第92話 乗り込みました。
事務所に乗り込むなんて言うと、まるで任侠物の映画みたいだ。
実際は親の会社で、ゲーム友達と一緒に飛び込むだけである。とはいえ覚悟も気持ちの入り方もカチコミくらいあるつもりだ。
お店の前に止めたままの高級車をにらみつけておく。お巡りさんに見つかって駐禁取られればいいのに。
「あれ?」
店舗内の壁際に、見知らぬキャリーケースを見つけた。私が入れそうなくらい大きな黒いものだ。
「鈴見さん達の私物かな? ……爆弾とか入ってないよね?」
勝手に邪魔くさい私物を持ち込まれたことに眉をひそめつつ、私は二階へ上がる。
――しかし、どうやって入ったらいいんだろう。『話は聞かせてもらった!』とかそんなかっこいい感じで入っていいのかな?
とそんなバカな真似もできないし、素知らぬ顔でノックして入ることにした。
「柚羽っ、なんであなた……」
「鈴見さん達、私に話あるみたいだから戻ってきたの」
どうしてそれを、と母がいぶかしんんでいるのは顔でわかった。だけど今盗み聞きどうこうの話をしている場合でもないから、堂々と訳知り顔でいる。
「おぉ、ユズハ。ちょうどいいところに来たじゃねえか。お前からも言ってやれよ」
鈴見総次郎の考えなしぶりが、今だけはありがたい。
「ああ、あなたが娘さんの」
「急に邪魔して、すみません。姫草柚羽です」
「総次郎から話は聞いているよ。可愛らしいお嬢さんじゃないか」
鈴見総次郎の横で、鈴見柳太郎が大仰に構えている。別にいいんだけど、立ち上がって挨拶なんてことはしないようだ。――まあ、社長さんが小娘相手にそこまで礼儀なんて気にしないか。
来客用のソファーにふてぶてしく座った二人は別に、後ろで立っている秘書らしきおじさんだけは私へ軽く頭を下げてくれる。
「賭けの話、お前の口からも説明しろよ」
「……えっと、賭け自体はたしかにしているんですけど」
母の誤解を解いて、鈴見柳太郎にも約束を取り付けるつもりで来ている。ただ鈴見総次郎に言われると釈然としない。まるで彼の言っていることが本当だと補足しに来たようだ。――違うよ? 訂正に来たんだからね?
「私と鈴見総次郎さんで、ヴァンダルシア・ヴァファエリスってゲームのイベントの順位で賭けています。賭けた内容は……えっと、私が負けたら一晩鈴見総次郎さんの言いなりになるってことと……」
「ちょっと!? やっぱり本当なの柚羽!? ……この子って子は」
「待ってよ母さんっ! その賭けをしたこと自体は私も反省してるけど
「くくくっ、親父言ったとおりだろ? これで一発逆転だ」
このままでは飛んだ親不孝者だ。親孝行できていないとは思っていたけれど、泣かせるつもりはない。
「あのねっ! 鈴見さん、言っておきますけど結果はまだ出てませんよね?」
「あぁ? 出てなくてもわかるだろ、俺の勝ちで決まってんだよ。まさか星占いじゃねーんだからよ、運どうこうでお前が俺に勝てると思ってんのか? 圧倒的な実力差があるんだから、わかりきってんだろ」
「……鈴見さんのその自信ぶりは、素直にすごいと思いますけど」
成金社長の息子に産まれると、これくらい自己肯定感の塊みたいに成長できるんだろうか。嫌み抜きですごいと思う。自分がこうなりたいとは思わない。
「柚羽、それでその勝敗って言うのはどうやって決まるの? いつわかるの?」
鈴見総次郎の自信が何の裏付けもないってわかっている私はともかく、母の心配をかき立てることはできたようだ。――母さん、こいつに騙されないで。本当、こいつ口だけだから。口と親の金だけ。
「結果がわかるのは今日の十七時で、公式から発表があるんだけど……それより、私が勝ったらわかってますよね?」
「あー? んだよ。負けるわけねーから忘れちまったな」
「私が勝ったら、鈴見デジタル・ゲーミングのゲーミングパソコンの販売サイトに載っている姫草打鍵工房のマイナスイメージに繋がる文章の削除をすること。あとは姫草打鍵工房に二度と関わらないこと。この二つを守ってください」
「けっ、そうだったなぁ」
興味なさそうに鈴見総次郎が喉を鳴らした。
「おい、総次郎。お前そんな約束をしたのか……まあ、たいした内容じゃないが会社に関わることを勝手に口約束するんじゃない」
「だから俺が負けるわけねーんだから、どうでもいいだろ?」
「柚羽、あんたもそんなことに自分のこと賭けてっ!!」
「ごめんって。もう説教は後にしてよ……あとでいっぱい怒られて、いっぱい謝るから……」
