つばき壮のひと時と、あらたなる噂
オカルト研究会は、日々の依頼調査をする日々が続いていた。休日、祐一は、つばき壮の自室で写経をして過ごしていた。。。。
オカルト研究会の調査活動は、あれから順調に続いていた。ただし、寄せられる依頼のほとんどは錯覚や思い込みによるものばかりで、本物の心霊現象に出会うことはなかった。祐一としては、それが何より安心できることだったが、同時にどこか物足りなさも感じていた。
久しぶりの休日。祐一は、つばき壮の自室で日課の写経に取り組んでいた。筆を走らせながら心を静めていると、廊下から足音が近づいてくる。
コンコン。
「祐一君、いる?」
さくらの声だ。祐一は筆を置き、ドアを開けた。
「さくらさん、どうかした?」
「あのね、ちょっと相談があるんだけど……いいかな?」
さくらは両手に紙袋を抱えている。
「ああ、もちろん。どうぞ」
「ありがとう。それとね、これ」
さくらが差し出したのは、焼きたてのたい焼きと焼き芋だった。湯気が立ち上り、甘い香りが部屋に漂う。
「つばき壮喫茶の新メニューなの。一緒に食べながら話したいなって」
「わあ、ありがとう。お茶入れるね」
祐一は急須に茶葉を入れ、お湯を注いだ。二人で卓袱台を囲み、たい焼きを頬張る。餡子の優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「このたい焼き、すごく美味しいね」
「でしょう? 例の廃村復興プロジェクトで採れた小豆を使ってるんだって。小麦粉もサツマイモも、全部あそこの自然農法で育てたものなの」
「へえ、そうなんだ。あの村、本当に活気が戻ってきたんだね」
裏庭の喫茶店からは、客たちの賑やかな声が聞こえてくる。廃村だった場所が、今では希望の象徴になっている。それは、オカルト研究会の活動が少なからず貢献した結果でもあった。
焼き芋をゆっくりと味わいながら、さくらが口を開いた。
「それでね、祐一君。実は友達から相談されたことがあって……」
さくらの表情が、少し曇る。
「友達?」
「うん。高校時代からの親友なんだけど、最近すごく怖がってるの。近所に霊が出るって噂があるんだって」
「霊……か」
祐一は茶碗を置いた。いつもなら「また錯覚だろう」と思うところだが、さくらの表情には普段とは違う真剣さがあった。
「詳しく聞かせてもらえる?」
「その友達、夜になると誰かに見られてる気がするって言うの。窓の外に人影が見えたり、足音が聞こえたり……。最初は気のせいだと思ってたんだけど、同じアパートの住人も同じことを言い始めてるらしくて」
「複数の人が同じ体験を……」
それは、単なる思い込みとは言い切れない。祐一の背筋に、かすかな緊張が走った。
「祐一君、調べてもらえないかな? 友達、本当に困ってるみたいなの」
「ああ、もちろん。明日、他のメンバーにも相談してみるよ」
「ありがとう。本当に助かる」
さくらはほっとした表情を見せたが、祐一の胸には妙な予感が残っていた。
久しぶりに訪れた、本物かもしれない事件の予感。
祐一は窓の外を見た。夕暮れが、つばき壮を静かに染め始めていた。
***オカルト研究会での報告***
翌日の放課後、祐一はオカルト研究会の部室に向かった。いつもの狭い部屋には、すでに何人かのメンバーが集まっている。
祐一がさくらから聞いた話を一通り説明すると、河餅部長は腕を組んで考え込んだ。
「なるほど……複数の住人が同じ体験をしている、か」
隣で資料を整理していた岡田副部長が顔を上げる。
「とはいえ、ここ最近の依頼はほとんどが勘違いか思い込みでしたからね。今回も慎重に判断する必要があります」
「ああ、その通りだ」
河餅部長は立ち上がり、ホワイトボードに現場の情報を書き始めた。
「今回の調査メンバーは、峯川、祐一、広末、星川の四人で頼む。他の依頼も複数抱えているから、少人数での確認調査ということで」
