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物思う恐喝屋 7

『マースク荘』を訪ねたとき、男の子がフリオに懐いてきた。

 大柄で悪相のフリオもこれには面を食らった。

 足元でぴょんぴょん跳ねて人懐っこい笑顔でフリオの顔を見ていた。

 人見知りしないどころか、警戒心もなかった。

 フリオは男の子の頭をそっと撫でてあげる。

 掌に無垢な温かさを感じた気がした。

 めったに笑わないフリオも慣れない微笑みを浮かべて男の子を見つめる。


 ――この子は……。


 父親が死んだことがわかっていない、と思った。

 それとも母親が教えていないだけなのだろうか。

 この子の顔にセスの面影が重なる。やはり親子だった。

 目鼻、口、眉は母親譲りだが、黒い肌と輪郭がセス譲りだった。


 母親、つまりセスの妻は気丈な笑顔をフリオに見せる。

 夫の幼馴染が訪ねてきたせいもあって悲しい顔を見られたくないと思ったのかもしれない。


 案内された部屋には幸せだった家族の跡が見られた。

 窓際にはセスと妻が使っていたらしい安楽椅子があり、すぐ横のテーブルにはしおりを挟んだ本が置かれていた。

 マントルピースの上に鏡が置かれ、その両脇のある花瓶に白い花が差してある。

 窓から射しこむ日の光がさみしげに部屋の中を照らしていた。


 フリオが食卓の椅子に座っても、男の子が離れない。

 脚に抱きついて顔を見上げて笑っている。

 この子と目を合わせていると、疎ましい感情が失せてゆく。

 十代のころから人に恐れられ、喧嘩や恐喝に明け暮れた日々を送ってきたフリオにとって新鮮な感覚だった。


 やがて男の子はフリオから離れ、安楽椅子をよじのぼって背もたれに寄りかかる。

 そしてまた、嬉しそうな笑顔をフリオに見せるのだ。


 そのとき不意に過去の記憶が呼び起された。

 大したことではない。

 小さいころ、セスと遊んだ記憶である。


 貧民街のマロー町で育ったフリオは諍いの絶えない両親とは馴染めず、いつしか外にいることが多くなった。まだ十歳にもなっていなかったころである。

 セスも似たような環境で育ったこともあり、よく一緒になって遊んだものだった。


 悪ガキ気質のあったフリオは、菓子屋で万引きをしたり、路上で寝ころんでいる酔っ払いの懐から財布をかっぱらったりした。

 そのことをセスに自慢げに話すと、真面目な顔になって窘められたものだった。

 いつもならかっとなって暴れるところだが、セスに言われると抵抗する気が失せた。

 明るい顔を自分のせいで曇らせた罪悪感が心に忍び寄ってきたらしかった。

 このころのフリオにはまだ罪の意識が色濃く残っていたのかもしれない。

 少なくとも、大事な友人を悲しませたくないという気持ちがあった気がする。


 平民学校に通うようになっても、二人の交流は続いた。

 教師の目を盗んでは悪さをするフリオをセスが宥める。そんな関係がずっと続いた。

 クラスが崩壊し、授業もままならない環境の中、セスはいずれこの劣悪な環境から抜け出して真っ当な暮らしをしたいという希望を持っていた。

 劣悪な環境でも努力をするのを認められて、のちに『ラタン』という大店に勤めることができたのだろう。マロー町出身としては出色の勤め先だった。


 一方のフリオはどこかで自分の境遇に諦めがついて、勉強もろくにせず悪い友人と遊びまわっていた。


 そんな二人に決定的な別れの時がやってきた。

 ある日、年上の輩と喧嘩になったことがある。

 たしか、一四か十五のころだ。

 このときには既に大柄な身体であり、年上の連中にも喧嘩で勝ち続けた。

 未熟な悪ガキだったフリオにとって大きな勲章のように感じられたのだ。

 だが、そのことが仇となったのだ。

 フリオに恨みを持った不良たちが、セスに目を付けたのだ。

 奴らにとっては腰巾着のように思えたらしい。

 セスを人質にしてフリオをおびき寄せたのだ。

 とても十代半ばの子どもがやることではない。大人顔負けの悪辣さである。


 とある廃屋に行くと、何人もの敵が待ち構えていた。

 リーダーと思しき輩がセスの首に腕を絡ませながら刃物を突き付けている。


 それを見たフリオは逆上して襲い掛かった。

