狂気 1
査察課の詰所に珍しく来客があった。
憲兵ではない。シズマ・ラージヒル査察課課長の旧知だという。
髪型を真中分けに整え、四角いレンズの眼鏡をかけた、いかにも堅物そうな男である。
詰所の隅にある簡素な応接セットに、ラージヒルと向かい合わせに座っている。
アメリア・ティレットは二人にお茶を出したあと、自分がいては話しづらいと感じて詰所を出ようとした。
「アメリア、おまえさんもこっちに来なさい。ちょっと手伝ってもらうぞ」
ラージヒルは悠長な話し方をし、自分の隣に座るよう手招きした。
失礼します、と断りを入れ、ラージヒルの隣に腰かける。
――何の話かしら?
少し前に男が訪ねて来たとき、彼は文教省平民教育課副課長のディック・ランペスと名乗った。
そのときはラージヒルが不在だったので、アメリアは応接セットの椅子に腰かけてもらった。
用件を訊いても、ラージヒルが戻ってきたら話すというだけなので、お茶を用意することにした。
その途中にラージヒルが戻ってきたので、お茶を二杯淹れ、二人の前に置いたところだった。
「しばらくですな、ディックさん。相変わらず勤勉そうでなによりです」
「で、そちらは?」
ディックは、アメリアに目を遣った。
「ああ、彼女はアメリア・ティレット警部補、多少問題はあるが優秀な部下です」
ラージヒルは余計な言葉を足した。
「アメリア・ティレットです。どうぞお見知りおきを」
ぎごちない笑顔で自己紹介する。
いらない言葉を付け加えられ、少し苛ついた。
「噂は聞いているぞ。才媛の魔法遣いって呼ばれているらしいじゃないか。それにしても、こんな若いのに警部補か」
「はい、一応特級試験に合格したので」
「ティレットというと、侯爵の娘といったところかな?」
「は、はい」
アメリアは力なく答えた。
妾の子なので、侯爵の娘といわれると、肯定も否定もしづらい気持ちになる。
十二歳のころ、ティレット侯爵に養子として引き取られて以降、妾の子として時おり侮蔑の目で見られたことが何度もあるので、貴族の娘と名乗るのは少々気まずいのだ。
「まあ、ディックさん。アメリアのことは置いといて、用件を言ってもらいましょうか。うちの管轄だと憲兵がおたくの誰かに不正をもちかけたってところでしょうが」
年上の人と話しているのに、ラージヒルは後ろ頭に手を組んで大きく背をもたせた。
「課長、その態度は」
とアメリアが注意しようとすると、
「いやいいんだ。こいつは昔からこんな感じでな。頭は切れるが、腹黒で余計なことを平気で言う奴だ。まったく、なんでこんな奴が憲兵でいられるのか」
ディックは下がった眼鏡を上げ、顔をしかめた。
「大変な誤解ですな。俺は自分に正直なだけですよ。……アメリア、なにうなずいてるんだ」
心得顔でうなずくアメリアへ言った。
「すべて当たっていると思いますよ。デルベーネ局長にお叱りを受けても、全然懲りないんですから」
「おまえさん、上役に対してなんちゅうことを言うんだ。そんなことだから顔しか良くならないんだぞ。もっと心を磨かんと淑女になれんぞ。あ、無理か」
「髪の毛引きちぎりますよ」
アメリアはラージヒルに物騒な文言で突っ込みを入れる。
「……なかなかの子だな」
呆気にとられるディック。
「あ、すみません。つい。お客様の前で言うことではありませんでしたね」
「今さら上品ぶっても無駄だぞ」
「課長、口を閉じるという行為を知らないのですか」
また口論になりそうな雰囲気が出た。
「あー、アメリアさん。気にしたら負けだ。この男、遠慮という言葉を知らん。で、肝心の話だが」
無駄話が長くなると見たか、ディックは眉根をひそめながら強引に本題に入ると、バッグから書類の束を出してテーブルの上に置いた。
表紙に『平民教育に関する改善点』というタイトルが書かれているレポートだった。
「今、俺たちの部署では平民教育の問題点を洗い出す作業をしているんだ。で、このレポートなんだが、数年前にかなりの人数を割いて王国中の学校を廻って調査して、いろんな書物を読んで認めたものなんだが、問題がある」
「失礼します」
アメリアがレポートを手に取る。
どのページも文字がぎっしり埋まっていて、王国の平民教育についての研究が書かれていた。
平民教育の質の向上が王国にどれだけの利益をもたらすかについて書かれているが、一読しただけでは細かい内容まで把握できない。
