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栄光の果て 9

 夕暮れどきの古本屋で一人の学生が本を探している。

 彼女はレポートを書くための資料を探しているようだった。

 ぎっしり並べられた本を出し入れしている。

 始めのページを繰って内容を確認しては元の場所に戻している。


 古本屋の中はすっかり暗くなっていた。

 中から見える外の景色が色付いて明るいのに、ここだけが夜になるのが早い感じがする。

 積まれた本の表紙が見えにくくなり、学生は本に顔を近づけてタイトルを確認している。


「なにか、お探しかね?」


 照明を点けてから店員が声をかけた。


「魔法犯罪の刑罰ついて調べているのですが、参考になる資料が見つからないんです」


 小さな瞳で店員を見る。目を細めていて、少し目が悪いようだった。


「学校の図書館にはないのかい?」

「主流の分野ではないので、数が少ないんです。それにどれも似たような論説なので参考にならなくて」

「ほう。ちなみにどんな内容のレポートを書くのかな?」

「魔力によって刑罰に差をつけるのは妥当か、というテーマです」

「ふむ。たしか今の法律では本人の遣った魔力に応じて罰が加算されるはずだったな。簡単に言えば、強大な魔力を遣って犯行を行うと、同じ犯罪でも罰が重くなる。そんな内容だったな。魔力を持つ者はそれ相応の責任がある、という概念が根底にあるからな」