 不意を衝いた急襲に、連中の行動が遅れた。

 あっという間に二人をなぎ倒した。

 だが、連中の中に魔法が遣える奴が二人いた。

 火や氷をフリオに放った。


 だが、魔法を遣えるのは連中だけではない。フリオも水の魔法が遣えた。

 特別な修練を受けたことがないので、水を放出するだけの単純な魔法ではあるが、それでも不良同士の喧嘩では効果的だった。

 相手の放った火を消し、氷を落とすと、拳をふるって次々と不良たちを倒した。

 残すはセスを脅しているリーダーだけになった。

 奴の瞳が小さくなったように見え、明らかな怯えの色を浮かべていた。

 恐慌をきたしたリーダーは刃物をフリオに突き出す。

 フリオは刃物に臆することなく、リーダーの手首をつかんだ。

 そして、骨を握りつぶさんばかりの力を込めた。

 リーダーの顔が苦痛で歪むと、刃物を落とした。

 セスの首に回していた腕の力も抜け、彼の身体がするっとリーダーの腕から離れた。

 フリオは渾身の力を込めてリーダーの鼻っ柱に拳をめり込ませた。


「ありがとう。フリオ」


 両膝をつきながら、顔を見上げた。

 安堵の笑みがセスの顔に現れる。


 ――おれに関わっちゃいけねえ。


 胸の内でそう思った。

 悪さに明け暮れるフリオとは違い、セスは真面目に生きようとしている。

 明日をも知れぬマロー町出身の人間らしからぬ明るさがセスにはあった。

 世の中の陰にしか生きる道を見出せない自分とは違う。


「セス、お前とはこれっきりだ」


 フリオは突き放すように言った。自分で言っておきながら胸を衝かれた。

 本当はこんなことを言いたくはないとわかっていた。


「なにを言っているんだ、フリオ」

「おれとお前は違う。絶対に合わねえんだよ」

「なんで、そんなことを言うんだ。今まで仲良くやってきたじゃないか」


 セスの目が潤んだように見えた。

 胸の内の苦しさに耐えながら、フリオはセスの胸ぐらをつかんだ。


「うるせぇ! いいか、セス。二度と俺に近づくんじゃねえ。じゃねえとぶち殺すぞ」


 フリオはセスを乱暴に突き放した。セスは後ろのよろけてしりもちをついた。


 ――これで、いい。


 フリオはセスに背を向けた。俺とは違う、その言葉は本心から出たものだった。


「フリオ! 君はちゃんとした人間になれる。こうやって僕を助けてくれたじゃないか。勉強しろとは言わない。それでも君には真っ当な道を歩く権利があるんだ!」


 不意打ちのようなセスの叫びが、フリオの胸を刺した。

 その言葉に応えたい気持ちをあえて無視し、振り向きたい気持ちを押し殺した。


 次の日から、二人の交わりがなくなった。

 学校や町中ですれ違っても少し目を合わせるだけで何の言葉も交わさなかった。


 将来を捨てなかったセスと諦めたフリオ。

 何の因果か、真っ当に生きた人間が死に、道を外れた人間が生き残った。


   ◇


「どうなさったのですか?」


 その声でフリオは我に返った。

 セスの妻がお茶を淹れて持ってきてくれると、彼女はセスの向かいに腰を下ろした。


「いや、何でもない」


 フリオはカップを手に取った。


「うちの人と、お友達だったんですってね。あの人から聞いていました」


 セスの妻は伏し目がちに言った。

 小さな瞳に低い鼻をした十人並みの容貌であるが、顔が小さく透き通った肌の女性だった。

 頬が痩け、首がほっそりしていて夫を亡くした苦悩が現れていた。


「まあ、そんなところだ」

「あの人が言っていました。フリオさんって手の付けられない不良だけど、真面目な人には手を出さないって」

「買いかぶり過ぎだ。おれはただのろくでなしで、ちゃんとした人間じゃない」


 フリオはそっぽを向いて言った。すると、セスの妻に儚げな微笑みが浮かぶ。


「あなたとお食事をした日、あの人、すごく機嫌が良かったんです。むかし悪ぶっていた幼馴染が真面目に働いているみたいだって」


 やはりセスはフリオが真っ当な暮らしをしていると勘違いをしていたらしい。

 いい加減な嘘を信じてしまったのだ。


「真面目ってガラじゃない。おれはその場しのぎで生きてきただけの人間だ。セスは立派だぜ。なんせ『ラタン』なんて大店で働いていたんだからな。生きていりゃああんたとその子の人生も楽だったろうぜ」

