閑話1 三連星の灰色の夏休み
大学最初の夏休みも後半に入ったある日、大森は十一星団の執行部の引継ぎのため大学へ来ていた。
(なんだ、星蘭と未来しか来てないじゃないか。良子先輩が来ていれば先にお話できると思ったのに。しょうがない。プランBだ・・・。)
大森は、あえて教室には入らず、スマホでメッセージを打ち込むフリをしながら廊下で待つことにした。うまく良子が通りかかれば、挨拶して、あわよくば教室に入るまでの間で少しおしゃべりしようとする完ぺきな作戦だ。それに星蘭と未来とは話しにくいから、教室入っても気まずいし・・・。
「そういえばさ~、聞いた?良子さんの話」
教室の中の星蘭から良子の話題が出たため、大森は思わず耳をそばだてた。
「何々?こないだ尾方と一緒に買い物に行ったって話のこと?」
「そうそう。良子さんが尾方の服を選んであげてたんでしょ。いい感じなんかね~。」
「いい感じじゃなかったら一緒に服買いになんか行かないっしょ。」
大森は強いショックを受けた。あの尾方が?まさか?合宿の時も大学デビュー失敗みたいなカッコしていたあの尾方が?
「まあ、尾方みたいなタイプは庇護欲をそそりそうだから、良子さんの母性本能くすぐっちゃったのかもね~。」
「あ~、あるある。こないだもスタバで話してるの見たよ。二人ともやたら口角上げてニコニコしちゃってて・・・あれはいい雰囲気だわ。」
「尾方か~。正直眼中にはなかったけど、まあ三連星に比べればマシマシだよね。」
大森は人知れず廊下で怒りに打ち震えていた。あの野郎、抜け駆けしやがって。良子さんが優しくて断れないことをいいことに厚かましく迫ったに違いない!
「お~、大森、教室入らないの?」
ちょうどそこに田中がやってきた。
「あっ、ああ入ろうか。」
大森は怒りのあまり作戦プランBも忘れて田中と一緒に教室に入った。しかし、尾方のやつ許せない。良子さんにも本当の姿を教えてあげないと!
「田中、今日終わった後時間ある?」
「ああ、特に予定はないけど。」
「じゃあ小林も誘って飲みに行こうぜ。ちょっと・・・相談したいことがあるんだ・・・。」
9月のある日、大森は浮きたつ気持ちを抑えながらキャンパスを歩いていた。いよいよ俺にも運がめぐってきたようだな。こんないいことが重なるなんて・・・。
「お~、田中と小林じゃん。」
「あっ、大森か。久しぶりだな。」
「そういや、こないだの田中のポストよかったな!合宿の時の尾方の写真撮っておいてよかったよ。タイトルも秀逸だし、リポストして拡散しておいたよ・・・。」
「あっ、ああ・・・まああれは削除するから・・・。」
「なんだよ~。小林もクラスのグループLINEに誤投稿するふりして、尾方のあの写真を全員に送ったんだって?大学中に尾方の本性が知れ渡る日も遠くないな。」
「ハハッ・・・」
田中も小林も少し食いつきが悪いが、この話を聞けばきっと驚くに違いない。
「実はいいネタを仕入れたんだよ。」
「えっ?」
「尾方と同じ地元のヤツに聞いたんだけどさ、尾方、なんと高校の時に部活の顧問の先生を妊娠させて辞めさせたんだと・・・。」
「・・・・いや、そんなわけあるかよ・・・。もし本当だったら尾方も退学になって、ここにいないだろう・・・。」
「まあ、さすがにそこまでの話じゃないと思うけどさ。でも、こういうウワサがあること自体問題だろ。火がないところに煙は立たないって言うじゃん。こういうやつが大学で女性問題起こさないように警告しないと。」
「いやっ、まあその話は・・・ちょっとやりすぎたし、もういいかな・・・って、さっき小林と話してたんだ。」
「なんだよ、ノリ悪いな・・・。」
「それより、大森はどうして今日キャンパスに来たんだよ?しかもやけにオシャレしてんじゃん。いつもはだるだるのTシャツとかなのに。」
露骨に話を逸らそうとする小林。
