山側の祠と隠された洞窟
祐一たち四人は、さっそく、調査へと向かう事になった。霊道の封印は果たして無事に済むのだろうか?
翌朝。
秋の空は高く澄み渡り、山々の紅葉が美しく色づいていた。
祐一、星川、橘美紀、そして峯川の四人は、建設予定地から車で山道の方へと向かっていた。
峯川が運転する車の中で、橘が地図を確認している。
「この先に、古い祠がある筈、地図には載っていないけど、霊道の流れから判断すると、間違いなくここね」
「ここから先は車じゃ無理だな。道が細すぎる」
峯川が言いながら、車を林道脇に停めた。
彼は廃墟巡りや旧道探索が趣味だけあって、こういう場所の知識や勘が鋭い。二年生の中では、フィールドワークに最も慣れている男だった。
「この先を登ったところに、古い祠があるはずなんだよな?」
「ええ。古地図にも印があったわ。江戸時代の記録では、"山神社跡"となっている。霊道はそこを通過している可能性が高いの」
星川が資料を抱えたまま頷いた。
四人はリュックを背負い、山道へ足を踏み入れた。
空気が変わったのは、歩き始めてすぐだった。
森の匂いと湿度の中に、何か——
動く気配だけがひそかに混じっている。
それは、風でも動物でもない。
もっと、根源的な——何かの"意思"を感じさせる気配。
橘がふと立ち止まる。
「……この感じ、やっぱり流れてるわね。霊道が尾を引くように」
彼女の手のひらが、微かに光を帯びている。
「悪い方向ですか?」
祐一が尋ねる。
「どちらかというと……逃げている、って感じ。何かが移動した痕跡があります。それも、かなり大きなものが」
星川が眉をひそめた。
「霊道そのものが動くのは珍しいけど……土地が刺激を受けて、流れが一時的に乱れている可能性もありそうだな」
「いいえ、これは一時的なものじゃないわ」
橘が真剣な表情で首を振った。
「T字路での浄化が、まるで栓を抜いたように作用している。これまで溜まっていたものが、一気に別の場所へ流れ込んでいるの」
峯川は周囲の木々を眺めながら、軽くため息をついた。
「しかし、すごいな。本当に何かあった場所って、空気が違うよな。廃村跡とかと同じ匂いがする。いや、それ以上かもしれない」
と、その時だった。
ガサッ……。
右斜面から、小さく土が崩れる音。
四人が同時に振り返った。
何もいない——
しかし、動物にしては妙な、しつこい気配だけが残っていた。
まるで、何かが——彼らを観察しているような。
橘が小さく息を呑んだ。
「……見られてるわ。でも、敵意はない。むしろ……警告?」
「警告……?」
「ええ。これより先に進むな。と言っているような感じです」
祐一は胸の中のざわつきを感じながらも、前を向いた。
「……でも、行かないわけにはいかない。先を急ごう」
四人は足を速めた。
山道を上がりきったところで、小さな平地に出た。
そこに祠はあった。
かつて人々が手を合わせていたであろう小さな祠は、今は苔むし、社殿の木は割れ、注連縄は完全に朽ちていた。
それでも——
「……残ってる。気が、まだここに」
橘が祠に近づくと、手のひらに薄い霊気が触れた。
彼女の表情が、一瞬強張った。
「ここ、かなり昔に封じてあったわ。誰が行ったのかは分からないけど……相当な術者みたい。この封印の複雑さ、並大抵じゃない」
「封印が……解けている感じだ」
星川が祠の石台を観察しながら言う。
「だから悪霊が下のT字路に流れて行ったのかもしれないね。ここが堰だったのに、堰が壊れたんだ」
祐一が祠の奥を覗き込む。
その時、祐一の目に——祠の裏手に続く、不自然な隙間が映った。
「……待って。ここ、祠の裏、道が続いてる」
祠の裏手にある岩肌の隙間は、ただの窪みではなかった。
まるで、何かを隠すように、意図的に作られたような——
峯川が懐中電灯を取り出し、照らす。
「……これ、洞窟だな。人工的なものじゃない。自然の穴だ。でも……」
彼は岩肌を触りながら続けた。
「入口の周りだけ、人の手が入ってる。整形されてる。昔、誰かがこの洞窟を使っていたんだ」
橘が息を呑んだ。
「霊道の気が、ここから強く出ているわ。まるで……抜け道みたいに。いえ、抜け道じゃない。これは——」
彼女の顔が蒼白になった。
「源流よ。すべての霊道が、ここから始まっているみたい」
「つまり、この洞窟が霊道の起点……?」
星川が言いかけた時——
洞窟の奥から「ヒュー……」と冷たい風が吹き抜けた。
冬の風のように冷たく、そして湿り気を帯びている。
その風に混じって、何か——
言葉にならない、しかし確かに意味を持った囁きが聞こえた気がした。
祐一の背筋がぞくりと震えた。
「……誰か、いた?」
「人じゃないわ」
橘が低い声で呟いた。
「この洞窟、霊道が生まれた場所かもしれない。いえ、もっと正確に言えば——何かを封じるために、わざわざここに霊道を通したの」
「封じるために……霊道を?」
祐一が驚いて聞き返す。
「ええ。霊道は自然に発生するものだけど、術者が意図的に作ることもできる。強大なものを封じる時、その力を分散させるために、わざと霊道を引いて力を逃がすの」
峯川が、興味と緊張を滲ませながら洞窟の入口に近づく。
「結構深いな……これは調べないとまずいぞ」
祐一は洞窟の暗がりを見つめながら、喉が渇くのを感じていた。
(何かが……まだいる。いや……残っているのか……?)
