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狂気 8

 ネストルたちの聴取が終わり、アメリアはディックを連れてエルンストを訪ねた。

 いくらか体調が良くなったようで、執事のラースはエルンストの自室へと案内してくれた。

 ドアの前に着いたとき、中から低い男声がした。

 

 先客らしくアメリアはディックに目を遣り、入っていいものかと迷った。


 すると、ラースが遠慮なくドアを叩いた。エルンスト様、アメリア様が見られましたと告げた。


「お入りください」


 というエルンストの声が聞こえ、ラースがドアを開けてアメリアたちを中へ入れた。


 エルンストは窓を背にして、椅子に腰かけていた。


 彼の眼前に髪を横に撫でつけた長身の男が立っている。

 背筋をまっすぐ伸ばしており、王家に繋がる人への敬意が現れているようだが、よく見ると、肩を張っていてどこか傲岸な印象がある。


 男が振り向いてアメリアたちに顔を向けた。

 不健康なくらいに見える白い肌で、眉が細く、その下の窪んだ目には油断ならない光を湛えていた。


 アメリアはディックに目を向けると、彼の顔が強張って見えた。


「コルサタル課長」


 とディックは忌々しげに呟いた。


「ほう、誰かと思えば、ディック・ランペス君ではないか。怪我をしたというが、もうすっかり良くなったようだな」


 コルサタルはまるで自分がこの邸宅の主であるかのような口調で言った。


   ◇


 聴取の際、刺客は黒幕について一切語らなかった。

 命令したのは文教省魔法教育振興課係長オーリックであり、キリノ・コルサタルの名前は出てこなかった。

 オーリックを憲兵庁に引っ張り、聴取を行った結果、彼が刺客に命じてディックと査察課の二人に怪我を負わせるよう指示したと認め、さらにレポートのページを抜き、ストルーヴ公爵の著書を燃やした犯人だと判明した。


 刺客の放った魔法を鑑みると、殺人教唆の疑いもあった。

 刺客は多くを語らなかったが、のちに裏社会を渡り歩く魔法遣いだとわかった。

 未解決の傷害、殺人事件にもかかわっている可能性があると見て、捜査を進めているが、今のところ進展はない。


 そして、オーリックはコルサタルの派閥に属しているが、今回の事件にはコルサタルが関与している証拠が挙がらなかったため、彼の逮捕は見送られた。


 このことについてラージヒルは、


「あのオーリックって奴、下手くそな策を講じたもんだ。もし、権謀術数に長けたコルサタルが指示していたら、こうまで雑な作戦は立てなかったろうに」


 といった。それに対してアメリアは、


「では、キリノ・コルサタルは無関係だと」


 と訊いた。


「そう繕っているだけだろうな。それとなく唆したのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どちらにせよ派閥の人間が暴走したって線でケリだな。あの官吏はコルサタルの直属の部下ってわけでもないし、文教省でも処分を下すのは無理だろうな」

「でも素直に泥をかぶったのが気になりませんか? 捕まるリスクと釣り合ってないのが引っ掛かります。なにか見返りがあるのでしょうか?」

「どうだろうなぁ。逮捕されるようなことが起きれば、文教省でも重い処分を下すだろうし、リスクに見合った見返りってのは考えにくいわな」

「あの官吏がコルサタルを庇う理由……」


 アメリアはいくら考えても納得のいく結論が出なかった。


「たしか、コルサタルっておっさん、生粋の貴族主義者だっけ?」


 ラージヒルが訊く。


「ええ、貴族こそ国を動かすにふさわしいという思想を持っていると聞きました」

「どの省庁でも、貴族主義者ってのがいるからなぁ。うちだってそうさ。平民出身の憲兵は貴族出身の憲兵の駒に過ぎないってね。もしかしたらあのオーリックって奴、コルサタルの思想に感化されて尊敬の念を抱いているのかもな。だとしたらある種の確信犯だ」

「まさか、それだけのことで罪を被るというのですか?」

「ありえない話じゃない。論敵を排除するなんてことは組織にいる以上、珍しくない。ましてやコルサタルは優秀な官吏なんだろ。歪んじゃいるけどね。貴族主義者の思想を実現するために、コルサタルを表舞台から消すわけにはいかないって考える連中がいてもおかしくないさ。で、オーリックもそのうちの一人だったと」


 ラージヒルの言っていることは憶測だった。証拠は何もない。

 一方で、アメリアも納得できる部分はあった。

 貴族は平民を見下す生き物だというのは、アメリアも痛感している。

 優秀な人材は身分を問わないという考えに賛同しない貴族は多い。

 さらに貴族同士が出世争いのために陰険な策を講じてもおかしくないのだ。


「ま、コルサタルについてはこれ以上、憲兵が関わることはなさそうだ。あるとすれば犯罪のにおいを嗅ぎつけたときだけど、リスクを冒す真似はしないだろうよ。どちらにせよあとは文教省内でケリをつけてもらわにゃなるまい」 


 ここで終わりといわんばかりに、ラージヒルは話を打ち切った。


 黒幕とみなされるキリノ・コルサタルの逮捕にこぎつけられなかった後味の悪さが残った。


   ◇


 エルンストは快くアメリアを迎えてくれたものの、険しい顔色が拭えていない。

 コルサタルと何を話していたのだろうか。


「コルサタルさん、話は以上です。祖父の本はあちらのディック・ランペスさんにお渡しします。どうぞお引き取りください」


 エルンストの口調は冷たかった。


「残念です。私もオリヴァー様のお考えを参考にしたかったのですが」

「歪んだ貴族思想を持った人間に、渡すと思いましたか?」


 二人の間に剣呑な空気が漂う。

 直情的なエルンストに対し、コルサタルは幾重もの策を講じているような余裕さえうかがえた。


「では、今日のところはこれで。おお、貴方は」


 コルサタルは振り向くとアメリアと目を合わせた。


「初めまして、アメリア・ティレットと申します」


 一応、形通りの挨拶をした。


 この男の冷たい目つきが気になる。

 権力闘争を好み、派閥の部下さえ切り捨てる酷薄な人間だと感じた。


「噂は聞いている。なるほど、気の強い顔立ちをした美女だと聞いたが、その通りのようだな。私の息子にと思ったが、これは尻に敷かれそうだ。どうだ、憲兵などやめて大人しくどこかへ嫁ぐといい。貴族夫人として名を馳せるだろう」

