栄光の果て 7
初めて話を持ちかけられたのは、ウジーヌが備品課の課長を務めていたときのことだった。
清廉な志を持って憲兵になったのだが、仕事ぶりが思うように評価されず、備品課に配属された。
得意の剣術や体術を生かして凶悪犯を逮捕したり、陣頭指揮を執って重大事件を解決に導いたのも一度や二度ではない。実績では誰よりも劣らないはずだった。
後に気づいたのだが、ウジーヌより早く出世した者のほとんどが、人事課に金品を贈呈し便宜を図ってもらっていたのだ。
そのこともあって当時のウジーヌは腐っていた。
備品課からではもう出世は望めないと失望していたときに、憲兵庁が所有する馬車や船を払い下げ、新しく購入する計画が持ち上がった。
担当は備品課で、最終決定は交通局長が下す。
当然商人を介して行われるのだが、目ぼしい者はおらず、計画は難航した。
そんなある日、ウジーヌは一人で酒を飲んでいた。
備品課に配属されてから、仕事終わりに一杯ひっかけて帰宅するのが習慣になっていた。
いつの間にか目をつけられたのだろう。
備品課の憲兵だと知っていたルーインは当時、仲買人をしていて、馬車も扱うことがあったという。
彼が一人で飲んでいるウジーヌに声をかけてきたのだ。
ルーインは口八丁手八丁で、ウジーヌを丸め込んだ。
彼から馬車や船を購入すれば、見返りを渡すと言ってきたのだ。
最初は断る気だったが、賄賂を渡して出世した同僚たちのことが頭に浮かんだ。
そしてルーインは、とあるホテルの特別室へウジーヌを招待した。
ルーインが懇意にしているホテルで、従業員の口は堅く秘密が漏れる心配はないとのことだった。
そこで不正の手段を相談したのだ。
まず、手付金を渡され、それを賄賂として交通局長に贈る。
当時の交通局長はこの手の誘惑に弱いのも幸いした。
最終責任者である交通局長の鶴の一声で馬車と船の一式をルーインが一手に引き受けることになった。
巨額の利益を得たルーインは感謝のしるしとして多額の報酬をウジーヌに渡した。
彼は商売を替えてカジノ経営に乗り出し、成功を収めると、いかがわしい店も経営するようになり、さらに多くの金を手にした。
ウジーヌは賄賂の味を知ってしまった。
金を使えばこんな簡単に事が運ぶと思い込んだ。
そして出世コースに返り咲くために次の手を打った。
当時の人事課が腐敗していると見て、ウジーヌは人事課長に金を送ったり、饗応に招いたりした。
その甲斐もあってウジーヌは備品課から、エリートの集まる刑事二課に異動できた。
当時でもウジーヌが良からぬことをしたという噂があった。通常ならありえない人事だったのである。
「当時、憲兵の腐敗は目に余るものでな。私も良くない流れに乗ってしまったものだ」
掻い摘んだ話ではあるが、おおよそのことはつかめた。
次長になるまでの間、ルーインに便宜を図る代わりに賄賂を懐に入れ、その金を当時の幹部に貢いで出世したのだ。
「今でも不正は無くなっておらんのも、そのときの因習が根強く残っているのかもしれんな。権力に胡坐をかいた、私たちのせいだ」
ウジーヌはため息を吐いた。
「ですが、なぜ今になってこのような話を聞かせていただけるのでしょうか?」
アメリアは当然の疑問をぶつけた。自らの不正を告白する理由がないと感じた。
「いざ権力の座に座ってみると、案外大したことないと気づいたせいかもしれんな」
ウジーヌは目を瞑って顎を上げた。
「ひょっとして、おじいちゃんのことと関係しているのですか?」
ジェインが訊く。
「おじいちゃん?」
と、アメリアが訊く。
「ウジーヌさん、おじいちゃんにお世話になったって言うんです。不義理をした償いをするためなんじゃないかと思ったのですが」
「それは飛躍しすぎだよ、ジェイン。たしかに親爺に恩は返したい思いはある。ただ少しだけ昔を思い出した。憲兵生活の最後ぐらい、まともなことをしたいと思っただけだ」
ウジーヌは目線を宙に向けて遠くを見つめている。
アメリアにはウジーヌの想いが理解できなかった。
不正に手を染めて成り上がった人物がこうまで心変わりをするものだろうか。
その疑問を素直にぶつけてみよう、と思った。
「次長、失礼ですが、私には理解できません。あなたのような方が心変わりするのには詳しい理由があるはずです。それをお聞かせ願いますか」
「ほう。言うじゃないか」
ウジーヌはアメリアを見据えて言った。
言葉には棘があるが、どこか面白がっている雰囲気がある。
「あ、いえ。少し気になったものですから」
「気にするな。怒っているわけじゃない。そうだな、真っ当に出世したのなら虚しい思いはしなくてよかったのかもしれんな。汚い手で出世をしても結局何も残らない。そんなところだな」
「はあ」
