第68話 気が抜けてうっかりです。
鈴見総次郎との一悶着があったのと、アズキと手料理を振る舞うことになったので、戻るのが多少遅くなる旨を久瀬さんに連絡した。
久瀬さんは姫草打鍵工房の数少ない社員で、今は私の代わりに店番している。
まだ事務仕事もあるはずだし、これからお昼って言ってたから、遅くても十三時時前には戻らいとな。
「えっと家はあっちで……アズキさんは初めて来るんだっけ?」
「僕は?」
「え? いや、たいした意味じゃないけど」
前回ルルとアズキがお店に来てくれたときは、アズキが帰ったあとにルル一人だけを招待していた。それがちらついたのだけれど。
「僕以外は、誰かユズの家に来たことあるの?」
「……あの狭い家だけど、どうぞ。上がってよ」
マズいな、まだ鈴見総次郎とのことで動揺しているのかもしれない。うっかり余計なことを言ってしまった。
特にアズキは、今までもルルと張り合うようにしていた過去がある。
一応、アズキに関しては前回しっかりと約束してくれたはずだ。
合意もなく変なことはしてこないと信じている。
――そうは言っても、ストーカー紛いのことをしてたわけだし。だって鈴見総次郎が本当に来たから、なんか守られたってことで正当化されているけど、やっていたことは普通にストーカーだよね!? いや、でも守ってもらった手前なにも言えないし。だけど隠し撮りは別なような気がするし。
「それで、他に誰が来たの? ルル? ノノ?」
「えっと……ルルさんが……」
「そう。鈴見総次郎は来てない?」
「来てないって! 前も言ったと思うけど、そういう関係じゃなかったからね!! 家に入れたりなんて絶対ないって」
それに会社のことはバレているが、自宅の住所は大丈夫なはずである。
もし家まで来たなら、今度こそ本当に警察も呼ぶ。
「そう。鈴見総次郎はダメで、僕は呼んだ」
「え? う、うん。アズキさんは、ギルドメンバーだし……助けてもらったし」
「……ギルドメンバー」
アズキが復唱するのを横目に、私はキッチンへ向かう。
「直ぐ作るから座って待ってて。あ、手洗うならそっちで」
それだけ言って、私も手を洗い、準備を始める。この短期間でオムライスばかり作っているから、かなり技術は向上していると思う。
多少は他のことも同時並行できる余裕も生まれていて、私はダイニングに戻ってきたアズキへ声をかけた。
「……あのさ、鈴見さんのことだけど。やっぱりウチのキーボードまた売りたいって思ってるのかな?」
「問題解決のために取る手段としては、可能性が高い。以前のような形態か、もしくは自社ブランドの制作を依頼してくる場合も考えられる」
「せ、制作依頼……? そっか、姫草打鍵工房で設計とかパーツとかだけつくって、あとの大量生産は鈴見デジタル・ゲーミングがやるとか、もしかしたら全部こっちでつくったのをブランドロゴだけ変えてくるってパターンもあるのか」
ようするにプライベートブランドとして販売はしているが、実際につくっているのは他のメーカーということだ。
大手ブランドの自社製品ではそういうものも多いと聞く。だから別に悪いことではないんだろうけれど――鈴見デジタル・ゲーミングのロゴをつけられて姫草打鍵工房のキーボードが売られるなんて耐えがたいっ!!
「……私が口出すことじゃないけどさ。そんなの嫌だ」
「僕も、やめたほうがいいと思う」
向こうから、アズキのはっきりした声が返ってきた。同情で同意してくれただけじゃない、なんとなくだけど、そんな声だった。
「経営的な観点は、社内事情もあるからはっきりとしたことは言えないけれど、鈴見デジタル・ゲーミングはこれから先を感じない。オリジナルブランドの制作元になるのも、商品を提供するのも、今後はメリットがどんどん減少すると見込みが高い」
「それって、えっとアズキさんって株とかそういうの得意なの?」
「それなりに。……今、いろいろあって無職だから」
「そうなんだ?」
深く聞いていいのかわからなかったので、なんとなくそこで聞くのをやめた。
ただ株の売買で、利益を出して生活しているということなのかもしれない。――似合うな、やってそうだ。デイトレーダーってやつなのかな?
