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早春の昼下がり、大学3年生になったばかりのみやびは、大学キャンパス東門の階段をゆっくりと登っていた。ここは私立享和学館大学、江戸時代の英学塾を源流に持つ日本有数の名門大学である。みやびが階段を登っている東門は、中央のアーチ状のアーケードを中心としてシンメトリーに配置された赤煉瓦とステンドグラスで構成される8階建ての凱旋門であり、享和学館大学のシンボルの一つである。

「やはり入学式直後は人が多いな~。」

東門の階段を登り切ったところで、新入生らしい学生であふれるキャンパスを見てみやびは思わずつぶやいた。あか抜けない服装で銅像の前で記念撮影をしたり、小集団に分かれて群れたり、男女のグループで様子をうかがい合っている新入生の姿を見るみやびの眼差しは心なしか優しい。

「えっと、A201教室だったかな・・・正門の方が近かったかもな。」

みやびは東門から見て最も遠いところにある3階建ての教室棟へとゆっくりと歩みを進めた。長身のみやびが周囲を睥睨するようにアルカイックスマイルを見せながらゆっくり歩いている姿は、一種の威厳が漂うものであり、新入生たちは自然とみやびに道を譲ってくれた。そのおかげか、みやびは混雑するキャンパスの間を縫って苦も無くA201教室にたどりついた。


みやびは、入口に『十一星団新入生説明会』と書かれた貼り紙を確認してから引き戸をがらりと開けて教室に入った。その教室には、入って右側に長机が縦横2つずつ並べられ、その左右に四つずつ向かい合って椅子が並べられ、そのうち3組の椅子が埋まっていた。3組のうち一番入口に近い場所に座っていた、スーツを着たおかっぱのような黒髪の女性が横目でみやびを睨み「ちょっと!」と小声でつぶやいた。

「フフンごきげんよう~、節子。」

みやびは、睨みつけてきたおかっぱ女子、西園寺麗子のうしろを歩いてやり過ごし、その隣に座っていた親友の不破カリンに話しかけた。

「みやびちゃん、おそい~。ここ空いてるよ。」

カリンは右隣の空いた席にみやびを誘った。カリンは、見た目はベリーショートの金髪、ピアス、ネイル、古着で武装された、上から下までスキのない侍ギャルであるが、付属の中学校からの付き合いであるみやびには優しい。

席に着いたみやびのさらに右隣では、黒髪ストレートのセミロングにひらひらのついた白いシャツ、グレーのスカートでいかにもお嬢様然とした色白・小柄な女子が、向かいに座った新入生に、いかにもおっとりした口調で説明していた。

「法律の勉強ばっかりじゃ疲れちゃうよね~。だから十一星団では、親睦イベントもたくさんあるの~。だけど、バーベキューとかキャンプとか、女の子だけじゃ大変だし、田中くんみたいな頼りがいのある男の子が入ってくれるといいな~」

(さすが、ナチュラルサークルクラッシャー山田良子!新入生の顔を見なくてもデレてるのが目に浮かぶ。)

みやびの前の席は空いたままであり、みやびは手持ち無沙汰だ。みやびは参考までに左端の席の麗子がどのような説明をしているのか聞き耳を立ててみた。

「十一星団は約40年前、当時法学部の有志11人が集まった司法試験の勉強会として結成されました。このときの11人は全員司法試験に合格して、今では法曹界の重鎮となっています。この11人の灯した志を後輩へ引き継ぐため、この勉強会は法律を学ぶ学生のためのサークルに再組織され、今に至っています」

(なるほど手堅い。新入生の男の子も圧倒されてうなずいてばかりだ。カリンはどうだろ。)

「わたしはダンスサークルにも入ってて、そっちの方がメインなんだけど、なんていうかそっちは真剣で疲れちゃうときもあるっていうか・・・十一星団は気楽にくつろげる逃げ場所なんだよね~。鈴木君だっけ、どうよ。逃げたいときとかない?」

(あ~、そうかもな。でも気づけカリン!向かいのいかにも真面目そうな新入生はカリンの覇気に圧倒されて、入口の方に体を開いて、すでに逃亡態勢に入ってるぞ。)

そうこうして周りを見ながら時間をつぶしていると、教室に新入生らしい、色白で少しぽっちゃりの男子が入ってきた。オーバーサイズの紫のパーカーと、カーキのチノパンはいかにもあか抜けない新入生だ。その視線はきょろきょろと落ち着かない。

「こっちだ!座っていいぞ。」

みやびから大きな声で呼び止められ、一瞬ビクッとした後、みやびの視線に射すくめられて逃げるのをあきらめたのか、その男子学生はいかにもおそるおそるという動きでみやびの向かいの席に座った。

「私は山澤みやび、法学部法律学科の3年生だ。君の名前は?」

「あっ・・・はい、法学部法律学科1年生の尾方柳、柳と書いてリュウです。」

柳の視線はずっと手元に落ちている。

(う~ん、もっさい奴が来たな・・・まあ会員を集めないとだしな)

