第93話 煽られても怒りません。
私と鈴見総次郎の賭けが会社を巻き込んだものになったため、秘書らしきおじさんが契約書まで作成してくれるそうだ。
まず私と鈴見総次郎の二人で簡単に賭けの内容がまとめられた契約書に署名した。
私が負けた場合の具体的なことまでは結果発表までの残り少ない時間ではまとまらないので、いくつか条項だけこれから話し合うことになる。
「勝敗がわかるまでに決めた方が遺恨も残らないでしょうからね。総次郎、お前は下で待っていろ。ここからは大人の話し合いだ」
「柚羽も悪いんだけど……」
と親達に言われる。
会社同士の話し合いとなれば、私も鈴見総次郎もいるだけ邪魔なのは間違いない。
ただ鈴見総次郎と二人きりで待つのは――嫌だ。嫌だけど……でも一階はレジ付近なら監視カメラもあるし、二階に親達が居る状況で変なことはしてこない……よね?
そう思いつつも、やっぱりなにされるかわかんないし、レジ前からは動かないようにしようと固く誓った。
まだメイド喫茶からアズキはこちらを見ているのだろうか。アズキにも、お疲れ様会を約束していたルルとノノにも申し訳ない限りだ。
けれど契約書まで作ってくれるなら、今回の勝敗で本当に鈴見総次郎から悩まされることも最後になるはずでる。――もちろん、私が、私達が勝っていたらの話だけど。
「っち、しゃあねえな。おい、ユズハ行くぞ」
「……あの、前歩いてもらっていいですか」
「あ?」
とにかく警戒はするに越したこともないだろう。私は鈴見総次郎に先導させて、下の店舗へと降りた。
――上の話し合いが終わるの、どれくらいかかるかな? もしかしたら公式からの順位発表よりかかる? そもそもそれまで待ち時間、鈴見総次郎と二人きりなのが辛い。嫌すぎる。ゲームとかで時間つぶす……のも集中して危ない気がするな。
姫草打鍵工房の一階店舗まで来ると、鈴見総次郎は退屈そうに棚を眺めていた。
あんまりじろじろ見ないでほしい。
壁沿いの棚は基本的に商品そのままで出しっぱなしだけれど、細かいパーツ類がいろいろ入ったケースは散らばると面倒なのでなるべくキャスター付きの棚の一部は片付けるようにしていた。
開店前に大きい荷物を運ぶときなんか、よくぶつかって大変なことになるのだ。
「なんだこれ? こんなもん売って誰が買うんだ?」
キーボードの外部フレームを眺めながら、鈴見総次郎が言った、
「……オーダーメイドキーボードなんで、パーツを好きな物から一つずつ選んで組めるんですよ」
「はぁ? すでにできてるもんがあるんだから、自分でつくる必要ないだろ? バカか?」
「……」
話して損した。これだったら石ころと会話したほうがマシだ。
私は無視して今のうちにギルドメンバーの三人へ連絡を取ろうとしたら、スマホはそのままアズキとメイド喫茶に置いてきていたのを思い出す。
仕方ないので、レジ横に置いてある会社のノートパソコンでヴァンダルシア・ヴァファエリスを起動した。
かなり前にインストールだけ済ませていたものだ。もちろん本腰で遊ぶわけにはいかないので、とりあえずログインだけしてアイテム整理でもする。
ヴァヴァで作業をしていれば、こんな最悪な空間でもちょっとはマシになるだろう。――ただノートパソコンのキーボードってやっぱ押し心地が物足りないんだよな。
さすがにマイキーボードは持参していない。マウスもないからタッチパッドだし。
「お前も残念だったなぁ、ユズハ。合法的に俺の女に戻れるチャンスだったのによぉ。ま、なんだったら賭けとは関係なく抱いてやってもいいんだぜ?」
「やめてください」
パソコン画面から目を離さずに、反射的に拒否表示だけしておく。
