集会所の夜
祐一達は、集会所を拠点にする為、中に入った。
***集会所内部***
――ギィ……。
重たい音とともに、扉が開いた。
中は、思っていたよりも広かった。
薄暗いホールに、長机と折り畳み椅子が無造作に並んでいる。
天井には、錆びついた蛍光灯。
床には、砂と枯れ葉が積もっていた。
「……意外と、形残ってますね」
山田が小声で言う。
「誰かが、たまに掃除してる感じだな」
星川が周囲を見回す。
壁には、色あせた掲示物が貼られていた。
――防災訓練のお知らせ
――津波避難経路図
――行方不明者情報
「……これ」
松井が、一枚の紙を指さした。
そこには、数十人分の名前と写真が並んでいる。
「犠牲者名簿か……」
峯川が呟く。
祐一は、その一枚をじっと見つめた。
端の方に、赤いペンで丸がついた名前がいくつもある。
「……印、つけてあるな」
「生存未確認者、かもしれません」
亜里沙が静かに言った。
誰も、すぐには返事ができなかった。
***古い記録***
奥には、小さな事務室があった。
棚には、埃をかぶったファイルやノートが並んでいる。
「資料、残ってるな」
祐一は手袋をはめ、一冊を取り出した。
表紙には、かすれた文字でこう書かれていた。
――月影湾・被災記録
中を開く。
『○月×日
避難所、満員。
食料不足。
子ども二名、行方不明』
『○月△日
夜間、海の方から声。
捜索、成果なし』
「……ん?」
星川が顔を近づける。
「今の噂と、同じじゃないか」
さらにページをめくる。
『○月□日
避難勧告後も戻らぬ者あり。
“呼ばれる”と言っていた』
空気が、冷えていく。
「……呼ばれる?」
山田が小さく呟く。
「誰に……?」
誰も答えられなかった。
***夜の準備***
調査の拠点は、集会所に決まった。
簡易ベッド、照明、結界札、防犯カメラ。
手際よく設営が進んでいく。
「日が落ちる前に、周囲も見ておこう」
祐一が言う。
数班に分かれ、村内を調査した。
どの家も、途中で放棄されたようだった。
食器が残り、写真が倒れ、テレビは砂まみれ。
「……逃げたって感じじゃないな」
峯川が呟く。
「置いていきすぎですよね」松井も同意する。
まるで――。
途中で帰れなくなったような感じだった。
***最初の現象***
夜。
月影湾に、闇が降りた。
波の音だけが、遠くで続いている。
集会所の中では、最低限の明かりだけが灯されていた。
「22時。異常なし」
星川が記録をつける。
「このまま何も起きなければ――」
その時。
――ピチャン。
「……今の、何?」
松井が顔を上げた。
「水の音?」
天井から、雫が落ちている。
ぽつ、ぽつ、と。
「雨?」山田が窓を見る。
外は、晴れている。
「……上、見てみる」
峯川が立ち上がった。
懐中電灯で天井を照らす。
次の瞬間――。
「……おい」声が震えた。
「これ……水じゃない」
光に照らされた天井には、
濡れた手形が、いくつも浮かんでいた。
天井から、垂れるように。
まるで――。
海から這い上がってきた者たちが、
そこにしがみついたかのように。
部屋の空気が、一気に凍りついた。
***浄化の始動***
天井に浮かぶ、無数の濡れた手形。
ぽたり、ぽたりと、水音が続いている。
「……信じられない」星川が呟いた。
「天井から、手が……」
「みんな、落ち着いて」その声は、はっきりしていた。
亜里沙だった。
彼女は、冷静に状況を判断する。
「これは強い悪意では、無いわ」一同が、彼女を見る。
「未練が溜まって、形になっているだけね」
リュックから、細い木箱を取り出し中には数珠と護符、小さな鈴が収められていた。
「……集団残留思念ね」亜里沙は、静かに続けた。
「津波で亡くなった人たちの、記憶のかたまり」
「成仏できてないってことか……」峯川が呟く。
「はい。今から浄霊を行います」
***結界展開***
「全員、私の後ろに集まってください」
亜里沙の声に、迷いはなかった。
祐一は、即座に指示を出す。
「言われた通りにしよう」一同は、素早く移動した。
亜里沙は床に小さな護符を四枚並べる。
東西南北。
簡易結界だ。
「松井さん、鈴を鳴らしてください」