「フフン、実は呼び出されてさ。すみれがぜひ話したいことがあるからって、LINEしてきたんだよ。」
「「!!!!!」」
「なんだろな~。二人だけで話があるってことらしいけど・・・。」
「あ、ああ。頑張れよ・・・・。」
「大した話じゃないといいな・・・。」
(なんだこいつら、俺がモテてるから嫉妬してるのかな・・・。)
さて、待ち合わせの時間は少し過ぎてるけど、呼び出されたわけだし、少し待たせて気を持たせた方がいいよな。そろそろ指定された場所に向かうか。
すみれに指定された場所は、大学からほど近い三田にあるカフェだった。まだ暑いのにすみれは律義に店の外で待っている。今日は白地のワンピースに水色の水玉だ。
(髪形と服装は変だけど、小柄だし、顔もよく見るとかわいいよな。まあ、告白されたら少し付き合ってもいいかもな。もっとも、髪形と服装は速攻で直してもらわないといけないけど・・・)
そんなことを思いながら、急いで来たように見えるよう、少し手前から小走りするふりをしながら声をかけた。
「ごめ~ん、お待たせ。入っててくれればよかったのに。」
「そんなに待ってないわよ。それにここは一緒に入らないといけないから。」
すみれはにっこりと笑顔で迎えてくれた。
店には、『パンダ碁パンダ』という看板がかかっている。
「へ~、囲碁が指せるカフェなんだね。」
「囲碁が打てるカフェなのよ。さあ、入りましょ。」
カランカランと音を立てながらレトロな扉を開け、すみれが先導して店に入っていく。
店の中は思いのほか明るく、並べられたテーブルに碁盤と碁石が置いてあること、そして入口のレジ前にやたらガタイのいいスキンヘッドのおじさんが座っている以外はごく普通のカフェだ。大森が知っている駅前のチェーン店とは違い、静寂と少しの緊張感が漂っている。
「おや、すみれちゃん。いらっしゃい。最近はよく顔を見せてくれてうれしいよ。」
「ええ、伝蔵さんもお元気そうね。ところで、奥の席を使ってもいいかしら?」
「もちろんだよ。大学で忙しいだろうにありがとうね。」
すみれは、レジでお金を払い、アイスコーヒーとカルピスソーダを注文していた。
「あっ、俺が払うよ。」
「いいのよ。私がお誘いしたのだから・・・。」
そのまますみれは、一直線に向かい合わせに椅子が置かれた奥のテーブルに向かった。大森もそれに続き、すみれが奥の席、大森が手前の席に座った。
「俺、囲碁とかルールわかんないんだけど。」
「それは私が教えてあげるわ。基本的なルールは簡単よ。碁盤の線が交差する交点に黒石と白石を交互に置いていって、周辺の交点を囲っていくのよ。囲えた交点が多い方が勝ち。陣取りゲームね。また、こうやって石を囲って逃げ道がなくなると、その石を取ることができるの。取った石は終局後に相手が確保した交点に置くことができて、その分、相手の陣地を減らすことができるわ。」
「へ~っ、思ったより簡単そうだね。」
「他にも着手禁止点とかあるけど、まあそれはおいおい覚えればいいわ。まずは一局打ってみましょうか。」
その時、レジ前にいた伝蔵さんが、アイスコーヒーとカルピスソーダをサイドテーブルに置いてくれた。まったく気配を感じなかったけど、いつの間に近づいて来たのだろうか。
「はい、大森くんが先手だから黒石を使ってね。」
すみれはニコニコと満面の笑顔だ。やっぱり俺に気があるのだろうか・・・。
「よし、えいっ!」
大森は勢いよく、碁盤の中央の点に黒石を打ち下ろした。やっぱり、男は中央を押えないと。それを見て、一瞬、すみれの眉が吊り上がったような気がしたが、すぐに平静な顔に戻り、白石を人差し指と中指で挟み、盤の端の方に丁寧に置いた。
「ところで、俺は今日何で呼び出されたの?まさか、囲碁を一緒に指したかっただけってわけじゃないんでしょ。」
大森は黒石を右上辺の真ん中に力強く置いた。やっぱり中央を制圧しないと。
