海岸の調査へ
祐一と亜里沙たちのメンバーは、海岸の調査へと向かう
***静かな夜明け***
その日は、何事もなく過ぎていった。
夜通し警戒していたメンバーたちも、拍子抜けするほど静かな夜だった。
霊の気配も、物音もない。
まるで、最初から何もなかったかのようだ。
祠の修復と結界の強化が、効果を発揮したのかもしれない。
やがて、朝日が月影湾を照らし始める。
オレンジ色の光が海面を染め、無数の輝きが揺れていた。
集会所の中では、メンバーたちが次々と目を覚ましていた。
「おはよう……」
星川が、あくびを噛み殺しながら起き上がる。
「よく眠れたか?」
祐一が尋ねる。
「ああ、意外とな」
「何も起きなくて、ホッとしたわ」
松井も伸びをしながら言った。
外では、小川と峯川が合流する。
「おはよう」
「おう、無事だったな」
二人とも疲れた様子だが、怪我はない。
***朝食と準備***
簡単な朝食を終えた後、祐一は全員を集めた。
「今日の予定を確認する」
地図を広げる。
「亜里沙さんたちと海岸を調査する。
昨日見つけた供養碑と漂着物を重点的に調べる」
視線を巡らせる。
「同行は、小川と峯川だ」
「了解」
「任せろ」
二人が即座に応じた。
「他のメンバーは?」
星川が尋ねる。
「集会所の強化と周辺整備を継続だ。
特に、他の祠がないか調べてほしい」
「分かったわ」
松井がメモを取りながら頷く。
「私たちに任せて」
「一年生もいるし、大丈夫です」
山田も元気よく答えた。
祐一は満足そうに頷いた。
***海岸への出発***
午前九時。
一行は、集会所前で亜里沙たちと合流した。
東都大学からは、亜里沙と佐々木、山本の三人が同行する。
「おはようございます」
「おはよう。準備は?」
「はい」
亜里沙の背負ったリュックには、調査機材が詰まっている。
「じゃあ、行きましょう」
一行は坂道を下り、海へ向かった。
冷たい潮風が頬を打ち、波音が次第に近づいていく。
***砂浜の違和感***
歩きながら、小川がふいに足を止めた。
「……おい」
「どうした?」
祐一が振り返る。
「これ……」
小川が指さした先にあったのは、砂浜に転がる小さな靴だった。
赤いスニーカー。
子供用の、片方だけの靴。
「昨日言ってた、漂着物か……」
峯川がしゃがみ込み、そっと手に取る。
「……新しいな」
「え?」
「色も鮮やかだし、汚れもほとんどない」
峯川は、靴を裏返しながら観察した。
「十年前の津波のものとは思えない」
「私も、そう思いました」
亜里沙が静かに頷く。
「他にも、たくさんあります」
周囲を見渡す。
砂浜のあちこちに、漂着物が散乱していた。
服、鞄、傘、おもちゃ。
どれも、異様なほど状態が良い。
「……おかしいな」
小川が低く呟く。
「海に流されて、十年も経ってたら――」
「普通は、原形を留めないよな」
佐々木が続ける。
「そうなんです」
彼女は、カメラを構えながら言った。
「だから、私たちも最初は信じられませんでした」
「まるで……最近流れ着いたみたいで……」
言葉の途中で、声が小さくなる。
誰も、その続きを口にしなかった。
祐一は、しゃがみ込み、砂に手を伸ばした。
冷たく、湿った感触。
だが――。
それだけではない。
指先に伝わる、微かな重み。
まるで、砂浜そのものが沈んでいるかのような、不快な感覚だった。
「……嫌な感じがする」
祐一は、ぽつりと呟いた。
胸の奥が、ざわつく。
説明できない違和感。
この場所全体に、目に見えない何かが滞留している。
「先に進もう」
祐一は立ち上がった。
「供養碑を確認する」
「……ああ」
小川も、無言で頷く。
一行は、再び歩き出した。
足元には、無数の漂着物。
