盗賊と芸術家 1
王城の西にある公園では王都イクリスの住民が憩いの時間を過ごす。
様々な草花や木々が植えられ、芳醇な香りで満たされている。公園のほとんどが緑に染まり、夏の到来を予感させる。
公園内の広い通りの端で、トルメロ・ネアルスは女性相手に似顔絵を描いている。
連れの男性は恋人らしく、女性の好きなようにさせているようである。
乗り気な女性は微笑みを作って、せっせと鉛筆を動かしているトルメロに顔を見せている。
いい似顔絵を描いてほしいと女性は思っているだろうが、モデルではない女性の笑顔はどことなく不自然である。
時おりトルメロは、女性の顔の造形を確認し、画用紙に目を戻す。
作られた笑顔をそのまま描くと、女性に不快感を与えてしまうので、実際の笑顔と乖離しないよう注意しながら、自然と零れた微笑みになるよう心掛けるのがコツである。
十分ほどで描きあがった。路上での客は長時間かけて描くのを好まない人も多いため、なるべく簡素に描くのがこの商売をうまくやる原則である
完成した似顔絵を見て、女性は満足げだった。
「すごーい、似てるわ」
「そうかあ、ちょっと美人過ぎじゃねえの」
男性は冗談交じりにからかった。
女性の顔立ちは十人並みであるが、唇が艶っぽい勝った。だから全体のバランスを崩さないように、唇を少しだけ色気のあるように描いたのだ。
「気に入ってくれましたか」
とトルメロは笑みを浮かべて機嫌をうかがう。
「うん。いい記念になるわ」
「なんの記念だよ?」
「なんでもいいじゃん」
女性は楽しそうに言う。
「あんたも描いてもらったら?」
「おれが?」
「イケメンに描いてくれるかもよ」
「でもなあ。そのまま絵に描いてもらっても面白くないだろ」
男性が後ろ頭を撫でながら戸惑う。
「だったら、面白く描いてあげましょうか?」
トルメロは微笑みを作りながら言った。
「どういうこと?」
「お客さんの特徴を誇張して描くんですよ。人によっては不快に思われるかもしれないので強いておすすめはしませんが」
このカップルの雰囲気を見て、トルメロはもう一枚分稼げると思ってそう勧めた。
特に女性はノリのいい性格らしいので、男性が彼女に引っ張られると計算した。
「面白そうじゃん。描いてもらいなよ」
「よし、変な絵を描いたらぶっ飛ばすからな」
男性は笑いを交えて冗談ぽく言った。
トルメロは新しい画用紙を用意して、男性にそのまま動かないように指示した。
男性は彫りの深い顔つきで、眼窩が窪んでいて、瞳が大きかった。
痩せ気味の身体つきのわりには頬が丸みを帯びている。
それらを誇張して、頭の形を二等辺三角形に近づける。
さらに不快感を与えない保険として、明るい笑顔に見えるように描く。
通常の似顔絵よりも時間がかかったが、男性は辛抱強く待ってくれた。
女性の方は待ちわびながら男性の背後をうろちょろしている。
「完成しました」
トルメロは慎重な仕草で絵を差し出した。
「あはは、なにこれ。そっくりぃー」
すかさず反応したのは女性である。
「ひでえな」
と言いながら、
「でも、やっぱうまいよなぁ。なあ兄さん、あんた有名な絵描きになれるよ」
「そうだといいんですけどね」
トルメロは謙遜交じりに苦笑を浮かべる。
カップルが機嫌よく帰ってから、この日はもう客が来なかった。
気がつくと木々の影が伸びて、さっきまで人々が戯れていた芝生の上を暮色が染めつつある。
トルメロは道具一式を片付けてから、財布に入っている金を数えた。
五人分の似顔絵を描いて四十オーロ、バルバット王国の平均的な日給よりも低い。
それでも下積みの画家としては、絵を描いて金を稼げるだけでもありがたいと思わなければならない。
いずれ画家として名を成すまでの辛抱なんだと自分の心に言い聞かせた。
とはいえ、現実を直視すると、さもしい思いに駆られるのも確かだ。
食費や家賃を切り詰めるのはまだ我慢できる。
問題は、絵を描くための画材だった。
トルメロがいま取り組んでいる絵には、鮮やかな色彩が不可欠だった。
紅葉に彩られた森が囲む湖の水面に、ボートを浮かべて釣りをする父子の姿。
彼らの表情にはどこか鬱屈の影が刷いたように見える。
周りの色鮮やかな風景と対比して、残酷な宿命が父子の背後に忍び寄る場面。
その光景はトルメロの脳裏に焼き付いて離れず、いつの日か必ず絵に描き残そうと心に決めた。
