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過去からの刺客 1

 夜が更けても、歓楽街の賑わいは止むことがない。

 主要な通りの両側には居酒屋、カジノ、宿屋などといった種々雑多な店が並んでいて、夜の街に彩りを添えている。

 街灯や建物の窓から洩れる灯が道を照らし、その影で飲みすぎた酔客がだらしなく寝そべって、付き添いの友人らしき人に介抱されていた。

 人々の暮らしに一時の安らぎを与え、猥雑な空気を漂わせる街には、身分の貴賤を問わず迎えてくれる懐の深さがある。

 身分に合わせた店に入るのが一般的だが、中には身分の垣根を越えて交流を楽しむ者もいた。

 その身分の違いを利用して、何気ない世間話に花を咲かせるのだった。


 武具屋のレネと散髪屋のジョアンは、おおらかな気質の貴族と酒を酌み交わしたあと、店を出てもう一軒寄ることにした。


 そろそろ日にちが変わる時刻になり、閉める店がぽつぽつ出てきたが、夜通し営業する店も少なくない。

 次の日に仕事がない人々が時刻を考えずに遊び、生粋の飲兵衛ならそもそも時刻など気にしない。

 店の方も金を落としてくれる客がいる以上、店を閉めるわけにもいかず、どうしてもだらだらと営業してしまうのだった。


 レネとジョアンが踏み入れた小路には少々いかがわしい店も点在し、道も入り組んでいるせいか、憲兵の見廻りも来ないようだった。

 月の明かりさえ射さないほどの暗い道で、窓から洩れる店の灯だけが足元を照らすだけである。

 時おりすれ違う人の顔さえ判別がつきにくかった。

 道端で酔いつぶれている男も表通りとは違い、うらぶれた感じの、真っ当なのかどうかもわからない人間な気がした。


 小路を奥に進むにつれ、レネは不安になってきた。

 安い店だからだと言われているが、奥に行けば行くほど、心臓を締め付けられるような感覚になる。

 普段、賑やかな店しか立ち寄らないレネには、ここら辺の雰囲気になじめないと感じた。

 友人のジョアンの誘いに乗った以上、途中で引き返す気にもなれず、少々後悔していた。


 それに、最近世間をにぎわせている連続強盗事件のことも頭にあった。

 王都イクリス中の商家や屋敷に侵入し、暴力も(いと)わない手口で大金をせしめているらしく、中には命を落とした人もいるという。

 もし犯人とばったり会ったら、二人ともただでは済まないのではないか。

 そんな恐れが胸の内をざわつかせる。

 平気な態度で先を行くジョアンが不思議でならなかった。


 やがて狭い四辻に行き当たると、ジョアンは右に折れた。

 道の奥は大きな通りにつながっていて、灯が目に映る。

 どうやらジョアンは近道を選んだだけらしく、レネはほっとした。


 すると、灯を遮るように一人の人間が立っているのに気づいた。

 自分たちよりも背丈の高い、男のようだった。

 影を帯びていて表情は見えないが、頭がいびつな楕円形に見え、フードを被っているらしかった。


 誰だと思ったとき、影が疾走し、一気に距離を詰めてきた。

 手に持ったロッドをジョアンの方に突き出し、魔法を撃った。

 飛んできた氷塊がジョアンの腹に当たった。


「ぐ、わ」


 ジョアンは上体を曲げる。

 レネが声をかける間もなく、男はジョアンの頭にロッドを叩きつける。

 ジョアンは足が思うように動かず、ただ腕を振るうだけだった。

 男の顔めがけて右手を振るうも、大きく外れ、がら空きになった右脇腹に当て身を食らう。


「ご、あ」


 ジョアンは右脇腹を押さえながら膝を折って地面に手をつく。

 それでも男の攻撃は止まなかった。

 容赦なく顔を蹴り上げ、ジョアンの上体はのけぞった。

 ジョアンは背中から地面に落ちると、顔を両手で押さえて悶えた。

 ジョアンに反撃の意志は見られなかったが、それでも男は油断しなかった。

 さっとジョアンに近づいて、顔、胸、腹を何度も踏みつけた。

