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新人 3

 憲兵庁は王城のすぐ南に位置し、他の省庁も王城の周りに点在している。

 省庁で働く官吏たちは建物の中に詰めている人が多いので、昼間の人通りは少なく、どことなく無機質な印象がある。

 せいぜい遅い昼食を求めてきた客を相手にする数店の飲食店が、わずかに賑わっているぐらいだった。

 

 王都イクリスの町中を北東に進んで行く。

 春らしいあたたかな日射しを浴びながら、人々が行きかう川沿いの通りに出た。

 幅の広い川に流れる水が日の光を柔らく弾いている。魔力で動く(はしけ)が荷物を積み、川面を滑るように下って行く。

 川沿いの道に点々と植えてある街路樹のしだれた枝が、そよ風に身を任せながら揺れる。

 反対側に軒を連ねる店から客を呼び込む声が聞こえてきた。


 町を見廻りながら、アメリアはラージヒルの腰に大小二本の剣を佩いているのが気になった。

 リーデス王国の憲兵は魔法遣いなら短いロッド、それ以外なら両刃の直剣を支給されるのだが、ラージヒルの剣は二本ともわずかに曲がっていて、柄には等間隔で釘が打たれ、革で巻かれたものだった。


 課長の剣は他の人と違いますね、と言おうとしたとき、ラージヒルが口を開いた。


「この近くの薬屋だな。まず、店員に話を聞こうか」


「はい」


 剣のことを訊くきっかけを失ったが、また別の機会に訊けばいいと思いなおした。


 それにしても同僚を疑うのは気が引けた。

 困っている人を助けるという理想とはかけ離れた役目だったのも原因かもしれない。

 少なくとも、アメリアが描いた憲兵像ではなかった。

 

 薬屋が視界に入ってきたとき、


「店主、出てこい! こら!」

 

 突然、男が薬屋のドアを乱暴にたたき始めた。

 その隣には不機嫌そうに腕を組んでいる女がいる。

 あまり質の良くない連中のようである。


「なんだなんだ、おい」

 

 ラージヒルが驚きの声をあげる。

 

 すぐに店主らしき男が出てきて、二人組のクレームを受けた。

 きょろきょろ周りを見回し始める。

 近所の人々にトラブルを見られたくないようだった。


「いきましょうか?」

 

 アメリアは緊張した。査察課の役目ではないが、トラブルを放っておきたくなかった。


「ま、見て見ぬふりはできんからな。アメリア、話を訊いてきてくれる?」


「え」


 新人の自分に任せるとは予想外だった。

 アメリアは少し狼狽えてラージヒルを見つめた。


「え、じゃなく。何ごとも経験だぞ。大丈夫、研修でやったことをすればいいからさ。それに俺が後ろから見守ってやるよ」


 噛んで含めるような口調でラージヒルは言った。


「はい」


 上役が見本を見せるべきだと思うが、貴重な経験だと前向きにとらえた。


 男が口から泡を飛ばさんばかりにまくし立てている。

 店主は顔に汗を垂らし、困った顔色を浮かべながら反論していた。


「なにをしている」

 

 アメリアは彼らに近づいて、毅然とした声を作って割って入る。


「なんだぁ?」

 

 男が険のある声をあげて振り向く。頭を刈り上げ、眼窩の深い目に鋭い光が帯びている。肩幅が広く、腕の筋肉が盛り上がっていた。いかにも荒くれ者といった出で立ちである。


「周りに迷惑がかかるだろう。いったいなんの騒ぎだ」

 

 アメリアも負けじと強く見つめる。

 小柄な体格なので、侮られないように男から目を離さないよう心掛ける。

 

「お嬢ちゃんは引っ込んでろ」


「ああ、憲兵さん」


 救いの手が差し伸べられたと思ったのか、店主はほっとして、アメリアに寄ってきた。

 

 ――ん。


 店主の息が臭って、アメリアは顔をしかめたくなるが、失礼だと思い、反応を出さないように気を付けた。


「なにがあった?」


 とアメリアは店主の口臭に耐えて訊いた。


「いえ、こちらの女性がうちの商品を肌に塗ったところ、指が腫れたと申されまして」


「そうなのよ。肌がきれいになるっていうから買ったのに。見てよ。あたしたちは正式な抗議をしているのよ」

 