「相変わらずつまんねー女だな。親父共の話もまだかかるだろうしよ、なんだったらいっちょここでやるか? ほら、このブラインド下げれば外からも見えねえんだろ? ま、俺は見えてても構わねーけどよ」
鈴見総次郎が勝手に店のブラインドカーテンを閉めていく。こちらも閉店作業で本来ならするのだが――人通りは少ないと言っても、外から店内が見えているほうが安心感もあるからやめてほしかった。
「ほらよ、これで俺達本当に二人きりだぜ? な、楽しいことしようぜ」
「……本当にやめてください。言っておきますけど、監視カメラありますから。私に変なことしてきたら、今度こそ録画映像警察に突き出しますから」
「あぁ? てめぇ、なんだその態度は。クソ女が。冗談に決まってんだろ」
舌打ちしながらも、鈴見総次郎は天井をじろりとにらんだ。とても冗談に聞こえない。
監視カメラがなかったら、なにかしてきたんじゃないかと思うと恐ろしくなった。
「つーかよ、てめぇの親。お前にそっくりだな。親子揃ってバカだろ。全然経営ってもんがわかってねーよ。鈴見デジタル・ゲーミングに楯突いて、パソコン業界でやってこうなんてアホだろうが。こんなチンケなキーボード屋が偉そうにしやがって。おとなしくさっさと鈴見デジタル・ゲーミングの言いなりになってろよな」
「……」
あー無視無視。
アズキに言われた通り、煽られても無視するのが一流のゲーマーだ。
ヴァヴァは基本的にプレイヤー同士の対戦とかないし、煽り合いもほとんどない。第一私はボイスチャットも前はほとんどしていなかった。
だからこういうの慣れていなかったけれど、オンラインゲームをしていたらこんな風に会話が通じないままに、相手を怒らせようと失礼な発言ばかりしてくる連中ってのがいる。
そんな連中を一々真面目に相手していたら、切りがない。さっと流して、相手にしない。オンラインゲームの鉄則。
「んだよ? 言い返すことねーからって黙りか? けっ、バカ親なのはお前もわかってるってことか。まあそうだよな、親がこんなしょぼくれた会社経営してたら、ユズハも生活苦しかったろ? 飯とか食えてたか? 小遣いとかもらえなくて、友達とも遊べなかったんじゃねーの? それも全部お前の親が悪いんだよな。可哀想に。その点俺は、親父がすっげー会社の社長だからな。何不自由なく最高の人生を歩んできたわけ」
その結果が、最底辺のクズ男のくせに。
「でもあれだよな。あれがお前の親か」
「え?」
急に鈴見総次郎の声のトーンが変わった。私もつい声が漏れてしまう。
「お前の母親ってことはいくつだ? 四十? 見えねぇな。ま、お前も面はいいからな。俺の顔面偏差値レベルと比べるとたいしたことねーけど、バカ親子の割には、美人親子ってやつか? けけ、頭空っぽな分か」
なんだこの人、急に母の容姿を。たしかに母は年齢より若く見えるし、私に似て? けっこう顔も悪くないじゃん? って思うけど。
「俺、一回でいいから親子同時で抱いてみてーんだよな。ま、年齢のこと考えるなら、ガキのほうが相当若くねぇとと思ってたが、お前の親ならぎりぎりアリだな。まとめて抱いてやろうか? そしたら、親父にいってこのクソ会社とてめぇらバカ親子、鈴見デジタル・ゲーミングでちょっとは面倒みてやるからよぉ」
「……っ!?」
煽りの方向性を変えてきた。
私が反応しないからなのか、ただ下半身が旺盛なのかわからない。
セクハラしてくる連中もよくいるし、こっちはヴァヴァでも何度か出くわしているんだけれど――まさか母のことまで巻き込んでくるってありえる!? 気持ち悪いっ!! 本当に不快過ぎるっ!! というか私の母さんをそういう目で見るなっ!! ぶっ飛ばす!!
