盗賊と芸術家 4
トルメロ・ネルアスは寄木造の木像を彫っていた。
展覧会に出品したり、誰かに売るためではない。
『ドラゴンズロア』の贋作造りを依頼されたに過ぎない。
真作の『ドラゴンズロア』を見せられたとき、トルメロの心は奪われた。
両手に持てるほどの大きさしかない木像には、見る者を圧する迫力があった。
二百年ほど前、ある貴族の領地で飢饉に見舞われ、多くの領民が飢え、困窮を極めたという。
この年は例年になく洪水や冷害が領地を襲った。
農作物を主産業とするその領地では、大凶作に陥り存亡にかかわる事態に面したのだ。
食物の貯えも少なく、飢え死にする者もあらわれたという。
特に農民の疲弊が激しく、農地を売り、生まれ育った土地を離れた者がいた。
だが、それはまだましな方だった。ひどいときには、わが子を裕福な商人に売り、容姿の優れた娘は城下町の女衒を介し娼婦になったという。もっとひどいのは、口減らしをするために、年老いた親や年端のいかない子を手にかけ、口減らしをしたのだ。領民たちはそこまで追い詰められていた。
ところが、領民の困窮にも関わらず、貴族たちは領地の政治に無頓着だった。飢饉の対策を講じることなく、遊興に耽ったのだ。パーティーを開いたり、王都から評判の楽団を呼び寄せては贅沢をしていたという。下民の惨状を顧みることはなかった。
そして彼らの冷酷さを後世に知らしめたのは税の徴収である。明日食べる者にも困っていた領民の心を踏みにじるかのように、厳しい取り立てを行ったのだ。拒む者には容赦なく打擲を与え、罪人として彼らを罰し、見せしめのために処刑も行った。税を納めない者の末路を示したのだ。貴族たちは、自分たちの利益のためなら領民を虐げることも厭わなかった。
貴族たちの苛政に、領民たちの怒りが爆発した。自分たちを苦しめるのは凶作ではなく、領主だと悟った。領民の苦しみを理解しようとしない領主が、この事態を招いたと感じた彼らは力を結集した。
夥しい数の領民が、領主の館を取り囲んだ。掲げた松明の灯に照らされた彼らの姿は、ひどく痩せこけて幽鬼に匹敵するほどの恐ろしさだったという。
領主は取り囲んだ彼らに詫びたが、もう遅かった。怒りが頂点に達した彼らは貴族たちを殺し、その首を刎ねて木の台の上に置き、何日も外に晒したらしい。そして貴族たちの頭は、領地に棲息するモンスターの餌となったらしく、血の跡を残して消えていたという。
この出来事を嘆いたシエロという僧侶は、戒めのために木像を彫った。僧侶として自分が彼らに何もしてやれなかった無力感に苛まれ、せめて後世に残る教訓として得意の彫像に想いを託したと言い伝えられる。
それが『ドラゴンズロア』である。
小さい木像なのにあえて寄木造で彫ったのは、力を結集した民衆の暗喩であるらしかった。
吼える竜の姿は、貴族たちの愚かな行為を咎めていた。
ただ『ドラゴンズロア』は現在、行方が分からなくなっていたはずだった。五年前、イクリスで行われた展覧会の目玉として展示されたのを最後に人の目に触れていない。
盗難に遭って闇に流れたという噂が立ち、数年が過ぎた。
◇
城下屋敷を襲った盗賊が訪ねてきたとき、口を封じに来たのだとトルメロは思った。
ところが盗賊はトルメロに敵意を持っていなかった。部屋へ入るなり、ベッドに腰かけた。
「驚いたか?」
盗賊は気遣うような口調で言った。
三日前の目つきとは違い、光のない瞳を携えていた。
鼻が高く、窪んだ眼窩に丸い目があって、猛禽を連想させる顔立ちで、盗賊にはふさわしい顔に思えた。
「……どうやってここを?」
少し冷静になり、トルメロは訊いた。
「なに、簡単なことだ。あんた、よく公園で絵を描いていたよな。そこで遊んでいる連中に訊いたらあっさり教えてくれたよ。トルメロ・ネルアス、駆け出しの画家で普段は似顔絵を描いて生計を立てている。それくらいのこと調べるのは雑作ないさ」
盗賊は感情の抑揚を押さえた言い方をした。
その口調がいっそう不気味さを引き立たせていた。
トルメロは咽喉を動かし唾を飲む。
口の中が乾き、背中に冷たいものを感じる。
「あんたは誰だ? ここへなにしに来た?」
ようやく目的を訊くことができたが、恐怖で声が震えてしまった。
「そう怖がらなくていいさ。別にお前を傷つけに来たわけじゃない。俺は、そうだな……ラモール。偽名だがとりあえずそう呼んでくれ」
「ラモール……」
「だから、警戒しなくていいさ。ちょっとした頼みごとをしに来ただけだ」
そう言うと、盗賊はバッグに手を入れ、中から紙に包まれたものを取り出した。
紙をほどくと龍の木像が姿を現した。
「これが何かわかるか?」
盗賊は木像をトルメロの方へ差し出した。
「『ドラゴンズロア』……」
トルメロは自分の目が信じられなかった。
怖気をふるうような威厳がその木像から発せられている。
「贋作? いや、まさかこれは」
真作に間違いなかった。
盗難に遭ったはずの『ドラゴンズロア』が、今この目に映っているのだ。