誰かの生活の痕跡。
誰かの思い出。
それらを踏まないよう、慎重に避けながら進む。
背後で、波の音が重く響いていた。
まるで――。
何かを訴えるように。
***供養碑の前で***
やがて、一行は岩場に辿り着いた。
打ち寄せる波の合間に、ひっそりと佇む灰色の石碑。
高さは、およそ二メートル。
潮風にさらされ、表面はくすみ、あちこちにひびが走っている。
正面には、かろうじて読める文字が刻まれていた。
――月影湾津波犠牲者供養碑
その下には、五十三人分の名前。
一人ひとりの人生の証が、冷たい石に刻み込まれている。
「……」
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
波音だけが、静かに耳に届く。
祐一は、ゆっくりと歩み寄った。
指先で、石の表面に触れる。
ざらついた感触。
苔と塩分で覆われ、長い年月が放置されてきたことを物語っていた。
供えられた花も、線香もない。
人の気配すら、感じられない。
まるで――。
この場所だけが、時の流れから取り残されたようだった。
「……ひどいな」
峯川が、低い声で呟く。
「ここまで放ったらかしにされてるなんて……」
「遺族の人たちは……?」
小川が、遠慮がちに尋ねた。
亜里沙は、少し視線を落とす。
「多分……この村を離れたんだと思います」
「戻ってこられなかった人も、多かったと聞きました」
「だから……」
言葉が、そこで途切れる。
祐一は、無意識のうちに拳を握っていた。
胸の奥に、じわりと熱が広がる。
――これじゃ、安らげるはずがない。
「……掃除しよう」
祐一が、静かに言った。
「え?」
「このままにしておけない」
リュックから、タオルと水筒を取り出す。
「せめて、今できることをやろう」
亜里沙は、一瞬驚いたように目を瞬かせたあと、小さく微笑んだ。
「……はい。私も手伝います」
「俺たちもだ」
「当然でしょ」
全員が、それぞれ道具を取り出した。
タオル、ブラシ、水。
即席の清掃が、静かに始まる。
***供養碑の浄化***
誰も無駄口を叩かなかった。
ただ、黙々と手を動かす。
苔を削ぎ、汚れを拭い、塩を洗い流す。
冷たい水が指先に染みた。
三十分ほどが経った頃。
石碑は、見違えるほど本来の色を取り戻していた。
「……すごいな」
峯川が、額の汗を拭う。
「最初と全然違う」
「やれば、変わるもんだな」
小川も頷く。
祐一は、線香に火をつけた。
白い煙が、ゆっくりと立ち上る。
「手を合わせてください」
全員が、石碑の前に並ぶ。
祐一は、目を閉じた。
呼吸を整え、静かに口を開く。
「観自在菩薩……」
低く、穏やかな読経が始まる。
波音と混じり合いながら、祈りの声が岩場に響く。
亜里沙も数珠を握り、静かに目を伏せていた。
そのとき――。
ふっと、風が和らいだ。
潮の匂いが、わずかに薄れる。
張りつめていた空気が、ゆっくりとほどけていく。
まるで――。
誰かが、そっと微笑んだかのように。
祐一は、最後に深く一礼した。
「……これで、少しは落ち着いてくれるといいわね」
亜里沙が、かすかに呟く。
「ええ、そうだったら助かります」祐一も、小さく頷く。
***周辺の調査***
祈りを終えたあと、しばらく誰も口を開かなかった。
供養碑の前には、穏やかな静けさが戻っている。
だが――。
それは、どこか不自然なほどだった。
「……さて」
祐一が、気持ちを切り替えるように声を出す。
「周辺も調べておこう」
リュックから地図を取り出し、岩場を指し示す。
「この辺り一帯も、津波の影響を強く受けているはずだ」
「何か、手がかりがあるかもしれない」
「分かった」
小川が頷く。
「じゃあ、二手に分かれよう」