思わず立ち上がってレジから飛び出そうになったが、私は寸前のところで止まる。深呼吸だ。どうせ鈴見総次郎の顔を見るのも、声を聞くのも今日で最後なんだ。
気持ち悪いことなんて、勝手に言わせておけばいい。母を汚すようなことまで口にしたのは、本当に許せない。でも、今私が余計なことをすれば不利になる可能性がある。
向こうはあくまで口汚く暴言を吐いているだけだ。もし私が感情のまま殴り飛ばしたら、私のほうが罰せられるだろう。
「あとあれだよな。この前いた女。あれお前の友達か? うぜぇ女だったけど、顔はよかったよな」
アズキのことか? もちろん答える義理はないので、私は目も合わさない。
「あと背もあるしよ。スタイルのいい女はやっぱ抱いてて優越感あんだよなぁ。俺に紹介しろよ。あいつも俺が鈴見デジタル・ゲーミングの息子で、プロゲーマーレベルの腕前があるってわかればすぐ惚れるだろ?」
「いや、無理です」
「おい、なんだよさっきから? いいから連作先教えろ。あいつは俺にケンカ売ってきたからな。惚れさせたあと、散々なぶって捨ててやらねぇと気が済まねぇんだよっ! そうだ、エロい写真でも大量に撮ってネットにでもバラまいてやろうか」
「……さっきから、うるさいです」
私は、ぎりぎり鈴見総次郎に聞こえないくらいの小声で言い返した。我慢の限界だ。それでもこいつの煽りに乗ったら負けだと必死にこらえる。
「しけた面すんじゃねぇって。てめぇ抱いているとこも動画に撮ってやるからよ。それで、英哲グラン隊の連中にでも見せてやるか。あいつらバカだから、お前が女ってだけでえらく気に入ってたみたいだからハ○撮りあるっていったら泣いて喜ぶぜっ」
「……そうですか」
知らない知らない。私の事なんて好きに言ってくれ。――だからもう母や、アズキ……私の大事な人のことは口にしないでほしい。
「あー、クソっ、ギルドの話したら思い出したわ。……あいつら最近なんかダルいんだよな。俺のこと舐めてるっていうか。ま、俺がイベントでぶっちぎりの記録出したら、どうせ手のひら返すんだよ。そんでユズハのハ○撮り動画チラつかせたら、俺のこと崇めるだろ。どうせゲームばっかのオタク共だろうからな」
――漫画とかの読み過ぎじゃない? ……いや、でも私もあんまりイケイケな大学生の実態とかしらないし、行為の最中を録画したりとか、仲間内でそういう動画の見せ合ったりとか実際にはよくあるのかな。
住む世界が違いすぎて、想像もできない。
あと鈴見総次郎、英哲グラン隊の人達から煙たがられてない? あの人達、常識ありそうだったもんな。鈴見総次郎、早く追放されたらいいのに。
「そろそろ俺がギルドマスター代わってもいい頃だろうな。お前のハ○撮りを交換条件にすりゃ、どうせあの小言ばっかのオタク野郎も言うこと聞くだろうし、ありだな」
――いやいや、この人は想像力すごすぎでしょ。ないよね、そんな動画。撮る予定もどこにもないし。しかもそれを交換条件にしたら、自分がギルドマスターになれると思っている。想像力がたくましすぎるって。今時そんな夢見がちな人いないよ? 現実と妄想の区別ちゃんとつけてこうね?
「俺がギルドマスターになったら、ユズハ、お前もまたメンバーに入れてやろうか?」
「……入らないです。もう私のギルドあるんで」
「あー、そうみたいだったな。お前が媚び売って集めたオタクのおっさん連中。きっと人生全部ゲームに捧げてきたから、現実じゃゴミみてぇな負け犬なんだろうな。そうでもなきゃ、ゲームの中とはいえ俺といい勝負できるわけねぇしよ。リアルじゃつまんねぇクズが、ゲームの中で調子乗りやがって」
「……なわけないでしょ」
ゲームでもリアルでも調子に乗っているだけの、どうしょうもないクズがなにを言うのか。鏡持ってきたほうがいいかな?
「なんか言ったか? まさか仲間だなんだって、庇うつもりかよ? どーせゲームやるだけ。バカ女に騙されて集まってきた下心だらけの負け犬共で、お前もイベントが終わったらさっさと捨てるんだろ?」
――語彙のレベル低いし、鈴見総次郎になに言われても無視ってもう決めている。だから全然っ、全然っ……ムカついてないしっ!!
だいたい、私が姫プレイして集めてきたメンバーなのは事実だ。
それなのに、私はパソコン画面から顔を逸らして、無意識に鈴見総次郎をにらみつけていた。
私はやっぱり短気で煽り耐性がないから、まだまだゲーマーとして二流かもしれない。あと少しで、飛びかかっていたかもしれない。だけど、その瞬間、パソコン画面が――。
開いていたヴァヴァのゲーム画面に、『イベントダンジョン攻略の最終結果が発表されました』とポップメッセージが表示された。
――あっ、もう十七時だ。