「はい。ですが、近いうちに『ラタン』を辞めるって言ってたので、どちらにしろ大変だったでしょう」

「なに?」


 フリオは思わず身を乗り出した。


「なんで辞めるんだ?」

「どうしても許せないことがあったからだとしか聞いていませんでした。ちゃんと私に話してくれたら、良かったのに」


 ――間違いなく、あの木箱には何かある。


 このとき、フリオは確信した。

 『RT44』にあった木箱の中身は、十中八九『ラタン』という大店を揺るがすものに違いなかった。

 もしかしたら、セスは木箱の中身を知っていたのかもしれない。

 だから、殺されたのだ。

 悪ガキの素行不良にさえ注意するセスのことだ。重大な不正を見過ごせるはずがない。


 ――たぶん、あいつは……。


 憲兵に告発するつもりだったんだ、とフリオは思った。

 それが『ラタン』の上層部の不興を買って口封じされた。


 この推測は当たっている気がした。

 次はオーナーを締め上げる必要がある。

 そのためにビングリーに動いてもらっているのだ。

 今ごろ打ち合わせ通り、オーナーをマロー町七番地におびき出しているはずだ。


「まあ、それはどうでもいいや。今日は他でもない、奥さんこいつを受け取ってもらうぜ。


 心持ち命令口調で言ってから、フリオは持って来た鞄をテーブルの上に置いた。中には十五万オーロ入っている。

 セスの妻は鞄の中をのぞき込むと、目を瞠ってフリオに顔を向けた。

「見舞金だ。あんたもこれから大変だろう」

「こんなのいただけません。人様の好意に甘えるなんて、恥ずかしいです」

「きれいごとを言っちゃいけねえよ、奥さん」


 フリオはセスの妻を見据えた。

 射竦めるような目つきに晒されても、セスの妻に怯えた様子はない。

 むしろ小さな瞳に頑なな意思を感じる。

 これから母子二人で生きて行こうとする強い母親の眼差しだった。


「この子を育てるのにいくらかかる? 旦那が死んで苦労するのが目に見えているってときに、くだらないプライドで人の好意を拒むのはどうかと思うがね」

「くだらなくありません。人のお金を頼りに生きて行っては、この子がまともに育つはずがありません」

「じゃあどうやって育てる気だ? あんたが働きに出ても、今どき稼げる仕事になんざ就けやしないだろうぜ。この部屋の家賃ぐらいがせいぜいじゃないか。そんなんで育てられるはずがねえ」

「そうですが、あの人とあなたが生まれ育ったマロー町に引っ越せばなんとかなります。お義母さんもいますし、協力し合えばこの子を立派に育てられます」

「は! とんだ見当違いだ。セスがあの環境でまともにやっていけたのは奇跡だぜ。たいがいの奴らは違う。夢も希望もなく、努力っつう概念すら忘れた連中の集まる場所だ。クズがガキを生んで育てて新しいクズを作ることしかできねえ」

「では、どうすれば……」

「だから、おとなしく見舞金を受け取れよ。大切に使えばこの子が働きに出るまでの費用になる。残りの生活費はあんたが働けばいい」

「…………」

「現実を見るんだな。この子がクズになるのは嫌だろう」


 フリオは両肘をテーブルに乗せた。顎を引き上目遣いで妻を見つめる。


「ですが、どうしてあなたがそこまでするんですか? 見たところかなりの大金です。そこまでしていただく義務なんてあなたにはないはずです」


 そうだった。亡き幼馴染の家族だからといって十五万オーロを渡す理由はどこにもない。

 しかもフリオの全財産に近い額だった。


「さあな。たまには人のために、何かをしてやってもいいって思ったのかもな。博打で稼いだような金だ。どうせならきれいに使ってくれる奴に渡すのも悪くない。ああ、そうだ。忘れるところだった」


 フリオは背もたれに身体を預け、尊大な態度になる。


「もし、ここにラージヒルって憲兵が来たら、マロー町の七番地、潰れた居酒屋の廃屋におれがいるって伝えな。あと、その金のことは絶対に話すな。もし、金のことを話したらあんたをぶっ殺してこの子は俺が育てる。いいな」


 恐喝屋らしい目つきをして、鈍い光を放つ。

 いきなりの脅迫に、妻は顔を強張らせて俯いた。

 瞳に怯えの色が浮かんだ。


 フリオは席を立ち、振り返らずに『マースク荘』を出た。

 やるべきことはやったという気持ちが芽生え、二度とここには寄らないつもりだった。


 真っ当な道を歩く権利がある、あのときセスが言った声が耳に谺したような気がした。


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