第80話 身を守ることの大切さを説かれてます。
小洒落た喫茶店の店内には、シーリングファンのかすかな音とジャズかなにかが小さめに流れていた。
この雰囲気を壊さないように、声に気をつけて私はノノと話している。
ノノから鈴見総次郎の話が切り出されたのは、意外といえば意外だけれど、イベントダンジョン攻略が――賭けがもう直ぐ終わるタイミングと思えば、そこまでおかしくもないのだろうか。
ともかく、私はノノの話を聞くことにする。
「鈴見さんのこと?」
「あーその人! ……ユズ、あの賭け、もしもだけど、本当にもしものもしもで、万が一だけど」
歯切れ悪そうにノノが言う。
「……負けてたら、約束通りにするの? 一晩、鈴見さんのものになっちゃうの?」
「えっ、それは、まあ約束だから……」
「嫌だからね。アタシ、絶対嫌だから」
「嫌って、そりゃ私も嫌だけど」
当たり前のことだけど、鈴見総次郎に一晩体を好きにさせるなんて嫌に決まっている。
だから勝つために全力で手段を選ばず――って卑怯なことはしていないよ?
でもメイド服来たり、合宿したり、いろいろと頑張ったはずだ。
脱がされそうになってもめげなかったし、鈴見総次郎からの嫌がらせまで受けたけれど屈していない。
「それっ! そのユズの『そのときはそのときで仕方ない』みたいなやつっ! いつもそういう流され方ばっかじゃんっ!!」
「えええぇ!? ……そんなことないと思うけど」
「絶対そうだからっ!! 誰とでもすぐキスしてるし」
「いや、誰とでもしているわけじゃないんだよ?」
誰とでもしているわけじゃない。
わけじゃないけど、よく考えたらたしかに流されるままされている気もする。
――あれ、もしかして私よくない? ずっとルルやアズキ達の異常性ばかり問題視していたけれど、やっぱり私のスタンスのほうが原因なの?
「そのくせアタシには渋るし、最後にするし……」
「そんなことないって。キスだけだって……あ」
そういえば手料理を二人には振る舞っていたな。でも元々ルルには交換条件としてご馳走して、アズキにも流れでつくったわけだから。
「あってなに? まだなにかあるの!? ルルちゃんとアズキとまたなにかしたんでしょ!?」
「たいしたことじゃないって……」
私はすっと目をそらした。手料理くらいたいしたことじゃないと思うけれど、ノノはまたうるさく言ってきそうだ。
「とにかくっ!!」
ノノが品のある喫茶店で出せるぎりぎりで声を張り上げた。
「ユズはもっと自分のことを大事にしてよねっ!!」
「……しているはずなんだけど。あとノノさんに言われるとなんだか腑に落ちない。キスとかもそうだけど、だって前は下着の写真とかいろいろ要求してたくせに」
これはまだノノがアイドルの九条乃々花だとも、女性だともわかっていないころの話だ。
私はおっさんだと思って接していたのだけれど。
「あ、あれはっ!! だって、ユズ、アタシのお願いは嫌なやつは嫌ってきっぱりと断るじゃんっ!! だから言うだけなら、いいかなって……もしかしたらとかあるし……」
「それセクハラする人の思考なんじゃ……」
「違うよっ!? あと、なんでアタシのときだけきっぱり断るの!?」
「えぇ……うーん、毎回断っているはずなんだけど、なんか無理矢理……」
別にノノ以外だから私が了承しているわけじゃないのだ。
「キスのときも話したでしょ。私が望んでそうなったわけじゃなくて、ルルさんもアズキさんも……特にルルさんは私の話とか聞かないし……」
「ふーん? 想像つかないけどなぁ。ルルちゃん、おとなしそうな良い子じゃん。ルルちゃんが可愛いから、ユズもその気になってるだけじゃないの?」
「えええぇ!?」
そうか、普段のルルしか知らない人からするとそう思えるのか。
たしかに私だって今も外見と普段の言動からは、あの二人きりのときの暴走ぶりは想像できないけど。