風が止んだ瞬間、洞窟の奥で何かが小さくカン……と響いた。
金属を叩いたような音があたりに響いた。
四人は息を呑んだ。
橘が慎重に、
「……これは、想像以上に深刻かもしれない。この洞窟に封じられていたものが、T字路の浄化の影響で動き始めている」
「行くべきなのか……?」星川が不安そうに尋ねた。
祐一は、深く息を吸った。
「……行くしかないな。ここで引き返したら、何も解決しない」
四人は顔を見合わせた。
峯川が頷く。
「よし、行こう。ただし、何かあったらすぐに引き返す。約束だ」
「分かった」
こうして、四人は祠の裏に隠された洞窟へと足を踏み入れる。
懐中電灯の光が、暗闇を切り裂いていく。
それが、この土地に残されたもう一つの封印との対峙になるとは——
そして、それが想像を遥かに超える、古代からの秘密へと繋がっていくとは——
まだ、誰も知らなかった。
***祠の封印と洞窟に残された"古い痕跡"***
山側の祠の前に立つと、四人は自然と言葉を失った。
祠は古びてはいたが、そこに宿る"気"はまだ死んでいなかった。むしろ、かつて施された封印が弱まり、境界線が揺らいでいるような——危うい均衡を保っている状態だった。
「……これは危険です。封印がほとんど剝がれて来ている」
橘美紀は祠の前にしゃがみ込み、指先で残った式札の破片をそっと撫でた。
紙は完全に風化し、文字も読めない。
しかし、彼女の指先が式札に触れた瞬間——
ビリッ、と小さな静電気のような感覚が走った。
「……まだ、わずかに力が残ってる。施術者の強い意志が、何百年も経った今でも」
星川が後ろから資料を確認しながら言う。
「やはり祠自体が霊道の止め石だったんだ。これが緩んで、下のT字路に流れが漏れていたのか・・・」
「となれば、先にここを封じ直す必要があるな」峯川が周囲を警戒しながら答える。
祐一は息を整えて言った。「橘さん……お願いできますか?」
橘美紀は無言で立ち上がり、懐から折り畳まれた白布と朱の筆を取り出した。
その表情は、普段の明るさとは違う——術者の顔だった。
凛とした、研ぎ澄まされた集中力が、彼女の全身から放たれている。
「……任せて。ここは私の役目だから」
白布を広げると、彼女は素早く、しかし丁寧に筆を走らせた。
朱墨が空気を震わせ、淡い光をまといながら文字が浮かび上がる。
火の鳥、朱雀が敷き紙として現れ、周囲の空気がピン、と張りつめた。
「──天津甕星の御前において……ここに境を結び、路を断ち、悪しき影を封ず──」
風が止まった。
森のざわめきが遠ざかる。
鳥の声も、虫の音も、すべてが静まり返った。
世界から音が消えたような、完全な静寂。
朱雀が祠の正面に向かって行きバンッと目に見えない衝撃がはじけた。
祠の周りに薄く漂っていた黒い影のような靄が一気に散り、足元の落ち葉がふわりと舞い上がる。
そして——
祠の石台から、淡い金色の光が溢れ出した。
「これは……」
祐一が驚いて声を上げる。
「封印が、本来の力を取り戻している。古い術が、再び息を吹き返したの」
橘は大きく息を吐いた。額には、汗が滲んでいる。
「……これで祠の封印は復活したわ。でも……」
祐一は胸の奥にあった重さが少し軽くなるのを感じた。
「ありがとう、橘さん」
「まだ終わりでは、ありません。いえ、むしろ——」
橘は祠の裏側へゆっくりと歩いていく。
その足取りには、明らかな緊張が見て取れた。
「この奥から流れてきているものが、本当の問題です」
四人が祠の裏へ回り込むと、岩と木々の陰に、ぽっかりと黒い穴が口を開けていた。
洞窟の入口。
それは、まるで巨大な生き物の口のように見えた。
「……洞窟だな。こんなの、地図には載ってなかったぞ」
峯川が懐中電灯を向ける。
光が闇の中に吸い込まれていく。
洞窟の入口からは、冷えた空気が絶えず流れ出ていた。
嫌な冷気ではない。
ただ、外とは違う世界の温度——別の次元から漏れ出してくるような、不思議な冷たさだ。
「霊道……ここが本当の起点だったんだ」
