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狂気 4

 魔力を消されたアメリアは、一人で帰庁の道についた。

 さらに強まった雨に全身が濡れ、靴の中まで染みている。

 目を開けられないほどの雨の中をアメリアは走っていた。

 時おり雨粒が髪や額から流れ、目の中に入る。

 夏が近いというのに、身体を打つ雨は冷たく、体温が奪われていく感じがした。


 あまりにも雨が強く、傘なしで憲兵庁まで行くのは困難だと思った。

 ラージヒルの子どもじみた仕返しのせいで、一時的に魔法が遣えなくなったのもあり、どこか雨宿りできるような店がないかを探した。

 不意に、この近辺に知っている店があるのを思い出した。

 もしかしたらという思いが湧きたち、さらに足を速めた。


 川沿いの道に出ると雨に視界を遮られ、人はほとんど通っていなかった。

 枝垂れた街路樹の枝が激しく揺らめき、今にも折れそうだった。

 川の水位が上がり、普段は清澄な川が黒ずんで見える。

 運航する船は一艘もない。


 橋の袂が視界に入り、『ハーミット』という店から灯が漏れているのに気づいた。

 アメリアは急いでドアを開けて中に入る。

 勢いが強すぎて、中で仕事をしていたマスターと給仕のパメラが、ずぶぬれになったアメリアを見て驚きの声を上げた。

 雨宿りをしていた客たちも、身体から水を滴らせている女性憲兵の異様な姿に目を向ける。


「アメリアさん、大丈夫?」


 パメラが駆け寄り、タオルを渡した。


「ありがとう」


 アメリアは礼を言って、頭を拭いた。


「風邪ひいちゃいますよ」

「それよりもパメラ。課長はいるかしら?」


 身体を気遣うパメラの目が宙に向いた。

 えーっとと言いながら視線をアメリアから外している。


「いるわね?」


 アメリアは確信した。

 殺気じみた光を目に帯びたのに気づいたのか、パメラは心持ち後ずさりして、苦笑いをする。


「あ、あの。ラージヒルさんは大切な話があるからアメリアさんが来てもしばらく待ってもらえって、言うから」

「そんな話、信じると思う? 案内して、パメラ」


 低い声で案内を乞う。

 パメラは、マスターの方に困惑げな顔を向けた。

 マスターは仕方ないというふうに目を瞑って頷く。


「わ、わかったから。ね、アメリアさん落ち着いてね」


 気性の荒い馬を宥めるかのように両手を出して、アメリアの気を鎮めようとする。


「どこ?」

「二階の205号室、一番奥の部屋」


 とパメラが言うなり、アメリアは店の奥にある階段へ向かう。

 二階に上り、早足で廊下を突き進み、奥の205号室の前に着くと、ノックもせずにドアを開け放った。


 部屋の中でラージヒルが制服を脱いで乾かしていた。

 椅子の前足を浮かせながら腰かけ、テーブルに両足を乗せている。

 アメリアに気づくと目を見開いて驚いた顔つきになる。


「よ、よう、アメリア。よくここがわかったな」


 ラージヒルは口籠って右手をあげる。


「いた」


 とだけアメリアは言う。

 毛先から雫を滴らせながらラージヒルに近づく。


「課長、お覚悟はよろしいですね」

「まあ、落ち着けや。店で一悶着やらかしたら、始末書じゃすまないよ。ほらほら、さっさと席について」

「そのような戯言、聞く気分ではありませんね。安心してください。店に損害を与えない魔法なんていくらでもありますから」


 アメリアはゆらりとした手つきでロッドを抜いた。

 少しだけ魔力が回復していて、一発だけなら撃てる。


「ちょっと、困るわよ。喧嘩なら外でやって」


 追いかけてきたパメラが宥める。

 アメリアが振り向くとパメラの後ろにいるマスターが腕を組んでいる。


「もめ事を起こしたら、憲兵庁に抗議しますよ。さあさあ、アメリアさんも別の部屋に行って服を脱いで。パメラ、着替えを貸してやれ」


 こうまで言われたら、アメリアも引き下がるしかない。

 そのとき、ラージヒルが片手拝みをして二人に詫びているのが、目の端に映った。


 ――予防線を張っていたわね。


 おそらく、アメリアがここにラージヒルがいると思いつき、もし見つかったらマスターとパメラに宥めてもらう算段をしたのだろう。

 店の中でアメリアが魔法を撃った瞬間、憲兵庁に抗議していいとさえ言ったのかもしれない。


「わかりました。この場は大人しくしましょう。課長!」


 アメリアは鋭く首を回しラージヒルを睨みつける。

 