「尾方は、司法試験を目指しているのか?」

突然呼び捨てにされて驚いたのか、急に顔を上げた、柳はそのまま激しく首を振った。

「無理です無理です。勘弁してください・・・」

「じゃあ、国家公務員試験を受けるのか?それとも研究者になるのか?」

「いやそんな、めっそうもない!!」

柳は右手を激しく振った。

「じゃあなぜ法学部に入って、このサークルの説明会に来たんだ?」

柳は、視線を左右に振った後、斜め下の自分の膝を見ながら言った。

「法学部はたまたまというか、他の学部が受からなくて・・・・それで、このサークルに入ると学期末試験問題がもらえて、答案の書き方も教えてもらえるって聞いて・・・進級できるかも心配ですし。」

「ああ、そういうことか。しかし、まだ授業も始まってないわけだし、あんまり卑下して自分の可能性を狭めなくてもいいんじゃないか。」

柳は、今度は自分の手のひらを見つめた。手相が気になるのだろうか。

「・・・やっぱり、何かを目指して頑張らなきゃだめですかね・・・」

「ダメってことはないが・・・」

「昨日の入学式とか、今日のオリエンテーションで話したクラスメートの話を聞くと圧倒されちゃって。みんな司法試験目指すとか、在学中に起業したいとか・・・僕は頑張って勉強して何とか大学は入れたけど、何も考えてなくて・・・目標もって大学入った人との間には、もう追いつけないくらい差がついてしまったのかなって・・・」

柳は、手のひらを見つめながら、小声でつっかえながらも早口で吐き出した。

「それは・・・あれじゃないか。うん。4月病というやつだな。」

「そうなんです。5月病になりそうな自覚はあるんです。」

「違う、尾方が5月病と言っているんじゃない。そのクラスメートが4月病だと言ったんだ。」

柳は床に向けていた視線を上げた。ただ、その視線はみやびを通り越して後ろの黒板を見ている。

「4月病というのは、4月に入って、新しい生活が始まると、やたらやる気を出すようになる危険な病気だ。急に資格試験の勉強を始めたり、留学を目指したり、起業しようとしたり。まあ見ていたまえ、4月病と言われる所以を。5月になるころにはすっかり完治するから。いや、完治すればいいが、そのまま何もかもやる気を失って、5月病になり、6月病になる輩もいる。」

「6月病ってなんですか。」

「ドロップアウトだ。実家に帰ったり、引きこもったり、退学して放浪したり。毎年2~3人はいるな。」

「そうなんですね。でも、せっかく大学に入ったのにやっぱり目標を持たないのはダメですよね。」

またうつむいて床を見る柳に対して、みやびは少し強い口調で言った。

「なぜダメなんだ?誰がダメだって決めるんだ?」

柳は顔を上げた。表情に戸惑いが見られた。

「いや、親とか親戚とか、高校の先生とか、せっかく学費の高い名門大学に入るんだから4年間を無駄にしないようにとか、何か打ちこめるようなものを見つけろとか、みんな言ってますし。」

みやびは微笑んだ。

「みんな言ってるから何なんだ。憲法で定める基本的人権は知っているか。高校の時に少し勉強しただろう。」

「人が人であることで当然有している権利で、幸福追求権とか、表現の自由とか・・・」

「そう、その中に自己決定権がある。憲法13条が根拠となるが、要は自分のことを自分で決めていい権利だ。尾方が目標を持つも、持たないも、引きこもろうが実家に帰ろうが、自己決定権に基づいて他の誰でもない尾方に決める権利があるんだ。法学部が嫌だったら大学を辞めてやりたいことができる学部に入りなおしてもいい。」

柳は顔を上げた。初めてみやびと目が合った。

「自分で決めるって言っても、大学辞めるなんてできないじゃないですか。親に反対されるかもしれないし、勝手に辞めたら生活費も出してもらえない。」

柳は少し怒ったようにみやびに視線をぶつけた。しかし、みやびは意に介さないかのように微笑み返した。

「それは、自己決定権と他者の決定権を混同しているな。尾方が大学を辞めようと決めることは尾方の自己決定権だが、それでもお金を出すかどうかはご両親の自己決定権に基づき決定されるべき事項だ。もし尾方が両親に協力を求めるのであれば、両親を説得し、ご両親自身の判断で尾方を支援したい気にさせることが必要だろう。」

柳は虚を突かれたという顔をしたが、しかしすぐに首を横に振った。

「大学を辞めて、田舎の親戚や高校の先生が何と言うか・・・」

「第三者への印象を考慮して行動を起こさないも自己決定だ。ただ、第三者の目に縛られて自分で決定できないのは、自己決定権を行使しているとは言えないな。誰の言葉を採用し、採用しないか、最後は自分で決めるのが自己決定だ。」

