青年との出会い
祐一達は、集会所への帰路についていた。その時、ある男性から声を掛けられた。
***集会所への帰還***
重苦しい沈黙の中、祐一たちは海岸を後にした。
黒い影との遭遇は、想像以上に彼らの心身をすり減らしていた。
誰もが疲労を隠せず、足取りは重かった。
このまま調査を続ければ、次に倒れるのは自分たちかもしれない――そんな不安が、全員の胸に広がっていた。
「……今日は、ここまでだ」祐一が、静かに口を開いた。
「これ以上は危険だ。いったん、引き返そう」
「でも……もう少し調べたほうが……」名残惜しそうに声を上げるメンバーもいた。
しかし、亜里沙はゆっくりと首を振った。
「今回は少人数よ。無理をすれば、取り返しがつかなくなるわ」
その声には、迷いがなかった。
「……ここで撤収しましょう。それが、リーダーとしての判断です」
「……分かりました」
全員が、その決断を受け入れた。
一行は、来た道を引き返し始める。
背後で響く波音が、どこか名残惜しそうに耳に残っていた。
***海林との出会い***
坂道を上りきった、そのときだった。
「……あの、すみません」
控えめな声が、背後からかけられた。
振り返ると、そこには細身の青年が立っていた。
二十代半ばくらいだろうか。
どこか不安げな表情を浮かべながら、彼は言った。
「僕、海林っていいます。この辺に住んでいて……」
彼は、少し躊躇いながら続けた。
「さっき、皆さんが海のほうへ行くのを見かけて……。無事だったんですね」
安堵の色が、その声に滲んでいた。
亜里沙は前に出て、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしければ、この辺りのことを教えていただけませんか?」
「私たち、近くの集会所に泊まっているんです」
その言葉に、海林は一瞬だけ目を見開いた。
「……あそこに?」表情が、わずかに強張った。
「この辺りは、夜になると……亡霊が出るって噂があって」
声を潜めるように言った。
「気味悪がって、ほとんどの人は引っ越しました」
そして、視線を遠くへ向ける。
「津波のあと、新しくできた地区があるんです。よかったら、そちらに来ませんか?」
「公園と集会所もあって……今は、みんなそこに集まってます」
祐一と亜里沙は、互いに視線を交わした。
短い沈黙のあと、祐一が頷く。
「……お願いします」
***新地区への移動***
その後、祐一と亜里沙は海林の車に乗り込んだ。
他のメンバーは、元の拠点へ戻ることになる。
「何かあったら、すぐ連絡しろよ」
峯川の言葉を背に、車は静かな道を走り出した。
街灯の少ない道路を抜けると、やがて小さな公園が見えてくる。
その隣には、新しく建てられた集会所。
窓から漏れる柔らかな明かりが、闇の中でほっとするように揺れていた。
「……落ち着く場所ですね」
亜里沙が、ぽつりと呟く。
「明日、ここを使えるように許可を取ってきます」
海林は、ハンドルを握りながら言った。
「今日は、僕の家に泊まってください」
***海林の家***
案内された家は、まだ真新しい住宅だった。
津波後の支援で建てられたものだという。
玄関の扉が開くと、優しげな女性が顔を出した。
「おかえり」
「母さん、ただいま」
海林は振り返り、二人を紹介する。
「海辺で会った大学生だよ。オカルト研究会の人たち」
「……オカルト研究会?」
母親は、少し驚いたように目を瞬かせた。
「幽霊とかを……調べる方ですか?」
「はい」
祐一は丁寧に頭を下げた。
「ご迷惑でなければ、今夜お世話になりたいのですが」
母親は、しばらく二人を見つめたあと、静かに頷いた。
「……どうぞ。ゆっくりしていってください」
***語られる過去***
居間でお茶を飲みながら、母親はぽつりぽつりと語り始めた。
「昔は……本当に、いい場所だったんです」
遠い記憶を辿るように、目を伏せる。
「海もきれいで、人も多くて……」
「でも、あの地震と津波のあとから……すべてが変わりました」
夜の浜辺に現れる人影。
誰もいないはずの場所から聞こえる泣き声。
勝手に灯る、廃屋の明かり。
「最初は、気のせいだと思ってました」
「でも……何度も続くうちに、みんな怖くなって……」
町は、少しずつ人を失っていった。
「今じゃ、ほとんど誰も近づきません」
その言葉には、諦めと哀しみが滲んでいた。
祐一と亜里沙は、無言で頷く。
この地に根付いた"何か"の存在を、確信し始めていた。
「あの……」
祐一が、静かに尋ねた。
「津波で亡くなった方々は……きちんと供養されたんでしょうか?」
母親の手が、わずかに震えた。
「それが……」
声が、小さくなる。
「遺体が見つからなかった方も、多くて……」
「供養碑は建てられましたけど、遺族の方々も皆、この町を離れてしまって……」
「今は、誰も手入れをしていないんです」
祐一と亜里沙は、顔を見合わせた。
やはり――。
供養が不十分だったのだ。
***拠点の検討***
その後、二人は小声で相談した。
「ここを拠点にするのは……どう思う?」
祐一が尋ねる。
「安全そうではあるけど……調査地まで遠いわね」
亜里沙が答える。
「効率は悪くなるな」
安全と成果。
どちらを優先すべきか、答えは簡単には出なかった。
「でも、メンバーの安全が第一だ」
祐一が言う。
「明日、みんなと相談して決めよう」
「そうね」
結局、その夜は結論を保留したまま、海林の家に泊まることになった。
***断絶の夜***
深夜。
家中が眠りに包まれた頃。
祐一は、ふと目を覚ました。
