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序章 これは失敗ではない学びである

その日、山澤みやびは32階のフレンチの席で32年の人生でもっとも有頂天となろうとしていた。

「とうとう収穫の時が来たか・・・」

みやびはナプキンが椅子に掛けられた向いの席を見ながら、感慨に浸っていた。

「推しと結婚するのは私の主義に反するのだが、まあ仕方ないよね。」

みやびの脳裏には、先ほど目の端に入った、小声で打ち合わせをするスタッフの様子が鮮明に再生されていた。その瞬間から、みやびの頭には「プロポーズ」という言葉がリピート再生されている。

「サプライズは嫌いだと言っておいたはずだが・・・このあたりはまだ教育の余地がありそうだな」

にやつきながら視線を横に移すと、老夫婦のテーブル、中年の男性と若い女性のテーブル、そして窓際には、40歳くらいの男女と10歳くらいの男の子が座っているテーブルが見えた。

「将来、記念日に思い出の場所に連れてくるのもいいかもな・・・」

10年後の二人を想像しながらみやびはつぶやいた。

ふと、こちらを振り向いた男の子と目が合ったので、みやびは微笑んだ。すると男の子は珍しいものを見つけたかのように興奮して母親に伝えた。

「グリッターバイオレットがいるよ!ほら、あそこ!」

この日のみやびは、バイオレットのワンピースに右肩にこぶし大の赤いバラのフェイクをつけていた。奇しくもその姿は、廃墟となった遊園地で化け物に子供が追われながら逃げまくる人気スマホゲーム、「レインボーランド」のキャラクター、グリッターバイオレットと同じ色合いであった。グリッターバイオレットは、ビビッドな紫のドレスを着て、短剣を仕込んだ花をもって子供を地の果てまで追いかけてくるという人気キャラである。

「指さしちゃいけません。声も小さく」

母親は小声で注意するが、男の子は止まらず。

「あんな服見たの初めてだよ!ママもあの服買ってよ!」

「いやです。」

「え~!絶対いいよ。絶対似合うよ!」

「いやです。」

「おねが~い。」

「じゃあ、ママがあの服着て、来週の参観日に行きましょうか。それでもいいの?」

「・・・やだ・・・。」

「じゃあ、静かにして。」

(少年、もっと頑張れよ。しかし、親子して私が好きで来ている服をディスるのかよ。)

思わず気持ちが沈みかけたが、その時、急ぎ足でこちらに戻ってくる姿が見え、一瞬で気を取り直した。

(ダークブルーのタイトなスーツが似合うシルエット、きっちりセットされた黒髪、伸びた背筋、イメージどおりの仕上がりだな・・・)

みやびの前の席に座った彼、尾方柳は、普段は切れ長の目を半円にしてみやびに微笑みかけた。

「お待たせしました。事務所から急ぎの電話で・・・」

(うん、この目と表情の仕上がりは最高傑作だな。)

みやびは、内心では自分の仕事の素晴らしさを自画自賛していたが、表情が緩まないよう内頬を強くかんだ。そうとは知らず、不機嫌であると勘違いした柳の表情に不安が浮かび、慌てたように言った。

「すみません、お待たせしすぎましたか」

「いや、問題ないよ。相変わらず忙しいのだな」

もごもご言うみやびの返答を聞いて、柳はほっとした表情に戻り、首のうしろをさわりながら言った。

「昨日案件がクローズしたのですが、また新しい案件を頼まれて。でもまあ明日で許してもらえました。」

(うんうん、仕事熱心なところもいい。)

「しかし、大手法律事務所というやつは若手弁護士を使い倒すな。」

みやびはいかにも理解があるお姉さまといった表情を意識して作った。

「お父様の方がお忙しいでしょう。今も第一線で活躍されていて。」

みやびは、その話には興味がないというように視線を外すと話題を変えた。

「もう5年目だったか、そろそろ留学に出るんじゃないのか」

「はい。来年の7月に予定していて」

「アメリカのロースクールに行くんだろう。どこか決めたのか。」

「まだ願書を出しているところですけど、西海岸のサンフランシスコあたりに行けたらいいと思っています。」

その時、みやびの頭に、唐突に昨年見たYoutubeで見たサンフランシスコの街並みが再生された。みやびは思わずそこに自分と柳と二人で歩いている姿をはめ込んだ。

「でへへ~~~・・・・」

思わず、みやびの顔がデレっと崩れた。『油断した!』と思い内頬を強く嚙んだが手遅れだった。

「なんかおもしろいところありました?」

柳はまた目を細めて笑いかけた。

「いやいや何でもない。」

みやびはデレついた顔を引き締めた。口の中の血をワインを流し込んだ。

(そろそろ本題に入りやすくしてやるか・・・)

「しかし、一人で海外に行って大丈夫なのか?生活とか大変だろう。

みやびはワイングラスを持ち、やや顔を横に向け、少し斜に柳を見ながら切り出した。その声が少し震えているのはきっと気づかれていない。

「そうなんですよ。今日はその話で」

その瞬間、室内の照明が暗くなり、よく結婚式とかで流れているが曲名は不明ななんだかおめでたい音楽が流れた。

(ちっ!このタイミングかよ!唐突過ぎやしないか!まだ気持ちが作れてないよ)

みやびは入口の方から大きなケーキが運ばれてくるのを横目に見た。

(しかもケーキかよ!中に指輪とか入ってるやつだったら最悪だな・・・)

悪態をつきながら必死で気持ちと表情を作り、その時を待つ。

(よし、こい!)