「……アズキも美人だし、背、アタシより高いし、かっこいいし」
「まあそれはそうだけど」
「うわっ!! やっぱユズもアズキのことかっこいいって思ってるの!? 有りだって思ってるんだ!?」
「有りってなんの話? ……別に有りでも無しでもないって」
私はノノをなだめるが、どうにも納得してくれない。
「やっぱ二人には優しくない?」
「……そんなことないって。だから二人からは、えっとなんかこう拒めない流れがあってで」
「仮にそれが本当だとしたら、ユズの言うこと聞かないで無理矢理したほうがお得ってことじゃんっ!! ユズが嫌がってたら、すぐ素直にやめてるアタシがバカみたいんじゃんっ!!」
「そ、そんなことないよ!? 一番素晴らしい考え方だよ!?」
――相手が嫌がることはしない。もうこれ打鍵音シンフォニアムの標語にしたいくらいなんだけど。
「とにかく! ユズがちゃんと嫌がらないと、アタシだって無理矢理しちゃうかもだからねっ!! ちゃんと自分の身を守ってよ!!」
「は、はぁ……頑張ります」
顔を赤らめながらよくわからないことを言うノノだったが、私のことを心配してくれているのは間違いないようだ。
気持ちだけ受け取っておく。――いや、自分の身を守りたいのは、もちろんそうなんだよ。私だっていつも全力で守っているつもりだからね?
「ま、ユズが鈴見さんに負けたとしても、ユズの初めての夜はアタシがもうしっかりもらっちゃったからねっ!! ふふんっ、これからユズにどんなことがあっても、アタシとの思い出が一番だもんねっ」
「え? ……いや、あのノノさん、前も思ったけど」
「うー、でも嫌だなぁ。ユズが他の人とキスしたり、手つないだりって……ルルちゃんとアズキなら、こう、なんか不思議とぎりぎり我慢できるんだけど……同性だからかな? 二人とも顔がいいから? でも鈴見さんは見たこともないけど声からして無理っ。男だしっ」
「あーその、男とかじゃなくて、えっと」
――この人、十九歳だよね? 一晩過ごすの意味本気でわかっていないの?
全国にいるアイドル九条乃々花ファンを集めて、朗報を知らせてあげたい。
乃々花ちゃん、汚れなく純潔だよ。――あ、私がファーストキス奪ってた。ごめん、みんな。忘れて、解散で。
無垢なアイドルにあんまり生々しいことを教えるのもはばかられたので、私は黙っておくことにした。コーヒー美味しいな。
しかし決して他人事ではなく、これは自分の身にかかる問題なのだ。
もし鈴見総次郎に負けていたら。勝ったとしても、そのあとはパーティー内での勝負があって――マズい。結局、私の身は誰かのものになってしまうかもしれない。自分の身は自分で守るなんて言われた手前でさっそく大事な身を守れないかも。……いやこれはだって、もうどうしょうもないって。
なんて頭を抱えていると。
「あれ、姫草?」
突然、名前を呼ばれた。
「えっ!?」
慌てて声がしたほうを向けば、そこには見知った顔があった。
「それ制服よな? なんでそんなん着てんの。人違いかと思ってガン見しちゃったよ」
けらけらと笑っているのは、大学の先輩である斉木芹那だった。
目立つ金髪をポニーテールにし、耳には派手なピアスがいくつもついていて、いかにも派手な女子って外見をしている。
しかも背中にはギターケースを背負っているから、バンドやっている派手な女子に昇格だ。
バンドをしているのは知っていたけれど、練習かライブの帰りだろうか。
――それよりも。
「えっ、ちょっと。この制服は違くてっ!? 斉木先輩、これは深い事情が」
「なんだ姫草、あたしに内緒でいかがわしいバイトでもしてんのかー? そんなん、お姉さんに言ってくれたら援助してあげたのによー」
――大学の先輩に、制服着て出歩いているところ見られた!!
ていうか、マズい。今向かいの席には――。




