
「さぁ、なんでしょうね。でもこれ…すごい魔力を感じるよ。」
アカネは俺の幼馴染で、大魔法使いと言われるほどの実力の持ち主だった。
それから、町の知識人が緊急で集結し、調査を始めた。
でも、答えは中々見つからない。
その扉はジワジワと町を恐怖へと落とし込んでいく。
それと比例するように、町からは笑顔が消えていった。
その間、誰一人として町の外に出た者はいない。
そして、誰一人としてこの町を訪れる者もいなかった。
扉を開けようとした人もいたけども、やはりすんでのところで開けることは出来ないでいた。
そして、3ヶ月が経とうとした頃。
広場に集められた俺たちは、ようやく、それの正体を知る。
「皆の者よく集まってくれた。ロイゾが現れてから、我々はずっとこいつの研究をしていた。」
丸い扉はいつの間にかロイゾと呼ばれていた。
「ようやく…正体がわかった。これは魔力の源。魔力の根源。…我々の命であり終わりである。」
広場に集まった群衆がざわつく。
そんな中、アカネだけは冷静でいた。
幼馴染ながら、誇らしい。
「あの、ダイラ様、それは一体どういう意味ですか?」
アカネは息を飲むように問いかけた。
「あぁ。こやつは中に入った者の魔力の大きさ、そして心の根底にある思いに見合う代物を提供してくれるだろうと思われる。みなの魔力はこやつから吸収していたのだ。つまり、こやつに魔力を返す時、”返礼”として願いが叶う。ただし、本当に望んでいること。心の奥底で、自らも気が付かないほどの”本当の願い”。」
ダイラの声が止んで、しばらく静寂が訪れる。
ーーーやっと理解し始めた群衆は、みな嬉しそうな歓喜の声をあげた。
「でも!それって…」
俺はそんな群衆をよそに、一際大きな声を上げた。
それって、ダメだろ…!
「そうだ…。我々にとって魔力は生きる力、体の一部。恐らく、扉の先へ進んだ者は二度と戻ることはないだろう。」
さっきまでの歓喜の歓声がピタリと止み。
誰もいないんじゃないかと思うくらい、静かな恐怖に包まれた。
この静寂が、地獄の戦いの幕開けだった。
その日を境に、町の空気は変わった。
誰もが笑わなくなり、夜になると空の向こうで、赤い閃光が瞬くようになった。
最初はただの天候異常だと思っていた。
けれど、次第にそれが“戦い”の光だと知る。
龍のような影が空を横切り、地平の彼方では炎を吐く蛇が蠢いていた。
アカネは、自分になにか出来ないかと毎日ロイゾを調べていた。
「この世界、魔力の流れが変なんだよ」
そう言って、彼女は眠ることさえ惜しんで魔法陣を書き続ける。
俺はただ、それを見ていることしかできなかったんだ。
そして今日、ダイラが俺とアカネを呼んだ。
この町の一番東にあるデカイ建物、”魔法力管理大宮殿”はダイラが室長を務める言わば町の心臓部。
「あぁ、すまんな急に呼び出して。…まぁ座りなさい」
髭の下で少し疲労が見え隠れする。
きっとこの人も夜通し研究をしているんだろう。
「さて。さっそくだが、もう君たちも気付いているだろう…。」
「戦いの光、ですよね。」
アカネはそう言いながら窓の外を見つめる。
その瞳は微かに揺れていた。
「ごもっとも。日に日に我が町に近づいてきている。攻撃を受けるのも時間の問題だろう。」
ダイラは机の上の地図に指を置き、静かに語り始める。
「この町の外には森が広がってるだろう。私はずっと観察をしていたんだがな、どうやら夜になると光り出すんだ。」
「森が…光る?」
アカネのどこか遠くを見つめる顔を見つめていた時、ダイラの口から全然予想と違う言葉が出てきたもんだから、思わず聞き返してしまう。
「そうだ。しかも魔力を一切感じない。つまりあの森にはきっと魔力は存在しないんだ。その代わりに得体の知れない力がある。」
「あ…だから魔力の流れがおかしかったのね。」
2人の会話が一致していることにまず驚いた。
いつ攻撃されてもわからない。
…この町が攻撃される?そんなことあるのか?半信半疑だった俺はバカだった。
そして、運命が変わる夜は来る。
ーーーー
町が黒煙に包まれてから、何時間が経とうとしているのだろう。
「アカネ!!ダメだ行くなアカネーー!!」
星が瞬きをやめ、夜空は赤く揺れる。
空には龍が飛び交い、炎を吐く蛇が地を這い、海には巨大な亀がノロノロと大軍を成している。
俺たちの魔法ではまったく歯が立たない。
毎朝買いに行っていたパン屋の店主が向こうで倒れているのを遠くから見つける。
”いつものでいいかな?”