「そうそう、大森くんに聞きたいことがあったのよ。」
すみれは丁寧な手つきで、また端の方に白石を置いた。
「なになに~??何でも聞いてよ。」
そういいながら、大森は少しにやついた。こんな静かなカフェに呼び出されてるし、これはいきなり告白とかあるかも・・・。
「このポストなんだけどね・・・。」
すみれはサイドテーブルに置いたカバンからスマホを取り出し、大森に見せた。そこには、田中が『勉強合宿中の尾方柳君、これホスクラバイトから直行?』というタイトルを付け、リオル風の服装をした合宿初日の尾方柳の写真が張り付けて投稿したポストが映し出されていた。
「田中くんがポストして、大森くんが『いいね』つけてリポストしてるよね。」
「あっ、あ~、田中が鍵アカで投稿したつもりだけど、間違えちゃったって。俺も鍵アカじゃないし、問題ないかなと思って思わずリポストしちゃって・・・。」
「それから、これも見てほしいんだけど。」
スマホには、小林がクラスのグループLINEに尾方柳がリオル風の写真を投稿したメッセージのスクリーンショットが映っていた。ご丁寧にも、『ごめん、サークルのグループと間違えて、尾方柳のホスクラバイト写真を誤爆しちゃった(笑)』という小林のメッセージまで添えられている。」
「あ~、小林が誤爆しちゃったって言ってたな~。」
目をそらす大森。
「ふ~ん、実は大森くんの前に田中くんと小林くんから話を聞いて、二人とも大森くんの発案で行ったって供述してるんだけど・・・。」
そのとき、大森の脳裏にキャンパスで会った際の田中と小林の顔が浮かんだ。あいつら~!!
「いっ、いやそんなことしてないよ!きっとあの二人が責任転嫁で適当なこと言ってるんだって。信じてよ。それに俺が指示した証拠とかあるの?」
(大丈夫、メッセージとかには残してないし、うまくとぼければ逃げられるはずだ。)
「なるほど・・・たしかに二人の供述以外に証拠はないわね・・・。」
「そうそう。まったく迷惑しちゃうよね・・・。」
大森は平静を装いながらも、黒石を持つ指が震えている。
「じゃあ、これはどうかな?」
すみれはスマホを操作すると、別のポストを映し出した。そこにはこう書かれていた。
『2.5次元俳優のユート、享和に入学したとか言ってるけど実は通信だって。通信なんて誰でも入れるし、学歴詐称じゃん。』
「こんなのもあるわね。」
『学歴詐称のユート、実は25歳で妻子もいるらしいよ。年齢詐称と経歴詐称もしてんのかよ!』
「これは、大森くんが投稿したポストじゃないかな?」
(なんでこれバレてるの?いや、まだまだ。これは裏アカで投稿したやつだ。俺は関係ないと言えば逃げられるはずだ。)
「知らないな~。俺のアカウントじゃないし・・・。」
「そうなのね。どっちも大森くんのアカウントでリポストされてるわよね。」
「たまたま目に入ってリポストしただけだし、リポストしただけだったら問題ないでしょ。」
すみれが、ピシッと白石を打つ。先ほどよりも打ち込む音が強くなっている気がする。
「発信者情報開示って知ってる?最近はどのスマホから投稿したかわかるみたいね。」
「いや・・・、まさかそこまで・・・。」
「それに、名誉毀損となるポストをリポストした人も、名誉毀損として損害賠償義務を負うことになるって知ってる?」
「えっ、そんなわけないでしょ?」
「大阪高等裁判所で損害賠償を認めた判決が言い渡されているわよ。判決の日付を教えてあげるから、大森くんのスマホで調べてみたら?」
大森が黒石を置くと、すみれは間髪入れずに無表情にビシッと白石を打った。
「このユートさん、このポストのせいで舞台を降板して、芸能活動も休止しているんですってね・・・。ユートさんや所属事務所が大森君のことを知ったらどうするのかしら・・・。」
(くそっ、もう我慢の限界だ!)
