狂気 2
王城から北西の位置にストルーヴ家の城下屋敷はある。
空が灰色の雲に覆われ今にも雨が降り出しそうだった。
道行く人々の中には傘を手に持っている人もいて、夏に入る前の雨季の到来を予感させていた。
イクリスを流れる川にも影を落とし、暗い色を湛えながら海へと流れて行く。
ストルーヴ家は王家の血筋ということもあって、城下屋敷の規模も大きい。
元々、王家直轄の領地である天領を授かっており、そこから得られる税も多額に上るという。
平民たちの教育が行き届いており、農地の改良と、鉱山から効率よく鉱石を採掘できる方法を、天領に住む平民たちが編み出したのだ。
先代ストルーヴ家の主人、オリヴァー・ストルーヴ公爵は天領に暮らす人々が優れた教育を受け、天領や王室に利益をもたらしたということもあって、平民の教育に一層力を入れるようになったという。
鉄柵の塀が高々と聳えるように巡らされている。
アメリアはこの鉄柵には魔法が張り巡らされているのに気づいた。
何気なく手を伸ばすと、身体の内に魔力が流れ込んでくる。
アメリアの場合、こうして魔力があるのかどうかを確かめる。
鉄柵を乗り越えようとした瞬間に、侵入者を吹き飛ばす魔法だと見当がついた。
それも侵入者が怪我を負いかねないほどの強力な魔法を仕掛けている。
鉄柵越しに見える庭は、森と見まごうほどの木々が植えられており、作庭にも意匠を凝らしているらしい。よく見ると、奥には遊歩道らしき道があり、森林浴をしながら散歩ができそうだった。ちょっとした公園並みの広さがある。
塀に沿って歩いていると、ようやく門が見えた。
二本の門柱の前に門番が二人いて、厳めしい面構えをしている。
王家の血筋を守ろうとする勤勉な兵士といった感じである。
実はこの二人、憲兵である。
王家につながる貴族に対しては公安局警護課から派遣された憲兵が警備しているのである。
「どうも、お疲れさん」
ラージヒルは敬礼をして、緩い口調で門番に挨拶をした。
「これは、ラージヒル警視、お疲れさまです」
痩躯の憲兵が敬礼する。
それに気づいたがっしりした大柄の憲兵も遅れて敬礼をした。
丁寧に挨拶をされて、アメリアも慌てて敬礼をする。
「お知り合いですか?」
「うん、この二人、何年か前まで俺と同じ部署にいたの」
「はあ」
ということは、査察課ができるまえの話である。
「痩せた方がコーエン巡査部長で、でかいのがリグビー巡査だ。二人とも、こっちはアメリア・ティレット警部補。顔と魔法は一流だけど……」
「アメリア・ティレット警部補です。以後お見知りおきを」
余計な一言を言う前に、挨拶をして遮る。
「は、初めまして警部補どの。じ、自分は以前ラージヒル警部、い、いや警視にお世話になっておりまして」
リグビーは顔を赤くして言った。
目線を上げ、敬礼した姿勢のまま、身体が固まってしまったかのように見える。
なぜか緊張しているらしい。
「初めまして。警部補とはいえ、皆様の方が経験豊かです。どうぞ固くなさらずに」
「は、はい。自分は幸せ者であります」
リグビーの身体がさらに硬くなった。
「はあ」
アメリアはどう反応していいかわからなかった。
「ははは、リグビー、美人さんに話しかけられて舞い上がっているな」
コーエンは快活に笑った。
「いやいや、リグビー。緊張することない、なんせアメリアは癖のある女だ。下手に触れるとお前さんの命があぶ……」
「課長、さっさと要件を済ませましょう。無駄話をしている暇はありませんよ」
アメリアは、ロッドをラージヒルの腰に当てた。
余計な一言を言えば、すぐさま雷の魔法を撃つ気でいた。
アメリアが本気なのを感じ取ったのか、ラージヒルはこめかみに汗を浮かべている。
「そ、そうだったね。なあコーエン、ストルーヴ家の人に話を聞きたいんだけど、誰かいる?」
「お話とは?」
「先代のストルーヴ公爵が書いた本が燃やされたもんだから、犯人に心当たりがないか訊きに来たってわけ」
「課長、お話ししてよいのですか? ディックさんはなるべく内密にと」
「大丈夫、この二人は口が堅いから。俺が保証するよ」
「警視が、ですか?」
コーエンは不思議そうな顔をした。
「刑事三課に頼むと面子がつぶれるってもんでさ。仕方なく俺たちがやってるわけ」
「どうしますか?」
リグビーは困惑げ顔色を浮かべてコーエンに訊いた。
大柄な体格に似合わず、心配性のようだ。
「とりあえず訊いてみるか。リグビー、ここを離れるんじゃないぞ」
とコーエンは門の横にある小さな入口から中へ入って行った。
ラージヒルとリグビーが世間話をしている間、アメリアは通りを眺めていた。
漫然としているわけではなく、怪しい人物が通らないかを観察している。
憲兵になってついた職業病らしかった。
一度、冒険者らしき二人が、物珍し気にアメリアたちを一瞥するぐらいで、別段怪しい点はなかった。
やがてコーエンが戻ってきた。
「エルンスト様がお会いになってくれるそうです。ただし、条件が」
コーエンはわずかに顔を曇らせた。
「ティレット警部補のみ連れてくるようにとのことです」
「私が、ですか」
王家の血筋につながる家らしく、警戒心が強そうだった。
会う人間を最小限に抑えたいらしい。おそらくアメリアの名を聞いて、ティレット家の娘だとわかったのだろう。
「エルンスト様は以前からティレット警部補の噂を聞いており、ぜひ一目お会いしたいと言われました」
「遊びに来たわけではないのですが」