 そして男はポケットから何かを出して、抜いたように見えた。灯の届きにくい道でも、きらっと光るのがレネの目に映る。


 短剣のようだった。


 それをジョアンの右腿に突き刺した。


「ぐ、む」


 執拗な男の攻撃に、ジョアンは声を絞り出すのがやっとのようだった。


 男はジョアンの上着の裾で血の滴る短剣を拭ってから鞘に納めると、灯のある街中に去って行った。


 男の一連の攻撃は三十秒もなかっただろう。


 レネはにわかに現れた死神のような男に怯え、地面に尻をつきながら震えていた。


 暗闇の中で、ジョアンの呻き声が耳に届く。

 容体がはっきりと見えないが、血を流しているようだった。

 恐怖がレネの身体を支配し、これ以上ジョアンの姿を直視する勇気が湧かなかった。


「そうだ。病院、医者、馬車、運ぶ、憲兵」


 頭の整理が追い付かず、思いついた言葉を口にしただけになった。

 ほうほうの体でレネは灯のある通りに出た。


「誰か―! 来てくれ! ダチが死にそうなんだ!」


 助けてくれと願った。大声を張り上げ、道行く人々がレネを振り向く。

 すると夜廻りをしていた憲兵が駆けつけた。


「どうしました?」


 ただ事ではない気配をレネから感じ取ったらしかった。

 レネは通り魔に友人が襲われたことを話すと、憲兵は周りの人間に馬車を手配するよう指示した。


「で、怪我人は?」


 と訊いたので、レネは路地裏へ憲兵を連れていく。

 

 ジョアンの容態を見た憲兵は、


「これはひどい。ちょっと大丈夫ですか。しっかりしてください。もうすぐ病院へ連れて行きますよ」


 と献身的にジョアンに声をかけ続けた。


   ◇


 ジョアンは一命をとりとめた。回復魔法を遣える医者が当直だったので、傷口は塞がったようだ。

 しかし、完治には時間がかかり、しばらくは安静が必要だという。

 話があるなら後日改めて来てほしいとのことだった。


 病院の待合室でレネは、付き添ってくれた憲兵から事情を訊かれた。


 彼はアイザック・タウトと名乗った。巡査長という階級らしい。

 眉尻が吊り上がり、彫りの深い顔つきで、薄い唇にどこか冷たい性格だと思わせる印象がある。


 レネはまだ混乱が収まらない。

 いまだに、縛り付けられたかのように身体が固かった。

 あの通り魔はレネの心底にも傷を刻んだらしかった。


 口と舌が思うように動かず、話し方が取り留めなくなった。

 それでも何とかタウトに伝えることができた。


「それで、なにか心当たりは?」


 話の要領がつかめたらしく、犯人に目星をつける段階に入ったようだ。


「いや、おれには何も」


「ふむ」


 と、タウトは俯いて考えるしぐさをする。


「顔は見ていないんですか?」


 タウトは首を回してレネを凝視する。


「それが、フードを被っていたので、よくは……」


 憲兵特有の視線に耐えられず、レネは顔を背けて言った。


「では、なぜあなたが無傷でいられたと思いますか」


「え、それは」


 と、レネは口ごもってしまった。

 あの通り魔は執拗にジョアンだけを狙っていて、レネには一瞥もくれなかった。

 なぜ自分が襲われなかったのか、レネが訊きたいことだった。


「わかりません」


 と返すしかなかった。


「でもね、あなたが襲われていない、これは重大な事実があるんじゃないですか」


 タウトの口調がにわかに荒くなる。慇懃無礼と言ってもよかった。彫りの深い表情に険が帯び、目に鋭い光が宿る。


「お、おれを疑っているのか」


 思わず立ち上がって声を張り上げるレネ。


「そうは言ってません。ただ状況としてはおかしいんですよ。例えば、あなたが犯人と組んで彼を襲うよう仕向けたとか」


「いい加減にしてくれ」


 なんでこんな目に遭わないといけないんだ、と胸の内で嘆いた。

 おれだってあんなものを見せられて怖い思いをしたのに。


「ちょっと、すいません」

 

