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盗賊と芸術家 8

「この馬鹿が。なぜあの娘をここへ招いた?」


 アストリー子爵の冷たい声音が書斎に響く。

 右側の壁に置かれた本棚には夥しい数の書籍が並べられ、窓の近くに子爵専用の机があり、その前にテーブルを挟んでソファが二台置かれている。


 西日が射し込み、橙色の光を背に受けた子爵の姿が陰って見える。


「父上。私はいずれアメリア嬢を妻として迎えたく、今から親しいお付き合いをしようかと」

「黙れ! お前が余計なことをしたせいで憲兵が怪しんだんだろうが。」 


 子爵の憤激が収まりそうもない。幅の広い固太りした体躯を震わせて息子のロリスをしかりつける。


 だがロリスも黙って聞き入れるわけにはいかなかった。

 まさか盗まれたものが、父親が不正な手段を講じて手に入れたものだとは思いもしなかったのだ。

 盗賊騒ぎのどさくさ紛れに、アメリアと親しくなりたい下心があったのだが、アストリー家を揺るがす事態が起こるとは全く予期していなかった。


 たしかに憲兵たちに『三つ首の狂犬』が盗まれたと嘘を吐いたのは事実だ。

 だが、それは元はと言えば、『ドラゴンズロア』をこの邸宅に保管しているのを隠し通せと命じられたせいである。


 普段からタドカスト巡査部長に付届けをしているので、こちらの都合を斟酌してくれると考えていた。

 今回だって盗まれたものは価値が低いから懸命に捜査しなくていいと事前に伝え、おざなりな捜査に終始してもらった。

 しかし、アメリアとラージヒルが踏み込んだ捜査をしたのが計算外だった。

 その結果、今盗賊らしき男を連れて盗まれたものかどうか確認してほしいと訪ねてきたのだ。


 そもそもロリスは、この父親を好ましく思っていなかった。

 芸術に詳しいと吹聴しているのに、蒐集するのは値の張るものばかりで、ポリシーというものが感じられなかった。強欲で金にうるさい人間の俗物趣味に過ぎない。金を出せば出すだけ風流人と称賛されると勘違いしているに過ぎないのだ。


 父親の失態はそれだけではない。領地で繁栄したノガラ酒造を罠にはめて潰したのは明らかな失敗だとロリスは結論付けている。

 ノガラ酒造が良質な酒を造り、王国各地で好評を得て、飛ぶように売れたおかげで領地は潤ったのだ。収められた税をもとに領地を改革し、領民の生活を安定させ、憂いのない暮らしを送ることだってできたはずだ。

 将来、領主として領民を束ねなければならないロリスにはそうした絵図ができていたのだ。


 ところが、この父親はノガラ酒造の影響が大きくなるのを好まなかった。

 理由は極めて短絡的かつ愚かなものだ。平民が領主よりも目立つのが気に食わなかっただけである。


 所有した数こそ少ないが、芸術を愛したジョシュア・ノガラの蒐集品は趣味が良く、特に深遠なテーマを抱えた美術品を好んでいた。控えめで堅実に酒造りに励む彼の唯一の趣味であったという。


 そのことも子爵のプライドを傷つけたらしい。


 そこでアストリー子爵は、ノガラ酒造が領地の繁栄の一助になってほしいと懇願し、ジョシュアに大量の人員を確保し、設備の拡充をしてより利益を上げるよう持ちかけたのだ。人員や設備を入れる業者はアストリー子爵が選定し、その費用を彼が貸すことになった。

 だがそれは、まどろっこしい罠だった。子爵の紹介で雇い入れた人たち、いや輩たちはまともに仕事をしないうえに、拡充した設備も粗悪なものだった。

 当然ノガラ酒造が造る果実酒の品質は著しく劣化し、酒は売れなくなり、倒産の危機に瀕した。


 子爵の罠に気づいたときには既に遅かった。ジョシュアはアストリー子爵に詰め寄ったと言うが、子爵は白を切り、むしろ借金の返済を要求したのだ。あくまでノガラ酒造の経営失敗でしかないと押し通した。訴えても無駄だと念を入れて。


 ジョシュアの財産は目減りして手元にあった芸術品を売らざるを得なくなった。

 その中にあったのが『ドラゴンズロア』である。

 王都イクリスで開催された王国主催の展覧会でジョシュアが『ドラゴンズロア』を貸し出し、そのあと信頼できる美術商に売って財産を処分することになった。杜氏として再起しようともがいたのだ。


 子爵は『ドラゴンズロア』に並々ならぬ執着心を燃やしていた。高価な美術品であることは確かだが、性根のねじ曲がった愛好家として、素晴らしい美術品を人の目に触れることなく、その美を独占したいと願っていたのだ。


 そしてアストリー子爵はとどめを刺した。どの伝手を頼ったのか知らないが、裏社会に棲息する盗賊に依頼し、『ドラゴンズロア』がジョシュアの下へ移送される途中で襲撃し、首尾よく盗みを終えて、城下屋敷に保管したのだ。


