魔法科の不死者 下
大声がした。
「だからなんで浮気してるのよ!
こんな夜中まで帰って来ないと思ったら、なんで男とイヤらしい事してんのよ!
あんたとの婚約なんて破棄してやるんだからね!」
耳がキーンとする大声に耳を塞ごうとしたら頭を押された。
眠気が覚めて気がついたら、マットで寝ていたはずのアイツが俺の頭を支えにして、国語の先生をお姫様抱っこして壁に体を預けている用務員のイケオジを指差している令嬢を見ていた。
用務員のイケオジって確か既婚者だったし、その奥さんの甥が国語の先生だったような……。
「婚約破棄をするのは勝手ですが、その態度は淑女として見苦しくてよ」
普通科の問題児5人組の態度がおかしい。どうやら静かに怒っている学園長というか用務員のイケオジ夫人の登場で、干しアワビのスープを喉に詰まらせたらしい。
お粥とか飲み物って地味に危険なんだよね。
それよりなんで1人1鍋飲もうとしてるのかな?
その鍋の干しアワビは出汁取り用だから、スープとして具も一緒くたに飲むなら取り除かないとならないし、食べるなら皿に取って切り分けるべきなんだよね。
「なによおばさん」
学園長の黒い革手袋が令嬢の顔に投げつけられた。
「ですから淑女として、その言動と態度に問題があると申しているのです」
キャットファイトきたー!
胸の露出が大きいドレスの令嬢と騎乗服の学園長の格闘!
これはタワシ級な腋毛ポロリが期待でき…できなかった。令嬢の袖が無いドレスから見えた腋は、処理済みだった。
あの太く立派なカモメ眉は剛毛系のはずなんだけどさ。眉は剃ってるけど、体毛ソムリエの俺には青くなってる部分が毛だってわかるんだよね。
「うるさッ!
キャアー」
令嬢が放とうとした攻撃魔法が、学園長の腹蹴り一発でキャンセルされた?
コワッ!
国語の先生と同じ顔しているから、学園長の無表情はめっちゃ恐い。
墓穴と氷の女帝という感じに恐い!
「その腹の子はいったい誰の子かしらね?」
お腹に子供がいたの!?
それわかっていてゴツいブーツで体がぶっ飛ぶほど蹴ったの?
「ヒッ
そんなッ…そんなの婚約者の子供に決まってるじゃない」
学園長の素手が令嬢の綺麗にセットされた髪を掴んだら、カツラがスッポ抜けてツルッパゲだった。
「その婚約者の名前はなんて言うのかしら?」
「アフロディーテよ!」
俺の周りが凍りついた。
「アフロディーテって、かなり前に聞いた魔界から連れてこられた魅力の悪魔だよな?」
「その子犬に擬態してる悪魔の子を孕んだってマズくないか?」
かなり前って、俺が寝る前の1時間くらいしか経過してないんですけど。
「あの令嬢はどんな犯罪を犯そうとしたんだ?」
国語の先生の家で可愛がられているはずの魔界の犬であるアフロディーテ(雄)は、庇護を与える者に仇なす者を察知すると魅了して種付けする習性がある。
そういば、肝試しに国語の先生の財布でキャッチボールを始めた普通科の問題児5人組は、そのアフロディーテに移動魔法で背後から襲撃された。その時、手をアフロディーテに噛まれて、噛み傷からもみの木の巨木が孵化して泣きをみたんだっけ。
まあクリスマスツリーとして昨年有用活用された5本のもみの木はどうでもいいけど、腹の中にどうやって種付けされたのかが気になる。
そういえば海辺の泥沼というか干潟にグロテスクな魚がいたな。
「なあ、人間の腹を食い破って出てきそうな宇宙生物そっくりの外見をした魚がいてさ」
少し前に凍りついていた人々がギョッとした目で俺を見る。
そう期待されたらワラスボについて語らないとならないな。うん。
「退化してほとんどわからない目に顔の半分ある大きな口に鋭い牙がたくさんあり…」
「やめろ…」
「そのつるんとした鱗のない体を木槌で叩いて炙ったワラスボと言うおぞましい魚を、炎天下でキンキンに冷えた発泡麦酒のお供にすると……」
「ギャアァァアー!」
なんで耳を塞いで悲鳴を上げるかな?
「絶品だってさ」
「え?」
「ワラスボ、スッゴくウマイって」
「腹を食い破って出てくるんじゃなくて、スゴく美味しいの?」
「うん。身が硬くてコリコリして旨味が凝縮してて、発泡麦酒のおつまみに最高って話だから、苦くした麦茶のお供にも最高なんじゃね?」
「なんでこのタイミングでそんな事を言うんだ?」
なんでってそりゃあ。
「面白そうなタイミングだから」
それしかないでしょ?
気がつくと学園長に背後から襟首を捕まれて立たされた令嬢は白目を剥いて天井に向けて大きく開けた口を急に下に向けた。
令嬢の口から零れ落ちた、ビチビチとのたうちまわる鱗のない黒に近い灰色の魚が一匹。
なんだ。妊娠じゃなくて鯖とかについてる寄生虫のように、胃袋にワラスボが突き刺さっていたのか。
つまんない。
「なにあれ」
「気持ち悪い」
「うわっワラスボだ」
「悪魔の化身かよ」
俺はゆっくりと用務員のイケオジの前に進み出る。
学園長が出てきたからもう恐いモノはない!
