第一話
伯爵家の分家である子爵家に生まれた私は本家に奉公に出ることとなりました。
それが7年前くらいの話でしょうか。家のためと言われればそのとおりです。
私は内心は面倒だと感じながらも伯爵家の使用人としてその嫡男の世話係に任命され、その業務を淡々と行っていました。
伯爵家の嫡男、マルサス・テスラー。この方、お世辞にも頭がよいとは思えません。
思い込みが激しく、無鉄砲。思慮が浅いのになぜかいつも自信満々でおまけに行動力もあるので、私は何度も彼の失敗の尻拭いをするはめになりました。
もはや思い出したくない記憶となっていますが長い年月を一緒に過ごしていたので、その自信に満ち溢れた感じが好きだった時期もあります。
私はネガティブな人間なので、いつも明るかった彼がよく見えていたのでしょう。
――しかし、所詮は初心で幼い私の初恋。
若様を主として仕える身である私は一歩さがって彼を見ておりました。
だからこそ気付いたのです。私の目が曇っているのだと……。
いつしか仄かな想いは冷めてきて、「この人が跡取りで伯爵家は大丈夫なのかしら?」という不安に転換されました。
それほどまでに彼は私に迷惑をかけ続けていたのです。
私はフォローに追われる日々に半ば嫌気がさし、この方と結婚する女性はさぞかし苦労するだろうと、まだ見ぬ未来の若様の結婚相手に同情をしていました。
そんな矢先のお話です――。
「ルティア様ですか? あの侯爵家のご令嬢の。えっ? 若様と婚約が決まったんですか」
「ああ、父上が勝手に決めたんだ。僕は伯爵家の跡取り。家柄がよく、健康な女と結婚してやらねばならんからな」
「奇跡ですね……」
「んっ? 何か言ったか? ということで、幼馴染のエリナの想いに答えられんのが心残りだが僕は身を固めることとなる。はぁ、僕は罪深き男だな。愛した女も幸せに出来んとは」
いやいやいやいや、ルティア様ですよ、ルティア様。
侯爵家の長女にして、才色兼備にして教養豊かな、社交界では度々話題になっているご令嬢です。
本来ならマルサス様なんて結婚できる相手ではありません。
彼の将来を案じた旦那様が侯爵家にかなり無理を言って漕ぎ着けた婚約に決まっています。
どう考えたって釣り合いが取れませんもの。マルサス様とルティア様では。
「で、お前には婚約指輪を選んできてほしいんだ」
「婚約指輪、ですか? そういうのはご自分で選ばれたほうが――」
「嫌だよ、好きでもない女の指輪を選ぶなんて。……なんか本気っぽくなるし」
「頭に虫が巣でも作っているんですか?」
バカなところで変なプライドを見せるのもマルサス様のやばいところです。
ルティア様、ご愁傷さまでございます。
うちのバカ様、いえ若様は完璧な地雷。結婚すれば苦労されること間違いなしでしょう。
「あっ! 金額だけはとびっきり高いやつにしてくれよ。高ければ、高いほどありがたみが増すからな」
「好きでもない女性に高いものを買うのは問題ないんですか?」
「ケチって思われたくないもん。どうせ父上の金で買うなら、高いのを買ったほうがお得じゃん」
「発想がクズすぎて清々しいですね……」
このナチュラルに無神経になるところもマルサス様という方の特徴の一つです。
高いものが良いというのは一理あると思います。
ですがそれを私に選ばせている時点で問題大アリです。
そんなふうに心の中ではツッコミを入れているんですけど、結局私も雇われというか分家の使用人にすぎませんから。
マルサス様のご意向には従うほかないんですよね……。
「じゃあ、ルティアに指のサイズ聞いて適当なのをよろしく頼むよ」
はぁ……、仕方ないですね。婚約指輪を選ぶとしましょうか。
私からすればルティア様はもっと他人。なんでもない方です。
とはいえ、主に恥をかかせるのは私の主義に反します。
素敵な指輪を選ぶとしましょう。予算はいくらでもあるって仰っていましたし。
◆
「ルティア様にこの前お会いしましたが、婚約指輪のデザインを大変喜んでおりました」
「あれ? 婚約指輪渡しちゃったんだっけ?」
「若様が指輪を直接渡すと本気っぽくなるからって、私に渡しに行かせたんじゃないですか」
信じられないことにマルサス様は私に婚約指輪を渡すように命じられました。
ルティア様にはマルサス様が照れているからと意味不明な説明をしましたが、通じなかったでしょう。
どこの世界にも婚約指輪をメイド経由で渡す男などいないのですから。
ただ、私の選んだデザインというのは伏せましたが、ルティア様は可愛らしいと大変喜ばれていたので結果的にはそこまで好感度は落ちていないと思われます。
ルティア様がおおらかな性格だったので助かりました。
これならマルサス様の無神経なところも我慢してくださり、結婚しても案外上手くいくかもしれません。
「なぁ、アネット。愛に生きるのが本当の男だと思わないかい?」
「若様、またヤブから棒になんですか?」
ルティア様の婚約指輪の話から飛んでマルサス様は急に変なことを口走りました。
この方が変なことを口走るのは通常運転ですが……。
「夢を見たのさ。エリナがウェディングドレス着て、僕と結婚する夢を。美しかったなぁ。ほら、彼女ってさ。病弱だから僕は結婚してやれなかっただろう? 愛し合う二人の悲恋ってやつだ」
「はぁ……。エリナ様の夢を、ですか」
何だか嫌な予感がしますね。
エリナ様はマルサス様と幼馴染でしたが、互いに恋愛関係にあったとは認識していませんでした。
この人が一方的に好いているという認識でしたから。
「でも、やっぱりそれじゃ駄目だよな。男として女を泣かせるっていうのは」
「…………」
「僕はエリナに愛の告白をしようって思うんだよね。……分かるよ、そりゃ父上は怒るだろうさ。父上は僕をきっと許さないって」
「…………」
「ルティアも悲しむだろうな。僕は何ていうか、こう。女性をメロメロにしちゃうタイプだからさぁ」
「…………」
「でも、僕は真実の愛に突き進む! ルティアとはスパッと別れて、エリナに告白する!」
「若様はバカ様になられたのですか?」
「ぽえっ!?」
さすがにこれはない。これはないですよ、マルサス様。
長年、マルサス様に仕えていますが今日ほどこの方のことを残念な人だと思ったことはありません。
「若様、もしやルティア様との婚約を破棄されるつもりなんですか? ちょっとは冷静に物事を考えてください」
「ルティアには分かってもらうように説得するさ。ねぇ、バカって言った……?」
「説得なんて出来るはずないですよ。ルティア様のお父上の侯爵様もきっと怒ります」
「僕が誠心誠意、説得すれば大丈夫だよ! 安心しろ! 誠意を見せるのは得意だ!」
無駄に自信満々になるところがこの方の欠点です。
マルサス様はある意味では優秀な人なので、バカなのに自らを信じて疑わないモンスターみたいな性格になってしまったのでした。
「さて、アネット。君もついてくるといい。君とは長い付き合いだから見せてあげるよ。真実の愛に生きる格好いい僕の生き様を、ね。あと、婚約指輪も取り返さなきゃ。あれ高かったんだもん」
胸を張って、精一杯のキメ顔を作って、マルサス様はルティア様に会いに行くために馬車に乗ります。
すごく自信ありそうですね。ルティア様を説得する方法なんて無いと思うんですけど……。
あと、婚約指輪。絶対に返してなんて言わないでくださいよ。絶対にですからね。