「そうです。おじさん、詳しいですね」

「なに、むかしほんのちょっとかじった程度さ。そうだな、それなら」


 店員はカウンターの奥から踏み台を持って来た。

 隅の本棚の上に積まれている本を指で示しながら、彼女の目的に合った本を探す。

 それらしいタイトルが目に入ると、それを取り出して、目次のページを開いた。

 左のページの下の方に「個人の魔力による量刑」という項目があった。


「これならどうだ。九十八ページにありそうだ」


 本を差し出すと、彼女は受け取って言われたページを開いて読んだ。

 少しの間本に目を通すと、彼女の顔に喜色が浮かんだ。


「これです。これならいいレポートが書けそうです」

「そうか。それは良かった」


 店員も嬉しくなる。こういうとき、この店の価値を実感できるのだ。


「おいくらですか?」

「裏に書いていなかったかな。ええと」


 いったん本を返してもらい、裏を確認する。


 値札が貼っておらず、値段がわからない。


「ジェイン。この本はいくらだったかな」


 入口近くで蹲って作業をしているジェインに声をかける。

 はーいと返事をして寄ってきた。

 本を受け取ると値段の確認をする。


「ええと、新刊だと五十オーロだから……状態を考えると……十五オーロですね」


 ジェインは本をあちこち観察してから言った。


 学生は財布から紙幣を二枚を出した。

 本を受け取ると、彼女は二人に一礼して店を後にした。


「ありがとう。私ではわからなかったよ」

「無理もないです。おじいちゃん、本が傷むのを嫌がって値札を張りませんでしたから。」


 そう言えばそうだったな、と思い出した。

 親爺は本を愛していたが、経営の仕方はずぼらな印象があった。

 若いころ、この店で本を買うたびにいちいち値段を訊いたものだった。


「私もまだまだだな」

「でも、助かります。ウジーヌさんに知識がなかったら、あのお客さんの探していた本を見つけられませんでしたから」

「いや、法律には多少詳しいが他の分野は全然だめだ。もう一度、学びなおす必要がありそうだ」


 自嘲めいた言葉を言いつつも、ウジーヌは楽しかった。


 ルーインたちを逮捕したあと、ウジーヌは責任を取って辞職した。

 秘書の不正を見抜けなかっただけではなく、過去の所業に対する罪を償いたいと申し出たのだ。

 止める者はいなかった。

 だが、辞職する条件として過去の不正を他に漏らさないことを約束された。

 現在、憲兵庁の上層部にいる連中も多かれ少なかれ疚しいことをした経験がある。

 万が一ウジーヌの不正が世間に露見し、上層部に飛び火するようなことがあれば、長官をはじめとする幹部たちの責任を追及されかねない。

 仮に規定には抵触しなかったとしても、世間には通用しないのだ。

 ただでさえ官吏の汚職の噂が世間に広まっている中に、燃料をくべるのは避けたい意向がある。


 辞職したその足で、古本屋で働きたいとジェインに申し出た。

 高い給金は払えないといったんは断られた。

 仮にも憲兵庁の次長を務めた人に安い給金で働いてもらうのは気が引けたようだ。


 そこで、ウジーヌは妻にも先立たれ、子どもたちも自立したから給金の額は問わないと言って、説得したのだ。

 店を救ってもらった恩もあってか、ジェインは心変わりし、ウジーヌを雇ってくれた。


 古本屋の仕事は思いのほか忙しかった。

 カウンターで店番をしていればよいというわけでもなく、店の掃除、本の整頓、売買の値段の付け方など、覚えることが多い。

 本の知識だけあればいいという単純な物ではなかった。


 特に苦労したのは、接客である。

 公権力を背景に仕事をしている憲兵とは違い一介の古本屋には後ろ盾がない。

 憲兵時代の話し方をすると客に不快感を与えてしまうことが多く、柔らかく話して、とジェインに注意されたことが何度かあった。


 古本屋で働いてからまだ一月、学ぶことは大いにある。


「あれ、またお客さん」 


 入口に人影がある。日の光を背にしているので、顔が陰って見える。


「いらっしゃいませ」


 ウジーヌは言った。


「やあどうも」


 その声には聞き覚えがあった。シズマ・ラージヒル警視である。


「古本屋で働いているとは聞いていましたが、またどういう風の吹き回しですか?」


 遠慮のない口調である。

 辞めたとはいえ、次長だった男に対する口の利き方ではない。ただ、不快感はなかった。

 次長という肩書を捨てて身軽になったせいかもしれない。


「知り合いですか?」


 ジェインが訊く。


「そうか、ジェインは知らなかったか。この人はシズマ・ラージヒル警視、この間来たティレット警部補の上役だ」

「まあ、初めまして」

「シズマ・ラージヒルです。ジェインさんですね。部下からお話は聞いています」


 精悍な顔つきなのにとぼけた印象がある。


 ――なにをしにきた。


 と思った。まさか本を買うために来たわけではないだろう。


「ああ、そうそう。今日はですね。元次長にお話があって参りました」

「ほう。今さら私に何の用だ? 昔のことを糾弾しても意味がないぞ」

「いやなに。大したことではありません。少なくとも次長を逮捕するとかという話ではないのです」


 と、ここでラージヒルはジェインに目を遣った。


「あ、私お茶でもお持ちしますね」


 自分がいては話しにくいと察してくれたようだ。

 ジェインはカウンターの奥に引っ込んだ。


「実はですね。マルガレッタ・バトリたちが賄賂をどこの隠したのかわからないんですな。捜査によると、相当な金額らしいのですがね」

「マルガレッタに訊けばよいではないか」

「それが、吐かないんですよ。どうも刑期を終えてからのことを考えているようでして、隠し金を元に生計を立てる気なのではと思ったものですから。元次長ならその在処に心当たりがあるのではないかと」


 ラージヒルは確信めいた口調で訊いた。


 その言葉を聞いたとき、あることを思い出した。

 次長の座についてから虚無に苛まれ、すっかり忘れていたのだ。


 ウジーヌはルーインの賄賂を貰い続けていたとき、一度だけ疑われて、賄賂を隠したのだ。

 その場所はルーインにも話していなかった。


 ――今さら……。


 隠してもしょうがない、と思った。

 ラージヒルは逮捕する気はないと言ったが、気が変わっても抵抗する気はなかった。


「心当たりはある」


 と、ウジーヌは言った。


「船着き場だ。昔からの手口でな。憲兵だけじゃなく官吏や商人が良くやる手だ。知られたくない金を隠すには大抵そこに隠す。防水魔法を施した袋に賄賂を入れ、杭に結んでなるべく深い川に沈めるんだ」