「コルサタル課長。それが仮にも教育の携わる者の言い方ですか。口を慎んでください」


 ディックはアメリアを庇うように前に出た。


「これは失礼。私もつい古い考えが抜けないようだ。では」


 コルサタルは一礼して、アメリアたちの横を過ぎて、ドアのノブに手をかけた。


「あ、そうそう。ランペス君。君の考えた案、通るといいね」


 コルサタルは影のある笑みを浮かべた。

 口元が上がって目の縁が動かない、危険な笑みだった。


「あの人が文教省で課長を務めている方ですか?」


 アメリアはコルサタルが部屋から出たのを見送ってから言った。


「ああ、仕事はできるが、貴族主義にとり憑かれた人間だ」


 ディックの言った「仕事はできる」という言葉に引っかかりを覚えた。

 国の行く末を案じて教育に携わっているのではなく、自らの思想を実現するために、教育を利用しようとする人間だ、というニュアンスだと感じた。


「アメリア様、事件のことは門番から聞きました。大変ご苦労なさったでしょう」


 エルンストは椅子から立ち上がって、こちらに歩を進める。


「いいえ。仕事ですから、お気遣いには及びません」

「ですが、コルサタルは無傷のままですね」


 ディックは悔しそうに言った。


「ランペスさん、そう言わないでやってくれ。アメリア様は本を燃やした犯人を捕らえてくれたじゃないか」

「いえ、憲兵を非難しているわけでは」

「わかっているよ」


 エルンストは微笑んだ。


「コルサタルだって今回の事件で動きづらくなったはずさ。派閥に属する人間が罪に問われたとなると、あっちだって分が悪い。今度の会議で君の案は通りやすくなるはずだ」


「ええ。しかし、コルサタル課長だって何もしないまま手を拱いているとは思えません。それに貴族主義を貫く者も文教省の中にまだいます。楽観的な見方はできません」

「改革の道は、未だ遠し、か」


 エルンストはため息を吐いた。


「ところで、エルンスト様。お身体の方はよろしいのですか?」


 二人の話についていけないアメリアは、話題を転じた。


「ええ。完調とはいきませんが、何とかよくなりつつあります」

「結局、どういったご病気だったのでしょうか? 未だに原因不明のままなのですか?」


 アメリアの質問に、エルンストはディックに顔を向けた。ディックが頷く。


「いえ、やっとわかりました。実は毒を盛られたらしいのです」

「なんですって? ならどうして憲兵に通報しなかったのですか?」

「憲兵には秘密裏に捜査してもらったのですが、証拠が見つかりません。遅効性の毒らしく、いつ盛られたのか心当たりがないのです。ですから、憲兵も手を引いたのですよ。幸い効き目が薄く、医師の処方もあって回復しましたがね」

「そうですか」


 アメリアは腑に落ちなかった。

 王家の係累に被害を及ぼすようなら、憲兵は威信にかけて動く。

 いくら秘密裏に事を運んだとはいえ、証拠が見つからないとは考えられなかった。


「アメリアさん」


 ディックが言った。


「憲兵庁にも貴族主義がいるでしょう」


 この言葉に、アメリアははっとなった。

 そして、ラージヒルが言ったことを思い出した。


 貴族主義に染まった連中は、憲兵庁のもいる。愚民の方が扱いやすい。


 考えたくはなかった。憲兵ともあろう者が、犯人を見逃す。


「いずれ、この案件はわたくしの仕事になりそうです」


 アメリアは強い決意をもってエルンストを見つめた。

 ただこれは、虚勢といっても良かった。

 服毒事件から時が経ち、捜査が難しくなっている。

 証拠を見つけるのは不可能に近いだろう。


「お願いします。あなたが清廉な憲兵のままでいることを望みます。私たちも国の教育のために力を尽くします」


 エルンストは笑みを浮かべた。それはどこか強い意志を感じた。


 別れの挨拶をしてアメリアとディックはストルーヴ家の城下屋敷を出た。

 雲一つない真っ青な空が広がり、遮るもののない日の光が容赦なく王都イクリスに投げられている。

 人々の肌を焼くほどの暑さだった。


 途中でディックと別れ、アメリアは憲兵庁への帰り道を辿っている途中、ため息を吐いた。


 ――もう、こりごり。


 組織内で自分の考えを押し通すには、ある種の狂気が必要なのかもしれない。

 コルサタルだけではない。ディックやエルンストも命の危険に晒されながら改革に情熱を燃やしている。

 常人にできることではない気がした。


 ――その点、私は……。


 無関係だと思った。

 事件の解決に導いているとはいえ、査察課は仕事の性質上、同僚から憎まれやすい。

 出世は望めないのかもしれないが、不穏な派閥闘争に巻き込まれる心配もなさそうだった。

 ただ愚直に、自分の仕事に邁進すればいいと思った。


 何気なく空を見上げた。

 まぶしい日差しのなか、鳥の群れが光に紛れ、一羽だけが群れのから離れて高く舞っていた。


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