親二人に怒られるのは仕方ない。ただ鈴見総次郎と並んで怒られているのはいい気分がしないから、やめてほしかった。
――だいたい、私は自分の体賭けたんだからいいじゃん!! 自分の判断で……いや、これがマイキーボードが勝手に自分の身を賭けて変なことしたら私も……ってマイキーボードに意思はないからさすがにそんなこと、もしもでも考えられないけど。でもマイキーボードにも自分の身はもっと大事にしてほしいと思う。うん。
「と、とにかくっ!! 鈴見柳太郎さん、あなたの息子さんがした約束、もし私が勝ったら守ってもらえますか? ……サイトのことはもちろん、息子さんがおかしなことしないようにきっちり指導しておいてください」
多少無礼なことを言っている自覚はあったけれど、『躾けろ』と言わなかっただけ褒めてほしい。私って、鈴見総次郎と違ってビジネスマナーとかあるし。
「ほう、君は賭けの約束を果たす覚悟があるということかな? ……そうなると、君が負けた場合は――」
「私が負けたら、約束は守りますっ!」
「ふはっ、君の一晩に私は全く利点を感じないんだよ。総次郎、お前も他に女くらいいるだろう。いいかい、お嬢さん。私の望みは君の会社とまた取り引きさえてもらうことだ」
自分にたいした価値がないのはわかっているけれど、鈴見柳太郎に鼻で笑われるのはムカってきた。成金社長だから女性に困っていないんだろうな。
「君の体の代わりに、君の頑固な母親を説得してくれないかな? もし私の息子が勝ったら、鈴見デジタル・ゲーミングと姫草打鍵工房の取り引きをまた始めさせてもらいたい。条件は、まあ多少融通してもらいたいがね。もちろん、そちらにとってもメリットのあるものにすることは約束しよう」
「悪いんですけど、私は最初にした約束を変えるつもりないですからっ!! 会社のこと巻き込むつもりないですしっ!!」
「ちょっと柚羽っ、勝手なこと言わないで」
「母さんこそっ! 私の責任なんだから、会社にも母さんにも迷惑かけられないよ」
私は、鈴見総次郎の勝手な言い分を否定しにきた。
それから、母が騙されて信じた誤解を解きにきた。
――どっちも会社を、母さんを、私と鈴見総次郎の問題に巻き込まないためだ。
だったけれど。
「柚羽……あなた……そんなこと言って……」
「か、母さんっ!?」
母の目が、今にもぽろりと涙を流しそうなほどに潤んでいた。
「責任って……責任なんて言うなら、柚羽。母さんが総次郎さんにあなたのこと紹介したことが、全部の始まりじゃない」
母がうっかり鈴見総次郎に私を紹介したから、嫌々付き合うことになってこんなことになったというのはたしかにそうだ。
でももっとたどれば、私が鈴見総次郎に話しかけられたからで。それも母の忘れ物を届けに会社の用事で鈴見デジタル・ゲーミングのビルに行ったからではあるけど。いや、そんな――。
「そんなの、母さんのせいじゃないって。こうなるってわかってたわけじゃないし……」
「それと一緒。柚羽がいつまでも気にすることじゃないんだから、だから自分の責任なんて思わないで」
「でも賭けのことは、私がわかって自分でしたことだから」
「そのことは後でしっかり怒るからね。……だけど、そもそも責任に感じてたからしたことでしょ? 柚羽、だからあなた一人で背負おうとしないで。ごめんね、母さん柚羽が頑張って会社のこと手伝ってくれてたのは知ってたけど、まさかそこまで思い悩んでたなんて知らなかった」
気づいたらまた、母に抱きしめられてしまった。
今日はよく、母に慰められてしまう。今泣いているのは母のほうだけれど、間違いなく慰められているのは私だった。――諭されている、かな?
気づいたら、高めたはずの私の自己肯定感が、生まれながら天然もの鈴見総次郎を前に圧されていたのかもしれない。
それでまた勇み足で、本当に母を泣かせそうになってしまうなんて。
――でも、私は一人じゃない。母さんもいるし、打鍵音シンフォニアムのみんなのおかげで賭けにも絶対勝っている。
天狗の鼻をへし折って、今日からピエロにしてやるんだ。
「はははっ、感動的な親子愛じゃないか。なあ、総次郎。……それで、話はまとまりましたかね?」
鈴見柳太郎の声で我に返ると、親子とは言え人前で抱き合っていたことが少し恥ずかしい。
あと数話ほど百合が薄まりますが、鈴見総次郎の最後と思って見届けていただけると助かります。それ以降、恋愛が主軸になって鈴見総次郎は完全にモブとなる予定です。