 女がぐいっとアメリアの前に出てきた。

 頬がこけて目が細く黒目が小さい、剣呑な顔つきの女である。

 右手をこれ見よがしにアメリアに見せてきた。

 手の甲と指が赤くなっており、人差し指の爪の根元が腫れていた。


「なるほど。たしかに怪我をしているようだな」


 アメリアは腫れた手を見てそう言うと、掌をかざした。


「な、なにをして」


「しっ」


 女の言葉を遮って、アメリアは掌の感覚を研ぎ澄ませた。

 すると、魔力を伴った冷気が、掌を通して、身体に流れてくる。

 これは魔力の跡を探る魔法である。

 もっとも、この魔法はかなりの修練が必要で、誰にでもできる類の魔法ではない。


「店主」


 アメリアは魔力を切ると、店主に顔を向けた。


「この店では、凍傷になるような薬は置いているのか?」


 アメリアはあえて決めつけるように言った。

 二人組の表情が一瞬動いたのを目の端でとらえた。


「は? いいえ、そのようなものは置いておりませんが」


「そうか」


 アメリアは二人組に視線を移すと、彼らの顔に動揺の色が走った。


「お前たち、(かた)りだな」


「ちげえよ! おい、店主てめえ。いい加減なことぬかしてんじゃねえぞ」


 男は店主に向かって怒鳴りつけた。嘘を見破られたときの典型的な反応だった。


「とにかく、あとは取調室で話を聞こうか」


「ふざけないでよ!」

 

 女が目を剥いて喚く。


「ふざけていない。その怪我は魔法による凍傷だ。氷の魔法を受けたのをいいことに、この薬屋を脅そうとしたのだろう。お前たちの度胸も大したものだ」


 アメリアは皮肉を込めて言った。


「なにさ、ちょっとぐらいかわいいからっていい気になって。あんたみたいな頭の弱いクソガキになにがわかるっていうのよ。どうせ偉い人をたぶらかして憲兵になったんでしょ。ご自慢の顔で色香に迷ったお偉いさんたちに媚び売って出世でもしようっていうんでしょ」


 見当はずれの中傷を浴びせてくる女。よほど恐慌をきたしているようである。


「ほう」


 アメリアはいとも簡単に冷静さを失ってしまう。

 侮辱の言葉が頭の中を駆け巡り、顔が熱くなる。

 腰に差してあったロッドを手に取ると、先端を女に向けて魔力を込めた。


「侮辱罪、と言いたいところだが、それは目を瞑ってやる。その代わり、お前たちの身体で私の実力を試してみるか?」


「こらこら、アメリア。だめじゃないか」


 ここでラージヒルがアメリアの両肩を後ろから掴んできた。はっとなってアメリアは魔力を消した。


「実力行使は最終手段。ちゃんと言い聞かせないと、みんなに愛されるお巡りさんになれないぞ。どうもすみません、うちの部下が失礼な真似を。なにしろ憲兵になってから日が浅いものでして」


 戸惑うアメリアをよそに、なれなれしく詫びるラージヒル。

 両肩を掴んだままアメリアを横にどかした。


 ――子どもじゃないのよ。


 とアメリアは胸の内で文句を言った。

 おまけに肩を掴んでどかすとか、一人の大人として見ていないと感じた。

 やむなくロッドを腰に差してなんとか怒りを鎮めようとする。


 アメリアの心が収まらないうちに、ラージヒルが耳元でささやく。


「あそこの奴、ウェバーだ。話を聞いてこい」


 動かされた位置から、アメリアは建物の角を見た。

 路地裏の入口から人影がこちらを覗いているのが見える。

 体格と格好から、男の憲兵らしいと判断がつくが、離れたところにいるので、顔つきまでわからなかった。


 こちらを見られていると気づいたのか人影はすぐに消えた。

 慌ててアメリアは追いかけた。すると憲兵の制服を着た男がこちらに背を向けて歩いていた。


「ちょっと、すみません」


 憲兵に追いついて後ろから声をかけた。


「なんだ?」


 憲兵は振り向いてぶっきらぼうに言った。

 強面な上に、ギラギラした目の光を湛えた、ガラの悪そうな男だった。

 憲兵の制服を着ていなければ、裏社会の人間と見間違えそうだった。


「査察課のアメリア・ティレットと申します。スレイ・ウェバー巡査部長ですね? 先ほど、こちらを見ていたようですが、何かご用ですか?」


「ねえよ、んなもん」


 取り付く島もなく、ウェバーは不機嫌そうに答える。


「ここらはおれたちの縄張りだ。てめえみたいなお嬢さんに来られると迷惑なんだよ。とっとと失せな」


 ゴロツキのような口調で言い、犬を追い払うかのように右手を動かした。

 ぐっとこらえたアメリアの目に、ウェバーの右手の中指が光っているように映った。


「指輪をはめているのですか? 勤務中なのですから外された方がよろしいですよ」

 