「は、はい!」澄んだ音が、空間に広がって行く。
ちりん……ちりん……。
それと同時に、空気がわずかに震える。
手形が、ゆっくりと蠢く。
「……反応してる」山田が息を呑む。
***鎮魂の言葉***
亜里沙は、目を閉じた。
数珠を握り、低く唱え始める。
「――帰る場所は、ここでは、ありません」声は、静かだが、芯があった。
「あなたたちを、忘れていません」波の音が、強まる。
窓ガラスが、小さく震えた。
「苦しかったでしょう」
「怖かったでしょう」
「……でも、もう大丈夫」
その瞬間。天井の水滴が、一斉に止まり手形が、淡く光りだした。
青白い、やさしい光だった。
そこに、かすかな声が混じる。
『……ありがとう……』
誰かの、いや――。
何十人もの声が、重なっていた。
***浄化完了***
光は、ゆっくりと天井へ溶けていった。
やがて。全て跡形もなく消えた。
床も、壁も、乾いていた。
さっきまでの異変が、嘘のようだった。
「……終わったのか?」星川が恐る恐る尋ねる。
「はい、終わりました」
亜里沙は、小さく息を吐いた。
「一次浄化、完了です」
「一次?」小川が聞き返した。
「ここは、まだ入口みたいなものね」
「本命は、たぶん……海辺です」
その言葉に、全員が息を呑む。
***深まる信頼***
「……すごいな」峯川が素直に言った。
「正直、ここまでとは思っていなかった」
「ありがとう。峯川さん」亜里沙は微笑んだ。
祐一は、彼女を見て頷いた。
「やっぱり、部長しているだけありますね。僕より頼りになりそうだ」
「田中さんも、素晴らしい力をお持ちです」二人の間に、確かな信頼が生まれていた。
だが――。
その時。
机の上に置いてあった調査用のレコーダーが、突然、再生された。
――ザザッ……。
『……か……え……れ……』
低く、歪んだ声。
一同が、凍りついた。
亜里沙の表情が、引き締まる。
「……まだ、終わってないわ」本当の月影湾の闇は、これからだった。
***海からの呼び声***
***レコーダーの声***
――ザザッ……。
『……か……え……れ……』
レコーダーから流れる声は、一つではなかった。
何十、いや何百もの声が、重なり合っている。
『かえれ……』
『かえりたい……』
『ここは……ちがう……』
「誰が録音したんだ、これ!」
星川が叫ぶ。
だが、レコーダーは誰も触れていない。
勝手に再生されたのだ。
「電源……切れないぞ!」
峯川がボタンを押すが、反応しない。
声は、だんだん大きくなっていく。
『海……海へ……』
『みんな……海に……』
その時。
窓の外から、光が見えた。
「……あれ」
山田が震える手で、窓を指す。
海岸線に、無数の光が揺れていた。
青白い、ぼんやりとした灯り。
人魂のように、ふわふわと漂っている。
「数が……多すぎる」
松井が青ざめる。
数十、いや百近い光が、海沿いに並んでいた。
そして――。
その光が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「まずいわ……」亜里沙の声に、初めて恐怖が混じった。
「これは、集団霊です」
「さっきのとは……違う霊ですか?」祐一が尋ねた。
「はい……」亜里沙は唾を飲み込んだ
***包囲***
光は、集会所を取り囲むように集まってきた。
窓の外、すぐそこに。
青白い光の中に、ぼんやりと人の形が見える。
濡れた髪。
海藻のまとわりついた衣服。
虚ろな目。
「うわあああ!」
一年生の一人が悲鳴を上げた。
窓ガラスに、手形がべったりと押し付けられている。
ぬるり、ぬるりと、何本もの手が這いずる。
ガラスの向こうから、こちらを見つめている。
表情のない、白い顔たちが。
「早く結界を!」亜里沙が叫ぶ。
「全員、建物の中から出るな!」祐一は即座に指示を出す。
「誰も動くな! 窓に近づくな!」
だが――。
――バキッ。
窓ガラスが、ひび割れた。
外から、何かが押している。
じわじわと、圧力が強まっていく。
『……いれて……』
『さむい……』
『かえりたい……』 声が、壁を通して聞こえてくる。
何十もの声が、同時に。
***侵入***
――ガシャン!