胸騒ぎがして、携帯電話を手に取る。
画面を見ると――。
――圏外。
「……?」
おかしい。
さっきまで電波は入っていたはずだ。
無線機を確認する。
雑音すら入らない。
「……繋がらない」
隣の部屋で目を覚ました亜里沙も、廊下に出てきた。
「田中さん……私のも、ダメです」
携帯も、無線も。
すべての通信手段が、遮断されていた。
二人は、静かに顔を見合わせる。
まるで、この場所だけが世界から切り離されたかのようだった。
「……嫌な予感がする」
祐一が呟く。
「ええ……」
亜里沙も頷く。
窓の外では、風が低く唸っている。
月明かりが、雲に隠れた。
闇が、一層深くなる。
その闇の奥で――。
何かが、ゆっくりと目を覚まし始めていた。
***帰還の決意***
祐一は、居間に戻った。
海林の母親はすでに寝室に戻っており、リビングには海林だけがいた。
「あの……」
祐一が声をかける。
海林が顔を上げた。
「どうかしましたか?」
「実は……」
祐一は、携帯電話を見せた。
「電話も無線も繋がらないんです」
「僕は、雄介と言います」
海林――雄介は、少し驚いたように目を瞬かせた。
「あ、はい。よろしく」
「雄介さん」
祐一は、真剣な表情で尋ねた。
「あの集会所まで、送っていただけませんか?」
「え……?」
雄介の顔が、みるみる青ざめた。
「今から……ですか?」
「はい」
「でも……」
雄介は、窓の外を見た。
真っ暗な夜。
風が、木々を揺らしている。
「今の時間にあっちに戻るのは、危険すぎます……」
声が震えていた。
「夜の旧地区は、本当に……何が出るか分からないんです」
その時、亜里沙が前に出た。
「でも、私たちのメンバーが、あそこにいるんです!」
強い口調だった。
「連絡が取れないなら、確認しに行かないと……」
「何かあったら、どうするんですか!」
亜里沙の声が、わずかに震える。
雄介は、困ったように眉を寄せた。
「気持ちは分かりますけど……」
「本当に、危ないんです」
「それでも……!」
亜里沙が詰め寄ろうとした、その時――。
***祐一の判断***
「分かりました」
祐一が、静かに言った。
亜里沙が、振り返る。
「田中さん……?」
「雄介さん」
祐一は、雄介を見た。
「今晩は、ここに泊まらせていただきます」
「そして、明日の朝、送っていただけますか?」
雄介の表情が、ホッと緩んだ。
「ああ、それだったら……喜んで」
「明日の朝なら、安全です」
「田中さん!」
亜里沙が、祐一の腕を掴んだ。
「でも、みんなが……!」
「亜里沙さん」
祐一は、彼女の目を見た。
静かな、だが揺るがない目だった。
「僕は、みんなを信じます」
「え……?」
「それに、結界も施していますから」
祐一は、優しく微笑んだ。
「松井さんも、星川も、峯川も……みんな、しっかりやってくれてる」
「あの結界は、簡単には破られません」
「でも……」
亜里沙の声が、小さくなる。
「もし、何かあったら……」
「その時は、明日すぐに駆けつけます」
祐一は、真剣な表情で続けた。
「でも、今、無理に夜道を行って……」
「僕たちまで危険な目に遭ったら、本末転倒です」
「それに……」
祐一は、窓の外を見た。
「雄介さんにまで、危険を押し付けるわけにはいかない」
亜里沙は、唇を噛んだ。
拳を握りしめる。
しばらく、沈黙が流れた。
***亜里沙の決断***
やがて――。
「……分かりました」
亜里沙が、小さく呟いた。
「私も、メンバーのみんなを信じることにします」
顔を上げる。
その目には、まだ不安が残っている。
だが、同時に――決意の光もあった。
「東都大学のメンバーも、きっと無事です」
「私たちが、しっかり防御を教えましたから」
「……ええ」
祐一が頷く。
「みんな、大丈夫です」
二人は、静かに顔を見合わせた。
不安は消えない。
だが――。
今は、仲間を信じるしかなかった。
***雄介の安堵***
「……良かった」
雄介が、ホッと息を吐いた。
「正直、今から行くのは……僕も怖くて」
少し照れたように笑う。
「明日の朝、必ず送りますから」
「ありがとうございます」
祐一が頭を下げる。
「いえ……」
雄介は、二人を見た。
「あなたたちみたいな人が、この町のために動いてくれて……」
「僕、嬉しいです」
その言葉には、心からの感謝が込められていた。
「じゃあ、部屋を案内しますね」
雄介が立ち上がる。
「ゆっくり休んでください」
「はい」
祐一と亜里沙は、雄介に案内されて二階へと上がった。
***静かな夜***
客間に通された二人。
祐一は、窓の外を見た。
暗闇の向こう。
旧地区の方角。
あそこに、仲間たちがいる。
――大丈夫だろうか。
心配は尽きない。
だが――。
「田中さん」
亜里沙が、隣に立った。
「ありがとうございます」
「え?」
「冷静な判断を、してくれて」
亜里沙は、小さく笑った。
「私、焦ってました」
「……僕もです」
祐一も笑う。
「本当は、すぐにでも戻りたかった」
「でも、それじゃダメだって……分かってたから」
「ええ」
二人は、窓の外を見つめた。
月が、雲の隙間から顔を出す。
淡い光が、大地を照らす。
風が、静かに吹いている。
そして――。
遠く、旧地区の方から。
何かの気配が、漂ってくるような気がした。
「……明日、必ず戻ろう」
祐一が呟く。
「はい」
亜里沙が頷く。
二人は、それぞれの部屋へと入った。
長い夜が、始まろうとしていた。
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