第103話 崩壊②(side 英哲グラン隊)
風野がヴァンダルシア・ヴァファエリスを起動すると、英哲グラン隊のギルドマスターからチャットが来ていた。
ギルドメンバーの大半は、普段ならゲームチャットではなく外部のメッセージアプリで連絡を取ることが多い。しかしギルドマスターはゲームとそれ以外の時間をしっかり分けたいと考えるタイプの人間のようで、緊急の連絡以外はゲームチャットを使っていた。
メッセージには、総次郎についての相談があると書かれている。
と言っても、総次郎はギルドメンバー満場一致での追放だから、もう彼のことで話すことはないはずだ。
何かと思って風野が返事を送ると、実際に相談されたたのは総次郎ではなく、芦屋――『勇者ホリー』についてだった。
『このままギルドに残ってもらうか、どうしようかと思って』
言葉をマイルドにしているが、つまり勝手に招待した総次郎を追放したのだから、芦屋についても同様に抜けてもらうべきではないか。ということだとわかる。
確かに、芦屋のヴァヴァでのプレイングはまだ未熟で、ゲームキャラのレベルもギルドが設けている基準よりも低い。総次郎が独断で、何の審査もなく入れなければ、本来はギルドメンバーにはなれなかっただろう。
「聞いているかも知れないけど、リアルでも知り合いなんだ。……だから、ちょっと口出ししにくいかな」
正直言えば、芦屋をギルドから追い出したくはなかった。ただのこの気持ちが、計画のために彼女を巻き込んだことへの罪悪感なのか、彼女から好意を向けられていることでなにか返そうとしてるのか――どちらにせよ、風野は個人的な感情が起因していると自覚していた。だから口を出さずに、ギルドの意向に従うつもりだった。
『もしポロロッカさんがもうしばらく面倒を見てくれるなら、残してもいいんじゃないかと思っている。多分、軽く聞いた感じだと他のメンバーも同じ感じ』
「それでいいなら、もちろん」
ギルドマスターの言葉はありがたかった。
もしかしたら風野の気持ちを察して、気を遣ってくれたのかもしれない。リアルの知り合いであれば、同じギルドから片方だけが追い出されるのはどう考えても気まずい状況になる。
もちろん、面倒な新入りを知り合いだからという理由で押しつけられた――という見方もできたけれど、風野はギルドマスターの優しさだと受け取った。
風野に教わるようなってから、芦屋のプレイングも順調に上手くなっていった。英哲グラン隊の面々とパーティーを組むことで、レベルに関してもその内追いつくだろう。
結果的に、総次郎が消えて、今までにないほど平穏な楽しいヴァヴァ環境を手に入れることができたのだ。
――今回は、鈴見のことであきらめていたヴァヴァのイベントも、次は全力で挑みたいな。
それまでには芦屋も上級プレイヤーとして育てないといけないな、と風野は新しい目標を胸に掲げる。
穏やかで充実感に溢れるヴァヴァライフをよそに、総次郎がめっきりログインしなくなっていたことにも気づいていた。プロック済みユーザの一覧に表示される、総次郎のアカウント『暗黒魔導騎士ディレン』の最終オンラインはずっと止まったままだ。
ギルドから追放されて、すっかりヴァヴァへの熱も冷めたのかと思っていたけれど。
◆◇◆◇◆◇
「なあ風野。鈴見のやつが働いているって工場ってさ」
部室で風野が講義の合間の待ち時間を過ごしていると、部長に話しかけられた。
先日、総次郎と最後に会ったとき聞いたバイト先である工場の名前を確認される。あの後、芦屋にだけ風野は総次郎から聞いたことを話していた。口止めしていなかったので、あまり気にしていないが、彼女からサークル全員に広まってしまったようだ。
「そうですけど、どうかしましたか?」
「そこ、俺の実家近くの工場なんだよ。けっこう有名で」
「……キーボードの部品をつくる小さい工場って聞いてましたけど、有名なんですか?」
「あー、工場としてっていうか、工場長がね。すっげぇおっかない人で。部隊上がりとかそういう噂で」
部長の口ぶりは、軽い世間話にしてはどこか真に迫っていた。
