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新人 6

「ご活躍だったようね」

 

 警務局長室で、ミレイユはお茶を淹れながらそう言った。

 新設して間もない査察課の様子を知りたくて、シズマ・ラージヒル警視を呼びつけたのだ。


 日勤の時間が間もなく終わり、そろそろ夜勤が始まる時刻だった。

 警務局長の仕事はまだ終わらず、目を通さなければならない書類が広い机の上に積まれている。

 今日の残業は避けられそうになかったので、休憩がてらラージヒルに査察課がどう動いているのか報告してもらおうと思い立ったのだ。


 スレイ・ウェバー巡査部長と薬屋の違法薬物事件は、元々ウェバーが担当地区にある数軒の商家から付届けを貰っているという服務規程違反の疑惑から端を発したものである。

 査察課ができる前に人事課が調査したものであった。


 この事件は、ウェバー巡査部長の身辺調査をしたあと、付届けを貰った彼の訓戒処分で終わるはずだった。

 比較的易しい任務なので、昇進したばかりのラージヒルと新人憲兵のアメリア・ティレットに経験を積ませるため、人事課から仕事を回してもらったのだ。

 新設部署の初仕事として、ふさわしいもののはずだった。


 ところが、付届けの調査は思わぬ方向へ行った。

 ラージヒルから薬屋の店主が違法薬物使用の疑いありとの手紙を受け取ったとき、度肝を抜かれた。

 そして、ウェバーがその事件に一枚噛んでいる可能性が高く、査察課だけに任せておくのは荷が重すぎると感じた。

 それに違法薬物が絡んでいるとなると、他の部署との連携が必要になってくる。

 ただし、他の憲兵が捜査に乗り出したと知られると、証拠隠滅に走る可能性があった。

 そこで苦肉の策としていったん査察課に任せて、手に余るようだったら生活保全局に捜査を引き継がせようと考えた。

 ラージヒルもミレイユがそう決断を下すと思っていたらしく、命令を待たずして薬屋に潜入した。


 結果的には上手く行き、薬屋の調合室から違法薬物を押収することができた。

 店主は違法薬物所持、及び使用の罪で逮捕された。

 報告書によると、ラージヒルが店主から独特の()えた口臭を嗅いだのがきっかけとなった。


 ラージヒルはかつて似た違法薬物を使った人間を逮捕したことがあり、そのときに嗅いだ口臭と同じだったという。


 店主に疑いを持ったラージヒルが婉曲的に指摘すると、店主とウェバーは泡を食って証拠隠滅に走ると推測し、ラージヒルはその日の内に決着をつけられると判断したのだ。

〈透明化〉を遣えるアメリア・ティレット警部補を薬屋に侵入させ、証拠をつかみ、彼らの逮捕に至った。


 危険のはらんだ捜査手法である。

 無断で裏口から入るのは、不法侵入に問われかねない。

 もし証拠が見つからなかったら、査察課の二人に何らかの処分を下さなければならなかっただろう。


 問題の違法薬物だが、この原料はウェバーが昔の不良仲間から仕入れたものだった。

 裏社会とのつながりがあり、そこから仕入れたものらしかった。

 金になると考えたウェバーが、前々から懇意にしていた薬屋を抱き込み、薬物を保管してもらったのだ。

 そして薬の知識がある店主が、さらに効果の高い薬物を作り、高値で裏社会へ売りさばいたのだという。


 店主もまた欲におぼれた人間だった。

 いずれ商売の手を広げたいとの野望があり、ウェバーの危険な誘惑にのった。見廻り担当がウェバーであるため、他の憲兵の目から逃れられると思ったのだろう。

 ただ、好奇心を起こして、自ら調合した薬物を使用したのは愚かとしか言いようがなかった。


「違法薬物はすべて押収できたし、なんとかひと段落つきそうだわ」


 ミレイユはお茶を一口啜ってからそう言った。