星川の声は震えていた。
祐一は一歩、洞窟に近づき、耳を澄ませた。
遠くから、水の滴る音が聞こえる。
ポタン……ポタン……
規則正しいリズムだった。
それが、まるで心臓の鼓動のように聞こえた。
「……何か、いる?」
「いいえ。いるんじゃなくて……残ってるの」
橘の返答は、どこか鋭い。
「これは……生きている霊じゃない。もっと古い、もっと根源的な——存在の痕跡よ」
四人は懐中電灯を手に、洞窟の中へ足を踏み入れた。
入口から数歩進むと、外の光が完全に届かなくなった。
闇が、四人を包み込む。
中は思ったより広く、自然にできたとは思えないほど、奥へ奥へと続いている。
天井は高く、懐中電灯の光でも全体を照らすことはできない。
進むにつれて、洞窟の壁に奇妙な"角張った凹み"がいくつも並んでいるのが見えた。
「これ……棚みたい?」祐一が触れようとして橘に止められる。
「触らないほうがいいわ。多分……昔の封印の痕跡、ここに、何かを安置していたのかもしれないわね」
峯川が壁を観察する。「この削り方……人の手だな。かなり古い時代のものだ。縄文か、もっと前かもしれない」
その時、星川が前方で声を上げた。
「おい、見てくれ。あれ……石板だ」
洞窟の中央付近。
半ば土に埋もれるようにして、巨大な石板が横たわっていた。
幅は三メートル、高さは二メートルはあろうかという、巨大な一枚岩。
石板には、鋭い爪で削ったような線と、古い文字らしき刻印が無数に刻まれている。
「これ……明らかに何かを封じていた形跡がある……」星川が青ざめる。
「封印……誰が? いつ……?」
祐一も石板から放たれる残り香のような霊気に息をのんだ。
それは、圧倒的な——何かの"意志"だった。
橘は石板にそっと手をかざした。
その瞬間、彼女の顔色が変わった。
「……これは人間の術じゃない。山そのものが作り出した封印……自然の結界よ」
四人の背筋に冷たいものが走った。
祠の封印は人の手だった。
しかしこの石板は——
「自然が、自ら何かを封じた……? そんなことが……」
星川が信じられないという表情で呟く。
「あるわ。自然には、自浄作用がある。強大すぎる存在、自然の摂理を乱す存在が現れた時、山や大地が自ら封じることがある。それが——」
橘が石板の文字を読もうとした時——
「……じゃあ、封じられていたものは……」
祐一の問いに、橘は答えなかった。
ただ、洞窟の奥へ視線を向ける。
奥の暗闇が、不気味に揺れた。
まるで、呼吸をしているように。
「まだ……封印された何かの名残が残ってる。いえ、名残じゃない——」
その言葉を合図に、洞窟の奥から冷たい風が吹き抜けた。
風には、かすかな声のような震えが混ざっていた。
——カエレ……
——チカヅクナ……
四人は思わず息を呑む。
峯川が後ずさる。
「おい、これ……マジでヤバいんじゃないか?」
「でも、ここまで来て引き返せない」
祐一が前に進もうとした時——
橘が祐一の腕を掴んだ。
「待って。その前に、この石板をしっかり観察させて」
彼女は懐中電灯を石板に向け、刻まれた文字を丹念に読み始めた。
「これは……古代文字。でも、普通の古代文字じゃない。陰陽道が成立する前の、もっと原始的な呪術文字よ」
橘の指が、文字をなぞる。
「"封"……"鎮"……"永"……そして、これは……"龍"?」
その瞬間だった。
洞窟全体が、ゴゴゴゴゴ……と低く唸った。
まるで、何かが目を覚ましたように。
四人は思わず身を寄せ合った。
「田中君……この先に、本当に進むの?」
星川が震える声で尋ねた。
祐一は、奥の闇を見つめながら——
自分たちが、想像を遥かに超える何かに触れようとしていることを、確信した。
「……行こう。真実を知らないと、T字路も、この土地も、本当の意味で救えない」
四人は、再び歩き始めた。
洞窟の奥へ。
闇の中へ。
そして——未知なる封印の正体へと。
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