山小屋の調査 後編
祐一は、寮との山小屋調査で不思議な現象と遭遇する事になった。
***対峙***
祐一は息を殺して、窓ガラスのカーテンの隙間から外を覗いた。
光の中に、人の形が浮かび上がっている。
一体、二体、三体、四体──。
老人、中年の女性、十代くらいの少年、そして小さな子供。
光に照らされた顔が、少しずつはっきりしてくる。その中の一人──白髪の老人の顔を見た瞬間、祐一の心臓が止まりそうになった。
「寮さん……」祐一の声が震える。「あの人……公園で見た……」
「落ち着け、祐一君」寮が静かに言った。「結界の中にいる限り、彼らは入ってこられない。大丈夫だ」
老人──恐らく三崎勘一が、じっとこちらを見ている。
その目に、祐一は驚いた。怒りも憎しみもない。あるのは、ただ──悲しみと、そして何かを訴えかけるような切実さ。
そして、老人の唇が動いた。
ガラス越し、そして霊体という存在。音は聞こえない。でも、祐一にははっきりと読み取れた。
「たすけて……」
そして、もう一つ。
「やま、を……」
祐一の胸が、ぎゅっと締め付けられた。痛いほどに。
「寮さん……」涙が溢れそうになるのを堪えながら、祐一は言った。「彼ら、助けを求めて……。でも、それだけじゃない。山のことを……」
「ああ、分かってる」寮は真剣な表情で頷いた。「彼らは、山を守りたいんだ。死んでもなお、この山を」
女性が、子供の手を握っている。少年が、老人の肩に手を置いている。四人は、家族のように寄り添っていた。
でも、その姿は悲しいほどに薄く、儚かった。
「寮さん、僕たちに何かできることは……」
「今は無理だ」寮が苦しそうに首を振った。「準備が足りない。下手に関われば、彼らの想いを踏みにじることになりかねない」光は、車の周りをゆっくりと回り始めた。
まるで何かを確かめるように。あるいは、何かを伝えようとしているかのように。
一周、二周──。
祐一は目を凝らして、その動きを追った。規則的な動き。意味がある動き。でも、その意味が分からない。
「何を……伝えようとしているんでしょうか」
「分からない」寮がメモを取りながら答える。「でも、必ず意味がある。記録しておこう」
光は三周目を終えると、ゆっくりと小屋の方へ戻っていった。
最後まで残っていたのは、老人だった。三崎勘一は、もう一度こちらを見て──小さく頭を下げた。
そして、消えた。
***夜明けまで***
完全に光が消えた後も、二人はしばらく車内で座っていた。言葉もなく。ただ、静寂の中で。
「……行ったな」寮が、ようやく口を開いた。
「はい……」
祐一は大きく息を吐いた。気づけば、全身が汗でびっしょりになっていた。心臓はまだ早鐘を打っている。
「お疲れ様、祐一君」寮が優しく声をかけた。「よく耐えた。初めての車中泊調査で、ここまでの現象に遭遇する人は少ない」
「寮さん……あの人たち、本当に助けを求めていましたよね」
「ああ」寮は頷いた。「でも、霊を助けるというのは、想像以上に難しい。ただ浄化すればいいというものじゃない」
「どういうことですか?」
「彼らがなぜここに留まっているのか、何を望んでいるのか……それを正しく理解しないと、逆に事態を悪化させることもある」寮はノートに何かを書き留めた。「三崎さんは『山を』と言った。山を守りたいのか、山に何かを伝えたいのか……。それに、あの回る動き。何かメッセージがあったはずだ」
「調べる必要がありますね」
「ああ。まずは情報収集だ」寮がノートパソコンを開く。「この小屋の詳しい歴史、三崎さんの生前の記録、そしてこの山で何が起きているのか……。それから、必要があれば美紀さんと春香さんにも相談しよう。彼女たちなら、適切な方法を知っているはずだ」