「今度ゆっくりお話しましょう」


 とだけ言って、いったん部屋を出た。

 ドアを閉める間際、安堵の声が聞こえた。


   ◇


 気持ちが落ち着き、エルンストから聞き取ったことをラージヒルに報告した。

 二人は『ハーミット』から借りた服を着て制服を乾かしている。

 暖炉に火をつけ、雨で冷えた身体を温める。

 注文したお茶がテーブルに置かれ、ラージヒルが注文した緑の豆をつまみながら今後の方針について話し合っていた。


「ふーむ。エルンスト様も気苦労が絶えないな」

「病身で、しかも貴族たちを憂いているようでした」

「しかしディックさんに危険が及ぶとなると、穏やかじゃないな」


 ラージヒルは机に両肘をついた。テーブルに視線を落とし、考える素振りを見せる。


「エルンスト様に文教省からの依頼だと話したのは、よくなかったのでしょうか?」


 アメリアにはあのときの判断が正しかったのかわからなかった。

 文教省の官吏ディックから内密に事を運んでほしいという約束を破ってしまったのだ。


「そいつは仕方ないさ。でもおかげでエルンスト様から大事なことは聞けたんだし、結果が出ていない以上なんとも言えんな」


 ラージヒルは頭を掻いた。

 アメリアの独断を責める気はないようだ。


「それにしても、ディックさんはなぜこのことを伏せていたのでしょうか? 襲われる可能性もあるなら言うはずでは?」

「まあ、あの人もそこまでは考えていなかったんじゃないか。言っちゃあなんだが、たかが本が燃やされただけの事件だし、改革案を阻止するったって命云々の話にはならないと思ったんだろうな」

