新人 4
薬屋の店主から話を聞き終えて、アメリアはラージヒルに連れられて川沿いの道を北に進んで行った。
ちぎれた雲の隙間から、傾いた日の光が町並みに投げられ、川波が煌めいている。
鳥たちが戯れるように群れを成して郊外へと飛んで行った。
もうそろそろ、人々が仕事を終えて帰途につく時刻となりつつあった。
「課長、これからどちらへ行かれるのですか?」
憲兵庁とは逆の方向に進むにつれて、アメリアは不安になった。
「第二詰所。憲兵庁まで戻るのが億劫なもんだからさ」
と答えるだけで、詳しいことは教えてくれない。
そのときの表情になにかを企んでいそうな感じが浮かんでいた。
そうだ、とラージヒルが歩きながらアメリアに話しかけてきた。
「さっきの職質だけどさ、もうちょい丁寧に口を聞いた方がいいぞ」
ラージヒルはやんわりとした言い方で窘める。
「ですが、研修では憲兵としての威厳をもって民に接しろと教えられましたから」
「あんな口調で話せって教わった?」
「はい。丁寧に訊くと、民に侮られるからだと教官はおっしゃってました」
「まったく、いつの時代の教えだよ。俺のころと変わらないじゃないか。そんなこと教えてるから、憲兵はお上の威光をかさに着てるって陰口たたかれるのにな」
ラージヒルはため息を吐いて、頭を掻いた。
「今度から丁寧に対応するんだぞ。民だって同じ人間だ。いきなり居丈高な物言いをしたら不快になる人の方が多いと知っておくといい」
「はい」
研修を否定されたものの、アメリアにはラージヒルの言葉に説得力があるのを感じた。
たしかに初対面の人間に偉そうな言い方をされると、いい気持ちはしない。
考えてみれば、当たり前のことである。
「にしてもアメリア、おまえさんよくあの女が凍傷だってわかったな」
「ええ、魔法を教えてくれた先生が誤って強力な氷の魔法を私に遣ってしまって、怪我をしたことがあったので」
アメリアは視線を宙に向け、苦笑いをした。
と、いきなりラージヒルが足を止めて振り向いた。
ぶつかりそうになって、わっと驚いた。
「なあ、アメリア。嘘はいかんぞ」
「はい?」
アメリアは固まった。
「初めて会った上役に怒るって言う気の強い女が、おとなしくやられるもんか。おおかた、キレたおまえさんが氷の魔法をぶっ放して相手に怪我をさせたのが真相だろう」
「課長」
この男の言い方に腹が立ってきた。
図星だったぶん、余計に怒りがわいたようでもある。
「どのような根拠があって、そのようなことをおっしゃるのですか?」
「だいたいわかるよ。さっきの連中のことだってそうさ。悪口の一つや二つ、聞き流せばいいものを。いきなり魔法をぶっ放そうとするあたり、慎みがないというか粗暴というかガサツというか。おまえさん、本当に貴族の娘か」
「撲ちますよ」
アメリアは低い声音で言った。
「そりゃまずいなあ。さっさといきましょ」
そそくさと方向転換をし、早足に歩き始めた。
――本っ当、無神経な男。
上役に恵まれない運命を呪いながら、アメリアは後をついていった。
ただラージヒルの軽口が、一部当たっていることに関しては棚に上げた。
◇
ラージヒルに連れてこられたのは、橋の袂近くにある大衆的なレストランだった。
人通りの多い通りに店を構えており、そこそこ評判のいい店らしい。
夕食時前に訪ねたのにもかかわらず、それなりに客が入っていて賑やかだった。
カウンター席が七席、テーブル席が十席もあるレストランで、天井は梁がむき出しになっており、暖色系の照明が店内を柔らかく照らしている。
カウンターの棚には夥しい数の酒瓶が置かれ、酒を目当てにやってくる客も多いらしかった。
「あら、ラージヒルさん。しばらくね」
女給仕は笑顔を見せる。
黒目がちの目をして、波がかった亜麻色の髪を後ろに束ね、アメリアと同じくらい小柄な娘である。
笑顔に愛嬌があり、この仕事に慣れている感じがある。
「よう、パメラ。マスターはいるかい」
「ごめんなさい。マスターは調理中で忙しくて。呼びます?」
「いや、いいんだ。とりあえず、二階を使わせてもらえるかな」
「ええ。今なら208が開いているわ。……あら」
ここでパメラは、今気づいたかのようにアメリアに顔を向けた。
「ああ、紹介が遅れたな。アメリア、パメラだ」
「アメリア・ティレットと申します。いつも課長がお世話になっています」
「まあ、きれいな人」
実際パメラは息を飲んで、アメリアを見つめた。
容姿を褒められるのは慣れているとはいえ、正面からまじまじと言われると少々照れ臭かった。
「顔だけな」
ぼそっと言ったラージヒル。
「課長、あとでゆっくりお話しましょう」
と、聞き逃さないアメリア。
「とりあえず、二階に通してくれるかな」
今のやり取りがなかったかことにように言うラージヒル。
「いいわよ。お料理はどうするの?」
「食い物はいいや。あとで冷たい麦茶でも運んでもらおうかな」
と言い、ラージヒルは自分の家のように奥の廊下に進んでいった。
短い廊下の突き当りに階段がある。階段を上りきると、二階の廊下の両側にドアがある。
それぞれのドアに番号が刻まれたプレートがかかっている。
ラージヒルは床板の軋む廊下を進み、突き当り奥の208号室に入り、アメリアも連れて入った。
部屋は広く、幅の広いテーブルが置かれ、椅子が六脚ある。