後は修羅場を作ってその混乱に乗じて退却するのみ!
「用務員さん。ちょっといいですか?」
「はい?」
ぼんやりと薄目を開けては眩しそうに瞬きする国語の先生をお姫様抱っこした用務員のイケオジは低く美しく響く美の神のような甘い低音で返事した。
「いま床にいる魚。ワラスボと言うんですけど、あれ、発泡麦酒のお供にピッタリなすごくウマイ魚なんですよ」
召喚呪文を唱えると悪魔と魔神が降臨するのは、魔法科なら常識である。
「つまり確保しておくと、この後の夏場で大儲けができるのかい?」
「勿論でございます」
俺は満面の笑顔で揉み手をしながら召喚魔法を唱え終わる。
「ハニー殺してはいけませんよ。その魚は金になります」
際限なく暴走しかねない天使の顔をした悪魔をお姫様抱っこする無慈悲な魔神は、天使の羽音よりも甘い響きで地獄を創造する。
「ダーリンの望むままにでしてよ」
高笑いしながら令嬢を梱包し始めた学園長を無視して俺は、元の整列場所へと戻る。
「悪魔だ…」
「極悪非道な鬼商人かよ」
「お前、絶対にろくでもない死に方するよ」
「王族の末席の扱いがアレでいいのか?」
「ああ、あの女。王族だったのか、グロい魚吐いて当然だな」
「ごっめーん。あの女、王族だったの?
お前マジ英雄だなグッジョブ!」
お前ら。
俺の事好き勝手に言い過ぎだぞ。
「じゃ、俺帰るわ」
「え?」
ナニ俺を信じられないような目で見るんだよ?
「いやさ、この集会前の朝から用意されたあのご馳走を食中毒の温床にしてんだよ?
あれ予算いくら掛かってると思うの?」
このじめじめした生暖かい春は、夏場より食中毒が発生する危険な季節。
大量の食品が並ぶテーブルにいくつも飾られていた大きなドライアイスの彫刻は、集会閉会予定時間の2時間後に全て消え失せていた。
校長先生の長話が1時間で終われば、会場にいる全員が消え行くドライアイスの彫刻を楽しみながら、1時間30分の時間をかけてゆっくりとビュッフェ式の食事を楽しめた。
それが、マイクを持ったら離さないし、無視すると暴れるお飾り王族校長の長話で全て食中毒の温床。
まあ、問題児勇者な暗部5人組は毒耐性や濃酸ブレススキル駆使して、飲み込む前に口の中で安全に溶かして岩牡蠣とかサンマとか食べてたけど。
普通の人間ならトイレの住民どころでは済まない、凶悪な毒物なので、辛うじて人類だと認識される程度に強い内臓を持つだけの人は、瀕死になるのでマネしないでください案件だから、あの5人組は忘れよう。
「そんなに腐った臭いを出すアレが高かったのか?」
「全て一流食材で、料理人も国内最高峰だった。
食べ頃は朝の11時から昼の3時までだったし、予算は…んと、忘れかけてるけど公爵家に嫁いだ淫乱姫の1ヶ月分の国から至急されている生活費くらいかな」
「どんだけ金かけてんだよ!
たかが、全校集会後に出す食事だろ?」
お前はそう言うけどさ。
「王家から金もらえなくて生活に困ってる甥と、王族の無茶苦茶に振り回されて教職以外の全部の業務をこなす夫への慰労だろ?
会場の隅に持ち帰り用の容器と梱包用品を置いたコーナー設置してるから。
自分の分食べ終ったら、あそこで料理をラッピングして、外の大通りに面した敷地端のテントやガゼボで売れば、今月分の学費と寮費と学食代と月平均金貨1枚の小遣いは稼げたぞ」
この学園で毎週やってる事だし。
緑色の大きな三角コーンが規則正しく並んだだけに見える、神経質を越えた病的な気遣い剪定が施された学園の庭園。
三角コーンではなく、剪定された広葉樹ということを認識したとたんに狂気を感じる庭園へと変貌する空間に、白亜の大理石で作った柱と屋根だけのガゼボと、無粋な麻の屋根だけの大型テントの並び。
そこへ昼食へと移動する昼休み時の社会人が様子見して料理を買っていく事に、なんの不思議もない。
「は?」
「ちなみに保冷剤と時止めの魔法を使えば、生徒全員にそのチャンスが来た」
「はあ!?」
血の気が引いた真っ白い顔して、震えながら俺達を無言で見つめる校長の頭髪が、汗でズルリと床に滑り落ちた。
そういや、雪解けって、風は強いから火事は起きやすいし。川は雪解け水で増水するから氾濫しやすいし。屋根に積もった雪が地響きするほど落雪するから、落雪で下に巻き込まれた人は高確率で死ぬし。雪が山の斜面を滑り落ちて雪崩となって集落は壊滅するよな。
この校長って雪崩ぽくて面白い。