 奥に続く廊下の入口から声がして、二人は顔を向けた。

 いつの間にか精悍な顔つきの男がいた。

 話を聞いていたのかもしれない。

 薄青の長袖シャツの上に左胸に徽章をつけたベストを着ていて、濃紺のズボンを穿いていた。

 彼もまた憲兵だった。

 ただ、腰に見たことのない剣を二本差している。


「ここは病院なんでね。もうちょっと静かにした方がよろしいのでは」


「事情聴取をしている最中だ。部外者にはお引き取りいただこう」


「なにがあったんです?」


 男はタウトの言葉を無視してレネに訊いてきた。


「あんたには関係ない」


 苛立ちを隠さずにタウトが言う。


「関係ないってことはないでしょ。まかりなりにもあんたよりは上の人間だよ、たぶん」


「え」


 二人の声が重なった。男はポケットから手帳を出して身分を証明した。


「査察課のシズマ・ラージヒル警視です」


「ラージヒル……警視」


 タウトは目を瞠った。思いがけない人物が現れて驚いたようだった。


「アイザック・タウト巡査長、警邏課所属だっけ? 居丈高に聴取するのはいただけませんな。ほら、後は俺に任せて、夜廻りに行きなさい」


「しかし……」


「そっちは連続強盗事件の犯人を追っているでしょ。いいからここは任せてさ」


 ラージヒルが手を出口の方へ差し出して、退出するよう促した。

 タウトは困惑げな顔色を浮かべながら去って行った。


「さて、お話を訊きましょうか。それで、ジョアンさんが襲われる心当たりはありますか」


 ラージヒルは立ったまま質問してきた。やはり話を聞いていたらしく、いきなり核心に触れてきた。


「えと、わかりません」


 レネは戸惑いながらそう答えた。


「では、ジョアンさんはなにをやっておられる方でしょうか」


「散髪屋で働いています」


「ジョアンさんはどういった方でしょうか? 例えば同僚やお客さんからの評判とか、普段の素行とか」


 ラージヒルの質問は淡々としていた。

 精悍で憲兵らしい顔つきではあるが、どこかとぼけた印象がある。

 レネを疑っている様子はない。

 少し心が落ち着いた。


「そこもちょっとわかりません。すいません。ただ気のいい奴だったから、評判は悪くないと思います。けど」


 そこまで言ってレネは言い澱んだ。


「けど?」


 とラージヒルが先を促す。


 言っていいのかと一瞬迷ったが、ここは包み隠さない方がいいと思った。


「……仕事に就く前は、かなり悪さをしてたみたいで……。でもずいぶん前のことですから、それが通り魔と関係あるのか……」


 前にレネが聞いたところ、ジョアンは十代のころあまり素行が良くなかったらしい。

 貧しい家に生まれ、人々から蔑まれる幼少期を送ったせいで、道を踏み外したという。

 詳しいことは話してくれなかったが、とにかくやんちゃをしていたと曖昧な言い方をした。

 男ぶりが良く、顔立ちがいいので、不良だったというのは意外だと思った記憶がある。


「ふーむ」 


 とラージヒルは唸って、後ろ首を撫でた。


「こりゃあ、ジョアンさんの回復を待って訊くしかありませんな」


「はあ」


「今日のところは結構です。またお聞きすることがあるかもしれませんので、そのときはよろしくお願いします」


 ラージヒルは淡々と言った。憲兵の形式的な文言のように感じる。


「さて、あなたの家まで送りましょうか。万が一、先ほどの通り魔があなたを襲うともかぎりません」


 その言葉に、レネははっとなる。たしかにその可能性はある。

 不安になったレネはラージヒルの腰に佩いた二本の剣に目を遣った。

 武具屋に勤めているが、見覚えのない剣である。

 ただ、武器を持った人が一緒だと、なんとなく安心のような気がした。


「お願いします」


 戸惑いがちにそう言うと、


「では行きましょう」


 とラージヒルは背を向けた。レネは立ち上がって、そのあとについていく。


 夜はさらに更けて、もう日にちが変わったようだった。

 欠けた月がぶら下がるように暗黒の空にかかり、さみしげな光を湛えていた。


 ――あいつ……。


 何をやったんだ、とさっきから思っていたが、後は憲兵に任せるしかなかった。


 あんな怖い目に遭うのはごめんだと、胸の内が怯懦に浸されていくのを感じた。

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