「了解です、部長」
峯川が手帳を取り出し、メモを取る。いつも冷静な彼の反応に、祐一は少し安心した。
広末が不安そうに言う。
「今回もただの噂で済めばいいんだけどね……」
「だからこそ、慎重に越したことはない」
星川が機材の入ったバッグを確認しながら続けた。
「準備はしっかり整えてから現場に入ろう。EMF測定器、録音機材、カメラ……一通り持っていく」
「ありがとう、星川君」
祐一は自分のメモを見ながら言った。
「僕はスクーターで直接現場に向かいます。他のみんなは峯川君の車で来てもらえるかな? 明日の午後、現地で合流しよう」
「分かった。じゃあ、明日は十四時に現地集合で」
峯川が確認を取ると、全員が頷いた。
部長が最後に念を押す。
「いいか、無理はするな。少しでも危険を感じたら、すぐに引き上げること。それが鉄則だ」
「はい」
四人の声が重なった。
祐一は窓の外を見た。校庭では部活動に励む生徒たちの声が響いている。いつもと変わらない日常の風景。だが、明日からは少し違う世界に足を踏み入れることになるかもしれない。
祐一は深く息を吸い込み、心の準備を始めた。
***現地調査***
翌日、祐一は予定より早く出発することにした。他のメンバーと合流する前に、さくらの友人に会って話を聞いておきたかった。スクーターにまたがり、教えられた住所を目指す。
昼過ぎ、住宅街の一角にある古いアパートの前に到着した。「コーポ 朝日」という色褪せた看板が掲げられている。祐一はインターホンを押した。
「はい」
「こんにちは。田中と申します。さくらさんからお話を伺って、調査に参りました」
しばらくの沈黙の後、ドアが開いた。
現れたのは、眼鏡をかけたおさげ髪の女性だった。身長は百五十センチほど、華奢な体つきで、どこか不安げな表情を浮かべている。
「初めまして。さくらさんの友人の田中祐一と申します。大学でオカルト研究会に所属していまして、今回の件について調査させていただければと思います」
「あ、ありがとうございます……山田弘子です」
弘子は小さく頭を下げた。
「こういうこと、誰に相談したらいいか分からなくて……さくらさんに話したら、田中さんたちを紹介してくれて。本当に助かります」
「いえ、こちらこそ。詳しくお話を聞かせていただけますか?」
「はい。あの、例の場所、ここからすぐ近くなんです。案内しますね」
祐一はスクーターを押しながら、弘子の後を歩いた。住宅街の路地を抜け、八分ほど歩くと、静かな場所に出た。
T字路だった。
突き当たりは鬱蒼とした藪に覆われていて、
昼間だというのに薄暗い。道の両脇には古い民家が並んでいるが、人の気配はない。
祐一は立ち止まり、辺りを見回した。確かに、
何か妙な雰囲気がある。空気が重い、とでも言うべきか。
「ここ、です……」
弘子が小さな声で言った。その声には、明らかな怯えが滲んでいた。
祐一は手帳を取り出し、ペンを構えた。
「山田さん、具体的にどんなことがあったのか、教えていただけますか?」
弘子は藪を見つめたまま、ゆっくりと話し始めた。
「黒い影を見た人がいるんです。夜、ここを通ると、藪の中に人の形をした影が立っているって……。それと、白い服を着た女性の霊を見たという人もいます」
祐一は黙って記録を取る。弘子は少し震える声で続けた。
「私も……日が暮れた頃、ここを歩いて帰っていたら、藪の中から物音がして……」
「物音、ですか」
「はい。ガサガサって。風じゃないんです。何かが、こちらを見ているような……そんな感覚でした」
弘子は両腕を抱くようにして、身体を小さくした。
「他にも、色々な霊を目撃したって噂があるんです。子供の声が聞こえるとか、誰かに後ろから呼ばれるとか……。最初は一人だけだったんですけど、最近は何人もの人が同じようなことを言い始めて……」