 ラージヒルたちの仕事は身内の調査、取締りなので、一通りの取り調べをしたあと、性格保全局反社会対策課が捜査を引き継いだのだ。


「ですが、私にはどうもわからないんですよ」


 ラージヒルは手に持ったカップを軽くゆすりながら、淡々と言った。


「なにが?」


 興味津々にラージヒルに視線を合わせるミレイユ。

 ラージヒルの表情に動きはなく、いつも通りの精悍さととぼけた印象が合わさった不思議な顔立ちをしている。


「タレコミですよ」


「タレコミ?」


「ええ、ウェバー巡査部長は他の店からも付届けを貰っていました。なのに、あの薬屋を名指ししてタレこんだというのが、どうも引っかかるんですよ。奴らには洩らしてはいけない秘密を共有していましたし、どこかで口を滑らすとも思えんのです。なんだか我々を動かすために仕組まれた感じがあるものでして」


「そうね」


 ミレイユは相槌を打った。

 カップをテーブルにある皿の上に置いてから右の人差し指を頬に添えた。


「ウェバー巡査部長の存在が目障りになった連中の仕業とも考えられるわね。あの人たちの作った違法薬物は相当な高値で売れたっていうじゃない」


「かもしれませんね」


 ラージヒルは相変わらずカップを見つめている。

 彼が何を考えているのかミレイユには察しがつかなかった。


「まあ、いずれにせよ、あとのことは他に任せるしかありませんな」


 と言うと、ラージヒルはようやくお茶に口をつけた。


「ところで、ラージヒル警視。新人の勤務態度はどう? 才媛の魔法遣いって評判だけど」


 ミレイユは話題を変えた。

 事件のあらましは話のついでで、こちらが本題だった。

 幹部たちの会議でアメリアを査察課に推薦した手前、気にかけておいたのだ。


「アメリア・ティレット警部補ですか? まだ憲兵になって少ししか経っていませんから、なんとも。ですが、見どころはあるとは思いますよ。まあ、短気なところが玉に瑕ですがね」


 通り一遍の、差しさわりのない回答のように思えた。

 話すことはそんなにないといった素振りだとミレイユが感じたとき、ラージヒルは付け加えた。


「彼女、本当に貴族の娘ですかね?」


 ラージヒルは顔を上げて、ミレイユに目を合わせる。

 考えの読めない光を湛えていながら、その視線はミレイユを見据えている。


「どういうこと?」


「いえ、貴族の娘と言えば、もう少し、お淑やかだと思っていたものですから。彼女、憲兵向きの性格ではありますが、どうも気が強すぎましてね。私にも口答えをしてくるものですから、少々手を焼いている有様でして」


 遠慮のない口調だった。しかし、表情にかすかな笑みが現れて、手のかかる部下を面白がっているようでもある。


 そこでミレイユはアメリアの出自について話すことにした。上役として知っておいた方がいいと思ったのだ。


「それも無理はないわ。彼女、十二歳まで平民だったから」


「……」


「ティレット侯爵の愛人の子だというのは、知る人ぞ知る話よ。いい年になるまで、見向きもしなかったくせに、容姿の美しさと、魔法の才能を兼ね備えた才媛だとわかって養子にしたって噂よ。ゆくゆくはティレット侯爵に名誉をもたらす人材と見ているんじゃないかしら」


「なんとも身勝手な話ですな」


 ラージヒルはわざとらしく顔を歪めて、呆れた口調で言った。


「うちの幹部の中にもティレット侯爵と強いつながりを持つ人がいるのよ。籠の中で育てるように大事に扱って、ゆくゆくは魔法技術省への出向という筋書きを描いているわ。けど、私がそういう特別扱いが嫌いなの、シズマもわかっているでしょう。通常の新人と同じ経験をさせてあげられない以上、せめてあなたの下に配属させれば、一人前の憲兵に成長してくれると思ったのよ」


