掌編 ラージヒルとミレイユ
訓練場の砂を、風が巻きあげる。
王都イクリスに鐘の音が響き渡ったとき、傾いた日の光が色味を帯びて訓練場に射してくる。
ミレイユとラージヒルの試合を見届けようと多くの憲兵が見物に来ていた。
かつて憲兵小町と謳われた局長と憲兵庁屈指の剣客が試合をするらしいと聞きつけたらしかった。
均された砂の上でミレイユが準備運動がてらに剣を振っている。
女性とは思えないほど鋭い剣筋である。多くの憲兵が見惚れていた。
年増ならではの美しさを、ミレイユは備えている。
すらりとした体格で華麗に剣を扱うのも相まって魅力的に映るようだった。
だが、アメリアには心配がよぎる。
たしかにミレイユの剣技は素晴らしいが、ラージヒルの技量は彼女のはるか上を行く。
数々の事件に関わる中で見せたラージヒルの剣技は、神技と言っていいほどだった。
少なくとも、アメリアの目には彼の剣筋が映らなかったのだ。
剣を振っているミレイユを見る限り、ラージヒルの圧勝と予想するしかない。
「無茶しなきゃいいけど」
もしミレイユが怪我をするような一方的な試合になるようだったら、魔法を撃ってでも止めようと思った。
「警部補ぉ―」
甘ったるい声が聞こえた。
気づくと隣に警邏課のリジー・ローチェ巡査がいた。
「リジー、来てたの」
「ええ」
お互いに言葉を交わす。リジーの方が年上だが、階級はアメリアの方が上である。
リジーは瞳がくりくりとしていて、童顔である。
アメリアよりも背は高いが、憲兵とは思えないほど幼く見える顔である。
「すごい人ね」
アメリアは周りを見て言った。
『ハーミット』でした約束はミレイユとラージヒル、それにアメリアしか知らないはずだった。
「そうですね。ラージヒル警視が言いふらしたみたいですから」
「え?」
「知らなかったんですか? 今日デルベーネ局長と試合するから見に来てくれっていろんな人に声をかけたらしいですよ」
「あの男」
そうまでして恨みを晴らしたいの、と呆れる思いだった。
「魂胆が読めたわ。あいつ、デルベーネ局長に恥をかかせたいのよ」
もはや敬称を使う気はなかった。
「どういうことですか?」
アメリアは二人の因縁をリジーに話した。
「あはは、なんていえばいいんですかね」
リジーは反応に困って苦笑いするだけだった。
後ろから、警視二倍、局長五倍という声が聞こえた。
即席賭け屋をしている憲兵がいるらしかった。
すぐに博打を止めるよう怒声が飛んでくる。
「困ったものね」
アメリアは苦笑いを交えて言った。
「お、来たぞ」
誰かが言った。
人をかき分けるようにして、腰に木剣を佩いたラージヒルが現れた。
口元をきっと結び、歩き方に澱みがなく、一流の剣客らしき雰囲気を纏っている。
「すごいですね」
リジーもただならぬ気配を感じたようだ。
ミレイユとラージヒルの間に、風が巻き起こる。
巻かれた砂が二人の視界を遮ったかと思うと、すぐに風がやむ。
二人は瞬きせず互いを見据えている。
「シズマ、覚悟は良いわね。今日こそその腐った性根、叩き直してあげるわ」
「お言葉ですが、簡単にやられるわけには参りませんな。それに腰を痛めても責任は持ちませんよ」
先ほどと違い、ラージヒルに笑みが浮かぶ。
かなりの余裕が窺えた。
「ほう」
ミレイユの口角がひきつる。
「ああ、課長のペースだわ」
二人のやり取りを見て、アメリアは肩の力が抜ける。
審判役のシッドが二人の間に立つ。
「三本勝負でいいですね?」
「いや、一本勝負よ」
ミレイユが提案する。
「まあ、体力の問題もありますからな」
「お前は黙っていろ」
シッドが睨みを利かせて注意した。
コホンと咳払いをして、態度を改める。
「わかりました。では、一本勝負を行います」
シッドがそう言うと、ミレイユとラージヒルは距離を取って剣を構えた。
二人とも青眼である。ミレイユはゆっくり目を瞑ると、大きく息を吐いた。
目が開くと、刺すような視線をラージヒルに向ける。
一方のラージヒルは、表情を消して感情を読めなくしている。
真顔とも無愛想ともとれるその表情は、いつも減らず口を叩く人間と同じ人物とは思えなかった。
「いよいよですね」
リジーは興奮が抑えられない感じで言った。
周りの観客もリジーと同じ気持ちらしく、さっきまでのざわめきが嘘のように静まり返った。
笛のように鳴る風の音だけが耳に届く、
審判役のシッドが右腕を上げた。
いよいよだ、という気持ちが訓練場全体に伝わる。
「始め!」
シッドが右手を振り下ろすと同時に、ミレイユが仕掛けた。
前に進み出ながら下段に剣を構え、左脇腹めがけて斬り上げる。
その動きに合わせてラージヒルが受け止め、木剣を滑らせながらミレイユに接近する。
お互いの腕がぶつかると、ラージヒルは身体に力を入れミレイユを押しのける。
膂力に劣るミレイユは体勢を崩しながら後ろに下がってしまった。
無防備な姿をさらしたミレイユにラージヒルが迫る。
木剣を振りかぶり、上段からミレイユの顔めがけて振り下ろした。
ミレイユは何とか間に合い、受け止めた。
だが、ラージヒルは何度も上段からの攻撃を繰り返した。
木剣をたたき折らんばかりの連撃である。
その隙を衝くかのように、ミレイユはラージヒルの懐に飛び込みながら、胸元へ突きを繰り出す。
ラージヒルがミレイユの木剣を撃ち、体勢を崩させてから下段に木剣を降ろし、ミレイユの腹を斬り上げようとした。