「そうなんですね・・・そうかもしれません。そうやってシンプルに考えればよかったんですね。」

柳は力が抜けたようにしてつぶやいた。

「お役に立てたようで何よりだ。」

柳は、目線を上げ、今度は優しげな視線をみやびに向けた。

「そういえば、先輩はなぜ法学部にいるんですか?何を目指しているんですか?」

みやびは、フフンと鼻で笑った。

「『絶対正義の法廷』というマンガを知ってるかな?」

「ええ、高校のとき友達に借りて読みました。」

「そこに出てくる弁護士の白波リオルが好きでね。リオルと一緒の世界に住みたいと思ってね。」

 「フッ、ハハハ!突然シリアスな話からの落差で笑わせないでくださいよ。さんざん人権とか、憲法とか、自己決定権とか言ってたのに、ご自身はマンガのキャラにあこがれて人生決めてるんですか・・」

「いいじゃないか。これも私の自己決定だよ。」

柳の顔が柔らかくなり、切れ長の目を半円にして、みやびに笑いかけた。

(んっ、この表情は!?)

「じゃあ少し考えてみます。また来ます。ありがとうございました。」

椅子を直して柳はそそくさと小走りで帰っていった。


「ちょっと!!みやびは何で遅刻したの?まだ説明してもらってないんだけど!」

その日の十一星団の説明会が終了し、長机や椅子を片付けながら麗子がみやびに厳しい視線を浴びせた。

「おそらく、家を出たのが遅かったか、来る途中に時間がかかり過ぎたか、又はその両方だろう。」

「ふざけないで!そうじゃなかったら遅刻しないでしょうが!」

「まあそうかな。そうかもな。」

まったく意に介さないみやびの姿に、麗子の怒りは沸点に達しようとしていた。

「も~みやびちゃんったら、冗談ばっかり。さっきも入学して2日目の新入生を退学させようとしてたでしょ~。」

良子が椅子を運びながらコロコロと笑った。

「昔からこういうやつなんだよ。私たちとは別の世界線で生きてるから仕方ないよな。」

カリンが貼り紙をはがしながら言った。

「笑い事じゃないでしょ。4年生の先輩方からも、OBの先生方からも言われてるでしょ。女性ばっかりの執行部なんて前代未聞だって。2年生で執行部に残ってくれそうな人は誰もいないし、有望な人材を集めて引き継がないと!みやびは事の重大さがわかってないんじゃないの!?」

麗子が憤懣やるかたないといった感じでまくしたてる。

「でも、どうして2年生が誰も残ってくれなかったのかしら~」

(((それはナチュラルサークルクラッシャーであるお前のせいだ!)))

みやび、麗子、カリンの心の声がハモった。

「も~!!どうしてみんな急に黙っちゃうの~。」

良子は、いかにもおっとりといった口調で拗ねてみせた。

「しかし、結局、私が説明したのは挙動不審のぽっちゃり一人だけだったぞ。みんなもせいぜい1人、2人くらいしか話してないんじゃないか。」

ザ・ワールド!時よ動き出せ!みやびは良子が時を止めた世界を再び動かした。

「みんなテニサーとか、イベントサークルとか、そういうところを一通り見て落ち着いたら、すぐに入会希望者が殺到するって。毎年そうじゃん。法学部生だったら、うちか学法会に必ず入るだろ。」

カリンが続いた。

「そのほとんどが、学期末テストの過去問もらいに来るか、または人脈づくりのためにOB会に来るだけの幽霊部員でしょ!そうじゃなくて、執行部を担う人材が必要なのよ!」

十一星団は会員数200人以上、同じく法律サークルの学法会は400人以上である。しかし、麗子が言う通りほとんどが幽霊部員であり、目下、十一星団の運営を担っているのは、部長の麗子、副部長のみやび、会計の良子、総務のカリンの4名だけである。

「何とか有望な人材を青田買いして次の執行部を託さないと、予備試験の勉強にも集中できないわ。」

「麗子ちゃんは、3年生で予備試験に受かって、4年生で司法試験に合格するのが目標なのよね~。」

良子が感心したように言った。

「目標じゃないわ。早期での合格はあくまで目標へのKPIに過ぎないのよ!史上初の女性裁判官出身の最高裁長官になるのが私の目標よ。」

お~! パチパチパチパチと拍手するみやび、カリン、良子。腰に手を当ててふんぞり返る麗子。

「じゃあ、締めも終わったようなので、私は失礼するよ。カリン!行こうか。今日はいよいよ待ちに待ったあの日だ!」

「そうだったわね!じゃあ行きましょう」

サムズアップするカリン。

「待ちなさい!まだ話し合いは終わってないわよ!」

「悪いがとても重要な用件だ。明日の説明会の後にまた話そう!」

「じゃね~~」

教室から速足で駆け出す、みやびとカリン。目指すは海浜公園のミュージカル専用劇場!きらびやかな舞台が私を待っている!!


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