祐一は小屋を見た。闇の中に、静かに佇む朽ちた建物。あの中に、まだ彼らはいるのだろうか。
「今日はもう少し休もう」寮が時計を確認する。「明るくなったら、カメラを回収して小屋を調査する。それまで少し眠っておけ」
「はい……」
祐一は後部座席のマットに横になった。小型温風器の風の音が、車内に静かに響く。寮も助手席を倒し、毛布にくるまって目を閉じた。
でも、祐一はなかなか眠れなかった。
三崎勘一の顔が、まぶたの裏に焼き付いて離れない。あの悲しみに満ちた表情。助けを求める唇の動き。そして、最後に見せた、小さな頭を下げる姿。
(必ず、助ける方法を見つける……)
祐一は心の中で、静かに、しかし強く誓った。
温風器の音を聞きながら、祐一はようやく浅い眠りについた。
***朝の調査***
目が覚めたのは、午前十時だった。
車内は明るく、窓の外からは鳥のさえずりが聞こえる。昨夜の静寂が嘘のように、山は生命に満ちていた。
「起きたか」寮がすでに起きて、車外でストレッチをしていた。「よく眠れたか?」
「はい……思ったより」祐一は車から降りた。冷たい朝の空気が、頭をすっきりさせる。
二人で簡単な朝食を取った後、カメラの回収作業を始めた。
「祐一君、小屋の中も調査しよう」寮が言った。「昨夜の記録を確認した後でね」
モニターに残された映像を早送りで確認する。零時過ぎの霊体の出現、光の明滅、そして──。
「ここだ」寮が映像を止めた。「光が車の周りを回っているところ」
映像をスロー再生すると、光の動きには確かに規則性があった。車の周りを時計回りに三周。そして、小屋へ戻る。
「三周……」祐一が呟く。「何か意味があるんでしょうか」
「分からない。でも、記録しておく価値はある」
カメラを回収し、二人は小屋の中へ入った。
朝の光が差し込む小屋は、昨夜とは違う印象だった。朽ちてはいるが、どこか穏やかな空気が流れている。
机の上のノートは、開かれたままだった。
「見てもいいか……」寮が小さく呟き、ノートに手を伸ばした。
埃を払うと、几帳面な字で日記が書かれていた。
『2013年10月15日 今日も山は美しい。紅葉が始まった』
『2013年10月28日 息子から電話。やはり継ぐつもりはないようだ。仕方ない』
『2013年11月3日 体調が優れない。でも、山を見ると元気が出る』
そして、最後のページ。
『2013年11月20日 もう長くないかもしれない。でも、この山を愛した日々に悔いはない。誰か、この山を守ってくれる人が現れますように』
寮と祐一は、黙ってそのページを見つめた。
「……そういうことか」寮が静かに言った。「三崎さんは、山を守ってくれる人を探している」
「でも、なぜ今になって……」
「それを調べる必要がある」寮がノートを丁寧に閉じた。「この山に、何か変化が起きているのかもしれない」
***帰還***
小屋を後にする時、祐一は振り返った。
朝日に照らされた小屋は、静かに佇んでいる。でも、その中に、まだ三崎さんたちがいるような気がした。
「また来ます」祐一は小さく呟いた。「必ず、答えを見つけます」
車に乗り込み、山道を下る。
「今回の取材は、ここまでだ」寮が運転しながら言った。「僕も他のスケジュールがあるし、すぐに対応するのは難しい。でも、必ず調査を続ける」
「はい」
「まずは情報収集。それから、美紀さんと春香さんに相談。問題の解決には時間がかかるだろうけど、焦らず、確実に進めよう」
祐一は窓の外を見た。木々の間から、山守りの小屋が小さく見えた。
(待っていてください、三崎さん)
心の中で、祐一はもう一度誓った。
新しい一日が、始まろうとしていた。そして、新しい物語も──。
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