曰く、職人肌且つ体育会系の権化のような工場長のもと、軍隊学校さながらの過酷な労働環境だという。ただ労働法に触れているようなわけではなく、あくまで肉体的にも精神的にも辛いと言うだけだそうだ。違法なサービス残業や、体罰やいじめのようなものがあるわけではない。
しかしあまりに過酷な仕事内容に、そこで働くことになった人間は数日もせずに根を上げて――。
「俺の高校からもさ、高卒就職組の何人かそこの工場だったんだよね。でも噂はとっくに広まってて、みんな嫌がっててさ、そこで働くことになったのは、ぶっちゃけ他じゃ雇ってもらえないような不良崩れみたいな連中で」
成績も芳しくなく、授業態度も悪く、就職先の推薦をもらうことも難しく、今までにバイト先ですら何度もクビになったことがあるようなそんな連中らしい。
「働く前は、どうせ直ぐ辞めるって言ってんだよ。親にとりあえず働けってうるさく言われてるから、仕方なく入社決めたけど、転職先探して速攻辞めるって。案の定さ、働き始めて直ぐにあいつらは、本当にキツそうで、ぶっちゃけ生気ないっていうか、もうくたばりぞこないってくらいで……だけど」
「それで、どうなったんです?」
「俺も大学入って直ぐだったから、一ヶ月くらい連絡が取れなかったんだよ。……で、ゴールデンウィーク入って、あいつらもう辞めたかなって聞いてみたら、まだ同じ工場で働いているみたいでさ。しかも、仕事が毎日楽しいって笑うんだよ」
「それって」
部長は苦笑いして、「なにがあったのかは、今もわからない」と言う。
「聞いても、特に何もって言うから。……でもすっかり人が変わったみたいに、真面目な連中になっちまったよ。全員、仕事も楽しいって」
都市伝説の類いではないのか。風野はそう思ったのだが、やはり部長の声色からは冗談らしさはない。
もしかしたら、総次郎がヴァヴァにログインしていないのは――。
「部長の友人は、まだ工場で働いているんですよね? ……だったら、鈴見のことも聞けば教えてもらえたりって」
「ああ。そうだな、多分聞けば教えてもらえると思う。最近連絡取ってたなかったし、今度飯にでも誘って聞いてみるよ」
部長の話に、風野は軽く頭を下げて感謝した。
「あのさ、風野。工場の話とか鈴見のその後とか、興味あるんだったら詳しく聞いて置くから、風野も今度飯行かないか? ……ほら、学食でもいいんだけど、鈴見本人と鉢合わせるかも知れないし、ちょっと電車乗るけど、いい店知ってて。イタリアンでさ。風野、イタリアン好き?」
部長の早口に、風野は深いことも考えず答える。
「……イタリアンですか? 普通くらいですけど」
「風野先輩っ!!」
突然横から大きな声が聞こえてきて、風野は部室にいつの間にか芦屋が来ていたのを知った。部長との話に集中していて、気づかなかったようだ。
「芦屋、来てたんだ。お疲れ様」
遅ればせながら挨拶すると、
「先輩、それよりもうこんな時間ですよ! 早く行かないと間に合いなくなっちゃいますから、ほら急いで」
「急いでって? ごめん、何か忘れてたっけ」
「いいからほら。すみません、部長! お話途中で申し訳ないんですけど、風野先輩借りますね」
「あ、ああ……なんか知らんけど、急用なら」
芦屋に急かされるまま、風野はそのまま一緒に部室を出た。
サークル棟の近くにある自販機前まで引っ張られて、やっと足が止まる。
「芦屋、待って。私、なにか忘れてた?」
「……すみません、さっきの嘘です。先輩が、部長に狙われてたからつい黙って見てられなくて」
「狙うって? なんの話?」
芦屋の話がわからず、風野は聞き返すのだが彼女は唇を尖らせたままなにも言わない。
「それより、先輩。そろそろ返事、聞かせてもらえませんか? ……鈴見先輩のこと、もう解決しましたよね。これで、あたしのことちゃんと考えてくれます?」
芦屋の瞳が、とろりと風野を見つめる。
「返事って……」
「あたし、先輩とお付き合いしたいんですけど。ダメですか?」
風野の平穏な生活は、もしかするとまだもう少し先かも知れない。