そんな明るい声を聞いて始まる朝…。
くそっ!なんだよ、これ!!
どうして俺たちが攻撃されねーといけねーんだよ!
絶望に追い打ちをかけるように、アカネはロイゾの扉を開こうとしていた。
「ごめんねエビン…でも、きっと私の魔力なら大丈夫だから…。もしかしたら、戻ってこれるかも、でしょ?…心配してくれて、ありがとう」
アカネは微笑みながら、折れた足を引きずりロイゾへと歩く。
扉に手をかけた瞬間ーー俺には見えた。
その肩が、小さく、でも確かに震えているのが。
「くそ!アカネ!!やめろーーっ!」
何もできない。
視界が霞んでいく。
体の底から全身の血が沸騰する感覚。
アカネがいなくなっちゃうかもしれない。
本当の絶望の前で俺は声にならない声をあげる。
霞んだ視界の中でアカネが最後に見せた顔に、俺は動けなくなってしまった。
届かない俺の手の向こうで、恐怖と戦いながら、でも心配させないようにと。
アカネは笑っていたんだ…。
その時、世界に光の閃光が走り、龍も蛇も亀も一瞬のうちに全て砕け崩れていった。
アカネの願いが叶った…アカネは…。
アカネは…きっともう…っ。
ーーー
自らを犠牲にしてこの町を守ったアカネは、後にみなから”女神”と呼ばれるようになった。
ただ、そんな綺麗な話なんかじゃない。
人々は皆、何も出来なかった己を恥じ、自らの命を捧げる勇気を持った者への嫉妬、罪悪感から逃れようとしていただけだった。
町は活気を取り戻し、パン屋の店主も元気にパンを焼いている。
人々が、彼女の像を建てようと日々楽しそうに作業をしている。
町の伝統の祭りが今年は開催されようとしている。
…俺だけが、取り残されてしまった。
「…なぁエビン。何故まだロイゾはある。」
そっと隣に立つダイラは俺と一緒に真っ直ぐにロイゾを見つめていた。
「あぁ、わかってるよダイラ。」
ロイゾの正体について研究をし始めた頃、俺はダイラからこんな話を聞いていた。
「お前にはまだ言ってなかったな。アルゼル、つまりお前のお父さんはな、とんでもない魔術師だったんだ。知っているか?魔術師のこと。」
まだ小さかった俺はポカーンと口を開けて呑気に首を振るだけだった。
「魔術師とは魔法使いの上位格。魔法使いの魔力とは比べ物にならないくらいの魔力を持ってる者。アルゼルを含めてまだ4人しか存在していないんだ。」
その時はよくわからなかったが、今になってよくわかる。
それが何を意味しているのか。
「ダイラ。俺は魔術師の息子だ。…アカネを救ってくる。この、ロイゾを使って…!」
拳を握りしめ覚悟を決めたその時、まさかの言葉が聞こえた。
「…私も一緒に行こう。」
「え?!でもダイラ…いいのか?」
「ふっ…お前を守ると、遠い昔アルゼルと約束したからな。」
木々やせせらぎ、そんな穏やかな空気に包まれるようなダイラの微笑みは、俺の気持ちを少しだけ軽くしてくれた。
そして俺たちは、ロイゾへと足を踏み入れた。




