第98話 箱入り娘に助けられましたが。
なぜか姫草打鍵工房の店内に、ルルが現れた。
鈴見総次郎に襲われそうだった私を助けてくれた。
ルルが無表情のまま、どこから持ってきたのかロープで鈴見総次郎を縛っている。手慣れた様子で手脚を縛ると、そのまま床に転がす。
鈴見総次郎も意識はあったみたいだけれど、頭にキャリーケースを叩きつけられた衝撃で混乱していたようだ。
ルルの圧倒いう間の手さばきで「おいっ!! なんだお前っ!!」とか騒ぎだしたころにはもう身動きもできず、そのあと直ぐ口へなにかを詰められて静かになる。
――私もさっき同じ目に合っていた身としては、少しだけ同情する。
これ見た目よりかなり苦しいんだよね。なんか、喉のあたりがずっと開いたまま押される感じで。
しかも鈴見総次郎は全身縛られているわけだから、私よりキツい状況……って、私はこの人に襲われそうだったんだし、同情はいらないよね?
ハンカチも鈴見総次郎に突っ込まれたし。
「ユズさん、大丈夫でしたか?」
ルルがさっきまでの無表情から一変して、泣きそうな顔で腰をついたままの私にすがりついてきた。
脱がされかかっていた服を、確かめるにめくって――めくる必要ある? いったいなにを確かめてるの?
「怪我はないみたいですね。よかったです」
「むむぐっ」
「ユズさんの肌にもしものことがあったらわたし……」
「んぐぐっ!!」
――なるほど? すごい念入りに胸元を触られているけれど、そういうことらしい。もう大丈夫だってわかったから必要ないよね?
あといいんだけど、私ハンカチを口に突っ込まれたままなんだよね。もっと肌よりもこっちを気にしてほしかった。
とりあえず自分でささっと取り出すことにする。だけど無理矢理と口に押し込まれていたハンカチは、手を使っても引っ張り出すのが大変だった。あごが外れるんじゃないかってくらい痛い。
「うぐにゅ……うぇっ……」
なんとか無事ハンカチを引き抜いて、やっとしゃべれるようになった。短期間でいろんなことがありすぎて、正直まだ感情がバグっている気がする。襲われそうになって、多分かなり怖かったはずなのだけれど。
縛られたまま何かしゃべろうとうめいている鈴見総次郎が、横で転がっているのもシュールだ。
さっきまで襲ってきてた人が、今はこうやって縛られている。
なんだか変な夢みたいだな。
本当に、私この人に襲われそうだったの? って気がして、現実感がない。
手元のよだれまみれのハンカチだけが、たしかに私が襲われかけていた証拠だ。――うん、嫌な証拠だな。口の中もまだすごく気持ち悪い。
ルルがいなかったら、本当に襲われて写真も動画も撮られてネットに晒させるぐらいしていたかもしれない。
「えほっ……あ、ありがとルルさん」
「い、いえ! そのハンカチですけど……その人の……でもユズさんの唾液も……」
「これはえっと……」
私はハンカチを丸めてポケットにしまった。自分のよだれをぐっしょり吸い込んでいるので、ポケットに入れるのはどうかと思ったが手に持ったままというのも邪魔だし、そのままどこかに置くのも躊躇われた。
「あっ! ユズさん! ……これ、お茶です。よかったら飲んでください。そのっわたしの飲みかけなんで……いやだったらすぐ新しいの買ってきますけど」
「ううん、ありがとう」
私はちょっとぐらつきながらも立ち上がって、ルルからペットボトルのお茶を受け取った。口の中が、すごいことになっていたのでありがたい。
お茶を一口飲んで、やっと一息つく。
肌着は着ていたが、胸元が出てしまうので上着のジッパーを閉じた。
「ふぅ……ありがとうね。えっとお茶もだけど、助けてくれて本当にありがとう。ルルさんがいなかったらどうなってたか……」
アズキに助けて持ったときも、もしアズキがいなかったらと思うけれど。
今回は本当に、確実に大変なことにあっていた。間違いなく恩人なのだけれど――。
「い、いえっ! そ、そのわたし直ぐユズさんのこと助けたかったんですけど……その、出るの手間取っちゃって……それでユズさんのお洋服も……」
「ううん、服は大丈夫だよ。……えっと出るのって? そういえばルルさんどこから来たの?」
「キャリーケースです」
「……え? キャリーケース?」
えっと、私は何か聞き間違えたのか。それとも質問がおかしかったのか。
「ルルさん、さっきまでどこにいたの?」
「あのキャリーケースの中にいました」
ルルの言う『あのキャリーケース』というのは、さっき鈴見総次郎を成敗した黒いキャリーケースのことだろう。確かに小柄な人なら入れそうなくらい大きい。
「え? え? ごめん、ちょっとよくわかんなかったんだけど……ルルさん、あの中にいたの?」
「はい」
「えええぇ!? なんで!?」
「……そ、その、すみません」
ルルの話が全く理解できない。キャリーケースの中にルルがいた。――どういうこと?