一枚の窓が、ついに砕けた。
冷たい風が、部屋に吹き込む。
潮の匂いと、腐敗臭が混じった空気。
「くそっ!」峯川が浄化スプレーを吹きかける。
だが、光は止まらなかった。
窓から、霧のような何かが流れ込んで来る。
その霧の中に、無数の影が蠢いている。
「全員、離れるんだ!」祐一が叫び指示を出す。
一同は、部屋の奥へ後退した。
だが――背後の扉が、勝手に開く。
廊下から、冷たい空気が流れ込み、濡れた足跡が続いていた。
「挟まれた……」星川が呟いた。
前方には、窓から侵入してくる霊たち。
後方には、暗い廊下と奥の部屋。
「どうする、部長!」峯川が叫ぶ。
祐一は、一瞬迷ったが――。
「……奥へ行こう」
「え?」
「前は無理だ。奥の部屋なら、窓が少ない」苦渋の決断だった。
「全員、奥へ移動するんだ」
***奥の部屋へ***
懐中電灯を手に、一行は廊下を通り奥の部屋に向かった。
床の濡れた足跡を踏みながら。
背後から、ガラスの割れる音が続く。
霊たちが、次々に侵入してくるのだ。
『まて……』
『いかないで……』
『ひとりは……いや……』
声が、すぐ後ろから聞こえる。
振り返ってはいけない。
本能が、そう告げていた。
奥の部屋に辿り着く。
扉を開けると――。
そこには、先ほど祐一が見た光景が広がっていた。
濡れた衣服の山。
黒く塗りつぶされた写真。
そして、開いたままの押し入れ。
「中に入れ! 扉を閉めるぞ!」
全員が部屋に駆け込んだ。
祐一が扉を閉めようとした、その瞬間――。
廊下の向こうから、何かが走ってくる音がした。
ばしゃ、ばしゃ、ばしゃ。
水を撒き散らしながら。
「早く!」星川が叫んだが、間に合わなかつた。
廊下の暗闇の中から――。
濡れた髪の少女が、這うように現れた。
手足をねじ曲げて、床を這いながら。
その顔は、青白く。
目は、虚ろで。
口からは、海水が溢れていた。
***絶望の瞬間***
――バタン!
祐一は、力任せに扉を閉めすぐに鍵をかける。
次の瞬間。
扉の向こうから、ドン、ドンと叩く音。
そして――。
『……あけて……』少女の声。か細く、悲しげな声が響き渡る。
『……さむいの……』
『……くるしいの……』
『……ひとりは……いや……』
扉が、軋む。
内側から押されているように。
「結界を!」亜里沙が叫ぶ。
峯川と祐一が、扉に札を貼り付けると、音が、わずかに弱まった。
だが――。
「……後ろ」
松井が、震える声で言った。
全員が振り返る。
押し入れの中。
さっきまで真っ暗だった空間に――。
今、無数の目が光っていた。
濡れた何かが、ぬらりと這い出してくる。
一つではない。
二つ、三つ、四つ――。
数え切れないほどの何かが、押し入れから溢れ出してきた。
逃げ場は、ない。
前方の扉は封鎖。
後方には、這い出る霊たち。
窓は、鉄格子で塞がれている。
完全に罠だった。
祐一は、拳を握りしめた。
「……全員、部屋の中央に集まって。亜里沙さん……頼みます」
「……やってみます」亜里沙の顔は、青ざめていた。
数珠を握りしめ、唱え始めるが這い出る霊たちは、じわじわと近づいてくる。
海の匂い。
腐敗臭。
そして――。
無数の手が、伸びてきた。
***津波の記憶***
霊たちの手が、一斉に伸びてきた瞬間――。
世界が、歪んだ。
「――っ!」祐一の視界が、激しく揺れる。
部屋が消える。
気づけば――。
自分は、海岸にいた。
「……え?」
目の前には、穏やかな波。
青い空。
後ろを振り返ると、月影湾の村が見える。
だが、壊れていない。
新しい家々が、整然と並んでいる。
人々の声も聞こえる。
「これ……過去?」
その時。
遠くから、地鳴りのような音が響いた。
ゴゴゴゴゴ……。
海が、引いていく。
異常なほど、遠くまで。
そして――。
水平線の向こうに、黒い壁が立ち上がった。
「……嘘だろ」
祐一の全身が、恐怖で震える。
津波だ。
巨大な、黒い壁のような波が、こちらへ向かってくる。
***それぞれの悪夢***
同じ瞬間。
部屋にいた全員が、同じ光景を見ていた。
「お母さん! お母さん!」
松井は、必死に走っていた。
背後から、轟音が迫ってくる。
振り返ると、巨大な波が家々を飲み込んでいく。
「いやあああ!」
峯川は、家の二階にいた。
窓から見える景色が、一瞬で水に沈む。
車が、家が、人が――流されていく。
そして、波が建物に激突する。
ガラスが砕け、壁が崩れ――。
水が、一気に押し寄せてきた。
「誰か……助けて……!」
星川は、濁流の中にいた。
何かにしがみつこうとするが、全てが流れていく。
息ができない。
水が口に、鼻に入ってくる。
苦しい。
冷たい。
暗い。
――これが、死ぬということ?