「この事件には裏があるということでしょうか?」

「なんとなく察しはつくけどね」


 ラージヒルは後ろ頭に手を組んで宙を見上げる。

 エルンストの忠告、命の危険、ディックの頼み等々。

 それらのことが彼の頭の中を駆け巡って一つの形を作るように見える。


「ひとまず、もう一度ディックさんにお話を伺わなければなりませんね。文教省の中で何が起きているかがわからない以上、私たちも容易に動くわけにはいきません」

「それもあるが、もう一つ。エルンスト様が言っていた貴族に当たってみるのも手だな」


 オリヴァー・ストルーヴの思想を嫌う貴族のことである。

 アメリアはエルンストから数人の名前を聞いていた。その中でも、最も権力がありそうな人物がいる。


 キリノ・コルサタル高等教育課課長。


 貴族出身の官吏で、オリヴァーの思想に反感を持つ者の急先鋒だとエルンストは言っていた。

 奸計に長け、あらゆる手を講じて出世したという。

 悪徳官吏お得意の賄賂や、出世を争う同僚を罠にはめて失脚させ、文教省で権力を握りつつある。

 とても教育に携わる気質の持ち主ではない。

 おまけに鼻持ちならない貴族主義の人間で、平民を軽んじているらしい。


「ま、いずれにせよディックさんに一度話してみた方がよさそうだな。その人に聴取できるように手配してもらうか」


 とりあえずラージヒルはそうまとめた。


 突如、けたたましくドアを叩く音がした。ただ事ではないと感じ取って、二人とも即座に席を立った。


「ラージヒルさん、大変! ディックって人が今」

「どうした?」


 ラージヒルはドア越しのパメラに向かって訊いた。


「ひどい怪我をしていて、それにラージヒルさんに伝えなきゃいけないことがあるって。あ、ちょっと」


 パメラの慌てている様子がうかがえたとき、ドアが開いた。

 ディックがよろめきながら部屋に入ってくる。

 右の頬が腫れあがり、目が細くなっている。雨で髪が濡れており、薄まった血を床に滴らせていた。

 身体のあちこちに攻撃を食らったせいか服がところどころ破けている。


「とりあえずこっちへ。暖炉の近くに寝かせてくれ。パメラ、タオルと、あと何か食べ物を」


 ラージヒルがディックに手を貸し、暖炉の近くに横たえた。

 傷を負ったらしき箇所を探り、服を脱がした。


「骨は大丈夫のようだな。アメリア、回復できるか?」


 そう言われて、アメリアはディックの横に蹲り、傷の状態を見た。

 腹に二か所、右脇腹に一か所紫色に変色している。


「このぐらいなら問題ありません」


 アメリアはロッドを手に取った。

 ロッドの先端が魔力に反応し、自分の魔力が戻ったのを確認すると、ディックの近くによって蹲り、ロッドを差し向けた。


「ディックさんもう少しの辛抱です。今、回復魔法をかけますから」


 ロッドに魔力を込めた。ほの白い光が灯り、徐々にディックの全身を包んでゆく。

 すると瞬く間に腫れがひき、傷口が塞がった。


「すごいな。回復魔法まで遣えるのかてっきり攻撃魔法しか遣えないと思っていた。才媛の魔法遣いの評判に偽りはないな」


 ディックは意識が明瞭になり、身体を起こそうとした。


「まあ、そう思うのも無理はない。なにしろ」

「ディックさん。もう少し横なって落ち着いてください。傷は回復できますが、失った血まで戻ったわけではありませんから」


 ラージヒルが余計なことを言う前に、アメリアは声をかけた。


「それにしても、ディックさん。ちゃんと話してもらわないと困りますなあ。あなたが襲われる可能性があるとわかれば、他に手の打ちようもあったのに」

「すまない。まさかこんなことになるとは思わなかったよ」

「でも、なぜ私たちがここにいるとわかったのですか?」


 ディックの状態を確認しながら、アメリアが訊いた。


「ああ、ミレイユさんから聞いたんだ。憲兵庁に寄ったんだが、お前たちが不在でな。それでここにいるんじゃないかって教えてもらった」

「それにしても、ディックさん。なんでこんなことになったのですか?」


 アメリアの脳裏に、危険が及ぶと言ったエルンストの言葉が過る。


「二人とも、気をつけろ。奴らはまだこの辺にいるかもしれない」

「奴らって?」


 ラージヒルが訊く。


「多分、俺たちに反対する連中の仕業だろう。反対意見を封じるために実力行使に出たんだ。いつから見張っていたのかわからないが、奴ら憲兵も片付けるって言ってたぞ。多分二人の顔も割れている」

「でしょうな。怪しい奴らが城下屋敷の周りをうろうろしてたんでね。にしても派閥争いか。ったく下らないことに巻き込まれちゃったなぁ」


 ラージヒルは心底呆れているようだった。


「課長、いい機会かもしれません」


 アメリアは腹を括って提案する。


「やるしかないか」


 ラージヒルも同じことを考えていたようだ。


「なにをするつもりだ?」


 ディックが肘をついて上体を起こす。そしてラージヒルが答えた。


「刺客に、洗いざらい喋ってもらうんですよ」

「無茶だ。あいつら、かなり手ごわいぞ。それにアメリアさんは女性じゃないか」

「ディックさん、うちの部下をただの女だと思っちゃいけませんよ。なにしろ、才媛の魔法遣いですし、暴れるのが大好きなもんで。危険なのは刺客のほうかもしれませんなぁ」

「ディックさん、課長の身体で証明しましょうか? 地水火風雷光闇無。あらゆる魔法を撃ってみせますから」


 アメリアは顔を引き攣らせて言った。

 さっきずぶ濡れにされた意趣返しをしたい気持ちも含んでいる。


「……いや、遠慮しておく」

「じゃあ、作戦を立てようか。といっても、大したことじゃないけどね」


 刺客を迎え撃つ算段を立てた。


 自分で言いだしたこととはいえ、いざ実行に移すとなると、にわかに緊張感が走った。


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