アメリアは困惑した。コーエンの言葉を聞く限り、ただアメリアに会いたいだけらしく、捜査に関わることを訊きだせるか不安になった。
「まあ、仕方ないわな。こっちだっていきなり訪ねてきたんだもの。会わせてくれるだけでも感謝せにゃならんな。それにアメリアなら素性は知れているからな。才媛の魔法使いとして貴族社会じゃ有名なようだし、おまけに顔だけはいいからな」
ラージヒルの笑みには上手くいったと言わんばかりの気色が滲んでいる。
アメリアを利用すれば、こういう流れになるのを読んでいたかのようだ。
だが、聞き逃してはいけない二文字があった。
「課長、だけとはどういうことでしょうか」
「おまえさんねえ、そうやって穿ったものの考え方するのは良くないよ。言葉の綾ってやつさ」
「そうは思えませんでしたが」
「いちいちカリカリしなさんな。ほら、エルンスト様を待たせてはいけないぞ」
ラージヒルに上手くかわされた。
この男の余計な一言は今に始まったことではないが、アメリアはいつかとっちめてやると常々思っている。
「では、ティレット警部補、ご案内します」
コーエンの後ろについて門内に入って行く。
邸宅へ続く広い道にはきれいな石畳が敷かれている。
両側には色付いた木々がそよ風に吹かれ、ささやくような葉音を立てる。
途中に森の遊歩道に入る道があり、使用人らしく男が石畳を掃いていた。
「ティレット警部補、お疲れさまです」
あたりを見回していると、コーエンが突然声をかけた。
「コーエン巡査こそ、立ちっぱなしでお疲れでしょう」
「はい。でも、ラージヒル警視の下にいたころと比べ、かなり楽ですよ」
どうやら、ラージヒルの部下になったアメリアを気遣っているらしい。
「ええ、二人しかいない部署なので、色々と手が回らず、課長には迷惑かけっぱなしで申し訳ないです」
「いえ、そうではなくて」
コーエンが何を言いたいのか、さっぱり理解できなかった。
「結構、人使いが荒いんですよ。あの人は」
「あー」
アメリアは納得した。
査察課に配属されてから、本来の同僚を監察する仕事以外にも、色々な捜査に首を突っ込んでいるのだ。
「あの人、自分の管轄外のことにも口を出したり、協力したりするものですから、余計な仕事が多かったんです。私もリグビーも大変な思いをしたものです」
言っていることは上役の愚痴だが、どこか楽しさを感じさせる口調だった。
「私も査察に配属されてから、盗賊や暴漢を捕らえたことがありました。でも憲兵らしい仕事ができてそのときは良かったのですが」
言葉を続けようとすると、日々の恨みが表に出てくる気がして、そこで口を閉じた。
「ああ、警視は憎まれ口を叩く悪い癖がありますから。でもそれって照れ隠しのような気がするんです」
「え、それはないと思いますが」
なにかにつけて余計な一言を付け加えるラージヒルが時おり疎ましく、しなくていい気苦労を感じている。
「そうですか。私が知る限り、気に入った人に憎まれ口を叩く傾向にあると思ったのですが」
「本当に気に入っているなら、そもそも相手に憎まれ口を叩かないよう改善に努めると思いますよ」
「はは、確かにそうです」
よく笑う男だった。三十歳は過ぎていて、年下の上役にも気兼ねなく話す性格らしかった。
「あと、デルベーネ警務局長の前でも口が減らないのですから困ったものです。聞いているこちらが冷や汗をかきます」
「でもラージヒル警視、仕事はできますから。なんだかんだで信頼の篤い人なんですよ。憲兵庁内に知り合いも多くシンパもいるって噂ですから」
「活動家じみてますね。でも仕事はできるというのはわかります。尊敬できるのはその一点のみですが」
「ああ、それも仕方ない気がします。少々性格に問題があるのは知られていますし。でも、せっかく一人しかいない部下なのですから、警部補をもっと犒ってやればいいんですがね」
コーエンがまた笑うと、つられてアメリアも微笑んだ。
「あ、見えてきました。あれがストルーヴ家の邸宅です」
道の奥に豪奢な邸宅が見えた。
もう少し歩くと開けた景色の中に邸宅が立っているのに気づいた。
前の芝生はきれいに刈られ、左側に目を遣ると、花畑がある。
真紅の花が植えられており、厚い雲に覆われていなければ、日の光に映えてきれいに見えたことだろう。
入口まで着くと、コーエンがドアをノックした。すると、白髪頭の老紳士が出迎えた。
「お待ちしておりました」
老紳士は恭しく挨拶をした。
アメリアも突然の来訪を詫びて自己紹介すると、老紳士の眉根が動いた。
「当屋敷の執事、ラース・ツェマーと申します。ティレット侯爵のご令嬢、アメリア様ですね」
「はい。エルンスト様がお会いになっていただけると伺いました」
「ではお入りください」
ラースはドアを広く開け放ち、アメリアを中へ入れた。
吹き抜けになっている玄関ホールに赤いカーペットが敷かれ、突き当りの階段は踊り場で左右に分かれている。
踊り場に立っている男がいるのに気づいた。
「お待ちしておりました、アメリア様。お噂はかねがねお聞きしております。本当にお美しい方だ」
男は弱々しく佇みながら、アメリアに視線を投げた。
頬はこけて首もやせ細っている。
顔色も悪くひどく不健康な肌の色をしている。
しかし双眸だけは澄んでいて、理知的な光を湛えていた。
「エルンスト様、お身体に障ります。さあ、自室へお戻りください」
ラースはエルンストに寄り添う。
――この方が?
アメリアはエルンストの痛々しい姿に胸を痛めた。
病に侵された姿は明日をも知れぬ宿命が付きまとっている気がした。




