第31話 一夜を過ごすことになりましたけど。
一人手持ち無沙汰にうろうろと部屋の中を物色していた。
備え付けのシックな冷蔵庫にはドリンク類や菓子類が完備されているし、コーヒーメーカーまである。
有線接続で高速回線のインターネット環境もあるそうで、ここに住み込んでヴァヴァを遊びたくなるくらいだった。
――これ飲んでもいいのかな?
私はノノと自分の分用に二本ミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。洗面所からは相変わらず、
「な、なんでぇえええっ!! なんでこんな顔でぇええっ!!」
みたいな悲痛な声が聞こえてくる。
化粧はグチャグチャだったけれど十分可愛かったのであまり落ち込まないでほしい。
窓の外から夜景を眺めながら、――キスしちゃったな、と実感の伴わないことを考えているとノノがやっと戻ってきた。
ずいぶん待ったなと思っていたけれど、お風呂も入っていたようだ。部屋が広いので甲高い声は響いたけれど、入浴している音は全く聞こえなかった。
ドライヤーはかけているのだろうけど、しっとりとした髪にほんのりと赤い顔、そしてなによりバスローブ姿だ。
――化粧必要あったの? ってくらい可愛いな。これだからアイドルは。本当にスッピン?
などとまじまじ顔を見ていたらノノが、
「ユズも、お風呂入ってきたら?」
となんでもないように言った。
「え? いや……えっと、本当に泊まるの?」
「もう遅いし、部屋でルームサービス頼んで食べよ」
「晩ご飯の心配じゃなくて……」
メニューは適当にえらでおくから、とノノに言われて私は浴室に追いやられてしまった。
本当にこのまま泊まっていいんだろうか。――どうしよう、逃げるべきかな。どっかに窓……ってここ五十階とかだっけ。無理だな。
母にメッセージで泊まりになる旨を連絡し、あきらめてお風呂でゆっくり温まることにした。
家のお風呂よりも一回りは大きい浴槽に、無駄に空間を有した浴室で、リラックスできたのかどうかもよくわからなかった。
――お湯キレイな気がするけど、張り直したのかな? アイドルの入浴湯が。
バブルバスの泡を飛ばして遊び、特にこれからどうするか考えもまとまらず浴室から出た。
私が脱いでたたんでいた服の横に、下着が置かれている。――ノノの下着……ってこれ新品? うーん、どっちかわからないけど、出してもらったし使うか。
下着の上は用意がなかったので、インナーはそのまま着ていたものを再度着直す。バスローブを着るか悩んでいると、もう一つ普通のパジャマらしいものも見つけた。
バスローブのほうが高級ホテル感を楽しめそうだったけれど、あんな心許ない衣服で一晩過ごせる気がしない。私はパジャマのほうを選んだ。
「ユズー、大丈夫? 背中流そうか?」
「えっ!? いや、大丈夫もう出たとこだから」
ノノの声が聞こえてきて、私は慌ててパジャマを着た。
◆◇◆◇◆◇
ルームサービスで夕食を済ませて、他にもいろいろあったのだが気づけばもう眠る時間になっていた。
想像以上に豪華な食事に驚いて食べ過ぎた結果、満腹により思考力が低下していた。
食べてからそこそこ時間はたっているのに、全然頭が回らない。
「一緒に、ね。そろそろベッド行こうよ、ユズ」
「え? ……私、こっちのソファーで寝ようかなって。私、眠り浅いから一人のが眠りやすくて」
「大丈夫っ! アタシ寝相いいし、いびきとかもしないよっ」
「そうじゃなくて」
ダメだ、このまま流されるままでいると大変なことになる気がする。
だけど約束を破った手前、あまり強く拒否するのも申し訳ない気がしてしまう。
――でもでも、そんなんでいいの!? 罪悪感で流されるまま一夜過ごすのは乙女としてちょっとっ。
たじろいでいた私だったが、ノノに力強く腕をひかれるとそのままベッドまでついてきてしまった。
「右と左どっちがいい?」
「……床」
「じゃアタシ右側ね、ユズは左側! ほらっ」
「えっ、う、うん」
多分キングサイズのベッドだ。かなり広いから、それを活かしてなるべく端に――。
「ユズ、もっと真ん中来なよ。寝返り打ったとき落ちちゃうよ?」
「でもほら、こっちのが落ち着くって言うか」
布団の中から腕をひかれて、しぶしぶ真ん中に寄る。寄ったけれど、ノノの手が離れない。
そのまま私の手を握ってきた。
「……ユズ、今日はありがとね」
「えっ、そんな……むしろ謝ることのほうが多いし」
「それはそうっ! まだアタシもちょっと引きずっているけど」
「それは本当にごめん……」
――やっぱりこのままその責任としていろいろと。
「でもユズ、言ってくれたもんね。アタシのこと、特別だって」
寝転がったまま、少し横を向くと直ぐ近くにノノの顔がある。ノノは天井を見ていたけれど、ほんのりと頬が赤かった。
「嬉しかったよ。あのときはそれどころじゃなくて、だだばっかこねちゃったから、アタシもごめん」
「えっと、その……うん」
「アタシもユズが特別。ユズと一緒に遊ぶのが一番楽しいし、こうやって一緒にいると胸がね、こうキューってなってドクドクって」
「そ、そうなんだ」
もしかしてムードをつくっているのだろうか。
そうなるとこのまま――私のゲーマーとしての勘が、これはボスモンスターが大技を放つ前の予備動作としての演習に近いのではないか、と警戒信号を鳴らしている。
でも、ベッドから逃げ出すことはできなかった。
多分、罪悪感だけじゃない。それは私も、ノノを特別だと思っているからだ。――もちろん、ギルドメンバーとして。
「ユズ、アタシからもキスしていい?」
「えっ!? いやその……いいけど……えっと、あ、今日はもうけっこう眠いかもなぁ。ちょっと疲れてる感じして」
ぎゅっとまた握る手の力が強くなった。
あたふたとしている私を無視して、ノノが上半身を寄せてくる。
「可愛い。あんなことするから、ずいぶん慣れてるのかと思ったけど……」
ノノは照れくさそうに笑って、それから私にキスをした。
「おやすみのキス、しちゃったね」
「え……あ、うん。おやすみの……」
そう言って、ノノは付いていたベッド脇のテーブルランプも消しす。もう一度、
「おやすみ、ユズ」
とだけ言って、そのまま眠ってしまった。
「……おやすみ」
――よかった。よかった。というかいろいろ考えすぎていた私が急に恥ずかしくなってくる。
よくよく鑑みて、今日ファーストキスだったノノがそんな大それたことをしてくるなんてあり得なかったのかもしれない。
いや、私が悪いんじゃなくて、ファーストキスだってのに人の口内を勝手にこねくり回すあの子がいたから、無駄に警戒しちゃったんだ。そういうことにしよう。
少しほてった体で眠りにつくまで時間がかかったけれど、私も高級なマットレスに体を沈めた。




