第102話 崩壊①(side 英哲グラン隊)
誰かに頭を下げたことなんてなかったし、ましてや土下座なんて。
鈴見総次郎の人生に刻まれた汚点のことを、風野怜美は意外な人物から聞いた。
「笑っちゃうだろ、土下座だぜ。この俺が、俺が……なんでだよ……っ!!」
以前の自信満々ぶりが見る影もないけれど、自嘲するように言ったのは総次郎本人だった。
風野は教育学部の生徒で、総次郎は経済学部の生徒だ。
学部が違うと、示し合わせて履修でもしない限り講義で顔を合わせることもない。二人が通う大学は、キャンパスも広く、生徒数も三万人を超えていた。
それでも一部の施設――図書室や、パソコン室、いくつかある食堂の中でも人気のものを頻繁に使っていれば案外顔を合わせることもあるのだけれど、あまり活動的ではない大学生である風野は講義とサークルの部室を行き来するだけの生徒だ。
だからeスポーツサークルを除名された以上、総次郎とはもう二度と会うこともないと思っていたのだが。
部室のある校舎、サークル棟の近くで総次郎に呼び止められた。
最初、逆恨みでやっかみをかけられるのではないかと警戒していた風野だったけれど。
「部室行ったら、出てけって言われた。……くくくっ、俺のこと、本当に除名する気かよ。くっそつまんねーシャレかと思ったら、本気かよ」
生気の無い目で笑う総次郎に、最早敵意は感じなかった。
――走って逃げるほど、危険そうではないか。
何食わぬ顔で部室へ顔を出して、手ひどく追い払われたのだろう。
風野は今まで知らなかった。
他のメンバーによる気遣いで彼女は知らされていなかったのだが、総次郎はサークルのほぼ全員から嫌われていたのだ。
親や会社を鼻にかけて横柄な態度ばかり取るのだから当然のことだろう。
ただ風野は逆に、その控えめながらサバサバした性格と化粧気のない顔立ちがゲームを好むインドアなサークルメンバー達からは好意の的となっていた。
本人も気づかないところで、実はいわゆる『オタクサークルの姫』の立ち位置のようなものになっていたのだ。
もちろん世に知られる、自覚的に姫と振る舞うタイプとは真逆の言動の彼女であるので、単純にメンバー達か密かながら姫のように慕われていた――というだけである。
メンバー達は、風野とは主として遊んでいるゲームこそ違えど内心仲良くなりたいと思いた。しかし互いに牽制し合っていたところ、風野と総次郎がペアのような関係ができあがってしまい、結果として総次郎をサークルから追い出せば仲のいい風野も辞めてしまうのではないか? という状況になっていたのだ。
その一方で、こちらも風野のあずかり知らぬところで、総次郎が彼女に手を出していなかったのはサークルメンバー達からの圧のおかげであった。
冗談交じりながら、「鈴見、お前風野さんに手出したらハブだからな」などと高頻度でにらまれていたのだ。
総次郎がどこまで真に受けたのかはわからないが、元々風野も総次郎に対してはあくまでヴァンダルシア・ヴァファエリスの友人という距離感以上には近づかないスタンスであったこともあって、彼の魔の手が伸びることはなかった。
そんないろいろな思惑の結果、風野は自分がモテていることに自覚していないどころかサークル内に総次郎以外親しい友人もいないと誤解するし、総次郎は追い出されず好き勝手に威張ったままであったのだ。
このサークルメンバーほぼ全員が起こしていた勘違いに、終止符を打ったのが新入生の芦屋里穂だった。
彼女は風野の企みに巻き込まれた結果、二人の本当の関係性を知り、それを他のメンバー達にも知らせたのだ。そうなれば、総次郎の処遇がどのようなものになるかなど迷うまでもない。
満場一致で彼の除名が決まった。――正確には、自分が発端で総次郎の除名が決まったと知れば、風野が気にするのではないか。と気を遣ったメンバー達によって、風野と総次郎本人の二人を除いて。
ヴァヴァのイベント結果発表の日。総次郎が賭けに負けた日。
唐突に除名された総次郎は、あの日の屈辱と自分が置かれた状況によって、精神を極めて不安定にさせていた。
何かが間違っているのではないか。そう信じて、ギルド英哲グラン隊へ顔を出して、サークルにも足を運んだ。
だがどちらも、何一つ間違っていなかった。ギルドメンバーからは外されていて、元の仲間だったメンバー達のほとんどからはブロックされメッセージすら送れなかった。
サークルの部室からは、半場放り出されるようにして「二度と部室に近寄るな、イキリ七光り」と閉め出される。
総次郎は、自分が今まで信じてきていたものすべてが壊れていって、人生で覚えのない喪失感を抱いていた。
そのとき、風野を見つけたのだ。
彼は風野に声をかけると、そのまま自分の身に起きたことを話し始めた。誰かに聞いてほしかった。こんなことは間違っていると言ってほしかった。同情してほしかった。誰かに励ましてもらわなければ、彼の自尊心は、自己肯定感は、もう限界のところまで来ていたのだ。
だから本来の総次郎を考えれば、決して口にすることのないような自分の情けない姿、無様な顛末すら風野に話した。
「今までしてきたことを反省するしかないよ」
だが、風野の言葉は彼の欲していたものではなかった。
むしろ風野は内心、総次郎の哀れな最後を聞いてとても喜んでいた。
自分が望んでいた以上の結果だ。
当然、ユズに襲いかかろうとした彼の行動には軽蔑と嫌悪をいただいたし、もしものことを思えば胸も痛んだが、彼のその軽はずみな悪行が結果的に土下座となったのだ。
「これから工場でバイトか。まあ、精々頑張って」
餞別として、風野は総次郎にそれだけ言って別れた。彼の破滅を願っていた彼女からしてみれば、こんな言葉ですら口から出たことが不思議であった。
おそらく、総次郎から聞いた経緯にある程度満足できたのだろう。なにより、慕っていたユズという女性が、自分ですべての決着をつけたことが嬉しかったのだ。
もっとユズの力になりたかったと口惜しくも思うが、総次郎をギルドからだけでなく、サークルからも追放できたことで計画としての遂行は達成していた。