 ミレイユは包み隠さず秘密を暴露した。査察課に配属した真意を告げた方がラージヒルとアメリアのためになると思った。


 彼をシズマと呼んだのはいつぶりだろうか、とふと思ったとき、ラージヒルが意外なことを口にする。


「とんだ見当違いですな。私には彼女を育てる気はありませんよ」


「どういうこと?」


 上役らしくないことを言うラージヒルの真意が掴めなかった。


「そう考えるのは少々おこがましい気がしましてね。あくまで部下の一人として扱って、一緒に仕事をして時には助言を与えるだけの話ですよ」


「それを育てるっていうんじゃない」


 ミレイユは微笑んだ。食えない言い回しをするラージヒルを面白がっている、と胸の内で思った。

 そして、アメリアをラージヒルの下に配属したのは正解だったかもしれないとも感じた。


「それと、あなたに一つ忠告」


「はあ」


「軽口をたたくのもほどほどにしなさい。でないと、部下から見放されるわよ」


 ミレイユは余ったお茶を飲みほした。


「煙たがられているのは、今に始まったことではありませんから」


 平然と言ってのけてから、ラージヒルもお茶を飲みほした。

 では、と言ってラージヒルは立ち、退室しようとする。


「あ」


 ドアの手をかけてから何かを思い出したかのように、ラージヒルは振り向いた。


「局長、一つ言っておきたいことがあるのですが」


「なに?」


「運動不足はいけませんな」


「……」


「では」


 ラージヒルはそそくさと警務局長室を出て行った。


「あの小僧……」


 ミレイユは拳で机を叩いた。その音が部屋中に響き渡る。

 ラージヒルはミレイユの顎の下の肉が、少しついているのに気づいていたのだ。失礼にならない範囲で指摘しようと考えていたに違いなかった。


 腹を立ててもしょうがないと思い、ミレイユは残った書類を片付けようと局長席に腰を下ろした。書類を手にしてから、ふと独りごちた。


「昔から減らず口だけど、まあ、面白いことになりそうね」


 あの油断ならない部下が、これからどのように立ち回るのかと想像すると、年甲斐もなく胸が弾んだ。

 

 ただ、あの減らず口を直してやる、とも思った。


   ◇


 そろそろ報告書が書き終える目途がついたころ、耳の奥が軽く押されるような鐘の音が聞こえてきた。

 夕暮れどき、王都イクリスに鳴り響く鐘の音は、昼の仕事を終える合図としての役割がある。

 これから人々は思い思いの時間を過ごす。

 家にまっすぐ帰ったり、友人たちと交流を深めるために夜の街に繰り出す者もいるだろう。

 中には良からぬ企てを立てる者もいるかもしれない。

 そんなことを考えながら、アメリアは報告書を書いていた。

 最後の一文字を書き終え、息の詰まりを押し出すかのように両手を上げて伸びをする。


 憲兵の仕事にはまだ慣れない。

 初日から劇的な事件が起き、手柄を立てるという経験をしたせいだろうか。

 ウェバーと店主を反社会対策課に引き渡してから、仕事が上手く行っていない感覚がある。

 得意の魔法を遣うような事件なんてそうそう起きないとラージヒルから言われていて、アメリアも理解しているつもりである。


 日々の仕事と言えば、ラージヒルと町を見廻ることだった。

 主に商家を訪ね、憲兵が不正をしているかどうかを調べ、疑いがある憲兵を調査する。

 仮に付届けなどしていたとしても、商店側が簡単に口を割るとは限らない。

 もし憲兵の不正を密告すれば、商店側が報復されるなどの不利益を被りかねないのだ。

 そうならない配慮も必要だと感じているが、アメリアにはどうしていいかわからず、ラージヒルの指示に従いっぱなしというのが現状だった。

 結果ラージヒルが何とか解決してしまう。


 上手く話を聞き出すには技術と経験が足りず、それができるのは何年後の話だろうかと、自分の不出来を反省する。

 才媛と褒められても、人の気持ちを理解できるわけではないと痛感していた。


 上役のラージヒルといえば、普段は減らず口をたたいてアメリアの怒りを買うのだが、仕事自体に瑕疵(かし)はなく、きちんと仕事をこなす手腕は見事だと認めざるを得なかった。