専門的な知識が必要らしく、素人が読むには骨が折れそうだった。
それでも、このレポートの違和感は誰だってわかる。ところどころページが抜き取られているのだ。
その箇所についてはあとで訊くことにして、ざっとページを繰った。
最後の方に、「良書と悪書」という項目があった。
良書とみなされる書物にも欠点が書かれていて、改善点を指摘している。
悪書の方は非常に煽情的なタイトルが並び、特殊な成功例を一般的なものとして紹介したり、明らかに間違った方針を打ち出して成功すると謳う書物が多いようだった。
専門外のアメリアには良くわからないが、文教省は悪書に対して厳罰を行うというよりは、教育に熱心な平民に対しての注意喚起をする目的があるようだった。
さらにページをめくっていくと、『普遍的教育論―平民の幸福のため―』というタイトルが書かれた項目があった。
この本だけは例外的に良書、悪書の区別がなく判別不能とされている。
さらにこの書物に関しての評論がなく、ただ単にタイトルが書かれているだけである。
「ディックさん、この本は?」
アメリアは該当ページをディックに見せる。
「ストルーヴ公爵は知っているな」
「ええ、非常に聡明な方で、国の未来を案じていた方だと聞いています。中でも教育の底上げが重要であると説き、王室にも平民の教育こそ国を守る礎になると訴えたことがあると」
ストルーヴ公爵は十五年前に亡くなっており、アメリアとは面識がない。
王家の血筋につながる家系で、王位を襲ってもおかしくないと謳われた英邁の貴族だった。
王国の大半が平民であるこの国で、彼らを愚民にしてはいけないと常日頃から言っていたという。
ただ、そのせいで貴族こそ優れた人種であると考えている者たちからは白眼視されていたとの噂もあった。
「公爵は本を出していたのですね。しかし判別不能とは」
アメリアは訝しんだ。なにやら執筆者の作為が感じられた。
「その本は、文教省が依頼して執筆された本でな、数少ない貴重な書物だ。そのうちの一冊は書庫で厳重に保管されていたんだ」
「わざわざ書いていただいたのに、判別不能にしたのですか?」
「それには事情がある。貴族批判も書かれているせいだ。それに当時も今も、うちの幹部の中には、平民が貴族と同等になるのは傾城のきっかけになると思っているみたいでな」
「それに愚民のままの方が貴族にとって都合がいい、か」
ラージヒルは直截的に言った。
「はっきり言うじゃないか」
ディックは苦笑いを浮かべる。
「それにこのレポート、ページが抜けていますね」
アメリアはもう一度さっとレポートに目を通してから言った。
「どれどれ」
ラージヒルはようやくやる気を出したらしく、手を差し伸べてレポートを渡すように促した。
アメリアはラージヒルにレポートを渡す。
「ああ。しかもどのページもストルーヴ公爵の教育論について書かれていたんだ。それもそのレポートの重要な部分を占める箇所だ。いつの間にか抜き取られていて、誰がやったのかわからないんだ」
「どういうことが書かれていたのですか?」
「優れた平民は、貴族と同様に扱い、憲兵や軍隊以外の官吏に就く機会を与え、門戸を広げるべきとの主張だ。俺も貴族の生まれだが、ぼんくらな貴族よりも頭のいい平民を登用するってことには賛成だ」
「耳の痛い話ですね」
家格を鼻にかけた貴族を何人も見てきた。
彼らは貴族の特権に甘え、王国の要職に就いたり、各領地を管理する立場に就けるのだ。
そのような人間が支配する世の中はいずれ腐敗するかもしれない、とアメリアは思ったことがある。
平民が官吏になれるのは憲兵か軍人ぐらいだが、出世の機会もあまりなく、下っ端で終わる者が多数である。数が足りない事情もあって平民の採用を始めた経緯があるらしかった。
「で、俺たちになにをさせる気ですか? 話がさっぱり見えてこんのですが」
ラージヒルはレポート越しにディックに目を遣る。
ディックは気まずそうな顔色を浮かべ、心持ち目線を下げた。
ここまで話してものの、本題に移して良いか逡巡しているようだった。
「今度の会議で平民教育の改革について議論するんだが、それにはこのレポートとストルーヴ公爵の本が必要なんだ。もう少し考えを煮詰めたくてな。俺はストルーヴ公爵の提唱した論をもとに改革案を出す予定だったんだが……」