「なんでキャリーケースの中にいたのか知りたいだけなんだけど。……え、ずっといたの? あの中に?」
「えっと、ずっとというと……ユズさんがお店に戻ってくる前からはいましたけど」
「けっこう長時間だよね? ……え? 本当になんで?」
「す、すみません」
わからない。意味がわからないし、わけがわからない。わからないので、謝られても困る。あと怖い。
「謝らなくていいから、理由を教えてほしいんだけど……」
「お、怒らないですか?」
「……多分?」
「ユズさんから、集合場所が変更になって、待ち合わせも遅れるかもって連絡もらって……わたし、心配だったんです」
――心配? ルル達との約束を土壇場で変えてほしいって連絡した。したけど、それで心配になったって、もしかしてこうなることを予知して!? ……ってそんなはずない。
ルルには鈴見デジタル・ゲーミングの人が来るってことも伝えていなかった。事情はあとで説明するけど、本当にごめんってそれだけだ。我ながら勝手なことをして申し訳ないと改めて思うけど、あの連絡で心配することなんてないはずである。
「心配って、なんの?」
怒らないよ、という気持ちも込めて笑顔でもう一度たずねた。するとルルはおそるおそる口を開く。
「……ユズさんが、アズキさんと二人っきりなのが心配だったんです。わたしの知らないところでずっと二人してお店の手伝いして、今日は約束まで変えて……もしかしたら仕事中に盛り上がってそのままお店で……二人していやらしいことしているんじゃないかって……」
「えっえええぇ!? 嘘でしょ!? ……待って、私お店で誰かと二人になるだけで心配されるの!?」
「しますよっ!! だってさっきもそうだったじゃないですか!!」
「いや、鈴見さんはそうだけど……特例っていうか……私、襲われただけで……」
「ユズさんは誰かと二人きりになったら、こういうことになる可能性があるってそろそろ学んでくださいっ!!」
――そんなわけ……でも待って? 確かに私、誰かと二人きりになると、最近高確率で大変なことになっているような。
いやいや、というかその半分くらい相手ルルだよね? マッチポンプじゃないのこれ!?
「でも、アズキさんとは何度も一緒にバイトしているし……」
「何度も二人で、いやらしいことしてたんですかっ!?」
「違うって! いつもなんにもないってこと!!」
「でも、狭い空間に二人きりでもしかしたらお客さんも来るか持って緊張感と、エプロン姿のユズさん……なんにもなかったなんて……絶対ありえないです」
なんだろう、頭が痛くなってきた気がする。
だいたい今はブラインドカーテンしまっているけど、普段は外から店内見えるし。お客さん来るかもとかそういうレベルじゃないから。いや、人目がなくてもそんなことしないけど。
以前も思ったけれど、今後もルルとは二人きりにならないようにしようと改めて誓った。何が起きるかわからないし、怖すぎる。
「……それで、私とアズキさんが変なことしているんじゃないかってお店にこっそり入って……キャリーケースの中に隠れて、様子見てたってこと?」
「はい。……その、ごめんなさい。ユズさんの情事をのぞき見するような真似してしまって」
「情事って言い方やめてほしいな……」
のぞき見自体が問題だって、わかっているんだろうか。アズキもそうだけど、私のプライベートってあんまり守られていない気がする。
だいたいキャリーケースの中から、外の様子って見えないんじゃないのか。もしかすると普通のキャリーケースじゃない? 一人でケースから出入りできているみたいだし、人が隠れるようとか? ……マジシャンの小道具かなにかなら、存在するのかもしれない。
でもそうなるとなんでそんなもの、ルルが持ち歩いていたのか。単に出先でケースを持っていたというわけでもないんだろうか。縄もあるし、本当にマジックをする予定だったとか?
――お疲れ様会の余興に、キャリーケースからの脱出マジック?
「本当に、アズキさんとはしてないんですか?」
「え? ……いや、だからお店手伝っているときに、そんなことしないって」
「お店以外ではしているんですか?」
「し、してないって! ……してない……と思うけど」
厳密に言うと、ルルの琴線になにが触れるかわからないので、絶対に怪しいことはしていないと言い切れなかった。
でもアズキとはあれからキスもしていないし、抱きしめられたくらいなはず。ぶっちぎりで、なんでもしてくるルルに咎められるようなことはしていないだろう。
「本当ですか? 手とか握られたりしてません?」
「……え? ルルさん自分は服を脱がそうとしてきたり、無理矢理キスしてきたりしているのに、その基準で判定してくるの?」
倫理観がバグっているくせに、情事の判定が厳しい。
ともかく相変わらずなルルに拍子抜けたしたおかげもあって、私は襲われかけていたってのに割と直ぐ平静を取り戻していた。
あとは鈴見総次郎をどうするかだけど。
「ルルさん、そういえば鈴見さんのことどうして縛ったの?」
「すみません。やっぱりユズさんの肌に触れるような男……もう生かす必要もなかったですよね」
「そうじゃなくて!! ……まあ、縛らなかったら、また襲いかかってきたかもしれないし……いいのかな」
後ろからの奇襲でなんとかなったが、私もルルも体が軽い。体格差があるから、二対一でも普通に戦ったら負けるかもしれない。
甘い対応をすれば、また面倒になる。
こうする以外に、安全が確保できなかったから仕方なかった。――と結論づけたところで、階段から足音が聞こえてきた。
私が行こう行こうとして、後回しとなっていた報告が結局できないまま親達のほうが先に降りてきてしまう。
――って、この縛られた鈴見総次郎どうしよ!? 鈴見柳太郎に見られたら、怒られる? え、でも未遂とは言え、多分歴とした犯罪者だし……。
まずは賭け結果や、この状況を親達に説明しないといけない。上手くできるかな。