奥の壁には凝った意匠のマントルピースが設置されており、その上の壁には王都イクリスの東に流れるデーヴァ川の風景が描かれた絵画が掛けられていた。
部屋の左側にある窓は通りに面しており、そこから道を行きかう人々の声が聞こえてくる。
ラージヒルはマントルピースを背にして椅子に腰かけ、アメリアは対面に座った。
「ここは、課長の行きつけのお店ですか?」
と、アメリアは部屋をきょろきょろ見回してから訊いた。
「ん、まあ。昔ちょっとしたことがあって、それからいろいろと使わせてもらっているわけ。さて」
『ハーミット』について多くを語る気がないようで、ラージヒルは今回の仕事について話し始めた。
――ちゃんと話してくれたらいいのに。
とアメリアは思うが、口に出せなかった。
ラージヒルの表情からとぼけた影が薄れ、目の光が鋭くなったからだ。
今回の調査対象スレイ・ウェバー巡査部長だけでなく、あの薬屋の捜査も必要だという。
ラージヒルは、あの薬屋の店主も何か隠していると感じたらしかった。
ウェバー巡査部長は憲兵になるまえ、町をうろつく不良だったという。
刑を受けるまでは至ってないが、仲間とともに対立グループと喧嘩したり、罪のない民を脅して金を巻き上げるなど、不良が思いつく悪事は一通りやっていたらしい。
彼のような人間が憲兵になれたのも、広く門戸を開いているせいでもあった。
アメリアのような幹部候補なら難関の特級試験に合格しなければならないが、一般の憲兵には優れた能力や高い身分が必要というわけではない。
憲兵という仕事に必要な技能や精神は、研修と現場での実践を経て培われるという概念もあり、多少問題のある者でも経験を積めば、矯正できると考えられている。
もちろんそれは甘い見通しで、民の範たる憲兵にふさわしくない者が必ず現れる。
官吏の威光は扱う者によって、光にもなり闇にもなる。
正しく権力を行使し、民に奉仕するならば、世間にとって光になる。
また、権力があるということは、容易に悪事に手を染めやすく、自身のみならず、世間にとっても暗い影を落としかねないのだ。
その暗い影に今回当てはまるのがスレイ・ウェバーである。
彼は私腹を肥やす小悪党で、悪ガキのまま年を重ねただけの人間なのかもしれなかった。
「そういえば指輪をはめていましたね」
「ふーん。その指輪どのくらいの価値があると思う」
「少し見えただけなのですが、かなり高額のものかと」
アメリアは、ウェバーの指輪がどういう代物なのかを思い出した。
「よくわかったな」
「見覚えがあったのです。何年か前に父上が開かれたパーティーに似た指輪をはめた方がいらっしゃったことがあって、周りの方々も高い指輪が買えてうらやましいとおっしゃっていたのもですから」
ウェバーがはめていた指輪は高級品で、好事家の貴族や豪商がちょっとした資産として購入するほどの価値があると聞いたことがあった。
憲兵の給金や付届け程度では贖うことができるはずはないとアメリアは思った。
付届け以外にも何らかの不正を働いていると考えられる。
「でもまあ、奴も間抜けだね。そんなもんはめて勤務しているようじゃ、疑ってくださいって言っているようなもんさ」
ラージヒルは頭の後ろで両手を組んだ。
「でもおかしくないでしょうか? 同僚の方々が気づかなかったのは不自然な気がします」
「素行に問題があるっていうからなぁ。怖くて誰も注意できなかったんじゃないの。実際人事の連中も注意したらしいけど、弱腰だったっていうし」
「情けない話ですね」
アメリアは目を瞑り、溜息を吐いた。
「憲兵だって人間さ。怖いものは怖い。だからさ」
と、ラージヒルは手を解いて、両肘をテーブルについた。
「同僚を取り締まる査察課ができたってわけ」
ラージヒルは口角を上げた。その表情には少々剣呑な色を帯びている気がする。
「それはそうと、あの店主。相当ヤバいことをしているみたいだな」
「どういうことですか?」
「口臭だよ。あの時点で引っ張っても良かったんだけど、どうせならウェバーもろとも逮捕した方がよさそうだ」
言っている意味がわからなかった。
とにかく、ラージヒルがあの薬屋から犯罪の臭いを嗅ぎつけたのは確かなようだった。
「あと、そうだな……。潜入に遣えそうな魔法ってなんかある?」
「え、はい。えーと」
混乱した頭を何とかまとめようと言葉をひねり出した。
「〈透明化〉という、姿を消す魔法ならあります」
「お、そいつはいいね。じゃ、茶の一杯でも飲んでからからもう少し話を詰めるか」
ラージヒルは席を立って、マントルピースの横にある管に行き、蓋を開けた。
船舶にある伝声管と同じものらしく、個室からの注文はこの管を使うらしい。
「もしもし、マスター? 麦茶を二杯頼むわ。それと、いまから手紙を書くから、パメラに憲兵庁まで届けてくれって言ってくれない? ちゃんとお小遣いはあげるからさ」
と言ってから、伝声管に耳をつける。
「ありがとさん」
砕けた礼を言ってから、蓋を閉じた。
どこか肩の力が抜けた印象のあるラージヒルに対して、窓際部署に飛ばされた男という認識を改めつつあった。
同僚を取り締まる役目に緊張感を覚えた。
初日から大きな事件に関わりそうな雰囲気がある。
――ひとまずお茶でも飲んで……。
落ち着かないと、と思い、アメリアは左胸に手を当てた。