ここでいったん口を噤む。
「文教省に保管してあった本が焼かれたんだ」
「なんですって? そんなことが」
「ああ、本は魔法で封印の施された書棚に保管されていたんだ。それを解除したあと、わざわざそれ一冊だけを取り出して焼いたんだ。一歩間違えれば大火事になるところだった。おかげで書庫係は処分されたよ」
「うーん、そうですなぁ」
ラージヒルは宙に目を遣り、顎を撫でた。
口元がほころびどこか面白がっている様子である。
「とりあえず、話を伺いましょうか」
ラージヒルはディックに顔を向けて言った。
「課長、これは私たちの管轄外では? 担当の部署を紹介してさし上げないと」
「それを知ってディックさんは、俺たちのところへ話を持って来たんだとしたら、どうだ?」
「え?」
アメリアはディックに顔を向ける。
「十中八九、内部の人間の仕業だ。文教省の官吏が放火未遂だなんて、世間の物笑いの種にしかならない。官吏は面子をつぶされるのを最も嫌うし、なるべく騒ぎにならないように被疑者を捕まえるとなると、隠密裏に動くしかない。それに憲兵庁にもストルーヴ公爵の思想を嫌う人が多いと聞いたんだ。正式に依頼するともみ消されかねないと、ミレイユさんから言われたよ」
「おばちゃんめ」
ラージヒルはぼそっと呟いた。
おばちゃんというのはラージヒルの上役、ミレイユ・デルベーネ警務局長のことである。
ディックは最初にミレイユに相談したらしい。
それでラージヒルなら、なるべく望みどおりに動いてくれるとミレイユは考えたらしかった。
「シズマなら暇だから貸し出してやると仰っていた。約束はできないが、事件解決のためにこき使っていいとも言っていた」
「上役が許可したんじゃ、動かないわけにはいきませんわな。じゃあ、まずは犯行現場を見せてもらって」
「いや、それはまずい。うちの連中、このことを秘密にしたいんだ。憲兵とはいえ省内に入る許可はまず、出ないだろう」
「では、どうすればよいのですか? 現場を見ないと捜査を進められませんし、文教省の方々にもお話を訊かないことにはどうしようもありません」
アメリアは当然の疑問を口にした。
「手がかりはある。実は、ストルーヴ公爵の孫、エルンスト様が文教省に籍を置かれている。ただ最近体調を崩して休職してしまってな。今回の改革案も本来はエルンスト様が担当される予定だったんだ」
「ディックさんと同じ派閥?」
ラージヒルは上目遣いで言った。ディックの顔色を探るような顔つきだった。
「そうだ」
どこか気まずそうに答えるディック。
「わかりました。ひとまずこれは捜査の役に立ちそうもないので、お返しします」
ラージヒルはレポートをテーブルに置いた。
「ディックさんは、このレポートを抜き取った奴と、本を焼いた奴に何らかの関りがあると見ているんでしょ?」
「ああ、たぶん改革案を阻止したい連中がやったことだと思う」
「でしょうな」
ラージヒルとディックの視線が合わさる。
お互いに何かを考えているようだが、アメリアには想像がつかなかった。
「じゃあ、今日はもう遅いんで、明日から動くことにしますか。あまり遅い時間にエルンスト様を訪ねても迷惑でしょうから」
「頼む。それと、エルンスト様には、俺からお前たちに協力を依頼したことは伏せておいてくれ」
「なぜですか?」
と、アメリアが訊いても、
「あまり、心配をかけさせたくないからな」
としかディックは言わず、視線を下げた。
話の接ぎ穂を失ったまま、ディックは立ち上がって別れの挨拶をして、詰所を出て行った。
「面倒なことになりそうだなあ。まったく変な仕事を抱えちゃったよ」
ディックを見送ったあと、ラージヒルは自分の席に腰を下ろして愚痴をこぼした。
だが、その表情には面倒くさそうな感じが窺えない。
むしろ退屈しのぎになりそうだと喜んでいる節さえあった。
「しかし、エルンスト様はお会いになるでしょうか? ご病気なら面会を断られるかもしれませんよ」
「その点は大丈夫じゃないの。じゃなかったら、ディックさんが止めているはずさ。でもなあ」
と、ラージヒルは頬杖をついて、視線を下に向けた。
「あの人、昔から突っ走るところがあるからなあ。何もなければいいけど」
不安な気持ちを吐露するかのように呟いた。