まだ納得がいかなかった。あまりにも曖昧なのでつかみどころがないのだ。
「ティレット警部補はまだ若い。私と同じぐらいになれば少しは理解できるかもしれん。さて、本題に入ろうか」
煙を巻くように話題を変えた。
ウジーヌの心中を察することはできなかったが、当面の事件の方が大事だと頭を切り替えた。
「この通りにある店のいくつかはルーインが所有していると見て間違いない」
「ええ、課長も言っていました。ルーインはこの辺りの店を買い取り、低俗な店に置き換える気だと」
アメリアは自分の知った事実を話す気になった。
理由はどうあれ、ウジーヌがルーインと敵対することには変わりない。
味方に引き入れるのが得策だと考えた。
あとから受けるラージヒルの憎まれ口ぐらい我慢しようと思った。
「ほう。そこまで調べがついているか」
「ええ。あと、次長はご存じかわかりませんが、バトリ秘書が次長の名義で様々な便宜を図っている疑惑があります。ルーインは次長が不正に乗ってこないのをいいことに、何人かの憲兵を抱き込み、バトリ秘書が次長命令だと称して彼らに手心を加えたのだと思われます」
「なんだと」
ウジーヌに顔に驚愕の色が広がった。本当に何も知らなかったらしい。
「以前、次長はルーインの手下を捕まえたことがありましたが、そのときバトリ秘書がいたのは偶然ではありません。彼女は悪漢と手を組んでこの古本屋を襲わせたのです。息のかかっていない憲兵に逮捕されないように見守っていたのかもしれません。そして、形勢が不利だと判断し、いったん作戦を立て直すために逮捕するふりをして彼らを連行し、取り調べをすることなく解き放ったのです」
「そうか」
ウジーヌは両手を木剣に乗せたまま顔を俯けた。
「ちなみに私も襲われました。逮捕から逃れた連中でしたが、彼らは背後に誰かがいることを匂わせました。そして、今日ルーインこそが黒幕だと推察したのです」
「奴も年を取ったな。こんなあからさまなやり方をする奴じゃなかった。私の前に姿を現して脅しをかけるなんて下手な真似をするとはな。老い先短くなって欲をかいたか」
ウジーヌはアメリアを見据えた。
その顔には形容しがたい感情が含まれている気がした。
「あの、いいですか?」
ジェインは少し手を上げて言った。
「じゃあ、ルーインって人たちを捕まえないと、悪い人たちがずっと来るってことですよね」
「ええ。逆に言えば、ルーインさえ逮捕すればこの事件は終わります。でも、彼を逮捕できる確たる証拠がありません。今の段階ではバトリ秘書が悪漢と手を組んでいる証拠しかなく、黒幕のルーインまでたどり着けないんです」
アメリアは答えられる範囲で言った。
「ティレット警部補。その証拠とはなんだ?」
「あ、ええと」
民間人のジェインがいるので踏み込んだ話をするには躊躇われた。
「心配ない。ジェインはこの事件の当事者だ。聞く権利はある」
「は、はい」
本当に話して良いのかしら、と思ったが、次長の命令なので断れなかった。
「賄賂の隠し場所を探すか、ルーインと憲兵たちが話している現場を抑えるのが近道だと思いますが、今のところ手掛かりはありません。悪漢たちを尋問しても証言は得られませんでした」
「そうか」
ウジーヌは右手を木剣から離し、口元に添えた。
「ティレット警部補、いくつか心当たりがある」
「え?」
「私が昔、ルーインと密談を交わしたホテルがある。そこは口が堅く、客の情報を決して外に漏らさないことで知られていてな。一時期は談合するのによく使ったものだ」
「では、そこで秘書とルーインが談合していると」
「間違いない。だが、ルーインも警戒心が強くてな。私と談合したときは、手下を配備していた。今もそうならかなり骨が折れるぞ」
「でも、裏を返すと、そのときに見張りがいれば、ルーインが談合している現場を確実に抑えられるということですね」
「ああ。だができるのか? 店を荒らした奴らとは違い、かなりの手練れをそろえている。マルガレッタもかなりの魔法遣いだ。彼女の魔法に打ち勝つのは簡単なことじゃないぞ」
「大丈夫です。私一人で行くわけではありませんから」
「ならいい」
と言うと、ウジーヌは席を立った。
「ジェイン」
不意にウジーヌは何か吹っ切れたような顔になってジェインを見据えた。
「安心しなさい。この事件はもうすぐ終わる」
「本当ですか?」
「ああ、完全に元通りといかないが、君と親爺が愛したこの店は大丈夫だ」
ウジーヌが言い聞かせるように言うと、ジェインは立ち上がって頭を下げた。
「おねがいします」
ジェインの声には涙が混ざっていた。
悪感たちの嫌がらせに耐え続けた気持ちからにじみ出た歔欷の波が彼女の心根を浸し、表に出るのをこらえているように見えた。