祐一は視線を巡らせた。
「俺と小川、峯川で北側を調べる」
「亜里沙さんたちは、南側を」
「無線は常につないでおいてください」
亜里沙が念を押す。
「異変があったら、すぐ連絡を」
「ああ、頼む」
簡単な打ち合わせを終え、一行は分かれた。
それぞれの方向へ、慎重に歩き出す。
岩場には、ところどころ潮だまりができている。
波が打ち寄せるたび、白い飛沫が舞った。
***亜里沙チーム:南側岩場***
亜里沙、佐々木、山本の三人は、南側の岩場を進んでいた。
足場は悪く、油断すれば滑り落ちかねない。
「気をつけてください」
亜里沙が振り返る。
「ここ、かなり滑ります」
「はい……」
佐々木は、カメラを抱えるようにして歩いている。
「思った以上に荒れてますね」
山本が、周囲を見回しながら言った。
「津波の威力、相当だったんでしょう」
「ええ……」
亜里沙は、小さく頷いた。
岩の割れ目。
削られた地形。
自然と人為の傷跡が、そこかしこに残っている。
記録を取りながら、慎重に進んでいく。
そのとき――。
ふっと、風が止んだ。
潮騒が、遠のく。
「……?」
亜里沙は、足を止めた。
違和感。
理由のない不安が、背筋をなぞる。
「……急に、静かになりましたね」
山本が、小声で言う。
確かに。
さっきまで聞こえていた波音が、嘘のように小さい。
耳鳴りがするほどの静寂。
「……嫌な感じ」
佐々木の声が、わずかに震える。
亜里沙は、周囲を見渡した。
空は曇っている。
海も、岩場も、変わらない。
だが――。
何かが、違う。
空気が、重い。
胸の奥に、冷たいものが落ちていく感覚。
「……みんな、離れないで」
亜里沙は、声を潜めた。
「私の近くに」
二人は、無言で頷く。
距離を詰めて歩き出した。
次の瞬間。
岩陰で、何かが動いた。
「……!」
亜里沙は、はっと息を呑む。
「今……見ました?」
「え?」
「何か……黒いものが……」
佐々木が、指をさす。
三人の視線が、同時に集まる。
そこには――。
影があった。
岩に落ちた影とは、明らかに違う。
輪郭が揺らぎ、ゆっくりと蠢いている。
まるで、生き物のように。
「……うそ」
山本の唇が、かすかに震えた。
影は、一つではなかった。
二つ、三つと増えていく。
岩の隙間。
割れ目。
暗がりの奥から――。
次々と、湧き出すように現れてくる。
人の形をした、黒い影。
顔はなく、目もない。
ただ、そこに“在る”。
そんな存在。
岩場の空気が、一気に冷え込んだ。
吐く息が、白くなる。
「……来る」
亜里沙は、直感した。
「まずい……!」
リュックに手を伸ばす。
護符の感触を、指先で確かめながら――。
影たちは、ゆっくりと距離を詰め始めていた。
***黒い影の襲撃***
影たちは、音もなく迫ってきた。
足音も、息遣いもない。
ただ、じわじわと距離を詰めてくる。
逃げ場を塞ぐように。
「……下がって」
亜里沙は、低い声で言った。
「私の後ろに」
佐々木と山本は、必死に頷き、背中を寄せる。
だが、背後にも――影。
左右にも――影。
いつの間にか、三人は完全に囲まれていた。
「そ、そんな……」
山本の声が、掠れる。
「こんなの……聞いてません……」
「落ち着いて」
亜里沙は震えを押し殺し、リュックから護符を取り出した。
黄色い紙に、朱の文字。
何枚も重ねて握る。
「……お願い」
息を整え、影へ向かって放った。
ひらり、と宙を舞う護符。
だが――。
影は、それをすり抜けた。
何事もなかったかのように。
「……っ!?」
亜里沙の顔から、血の気が引く。
「効かない……?」
影たちは、反応すら示さない。
さらに距離を詰めてくる。
そして――。
影の中から、手が伸びた。