***現実の部屋で***
部屋では、全員が床に倒れていた。
体を震わせ、うめき声を上げている。
「うっ……あ……」
「たすけ……て……」
まるで、溺れているように。
呼吸が浅く、唇が青ざめていく。
亜里沙も、同じ幻覚に囚われていた。
波に飲まれ、流され、沈んでいく。
意識が遠のく――。
その時。
低く、力強い声が響いた。
「――摩訶般若波羅蜜多」
***祐一の覚醒***
祐一は、幻覚の中で気づいた。
――これは、記憶だ。霊たちが見せている、最期の記憶。
苦しみ。恐怖。絶望。
それを、今、自分たちは追体験させられていた。
「……このままじゃ、まずい」
祐一は、必死に意識を保つ。
波に飲まれながらも、心の中で唱え始めた。
最初は、心の中だけだったが、声を出して唱え始める。
「かん……じ……ざい……ぼさつ……」
***お経の力***
祐一の声は、最初はか細かったが一文字ずつ進むにつれ、力を増していった。。
「ぎょう……じん……はんにゃ……はらみた……じ……」
部屋の空気が、わずかに変わって行く。
押し入れから這い出ていた霊たちが、動きを止める。
「しょう……けん……ごうん……かい……くう……」
祐一の体が、淡く光り始めた。
金色の、やさしい光。
幻覚の中の津波が、少しずつ透けていく。
「やく……しゃり……し……」
声は、まっすぐに、力強く響き渡り、光が、部屋全体に広がっていった。
倒れていたメンバーたちの顔からも苦しみの色が消えていった。
呼吸が、ゆっくりと戻ってくる。
***浄化の光***
祐一は、立ち上がった。
目を閉じ、両手を合わせる。
そして、最後の一節を――。
「ぎゃ……てい……ぎゃ……てい……」
「はら……ぎゃ……てい……」
「はら……そう……ぎゃ……てい……」
「ぼう……じ……そわか……」
「はんにゃ……しん……ぎょう!」
その瞬間。
部屋が、まばゆい光に包まれた。
温かい、やさしい光。
押し入れから這い出ていた霊たちが、光の中に溶けていく。
苦しげな表情が、穏やかなものに変わっていく。
『……ありがとう……』
『……やすらぎを……』
『……もう……いける……』
無数の声が、感謝を告げる。
光は、やがて天井へと昇っていった。
霊たちとともに。
そして――静寂が訪れた。
***目覚め***
一人、また一人と、メンバーが目を覚ましていく。
「……う……」星川が、体を起こす。
「……夢……?」
「いや……幻覚だ」峯川が答える。
「津波の……記憶を見せられた」
松井は、涙を流していた。
「怖かった……本当に……」
山田も、体を震わせている。
「あれが……あの人たちが経験したこと……」
亜里沙が、ゆっくりと立ち上がった。
そして、祐一を見る。
彼は、まだ目を閉じて、両手を合わせたままだった。
額には、汗が浮かんでいる。
だが、その表情は――穏やかだった。
***感謝の言葉***
やがて、祐一が目を開けた。
深く息を吐き、手を下ろす。
「……みんな、大丈夫か?」
「ああ……なんとか」
峯川が答える。
「部長……助かった」
「お経の力があんなに凄いなんて」星川も驚きを隠せない。
だが、祐一は小さく首を横に振った。
「春香さんに教わっただけだ。それと写経も続けていたからね」
亜里沙が、深く頭を下げる。
「田中さん」
「……はい」
「ありがとうございます」
その声は、心からのものだった。
「あなたがいなければ……私たちは、あの幻覚から抜け出せませんでした」
「いえ……」
祐一は、少し照れたように頭を掻く。
「みんなで乗り越えたんです」
「でも」
亜里沙は、顔を上げる。
その目には、確かな信頼の光があった。
「あなたの力も……本物。浄化の力を持っているわ」
祐一は静かに頷く。
部屋には、もう霊の気配はなかった。
濡れた足跡も、手形も、全て消えていた。
窓から差し込む月明かりだけが、静かに床を照らしていた。
長い夜の、最初の試練が終わった。
***静寂の後***
集会所の中に、再び静けさが戻っていた。
メンバーたちは、それぞれ休んでいた。
「……もう朝か」星川が、窓の外を眺めると、
東の空が、うっすらと明るくなり始めていた。
波の音が、穏やかに響いている。
まるで、さっきまでの出来事が嘘のように。
祐一は、窓辺に立ち、海を見つめていた。
――まだ、終わっていない。
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