 アメリアが注意すると、彼は一瞬はっとした顔を浮かべた。


「ちっ」


 舌打ちをしてウェバーは右手を慌ててポケットに入れた。


「今度から気を付けるよ」


 と一方的に話を打ち切って足早に去った。


「あの指輪」


 ウェバーの背中を見ながら、アメリアは記憶を手繰った。

 あの指輪をどこかで見かけた覚えがあるのだが、思い出せなかった。

 追いかけようかと迷ったが、ラージヒルの指示がない上に、薬屋のトラブルも気になったので戻ることにした。

 

「うちの部下はちょっと早とちりすることがありましてね。どうか怒りの矛を収めてはいただけないでしょうか。それに我々としても、あなた方が正当なクレームを言っているのか、それとも単なるいちゃもんなのか、どうも判断がつかんのですな。そこでどうでしょう? 魔力鑑定でもしますか?」


 薬屋の前に戻ると、ラージヒルが二人を説得しているのが見えた。どこかのんびりした口調だが、言っていることはまともに聞こえる。どう話を持って行ったのか、ラージヒルが優勢のようだった。


「魔力鑑定?」


 女が怪訝な声で訊いた。


「近ごろ、憲兵庁で採用された捜査手法でしてな。どうです? もしあなたが魔法を遣って怪我をしていないというなら受けてみては? もし違ったら、あなた方のクレームは正当なものとして認められますよ」


「いくぞ」


 急に男がバツの悪い顔つきになり、背を向けて去って行く。慌てて女もついていった。


「ありがとうございました。それでお礼はいかほどに」


 心底ほっとしたようで、店主は解決料を払うと言い出した。


「いや、我々はそんなものをいただくために仕事をしているわけじゃありません。それに憲兵に金品を与えるとあなたも罪に問われてしまいますよ」


「はあ」


 店主は額に汗を流しながら言った。


「おう、どうだった?」


 アメリアの気配に気づいてラージヒルは振り向く。


「スレイ・ウェバー巡査部長でした。こちらが声をかけると気まずそうに去って行きました」


「あっ、そう」


 一応確認してみただけと言いたげな反応だった。


「じゃあ、店主。今度から憲兵への付届けはしないということで。もししつこく要求してくるようなら査察課までご一報ください。それと」


 事務的に注意事項を述べてから、店主に顔を近づけて言葉を続ける。


「健康管理も大事ですよ。口、臭いますよ」


 いきなり無礼なことを言われ、店主の顔に動揺の色が刷かれた。


「ちょっと課長。失礼ですよ」


 焦ったアメリアはラージヒルの袖を引っ張った。


「あ、ごめん。つい気になっちゃってさ。店主、またなにかあったら査察課までご連絡ください」


 話を切り上げて、二人はその場を離れた。


「どういうつもりですか? あんなことを言って」


 薬屋から遠ざかり、川沿いの道に出たところで、アメリアはきつい口調で言った。


 ――この男、礼儀というものを知らないのかしら。


 と思い、ラージヒルと問い詰めたい気持ちになった。


「おまえさんも気にならなかった?」


「え、まあ、気にはなりましたけど」


 実際アメリアも店主の息が臭うと感じたので否定できない。


「ちょっと面白いことになるかもなぁ」


 ラージヒルは微笑を浮かべた。その顔には、なんらかの企みを含んでいるような感があった。


「どういうことですか?」


「これは憲兵の付届けなんて、ちゃちな事件じゃなさそうってこと」


「え?」


「まあ、いいから。それに、もう一軒寄るところがあるから」


 アメリアの質問にきちんと答えることなく、ラージヒルは歩き始めた。


「あ、ちょっと」

 

 振り回されていると思いながら、とりあえずついていくことにした。

 失礼なことを平気で口にする男でもあるが、どこか油断できない性格の持ち主だと感じた。

 

 アメリアはラージヒルに対する印象がわからなくなった。


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