 何を考えているかわからない食えない男、という印象はあるものの若くして警視に昇進し、課長まで上り詰めただけのことはあった。


 帰り支度をしようとしたとき、ラージヒルが詰所に戻ってきた。


「よう、お疲れさん」


 何があったわけでもない、というふうに軽い口調で犒う。


「お疲れさまです。課長、どこに行かれていたのですか?」


「別に。ちょっと警務局長の顔を拝んできただけさ。まったくあのおばちゃん、茶に凝っているのはいいけど、雑談が長くてな」


 頭を掻いて遠慮ない言葉を吐いてから、自分の席につく。


「おばちゃん?」


「ん? ああ、これは内緒。俺が言ってたなんてバレたら大目玉食らってしまう。あの人、多少の失敗には寛大だけど、中年扱いすると不機嫌になるからな」


 急にまずいという顔になり、あわてて取り繕うとするラージヒル。


「誰でも不機嫌になると思いますよ。特に女性は年齢に敏感なのですから」


「んなの気にしすぎだって。年取ろうが若かろうが、美人は美人さ」


 笑いが浮かんでいるが、言っている言葉に上滑りしている感があり、感情が入っている気がしなかった。

 これ以上のやり取りは不毛だと感じて、アメリアはため息を吐いた。そして席を立って出来上がった報告書をラージヒルに渡した。


「あっ、そうだ」


 何かを思いついたかのように、ポンと手を叩いた。


「歓迎会がまだだったな。アメリア、今日これから予定ある? なんならちょっと値の張る晩飯でもどうだ」


「すみません、お気持ちはありがたいのですが、同期の人たちと約束がありますので」


「そうか、じゃ、日を改めてだな。でもなアメリア」


 ラージヒルが顔をアメリアに向けて、覗き込むように見つめる。まじまじ見詰められてアメリアの胸の内がさざめく。


「魔法をぶっ放すんじゃないぞ」


「は?」


 素っ頓狂なことを聞いたアメリアは、耳を疑って顔が固まる。


「いやなに、女同士が一緒に暮らせばやっかみの一つや二つあるだろ。おまえさん、なにかと嫉妬を買いやすいだろうからな。んで、陰口をたたいた同期を魔法で懲らしめる、と」


「課長」


 アメリアの胸の内からさざめきが消え、代わりにムカムカするものが芽生えてくる。


「私のことをどう思っているのですか?」


「言っていい?」


「返答次第で対応を考えます」


 と言いつつ、アメリアは拳を握り締める。庁内では原則、魔法の使用は禁止されているため、ぎりぎりの分別を保っていた。


 ラージヒルはそっぽを向いて頬を掻くと、考えがまとまったのか向き直って答える。


「才色兼備の魔法遣いだが、ほんとはこわいキレやすい暴力女」


 と早口で言われると、アメリアの胸の内に影が射し、静かな憤怒が頭をもたげた。


「そういえば、課長。訓練の約束をしていましたよね。歓迎会はしなくて結構ですので、訓練に付き合ってはいただけないでしょうか。遠慮はいりません。訓練中の事故なんて珍しいことではありませんし、ときには……あっ」


 アメリアが得々と話している隙に、ラージヒルは形容しがたい素早さで詰所から逃げて行った。残されたアメリアはただ呆然と立ち尽くすだけだった。


 ――少しでも……。


 仕事ができる男と認めた私がバカだった、と後悔した。身体を震わせて大きく息を吸った。


「あのバカ課長ぉぉぉがぁぁぁぁぁぁ!」


 アメリアは思いのたけをぶちまけた。憲兵庁を揺らさんばかりに大声だったという。



お読みいただき、ありがとうございました。

次回から別の話になります。

引き続き、査察課の活躍にご期待ください。

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