だが、またミレイユが反応し、受け止める。
「あれ?」
二人の試合を見て、アメリアは不思議だと思った。
「どうしたんですか?」
リジーが訊く。
「いや、課長の調子が悪いのかなって。いつもならもっと剣捌きが鋭いはずなのに」
話している間にも試合は続いている。
アメリアが目を離した隙に、ミレイユはラージヒルとの距離を取っていた。
額や首筋に汗が流れ、肩から息をしている。
試合の緊張感もあって体力を激しく消耗しているようだった。
一方、ラージヒルは息一つ乱していない。青眼に構えた剣は一切動かず、隙がない。
誰が見てもラージヒルが優勢だった。
「あ」
と、まさかと思うことがアメリアの頭に浮かんだ。
この試合、ラージヒルはわざと長引かせているのではないか。
ミレイユの無様な姿を他の憲兵の目に晒すのが目的だと。
実際、アメリアが見た限りだと、ラージヒルが一本取れるチャンスはいくらでもあった。
ところが、わざと緩い攻撃を繰り返し、ミレイユに受け止めさせ、体力を消耗させている。
実力差は歴然だった。
その証拠にミレイユの体力は限界である。
ミレイユは額に流れた汗を袖で拭った。
ラージヒルは紳士然としてミレイユの体勢が整うのを待っている。
「くっ」
ミレイユは悔しげな声を上げた。
周りの憲兵から侮蔑や憐憫の声が出て来る。
無理もなかった、ミレイユの顔には絶望の色が広がっている気がする。
鋭い視線を相手に送っても、それが意識的に作られた目つきだと感じられるのだ。
すると、ラージヒルが踏み込んで、上段に振りかぶった。
ミレイユは地を噛むように足に力を入れた。
下段からの斬り上げが、ラージヒルの左脇腹を撃った。
「え」
呆気ない幕切れにアメリアは自分の目を疑った。
周りの憲兵たちも同じ気持ちのようで、訓練場にどよめきが走る。
意外だと思ったのは、ミレイユも同じらしく、信じられないと言いたげに目を見開いている。
「そ、それまで」
シッドが試合を止めた。どこか恨めしげにラージヒルを見ている。
「いやあ、参りました。さすがデルベーネ局長、ここ一番で『虚脱の極意』を繰り出すとは」
ラージヒルは左脇腹を押さえながら言った。
「なんだって」
誰かが言った。
「体力を消耗させることで、雑念を振り払い、迷いを断ち切る極意です。体力のあるうちは、どうしてもいろんな思考が無意識の内に身体中を巡るわけです。そこで体力をあえてそぎ落とし、迷いのない必殺の一撃を繰り出すことができる精神状態にする。それが『虚脱の極意』という技の肝心なところです。剣客の真骨頂ともいえる技ですな。私もすっかり忘れていましたよ」
「そうだったんだ」
「デルベーネ局長、すげえな」
「ほんと、警視が優勢だと思ったら、あえてそう仕向けたのね」
ラージヒルの解説に観衆から感心する声が次々と上がる。
「警部補、デルベーネ局長すごいですね。女性憲兵の鑑よ」
リジーも興奮を抑えられないようだ。
「たぶんないわ、そんな極意」
おそらくこの中でラージヒルの腹が読めているのは、部下のアメリア、審判役のシッド、そして対戦したミレイユだけだろう。
「わざと負けたわね」
アメリアが呆れて言う。
ミレイユは体力を使い切ったようで、木剣の先を地面に突き、片膝をついて喘いでいる。
ラージヒルが近くに寄って耳元で何かを囁く。
すると、ミレイユの顔に憎々しげな色が浮かんだ。
ラージヒルはミレイユから離れて、観衆に向き直った。
「今日のところはこれで終わりです。また機会がありましたら、どうぞご覧ください。では」
と言って、ラージヒルは去って行った。
「大丈夫ですか? 局長」
アメリアがミレイユに駆け寄って、傍にしゃがんだ。
「シ、シズマ」
息を切らしながら恨めしげに言う。
「局長、ラージヒル警視はなにを言ったのですか?」
シッドも身体を寄せてミレイユを気遣う。
「これは貸しですって言ったわ」
「貸し、ですか?」
アメリアが訊いた。
「多分、こういうことだろう」
シッドが顔を歪めて代弁する。
「局長の面子を守りながら、プライドをへし折るのが奴の目的だったんだ」
ラージヒルは、昔から心底に根を張っていた屈辱を晴らすにはどうしたらいいのかを考えたのだろう。
ただ勝つだけではつまらない。
剣客として峠を越えたミレイユに勝っても当たり前だという空気が周りにある。
そこで、試合の序盤は実力差を見せつけることに徹底したのだ。
アメリアが見たとおり、何度も一本取る機会がありながらあえて見逃していた。
ミレイユが無様に疲れる様を周りに見せるように仕向ける。
それは一種の辱めなのかもしれなかった。
そしてミレイユはかつての弟弟子に勝てないと絶望を感じた。
「おかげでこのざまよ。勝ちを譲って局長としての面子を守ってやる代わりに、貸しを作ったのよ」
ミレイユの息が整いつつあった。
彼女はこの試合に勝ったとは一毫も思っていない。
少なくともプライドをへし折る目的は達成されたらしかった。
「貸しって、課長はなにをする気なのでしょうか?」
アメリアは嫌な予感がした。
あの男の考えることだ。ロクなことじゃない。
「さあな、その時が来るまではわからんな」
シッドは悩ましげな表情になって言った。
試合が終わり憲兵たちは三々五々散っていく。
訓練場にカラスの鳴き声が谺した。




