第28話 記念日みたいですけど。
高級ホテルの一室で、私は国民的人気アイドルと二人きりだった。
どうしてこんなことになっているのか、今更ながらわからない。
それも、アイドルの九条乃々花――ノノは顔を赤らめて、恥ずかしそうにしている。
これから、彼女は生まれて初めてのキスをするつもりらしい。
しかも、相手は私である。
「いやいやいや、ちょっと待って、嘘でしょ? 本当に初めてなの!?」
「なによその反応!? ユズ、やっぱアタシのこと遊びまくってると思ってるの!? この前否定したじゃん」
「……いや、それでもキスくらい経験あるのかなって」
「なっ!? 自分がキスしてるからって、今度はアタシのこと遅れてるって言いたいの!?」
私もついこの前まではキスも何もかも未経験だったのだから、そんなつもりは当然ない。
「……え、でもほら、ノノさんってドラマとか映画とか出てるし、そういうシーンとかもあるんじゃないの?」
「あってもフリで済ますか断ってるから」
なぜか申し訳なさそうにノノがうつむく。
ただ罪悪感というか、気まずさを感じているのは私のほうだった。
――どうしよう、なんだか余計に重苦しくのしかかってきた気がする。
「あのさ、ノノさんに話して置きたいことがあるんだけど」
「あっ、アタシも! ユズに話したいことある!」
「えっと、じゃあ……」
「アタシから話すねっ!」
いや、譲らないのか。
こういうの被ったら、最初に言ったほうから話せるシステムかと思っていた。――そんなシステムないにしても一回は譲り合うくらいないの? こういうところ人気アイドルなんだよな。
「今日はアタシの初めてのキスで、ユズの二回目のキスでしょ。ま、ユズが二回目ってのはちょっと悔しいけど……でもほら見て」
ノノがさっきから引いていたキャリーケースを開ける。
中から一本のワインボトルが出てきた。
「え? ノノさんも私も未成年だよね……?」
「飲むんじゃなくて、ほらここ!」
ラベルを指さして笑う。よく見ると筆記体の英語で今日の日付と、私とノノ名前が書いてある。
『ANNIVERSARY NONOKA KUJO - YUZUHA HIMEKUSA』
「……それ、なに?」
「これね、今年のワインなんだ。さすがに今日つくったってわけにはいかないけど、でも二人の記念にいいかなって」
「き、記念ってそんな」
「二十年後にアタシのユズとの二人で開けて飲もうね」
――二十年後ってヴァヴァまだやってるかな?
オンラインゲームの歴史も深いようで浅いので、最近かなり初期から流行ってきたゲームが二十周年などを迎えていた記憶である。
ヴァヴァも将来的にその一員になれるよう、プレイヤーの私としても願うものである。
とそんなことをボーッと考えてしまったけれど。
「待ってノノさん。それって子供が生まれたときとかにするやつじゃないの? ……だってほら、今日は、そんな」
「記念写真も撮ろうね。カメラマン呼ぶか迷ったけど、やっぱり二人きりがいいかなって思って、セルフシャッターだけど」
「いや、写真ってそんな……」
「あっ、服もね、ほらコートの下はすごく可愛いやつ着てきたからね。一番お気に入りなんだー。可愛いでしょ?」
うきうきと声を弾ませて、ノノがコートを脱ぐ。可愛らしいシャツドレスだ。――うん、可愛いけど。
「ごめん……ごめん、本当ごめん。一回ストップいいですか」
「え、どうしたのユズ?」
「……その、ノノさんに謝らないといけないことがあって」
「ん? 謝るってなに? ……ちょっと泣きそうになってない!?」
もう私のメンタルはボロボロだった。
これから彼女に残酷な真実を突きつけなくてはいけないというのに、なんでこんな嬉しそうなのだ。用意万端なのだ。重すぎる。重すぎるよ。
私には彼女の気持ちをこれ以上受け止めることができなかった。
「ごめんなさい、ノノさん。……私あれから、キスしちゃって……実は二回目じゃないです……」
私はそれだけなんとか言った。
しばらく、ノノからの返事がない。
静かだ。
もしかして、私が気にしすぎていたのかもしれない。それで『そんなこと急に改まってどうしたのー。別に回数なんて気にしないよー二回目でも三回目でも』とあきれているのかもしれない。
――お願い、それでいい。笑われてもいいから、それでお願いしますっ!
そっとノノの様子を見た。
特に変なところはない。さっきと同じように朗らかな顔を浮かべて――動いていない。
完全に固まっているようだ。
「あ、あの、ノノさん? えっと……大丈夫?」
つんつん、と肩をつついてみた。
動かない。あんまりにも深刻な顔でどうでもいいことを言うから、あきれて動かないだけかな。
「ノノさん、おーい」
「ああ゛あ゛ぁあ゛ぁーっ!! あ゛あ゛ぁ!!」
「えええぇ!? ノノさん!?」
とてもアイドルがしていい顔じゃないし、出していい声じゃない。直立したまま、すごい顔で叫びだした。
「あ゛あ゛ぁ!!」
「待って、ワインどうする気!? だ、ダメだってそんな――」
ノノはまた叫びながら動き出したかと思えば、さっきニコニコと見せびらかしていたワインボトルに手をかけた。
両手でつかんだかと思えば、そのまま高く振りかざす。
床にたたきつける気だ。私は咄嗟に止めて、ワインボトルを手から奪った。けれどノノはまた暴れながら奇声を上げる。
「お願い、やめてノノさん」
私はすがるように、願うように彼女の体にしがみついた。ぎゅっと腕に力を入れて、「ノノさん」と彼女の名前を何度も呼んだ。
祈りが通じたのか、ノノの悲痛な声が止む。そして小声で私にたずねた。
「……三回目、なの?」
「え?」
「じゃあ、今日はユズに取って三回目なの?」
「……えっと、ちょっと回数はわかんないんだけど、三回目ではないかも……ごめん……」
言いにくかったが、今誤魔化したらもう二度と本当のことを口にできない。
私は半ばやけっぱちに、正直に言ったのだが。
「ああ゛ば゛ぁあ゛ぁーっ!! あ゛あ゛ばぶぶぁ!!」
やはり、ノノがさらに壊れてしまった。
このままじゃマズい。防音環境はしっかりありそうな高級ホテルのスペシャルルームであるけれど、さすがにこれだけ騒ぐとスタッフの人が心配してきてしまうかもしれない。
そしたら『人気アイドル九条乃々花、ホテルで大暴れ!! 三十分奇声をあげ続ける』みたいな芸能ニュースになってしまう。
どうにかしないと。でもどうしたら――。