祐一は手帳に視線を落としたまま、静かに尋ねた。
「この場所について、何か知っていることはありますか? 昔、何かあったとか……」
「それが……よく分からないんです。ただ、ずっと昔からこの藪は放置されていて、誰も手を入れようとしないって聞いたことがあります」
祐一は藪を見つめた。昼間の陽光の下でも、その奥は暗く、底知れない深さを感じさせる。
確かに、ただの噂とは思えない何かがある。
そう感じた瞬間、背後から声がした。
***メンバーの到着***
「祐一、来てたのか」
振り返ると、峯川が立っていた。その後ろには広末と星川の姿も見える。
「峯川君、みんなも。早かったね」
「ああ、準備が思ったより早く済んだからな」
峯川は弘子に軽く会釈をすると、祐一の手帳を覗き込んだ。
「状況は聞けたか?」
「ええ、一通り。複数の目撃証言があって、山田さん自身も体験している」
広末が不安そうにT字路を見つめる。
「うわ……確かに、雰囲気あるね、ここ」
「EMF測定器、持ってきたか?」星川が機材バッグを降ろしながら尋ねた。
「ああ、車に積んである。今から準備しよう」
祐一は弘子に向き直った。
「山田さん、みんなを紹介します。こちらが峯川君、広末君、星川君。オカルト研究会の仲間です」
「初めまして……」
弘子は緊張した面持ちで小さく頭を下げた。
「山田さん」峯川が落ち着いた声で言った。「貴重な情報をありがとうございます。これから現場を詳しく調査させていただきますが、危険があるかもしれません。山田さんはここで待っていてください」
「あ、はい……気をつけてください」
星川が測定器を取り出し、スイッチを入れる。小さな電子音が鳴り、液晶画面に数値が表示された。
「通常値だな。今のところ、異常な電磁波は検知していない」
「録音機材もセット完了」広末がレコーダーを起動させた。
祐一はもう一度、藪を見つめた。昼間の陽射しが少しずつ傾き始めている。
「じゃあ、行こうか」
四人は慎重に、T字路の突き当たりに近づいていった。
藪は思ったより深く、中は暗闇に包まれている。枯れた枝が複雑に絡み合い、まるで誰かの侵入を拒んでいるかのようだった。
「この藪、かなり古そうだな」峯川が呟いた。
「ああ。何年も、いや、何十年も放置されてる感じだ」
星川が測定器を藪に向ける。
「……待て」
急に、星川の声が低くなった。
「どうした?」
「数値が……上がってる。藪に近づくほど、電磁波の値が異常に高くなってる」
四人の空気が一瞬で張り詰めた。
その時だった。
ガサリ、と藪の奥から音がした。
明らかに、風ではない。何かが、そこにいる。
「……動くな」
峯川が全員を制した。
静寂。
祐一の心臓が、激しく打ち始めた。
再び、ガサガサと音が近づいてくる。藪の中から、何かがこちらに向かって——
「出てくるわ!」
広末が叫んだ瞬間、藪がガサッと大きく揺れた。
四人は思わず後ずさる。
そして、藪の中から現れたのは——
一匹の野良猫だった。
「……猫、か」
峯川が安堵のため息をついた。黒い猫は四人を一瞥すると、悠然と路地の奥へ消えていった。
「びっくりした……」広末が胸を押さえる。
しかし、星川は測定器を見つめたまま、表情を変えなかった。
「おかしい」
「何が?」
「猫が出てきたのに、電磁波の数値が下がらない。むしろ、まだ上昇している」
祐一は再び藪を見た。
猫は出ていった。だが、何かが——まだ、そこにいる。
「気をつけろ。まだ何かいるかもしれない」
峯川の言葉に、全員が頷いた。
真昼の住宅街。だが、このT字路だけは、まるで別の世界に繋がっているかのように、不穏な空気を漂わせていた。
調査は、始まったばかりだった。
購読、ありがとうございました。新たなる謎と、いった感じで次回に進みます。