励ましも多少はあるだろうし、アズキの言葉を全面的によりどころとするわけじゃないけれど、はっきりと同意してもらえたことで心強かった。
鈴見デジタル・ゲーミングがこの先どうなるのか、経営のことなんてさっぱりわからない私にはなんにも言えない。
――ともかく、姫草打鍵工房に変なちょっかいをかけられないよう、私は私で鈴見総次郎を遠ざけるだけだ。
賭けでも負けないし、変なことを言われてもきっぱり断ろう。
「あれだよね! アズキが撮ってくれた動画と録音の保険もあるし、もう鈴見さんも直接なにかしてくることなんてないよね……。会社経由のことは私もなにもできないし、ヴァヴァのイベントに集中するだけかな」
鶏肉とタマネギを炒めて、炊いてあったお米を混ぜていく。
酸っぱさが強く残らないように、ケチャップは単体でも軽く炒める。
「ユズ、油断は禁物。鈴見総次郎のことだから、考えなしにまた危害を加えてくるかもしれない」
「えっ……そ、そうかな。……たしかに今日のことだって、明らかになんにも考えてない感じだったけど……」
アズキに言われると、楽観的だった気もしてくる。
――鈴見総次郎が、先々のことまで考えて行動するタイプの人間じゃないのは間違いない。私だってその鈴見総次郎に乗せられてバカな賭けに乗ってしまったこともあるので、あまり強くは言えないけれど。……でもあいつは間違いなく、考えなしのバカだ。
暴力未遂の動画と、恐喝紛いの録音があるからと言って、こちらの身が安全なんて保障はどこにもなかった。
「また来たらどうしよ……。あっ、ごめん。こんな話やめよっか、ご飯美味しくなくなっちゃうもんね」
無理してでも笑って、私はチキンライスを皿にもった。
あとはフワフワ卵だ。失敗するとしたらここだから、集中しよう。だけど、鈴見総次郎のことが脳裏を離れない。
――もしまた来たら、私は鈴見総次郎を一人で追い払えるだろうか。ヌンチャクを毎日持ち歩けばいいのか。いや、もっと痴漢撃退スプレーとかかな。それでどうにかなる……?
もしかしたら、もう警察に相談すべき段階なんだろうか。でも実際に被害があったわけじゃないから、どこまで対応してもらえるんだろう。
そんなことを考えていると、完全に気が散ってしまっていた。
手が小さく震えている。肝心の料理も、フライパンに流し込んでから卵のかき混ぜが悪かったせいで、変に固まってしまった。
「ユズ、大丈夫。僕が守るって言ったでしょ?」
いつの間にかキッチンへ来ていたアズキが、私の直ぐ後ろに立っていた。
背中からアズキの手がそっと伸びて、私の手の上に重なる。
「……守るってそんな」
「オムライス、美味しそう。食べよう」
失敗したほうを自分用にして、急いでアズキの分もつくる。今度はまあまあ上手くいった。アズキのおかげで、少しだけ気持ちが落ち着いたみたいだ。
――恥ずかしいな。全然、ダメじゃん、私。
アズキと向かい合って、オムライスを一口食べる。やっと力が抜けた。
「私、思ってたより怖かったみたい。……アズキが来てくれて、本当助かったよ。ありがとうね」
改めてもう一度お礼を口にした。鈴見総次郎の対策は本気で考えよう。私も、多分甘く見ていた。
「うん。……オムライス、美味しい」
アズキが少しだけ嬉しそう顔になった。いつも変化のない顔だから、そのちょっとした笑顔が、私を安らがせてくれる。
「よかった。あーもう、やっぱあれだよね、ルルさんにも散々襲われかけてたけどさ、全然違うよね。やっぱ鈴見さんへの拒否感というか……男怖いって言うかね。ルルさんになんて二回も脱がされかけたくらいなのに」
笑い話にでもしてしまうと、私はできるだけ明るくそんなことを言ったのだが。
言ってしまったのだが。
「脱がされそうになった? ユズ、詳しく教えて」
――あ。
本当、バカ。