大森は、バンッとテーブルを叩き、すみれを睨みつけた。
「あっ、あんまり調子乗んなよ、水玉女!そんな脅すようなことを言って!俺が怒ったらどうなるかわかってるんだろうな!!」
すみれは、大森が低い声で言い放ったセリフにまったく動じず、無表情のままだった。
「あら、その手でいいのかしら?」
「なんだとっ!」
その瞬間、大森は右肩を強い力を感じた。
「すみれちゃん、どうしたの?何かトラブル?」
大森の右肩には、伝蔵の左手が置かれていた。いや、置かれていたというよりも、強い力で掴まれていたと言った方が正確かもしれない。
「ごめんなさい。彼が失着で大石取られて興奮しちゃったみたいで。私からも注意しておくわね。」
「そうかい。まあ、紳士的に頼むよ、兄ちゃん。」
大森をちらりと見た伝蔵の目はまったく笑っていなかった。伝蔵が大森の右肩から手を放す時、一瞬、万力のような力で強く肩を握られた気がした。
「この手で、あなたの中央の石を全部取っちゃうことになるけど。」
いつの間にか中央で団子になった大森の黒石は白石に囲まれていた。すみれは黒石を一つずつつまみ上げながら、裏返した自分の碁笥の蓋の上に置いていった。ふと横を見ると、派手なシャツを着たパンチパーマの中年の男性がこちらを見ている。首には金のネックレス、指にはごつい指輪を何個もはめているが、なぜか左手の小指だけ見えない。きっと折り曲げてて見えないだけだよね。
「あら、山村さん。ごめんなさい。うるさかったわね。」
視線に気づいたのか、すみれが、その派手な男に声をかけた。
「いいってことよ。まっ、すみれちゃんの連れじゃなかったら許さねえけどな。」
そう言って男はガハハと笑った。
「それで、要求は何でしょうか?僕はどうしたらいいでしょうか?」
観念して大森はすみれに小声で話しかけた。
「特に要求なんてないわよ。十一星団の執行部の大事な仲間に弱みを掴んで脅して要求することなんてしないわよ。」
すみれは、きょとんとした顔で答えた。
「じゃあ、なんであんなポストを見せられたのでしょうか・・・?」
すみれは口角をあげて答えた。これは高校の世界史で勉強したアルカイックスマイルだ。
「大事な仲間を売るようなことはしないわよ。だけど、私は関係ない人には無関心なのよね。もし、大森くんが大事な仲間じゃなかったらどうしてたかな~。」
「ハハッ・・・」
ひきつるように笑う大森。
「それに、仲間を大事にできない人も、大事な仲間とは言えないかな~。特に仲間を売るような人は・・・・。」
すみれはニコニコと笑ったままだ。
「あっ、それは・・・。」
「どうすればいいか、自分でわかるよね?」
「・・・・・。」
「返事は?」
「・・・はい・・・。」
「わかったわ。ところでこの一局はどうするつもりかな?もう大差がついたようだけど・・・。」
「・・・負けました・・・・。」
「よくできました。これからも十一星団の執行部の大事な仲間としてやっていきましょうね。」
そう言ったすみれの表情は、対局を始めた時と同じ満面の笑顔だったが、大森はもはやそれを直視できなかった。
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「ひどい目にあった・・・。」
お店を出た直後、大森はせっかく新しく買ったTシャツが汗でぐっしょり濡れていることに気づいた。
「ふうっ」
大きくため息をついたその時、大森のスマホにLINEメッセージが届いた。そこにはこう書いてあった。
『大事な仲間だったら、仲間が大切にしていることをバカにしちゃだめよ。 水玉女。』




