第26話 こちら時価になっております。
指の腹に、キーボードのマットな質感を感じる。私の理想を完全に再現した、刻印なしのキー達だ。
異常な事態であれど、キーボードを触ることによって私は一つの明確な問題を見つけ出していた。
レアアイテムをもらう代わりに、キスするなんておかしいと心に刻んでいた。
――だけど無料でキスしたり、体を触らせたりするほうがもっとおかしいはずだ!!
「そ、そんなユズさん、さっきは好きに触っていいって。……マカロンで」
「それはキーボードの話だからっ!! ルルさんは私の体をマカロンで自由にしていいと思うの!?」
「い、いえ……そういうわけじゃないんですけど、ユズさんも受け入れてくれているのかと……」
「誤解されるようなやりとりがあったのは認める。だから今までの分については不問とするけど、これ以上はダメだから」
私はルルをよけるようにして立ち上がり、衣服の乱れを整えた。
「そ、そんなっ!! こんなんじゃわたし、まだ全然……っ!!」
「……全然ってこれからなにする気だったの本当」
だいぶ本格的にいろいろやられたと思っていたのだけれど、ここから先なにがあったのかは考えたくない。私はティッシュで口元を拭って、お茶を少し飲んだ。
やっと気持ちも落ち着いてきた。キーボードの上に左手を置いたままにしていたが、そろそろ離してもよさそうだろう。
「待ってください! 無料がダメって、お支払いすればいいってことですよね!?」
ルルの鋭い視線にたじろいで、私はまたキーボードの上に手を戻した。落ち着いてしっかり毅然とした態度で断ろう。
――さっきのはあくまで言葉の綾だ。無料ではダメと言ったが、もちろん有料でならいいという意味ではない。
「お金……ではないんですよね。ユズさんがほしいのは、ヴァヴァのアイテムですよね?」
「え? いや、そういうわけじゃなくてね。さっきのはあくまで言葉の綾で」
「わたし、払います! わたしが渡せるものであればなんだってお渡ししますっ!! だからあと十五分だけユズさんを好きにさせてくださいっ」
「じゅ、十五分って……」
その十五分でなにをする気なのだろうか。
怖いもの見たさというものはあるけれど、自分の身を危険にさらしてまで試すことはできない。
「悪いけど私そんな安くないから」
「……アズキさんとはどれくらいでしたんですか?」
「え?」
そうだ。アズキにも無料でキスされていた。あとでなにか請求しないと――いや、違うよ! ちゃんともうしないように釘を刺しておこう。
この場を切り抜けるのが先決だ。下手なことを言って、レアアイテムを万が一たくさん用意されたら私の体がもたない。
「それよりさ、キーボードは?」
「……キーボード?」
「ねえ、ルルさん。私のキーボードを見てみたいって、言って部屋に来たんだよね? 触ってみたいって、私のことじゃなくてキーボードのことだったよね?」
「は、はい」
そうだ。もっと大事なことを忘れていた。アズキとのキスなんて些細なことに思えてくる。
キーボードである。私が人を部屋にあげる理由が他にあるだろうか。
「え? もしかして、キーボードあんまり興味ない? 私の部屋にあがる口実にした? 私のこと騙してないよね?」
「そ、そんなことはないですっ! 本当にすみません、そのユズさんがあまりにも魅力的で、キーボードのことが少し頭から……」
「言い訳とかいいから。キーボードのが大事だし」
「……はい。ごめんなさい」
私がはっきりした態度と口調だったからだろう。ルルもさっきまでの危うげな瞳を押さえ込んで、しゅんっと頭を下げた。
――だけど本当にキーボードのが大事だからねっ!!
反省しているようなので、これ以上は怒らないでおこう。気持ちを切り替えて、私はルルに優しくマイキーボードを紹介した。
「ルルさん、ヴァヴァキーボードで操作したことないんだよね? よかったら操作後ろから簡単にレクチャーしようか。最初は手の位置もわからないと思うし」
「いいんですか?」
「うん、そこ椅子座って。ちょっと後ろからごめんね」
私はルルをいつも使っているデスクチェアに座らせると、二人羽織のような形で後ろからキーボードを操作した。
ヴァンダルシア・ヴァファエリスを起動して、練習用にサブアカウントでログインする
「右手はここで左手はこっち。もちろん人によって位置は違うし、キー設定からいじる人もいるから、これは基本形ってことで」
「は、はい」
「こっちじゃなくて、画面と手見てて。で、戦闘が始まったら右手の位置だけこっちに移す。スキルで頻度高いのはここら辺のキーにショートカットで割り振る人が多いかな」
「ユズさんっ、その……ユズさんの息が首に……」
耳まで真っ赤にしたルルが、小刻みに震えながら小声で訴えかけてきた。
「あっ、ごめん。くすぐったかった?」
「そうじゃないですけど……。ひどいですよ、ユズさん。手を出すのダメって言ったのに、こんな……っ。生殺しじゃないですかっ」
「え? ほら、ルルさんも試しにキーボード触ってみて」
「はい……はうっ、上にユズさんの手がっ」
後ろからルルの手に、自分の手を重ねるようにして、動きを一つ一つ教えていく。実際にオフで会わないとできない指導方法だ。
これでルルのキーボード・デビューも上手くいくことを願おう。
とにかくその後は平和に、ルルへのキーボード操作をレクチャーして終わった。
キスやら何やらの対価については、最後まで誤魔化すことができて一安心である。
――そんで本当に無事でよかったよ、私の体っ。
一歩間違っていたら大変なことになっていた。
だが私はまだ冷静になりきれていなかったのかもしれない。
やはり椅子に座って、両手でキーボード前に構えてこそ本領というのは発揮できるものなのだろう。
数日後には、ノノとのキスの約束が迫っていたのだ。
――あ、二回目のキス、売却済みだった。




