第65話 ストーカーが一人だけと思いましたか。
アズキは、鈴見総次郎の手を払いのけると、そのままあいつに顔を向けて警戒しながらも、
「ユズ、大丈夫? ごめん、カメラのせいで遅くなった。あいつに触らせるつもりなんてなかったのに」
と私の身を案じてくれる。
私の前に立った背中は、驚くくらいに頼もしい。
――彼女が突然現れたことへの驚愕が、そのまま安心感と混乱しているのかもしれない。吊り橋効果っていうやつだ。多分、この胸の高鳴りは。
「だ、大丈夫だけど……えっと、どうしてアズキさんがここに? えっと、カメラって?」
「あっち。……鈴見総次郎、今のやりとりは撮らせてもらった」
アズキの指さす先を見れば、エアコンの室外機の上にカメラが置かれていた。
近くにある雑居ビルのものだろうか、大型の薄汚れた室外機だ。
小ぎれいなハンディカメラはやや不安定な形で載せられているが、レンズはしっかりとこちらを向いている。
「なんだよてめぇ? 関係ないだろ、すっこんどけよ女。……あー、そうか勘違いしたかもしれねぇけど、俺とこいつは付き合っててよ、痴話喧嘩みたいなもんだから、気にすんなって」
「違う。ユズと鈴見総次郎の交際関係はずっと前に解消されている。例えもし交際関係があったとして、同意のなく相手の体に触れることは認められていない」
うん、そうだけど。――アズキも、私に有無を言わさずキスしてなかったけ?
そんな余計なツッコミを頭に浮かべられるのは、アズキが来てほっとしたからだろう。
「はぁ? いや、意味わかんねぇし、なんなのお前? 顔はそこそこいいけどよ、俺と遊びたいのか?」
「遊ぶつもりなんてない。視界に入るだけで不快」
「ちょ、ちょっとアズキさん。完全に同意なんだけどあんまり怒らせないほうが……」
「問題ない。僕は通信教室でムエタイを習ったことがある」
そう言って、アズキは突然空中に蹴りを放った。
シュッっと空気を切る音がした。一目で私にもわかる、素人の蹴りじゃない。
アズキは背もあって、鈴見総次郎と並んでも大差ない。
さすがに体はだいぶ細いけれど、今の蹴りを見ればそんな体重差が関係ないのもわかる。
おそらくなんの格闘技経験もないチャランポランな人生を送ってきた鈴見総次郎が、アズキに勝てるわけもないだろう。
「鈴見総次郎がユズにつかみかかろうとしたところ、最初の言い合いの部分から録画していた」
「なっ、てめぇなに勝手に撮ってんだよっ!! 言っとくけどそれくらいでなんだってんだ、ちょっと口論して、肩つかんだだけだろ」
「これもある」
アズキはポケットから、スマホを取り出した。画面も見ないまま、慣れた手つきで操作すると何か音が聞こえてきた。――会話だ、それも私の声と、鈴見総次郎の?
これは私と鈴見総次郎がヴァヴァのイベントでの賭けをすることになった、前回の通話の録音だ。
そういえばマイクミュートしていなかったせいで聞かれていて、しかもアズキがいろいろ音声編集したからほとんど鈴見総次郎側の声も合わせて保存されているんだった。
「なんでそんなもんがあるんだよっ! おい、ユズっ! 俺との通話をなんでこの女がっ」
「鈴見総次郎、これがネットに公開されればあなたの評判は落ちる。警察からも恐喝とストーカー容疑で厳重注意くらいにはなる」
「はぁ!? なんで俺がっ、ふざけんんじゃんねぇよっ」
「僕の要求は、二つ。今後二度と、ユズに手を出さないこと。承諾なく接近することも禁止する。それから賭けを成立させて、約束を守ること」
アズキは、鈴見総次郎の話などまるで聞く気がないようだった。
軽く身構えたまま、じっと鈴見総次郎のほうを見ている。鈴見総次郎は、私とアズキを交互に見ながら、どうすることもできないようだ。
「……おい、ユズ。お前がなんか勘違いしてるのかもしれねぇけど、悪い話じゃねぇから安心しろよ。てめぇんとこのキーボードの話だよ」
「キーボード? サイトの文章、賭けに関係なく消してくれるつもりになったんですか?」
「ばっか、ちげーよ。そうじゃなくてな、また俺の会社でお前のとこのキーボード、また売ってやってもいいって話だよ。あれな、マジで考えてもいいぜ?」
「それは……あの条件なら、私、飲むつもりないですから」
私が鈴見総次郎の言いなりに一ヶ月なって、社員一同で鈴見デジタル・ゲーミングへ謝罪に行くというのが条件だった。
そんなものを受け入れるつもりなんて当然なく。
「あー……それな、多少目をつぶってやってもいいぜ。俺は寛大だから、てめぇが半年俺の奴隷ならそれで許してやるわ。謝罪の件はなしでもいい」
「ユズ、聞く必要ない」
「おいっ、だから関係ないやつが口挟むなっ! ちっ、やっぱりまた今度だな。通話してやるから、出ろよ。次はこのわけわかんねぇ女がいないときに来てやるよ」
鈴見総次郎はにへら笑いを浮かべながら、その場を離れていった。
背が見えなくなるまでは私の警戒心は解けなかったけれど、やっと一息つく。――助かったみたいだ。
アズキも私のほうを向く。涼しげな美人だけれど、いつもより少しだけ不機嫌そうだ。それでも私の顔を見ると、すっと笑う。
「ユズ、平気?」
「う、うん。アズキさん、ありがとう」
「ほら、大丈夫だから」
アズキはそう言って、両腕を広げた。
「え? あの?」
「抱きしめる。怖かったでしょ?」
「う、うん。怖かったけど……」
「ほら」
よくわからないが、言われるがままアズキの体にすっと自分の身を入れると、両腕でそのまま抱きしめられる。
思い返せば、アズキと最初にリアルで会ったオフ会のときもこうやってハグした気がする。あのときは私のほうが抱きしめる側だったけれど。
「ユズ、もう大丈夫だよ」
「……ありがとう。アズキさんがいなかったら、本当どうなってたかわかんないよ」
アズキに力強く抱きしめられて、私の震えが止まった。
「ユズ、もっと僕にも抱きついていいからね」
「……あのさ、なんでアズキさんはここにいたの? それに、カメラも持って」
アズキの腕の力がちょっとだけ弱くなって、私は背に冷たいものを感じる。
「えっと……もしかしてだけど、私のこと見張ってたの? 今日だけじゃなくて?」
「……ユズ、ずっとじゃない。ユズが外出中のときだけ。ユズが家にいるときはヴァヴァをするから、僕も家に帰っていた」
「う、うん? それって肯定って意味で当たってる?」
声が思わず震える。私はアズキからそっと離れるようにして、腕から逃れた。
――警察、やっぱり呼んだほうがいいかな。二人目のストーカーが出てきただけなんじゃ。