 ロリスがそのことを知ったのは『ドラゴンズロア』が城下屋敷から盗まれたと知らせてからのことである。当然、父を詰問したが、歪んだ貴族思想を持つ男に聞く耳は持たない。

 平民の分をわきまえないからこうなったと言ってのけた。

 

「とにかくごまかせ。でないとお前もただでは済まないぞ」


 子爵は右人差し指を突きつけ命令した。


「失礼します。アストリー子爵、ティレット家のご令嬢が参りました」


 ドア越しに執事の声がした。


「入ってもらえ」


 と居丈高な口調で命じる。


 書斎に入ってきたのはアメリアだけではない。

 みすぼらしい若者と、腰に大小二本の剣を佩いた男、それに生気のない顔つきの男だ。


「やあ、アメリア様。本日はどのようなご用件で」


 ロリスが彼らの前に立って挨拶をする。作り笑顔がいまいち決まらない。


 アメリアの目に険がある。やはり来たのだと思った。


「ロリス様、本日は盗難に遭った物をお届けに参りました」


 アメリアは後ろに目を遣り、生気のない男を促す。

 男は不躾な足取りで子爵の机の前に立ちバッグから木像を取り出した。


「子爵、これがあんたの木像だ」


 男は不遜な態度で木像を机の上に置いた。たしかに盗まれた『ドラゴンズロア』に見えた。

 だがよく見ると何かが違う。形も色もそっくりだが、どこか違和感があるのだ。


「これは間違いなく、俺がこの屋敷から盗んだものだ。あんたに返すよ」


 この言葉を聞いて、ロリスは盗賊の狙いを悟った。


 ――これは贋作だ。


 そう確信した。アメリアとラージヒル、この二人の憲兵の前で違うと言うなら、真作を不正に所持していたと暴露するのと同じなのだ。


 子爵は木像を丹念に観察する。本物かどうかを見極めているのだ。

 ロリスは贋作だと教えたい気持ちが出て来る。

 父の側に近づこうとしたとき、アメリアが行く手を遮った。


「子爵の気を乱してはいけませんわ、ロリス様。それにわたくしからお聞きしたいことがあります」


 柔らかな言葉に似合わず、アメリアの口調には厳しいものが含まれていた。


「なにか?」

「どうして、わたくしに嘘を吐かれたのですか?」

「いえ、それは、私の勘違いです」


 としか言えなかった。


「このような高価なものを盗まれたのに、勘違いなさったのですか?」


 見上げる目に妥協はなく、侮蔑の色さえ混じっている気がした。

 ロリスが見下ろしているのはただの小柄な女ではなかった。

 矜持に溢れ、悪党を逃さない一人の憲兵だった。


 話の接ぎ穂を失ったロリスが言い訳を考えていると、子爵の様子がおかしいのに気づいた。

 彼はいつの間にか木像ではなく盗賊を睨めつけていたのだ。


「お前はまさか」


 子爵の目が見開き、身体が震える。


「へえ、気づくとは思わなかったよ。なんせ俺はジョシュアさんのお付きでしかなかったからな。ま、名前までは覚えちゃいないだろうが」

「ジョシュアの、お付き?」


 ロリスは思い出した。確か、秘書のようにジョシュアに付き添っていた男だった。

 領地の館、それに城下屋敷にも来たことがある。

 そして、子爵が自慢の蒐集品をジョシュアに語っていたときもこの男は傍らにいた。


「ボガールか?」


 その言葉に反応して、男はゆらりと首を回しロリスに顔を向けた。

 その目がにわかに生気を帯びた。


「へえ、思ったよりも記憶力がいいんだな。たかがお付きの名前を憶えているなんてな。このデブよりはいい領主になれるぜ、あんた」

「貴様! 誰に向かってものを言っているんだ。たかが平民の分際で」

「まあ、デブは言い過ぎですな。ボガールとやら、謝ったらどう? じゃないと侮辱罪も追加になるよ」


 張り詰めた空気を和らげるような声がした。アメリアの上役、ラージヒルである。


「それよりも子爵、早いところその木像の真贋を教えていただけないでしょうか。もしそれがお宅から盗まれたものならそのまま返却します。違ったら、この男を改めて問い質さなければなりませんがね」


 ラージヒルは口元に笑みを浮かべながら子爵を促す。


 ――終わった……。


 もう真作が手元に帰ってくることはないとロリスは確信した。

 ラージヒルは狡猾な憲兵だった。

 おそらくこの男はボガールが盗んだのが真作であるのを確信している。

 仮に子爵が元から贋作を所持していたと言ったとしても、後々真実を詳らかにし、子爵の罪を追求するに違いない。


「失礼します」


 ドアの空く音がした。断りなくタドカスト巡査部長が数人の憲兵が率いて入ってきた。


 そのとき、子爵の表情が邪悪な笑みに染まった。


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