しかし、ケーキは方向を変えて、さきほどの窓際の親子連れの方へ運ばれていく。

「誕生日おめでとう!」「ありがとう。やったね!」

窓際で月並みなホームドラマ調のやり取りをしている様子を見ながら、みやびは何とか気持ちを立て直す。

(まあ、サプライズ嫌いだって伝えてたもんな。誕生日おめでとうボーイ!でも、グリッターバイオレットって言ったことは許さないからな!)

そんなみやびの気持ちを知ってか知らずか、柳は窓際の席から視線を戻してのんきに口を開いた。

「そういえば、山田先輩の誕生日もうすぐでしたよね。」

「そうだったかな。まあそれはそれとして、留学の話だったかな。」

あさっての方向に話題が飛びそうになるのを阻止するみやび。

「なんでしたっけ?」

「いや、一人で行って大丈夫なのかって話だよ。」

みやびは自分が思わず早口になっていることに気づいていない。

「そうでしたっけ。まあ、まずはサマースクールに一人で行って、学校の寮に住んで、家を探してセットアップしていくという感じで考えているんですが・・・」

(なるほど、確かに先に行って二人で住む環境を整えてくれるならありがたい。しごデキだなほんとに。しかし、それでもそれまでに仕事辞められるかな~。優ちゃんもそろそろ独り立ちしていい頃だし、早めにあの仕事を引き継いでもらうか・・・)

先走り、頭の中で仕事の引継ぎ準備を始めたみやびに、微笑みながら柳は言った。

「今日はその件について報告したかったんですよ。」

(ん?)

「出発前に式を挙げようと思っていて」

(んん?ちょっと強引過ぎやしないか。)

「ぜひみやび先輩にも出席してほしくて」

(んんん?私の結婚式に私が出席しないってことないだろう?最近はサプライズ結婚式とかあるのか?いやないよ、ないよ絶対。ということは・・・)

「実は、結婚することになりまして。先輩にはお世話になったし、先輩のおかげで結婚できるようなものですので、ぜひきちんと報告したくて。」

ワイングラスに、みやびの手が伸びる。

(恥ずっ!勘違いしてたの恥ずっ!いや、そこじゃないよ。これまで理想の推しとして育ててきた11年はどうなるの?いよいよ収穫のところでかっさらわれるの!)

「先輩には大学に入ったばかりのころからいろいろなことを教えてもらって、今の自分があるのは先輩のおかげだと思ってまして」

(そうだよ。まさにそうだよ。理想の推しに育ったのは私のおかげだよ。)

思わずワインをあおる。柳は条件反射のようにボトルからワインを注ぐ。

「感謝してもしきれないと思ってます。本当にありがとうございました。」

グラスを空ける、注ぐ、空ける、注ぐ。

「ママ、グリッターバイオレットが真っ赤になってきてるよ!ハードモードだ!早く逃げないと!」

窓際のガキの声を遠くに聞きながら、みやびは記憶を失い、気づけば翌朝になっていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「そんなわけあるか!」

翌朝、みやびは自分のベッドの上で一人早くに目を覚まし、昨晩あったことを映画のように鮮明に脳内に再生して、自分で突っ込んだ。

(あの後、馴れ初めをさんざん聞かされて、赤ら顔でうなづくだけの赤べこになり、気づけば、つーっと涙が流れ、心配されてお開きになり、タクシーを止めてもらい、そこで思いっきり右ストレートを柳の右頬に叩き込んだ後、「さらば」と言ってタクシーに乗り込んで逃げるように帰ったんだった。)

痛む右手で枕元のスマホをつかみ見ると、柳からLINEメッセージが来ていた。

『昨日はありがとうございました。無事に家に帰れましたでしょうか。また出発前に一席設けさせていただきますので、ぜひよろしくお願いいたします。』

「ク~~っ!大人かよ!?気まずい話は全部スルーしてくれるのかよ。なんでこんなに理想通りの推しに育ってくれてんだよ。」

みやびは壁際の時計をちらりとみて、まだ午前4時前であることを確認し、再びベッドに横たわった。

「忘れたい・・・でも、また忘れられないんだろうな。悲劇で終わる動画を無理やり何度も見せられるみたいに、何度もフラッシュバックするんだろうな」

みやびは寝返りをうちながらスマホを枕元に投げ出した。

「こんなんだったら、右ストレートじゃなくチューくらいしとくんだった」

今度は左に寝返りをうった。

「どこで間違えたのか・・・。NTR!・・・いや、BSSかな・・・・」

みやびは二度寝の睡魔に襲われながら、11年前に意識が飛んでいた。柳を理想の推しに育てることを決意した11年前の光景が、みやびの脳裏に映画のように鮮明に再生された。




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