黒く、細く、歪んだ手。
一本、二本――。
十本、二十本――。
無数の腕が、闇から生まれる。
「……来る!」
「きゃあっ!」
佐々木の悲鳴が響いた。
黒い手が、彼女の腕を掴む。
氷のような冷たさ。
感覚が、奪われていく。
「は、離して……!」
山本の足にも、絡みつく影。
バランスを崩し、膝をつく。
「助けて……!」
三人は、じりじりと引きずられていく。
向かう先は――海。
波打ち際。
冷たい水面が、すぐそこまで迫っていた。
***海へ引き込む怨念***
「いや……やめて……!」
亜里沙も、両腕を掴まれていた。
指が、食い込むほどの力。
体が、言うことをきかない。
頭の奥に、嫌な記憶が蘇る。
――濁流。
――轟音。
――溺れる感覚。
津波の悪夢。
「……来ないで……!」
呼吸が乱れる。
胸が、締め付けられる。
影の奥から、かすかな声が聞こえた。
――かえして……
――さむい……
――たすけて……
「……っ!」
亜里沙の目が見開かれる。
「……この声……」
犠牲者たちの――。
届かなかった叫び。
癒されぬまま残った、怨念。
それが、形を成している。
「いやああああ!」
悲鳴が、岩場に響き渡った。
***祐一たちの異変察知***
その声は、遠く離れた場所にも届いていた。
北側岩場。
祐一は、はっと顔を上げる。
「今の……!」
「悲鳴だ!」
峯川が叫ぶ。
「南側だ!」
「亜里沙さんたちだろ!」
小川が叫ぶ。
「まずい……!」
「走るぞ!」
三人は、一斉に駆け出した。
岩を跳び越え、砂を蹴り、全力で走る。
胸が焼けるように痛む。
だが、止まれない。
***祐一の霊光弾***
現場に辿り着いた瞬間。
祐一は、目を疑った。
黒い影に絡め取られ、海へ引きずられる三人。
もう、波が足元を濡らしている。
「やめろおおっ!」
叫びと同時に、体の奥が熱を帯びた。
心臓が、激しく脈打つ。
視界が、白く染まる。
――来る……!
無意識に、右手を突き出す。
掌に、光が宿る。
金色の輝き。
まるで、小さな太陽のように。
「はあああっ!」
光は、弾丸のように放たれた。
一直線に、影の中心へ。
***浄化の光***
――ドォンッ!!
爆音と共に、閃光が炸裂する。
世界が、白に塗り潰された。
次の瞬間――。
影が、悲鳴を上げた。
人の声とも、風の音ともつかない断末魔。
黒い腕が、霧のように崩れる。
溶ける。
消える。
光に触れた怨念は、次々と浄化されていった。
やがて――。
すべてが、消え去った。
そこに残ったのは、静かな海と、倒れ込む三人だけだった。
***救出***
「亜里沙さん!」
祐一は駆け寄り、膝をつく。
「大丈夫ですか!」
「……た、田中さん……」
亜里沙の声は、震えていた。
「……助かりました……」
「無事でよかった……」
峯川と小川も、二人を支える。
佐々木と山本は、涙を浮かべながら頷いた。
「……間に合ったな」
小川が、息を整えながら言う。
祐一は、右手を見つめた。
まだ、微かに熱が残っている。
頭が、重い。
視界が、わずかに揺れる。
――使いすぎたか……。
だが、それでも後悔はなかった。
「……とにかく、戻ろう」
祐一は言った。
「ここは、まだ危険だ」
「はい……」
一行は、互いに支え合いながら、その場を離れた。
背後で、波音だけが静かに響いていた。
まるで、何事もなかったかのように。
だが――。
祐一の胸には、消えない違和感が残っていた。
この地に眠るものは、まだ終わっていない。
そんな予感が、強く焼きついていた。
「ひとまず、集会場まで引き上げよう」祐一が指示した。
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