コツコツと描き進めてあと少しで完成するはずだが、どうしても紅葉の鮮やかさを出すには高価な画材が必要だった。
携帯用の椅子に腰掛けながらぼんやりしていると、日がだんだん沈んでいくのに気がついた。
はっとしてトルメロは道具一式を抱えて公園を出た。
貴族の屋敷が連なる通りに入ると、人気が無くなった。
屋敷の両側には裏口がひっそりとあるだけで、人が出てくる様子もない。
青黒い空の明かりがわずかに光を落とす程度で、月夜よりもいっそう不気味に見えた。
トルメロは早足にこの通りを抜けようとした。
さみしい道に、時おり犬の遠吠えらしき声が耳に届く。
画家特有の感性の強さのせいか、それとも単なる気のせいか、トルメロにはこの通りが得体に知れない魔力を帯びて、人を遠ざけているような感じを受ける。
心根を疼かせるような不安定な気持ちになるのだ。
不気味な感覚を振り払うように早足で歩いていると、石塀に何かが当たった音が聞こえた。
心臓を衝かれたような感覚を覚え、あたりを見回したが怪しいものは何もない。
気のせいかとほっとすると、薄い影が地面に落ちているのが目に入った。
息を飲んで見上げると、塀の上に真黒な人影が佇んでいた。肩に鞄を下げているのがようやくわかる程度で、顔は影に覆われてよく見えない。
トルメロは恐怖にとらわれて脚が動かなくなった。見てはいけないものを見てしまったと感じた。
人影はトルメロに気づいていないようで、塀の上から飛び降りて目の前に着地した。
すると素早くこちらに身体を向けて駆けだそうとしたが、すぐさま足を止めた。
ここで見られたと気づいたらしい。黒い布で覆われた隙間からかすかな光が漏れた。
目を瞠ってトルメロの姿を認めたようだ。
人影は詰まったような息を漏らすと顔を斜め前に傾けて突進してきた。
風を切り裂くほどの凄まじい疾走だった。
――やられる……。
トルメロはそう思った。しかし人影はするりと横を過ぎて行った。
トルメロは振り返って人影があっという間に小さくなっていくのを見た。
一安心して溜息を吐く。
やがて人影が戻ってくるんじゃないかという想像が働き、恐怖がぶり返してきた。
早いところこの場を抜け出した方がいいと感じて、自分の部屋へと駆け出した。
◇
三日後、トルメロは部屋から出ずにベッドの上で横になっていた。
未完成の絵画はイーゼルに置いたまま布をかけている。
似顔絵を描く道具は窓の下の床に置きっぱなしになっていて、黒い人影を見た日から一切手を付けていない。
トルメロは未だに恐怖にとらわれていた。
あの人影は盗賊に違いない。盗賊の肩から掛けた鞄の中には屋敷から盗んだ者が入っているはずだ、といろいろな想像が頭の中をめぐる。
いつも通り外に出て似顔絵を描いていると、いずれ事件を目撃した自分が見つかり、危害を加えに来ると思うと、迂闊に部屋から出られない。
下宿の主人である伯父に具合が悪いからと言って、部屋に引きこもっているのだった。
突然、ドアをノックする音が聞こえた。
「トルメロ、お客さんだぞ」
伯父がそう告げた。
「ごめん。まだ体調がよくないから断って」
「仕事の依頼だとよ。なんでもお前じゃないとだめらしい」
「だけど、あんまり動けないんだ。病気を移すといけないし、また日を改めてほしいんだ」
「弱ったな」
と伯父が言うと、誰かと話している声がした。
依頼人はドアの前まで来ているらしかった。
「ちょっとぐらい話を聞いてやってもいいだろ。売れない画家なんだから、依頼を断るなんて贅沢だぞ」
伯父が通り一遍の正論を言う。
「わかったよ」
言い返す言葉が見つからなかったので、客を部屋に通すことにした。
物憂げに起き上がり、気の乗らない足取りでドアに近づく。
ノブに手をかけて、ドアを開けると灰色の髪を撫でつけた小柄な伯父が立っている。
後ろにいる髪の短い男が客人のようだ。深緑色のズボンに黒いシャツを着ている。
トルメロは客人が肩から下げている鞄が目に入ったとき、身体中から血の気が引いた。
目の前がぼやけ、ふらふらしそうな頭をこらえるのが精一杯だった。
背筋に冷たいものが流れる。
あの日の夕暮れどき、塀の上に立っていた人影が下げていた鞄を、この客人が持っている。
トルメロの脳裏に人影の体躯と客人の体躯が一致した。
紛れもなくこの男は城下屋敷の塀を乗り越えた盗賊に違いなかった。
どうした? という伯父の声が遠くに感じた。