「しかし、隠すには不向きではないですか? 防水魔法の利き目はいつか切れますし、万が一破けでもしたら、使い物になりませんよ」

「そう。だから沈めるのは紙幣じゃない。金塊だ。価値がある上に錆びにくいからな。丈夫な袋に重しを入れて沈めれば、水害があっても流される心配はほとんどない。あとは頃合いを見計らって引き揚げればいい」

「なるほど。ではイクリス中の船着き場を探せば憲兵庁のみならず、他の省庁や豪商の裏金も摘発できる可能性があるわけですな」

「そうだ」


 辞職の時の約束を破ることになりはしないかと一瞬考えた。

 だが、誰の金塊かまではわからないだろう。

 相当執念深く捜査をしない限り、逮捕にまでは至らないはずだ。


「わかりました。ではイクリス中の船着き場を攫ってみますか」


 ありがとうございました、と礼を言ってラージヒルは去ろうとした。

 が、入口まで行ったとき、不意に振り向いた。


「そうそう。忘れるところでした。もう一つ重大なお願いがあってきたのですが」

「なに?」


 にわかに不安が膨れ上がった。

 ラージヒルのなにか企んだような笑みを見ると、油断できない気持ちが湧いてくる。


「デルベーネ局長にお願いしましてね。あなたの逮捕を見送ってほしいと嘆願したんです」

「なんだと」


 ウジーヌは胸を衝かれた。情けをかけてもらう義理などないはずだった。


「調べてみたところ、あなたも相当悪辣な手を使ってこらえたようですな。賄賂はもちろん、同僚を退職に追い込んだり、上役を脅迫して便宜を図ってもらったり、当時の人事課に鼻薬を嗅がせたり、と。当時の規定にも抵触しますし、それ以前にこの国の法に触れかねない。下手したら手錠をかけなければなりません」

「私を逮捕したければ、するといい。逃げも隠れもせんぞ」

「いやいや、うちの課は新設して間もないものですから、情報が少ないんですよ。不正に詳しい相談役が欲しいと思っていましてね」

「……」

「そこで、ウジーヌ・ラストさん、あなたに査察課の相談役になっていただきたいんですよ。色々な手口を知っているみたいですからね」

「復職しろというのか?」

「いえ、そうではありません。今のようにこの店で働いていただいてもかまいません。ただこちらが困ったときに、相談に乗っていただけると助かるというお話です」

「ようは民間の協力者か」


 ウジーヌは考えた。果たしてこの話に乗ってもいいのだろうか。

 問題は金ではない。責任を取って辞職した人間が関わるべきではない気がする。


「やってみたらいいじゃない。ウジーヌさん」


 カウンターの奥からジェインの声が聞こえた。


「聞いていたのか」

「最後の方だけね。ねえ、ウジーヌさん、昔のことを後悔しているなら、なおさらやるべきなんじゃないかな?」

「うーむ。しかしこの店に迷惑が」

「なに言ってるのよ。今まで私一人でやってきたんだし、少しくらい手伝っても大丈夫よ。それに憲兵さんに立ち寄ってもらえるなんて、いい話じゃない」

「そうか」


 引き受ける方に気持ちが傾いた。

 ラージヒル警視とティレット警部補に時おり寄ってもらうだけでも、古本屋のみならず、この近辺の治安を維持できるかもしれない。


「わかった。引き受けよう。どこまでできるかわからないがな」

「ご協力感謝します」


 ラージヒルは微笑みを浮かべて敬礼をする。

 だが、その顔には腹に一物を抱えている感じがある。


 ――この男……。


 俺を逃す気はない、と思った。

 ルーインたちの逮捕に手を貸したからと言って、過去は消えない。

 かつての所業を悔いているのは事実だが、だからといって許されていいことではなかった。

 少しでも過去を清算したいなら、それに見合った働きをしろと暗に告げられている気がする。

 ラージヒルはウジーヌが責任を取って辞職するだけでは(あきた)りないのだろう。


 ――安穏と隠居生活を送れると思うな。


 心の奥底から、そう囁く声が耳を打った気がした。


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