「いったいどこから?」
「アストリー子爵の城下屋敷からさ。あいつら、この木像を闇ルートから手に入れていたんだよ」
「盗品専門の美術商か」
噂に聞いたことはあった。
盗品を扱う商人が存在し、人の目に触れないように美術品の売買を行うという。
この盗賊がなぜアストリー子爵の城下屋敷に『ドラゴンズロア』があるのを知っていたのか。
なぜ危険を承知で盗んだのか。
そもそもアストリー子爵はどこで手に入れたのか。
訊きたいことは色々あった。
「それで、あんたに一仕事してもらいたい。礼金はたっぷりはずんでやるよ」
盗賊は立ち上がると、壁際にあるタンスの上に木像を置いた。
一挙手一投足、盗賊から目が離せなかった。
「仕事?」
「そう。この木像の贋作を造ってもらいたい」
盗賊はまっすぐトルメロを見つめた。
「なにを言っているんだ? そんなことできるわけないだろ。それに僕は画家で彫刻家じゃない。仮に『ドラゴンズロア』の贋作を造ったところで、上手くいくはずないじゃないか。誰が見ても一発で贋作だって気づくよ」
トルメロは盗賊がふざけたことを言っていると思った。
価値のわからない人間のたわごとにしか聞こえない。
「そう喚くな。下の叔父さんに聞こえるぜ」
盗賊の声には相変わらず感情が籠っていない。
「他に伝手がなくてな。仕方ないからお前に頼むしかない。とにかく、出来はどうでもいいんだ。それっぽい見た目であればいい。道具も、ほら、必要なものは揃えてある。畑違いとはいえあんたも芸術家だろ。真似るぐらいはできるんじゃないか」
ラモールはもう一つのバッグを渡す。
トルメロは中身を調べると、古びた木材と鑿と槌が入っていた。
「けど……」
「安心しろ。別に犯罪に加担させようってんじゃない。なんなら俺がお前を脅して造らせたってことにしておけばいいさ」
「目的はなんだ?」
「お前が造った贋作を奴らに渡すだけだ。あいつらにはそれで十分だ。真作を所有する必要なんて、奴らにはないのさ」
盗賊はまたベッドに腰かけた。そして『ドラゴンズロア』を凝視している。
その視線につられてトルメロも『ドラゴンズロア』に目を遣った。
保存の難しい木像にもかかわらず、わずかに色あせているだけで、怒りの咆哮を発する姿は健在だった。
やがてトルメロは、『ドラゴンズロア』の姿に魅了されているのに気づいた。
二百年前の民衆の怒りが、時を超えて見る者の心に訴えかけているようだった。
――僕に、こんな作品が造れるだろうか……。
絵画と彫刻という違いはあるが、トルメロは自分の芸術がこの小さな木像に及ばないのを悟った。
たとえどれだけの技術があろうとも、真の芸術の前では上っ面を撫でただけの、薄っぺらなものに過ぎない気がした。シエロ僧侶が木像に託した想いが、今なお生きているのだ。
トルメロは少しでも芸術の真髄に迫りたい思いに駆られた。
たとえ専門外の彫像でもやる価値はあるかもしれない。
「報酬は弾むって言ったよね?」
トルメロは『ドラゴンズロア』を見つめながら訊いた。
「ああ、五千オーロでどうだ?」
「いいよ」
ここまで来たら、報酬の問題ではなかった。
もちろん画材の費用を調達したい気持ちもあるが、それ以上に『ドラゴンズロア』に宿る怒りの根源、そして秘められた芸術の神髄に少しでも触れたい気持ちがあふれた。
「どれぐらいかかる?」
「わからないな。ひとまず四、五日はかかるかな」
「わかった。五日後にまた来る」
と言ったラモールは部屋を出て行った。
そうして、トルメロは危険な誘いに乗ったのだ。
◇
贋作造りに着手してから二日経った。飯を食べるとき以外は部屋に籠って、ずっと木を彫っていた。
ひどく手間のかかる工程で、前後左右合わせて六材を組み合わせて造る。
パーツごとに彫って組み立てるため、全体像がイメージしにくかった。
そのときドアをノックする音が聞こえて、集中力が途切れた。
「トルメロ、お客さんだぞ」
ドア越しに叔父の声が聞こえてくる。
「ちょっと待って。散らかっているから掃除させて」
トルメロは真作の『ドラゴンズロア』を手に取った。
万が一部屋の中に入られたときのために、どこかに隠したかった。
部屋の中を見回して、とりあえずベッドの下置くことにした。
できるだけ目に触れないように奥へ押し込む。
「憲兵さんが訊きたいことがあるって来てるんだ。お待たせするのも悪いだろ」
その言葉を聞いて、心臓に強い衝撃を感じた。
贋作造りに没頭するあまり憲兵が訪ねてくる可能性を考えていなかったのだ。
――落ち着け。
トルメロは深呼吸をした。早鐘を打つ心臓を鎮めようとしても喉から吐き気がこみ上げてくる。
とりあえず贋作の方はそのままにした。木屑が机や床に散らばっていて、隠すとかえって疑われかねないからだ。それなら習作を彫っていると言った方がごまかしがきくと思った。
「わかったよ。入ってきてもらって」
こうなったら腹を括るしかないと覚悟を決めた。




