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新人 2

 

 配属と同時に、左遷を食らった気分になった。


 初めての仕事が、査察課の詰所の大掃除だったからである。

 長年空き部屋で備品が放置されたままにされていたらしく、机や椅子が雑然と置かれていた。

 窓から射す日の光で埃が細かく舞うのが見え、とても仕事をする環境になかった。


 新人のアメリア・ティレットは、ほうきで埃を掃いたあと、シミや汚れが落ちるまで雑巾で拭き掃除をした。力を込めて拭いてもなかなか汚れが落ちず、かなり時間がかかった。

 さらに詰所に置かれていた椅子の脚がすり減って座り心地が悪くなっていたため、詰所から遠く離れた備品庫から新しい椅子を二脚持ってきた。

 

 その間、査察課課長のシズマ・ラージヒル警視はどこからか小型の黒板や、剣を掛けるボードを持ってきたりしていた。

 そちらの方が楽そうなので、アメリアは時どき恨みがましくラージヒルを見てしまう。


 新人は雑用をこなさなければならないとは聞いていたが、これは違う気がした。

 少なくとも他の部署なら、配属初日に大掃除のようなことはしないはずである。

 

 アメリアは自分の能力を民のために奉仕できる日を心待ちにしていた。

 幼少のころから魔法の才能を認められた。優れた才能は正しく使われるべきだと教えられ、心に刻んだ。学業に励み、魔法の技量を向上させ、世の中の役に立ちたいと願ったのだ。

 やがて才媛の魔法遣いと讃えられるようになっても、驕ることなく振る舞ってきたつもりだ。

 家族の反対を押し切って憲兵になったのも、直に民と触れ合うことで、困った人たちの助けになりたかったからだ。

 

 幹部候補選抜の特級試験に合格し、研修中の成績はおおむね良好。

 訓戒処分になったことがあるとはいえ、男たちと引けを取らないと自負している。

 

 通常の新人と違う配属先になったのも、期待の表れだと教官は言ってくれた。

 査察課は警務局長肝いりの部署だと聞いて、自分の評価が極めて高いと感じ、アメリアは期待に応えるよう努力を怠らない決心をしたものだ。

 

 それなのに憲兵になって初めての仕事が、ボロボロの部屋の掃除だった。

 査察課は新設されたばかりで、これから人員を確保するらしいとは聞いたが、それは建前の理由で、ラージヒルが失態を犯して(てい)よく窓際部署に飛ばされたに違いないと思った。

 

 もし査察課がまともな部署なら、二人だけの部署ではないはずである。

 それも昇進したばかりの警視と、新人憲兵の二人。

 これで課としての役割が果たせるとはとても思えなかった。


 課長用の机を奥に配置し、残り四台の机を部屋の真ん中に配置した。

 左の壁際に低い棚を置き、その上の壁に予定を書く黒板をかける。

 反対側には扉のない木製のロッカーを置き、私物を置けるようにした。


 昼近くまでかかってようやく部屋の掃除、整理整頓が終わった。

 アメリアは、気の入らない仕事をやらされて肉体的にはもちろん、精神的にも余計な疲れを感じた気がした。


「おつかれさん。少し休憩しようか」

 

 とラージヒルは課長の席に座ったまま(ねぎら)いの言葉をかけ、アメリアを自分の席につくよう促す。


「はい」

 

 と素直に応じて、アメリアは椅子に腰かけた。

 

 そしてラージヒルの顔に目を向ける。

 背がアメリアの頭一つ以上高く、制服の上からでも身体が引き締まっているのがわかる。

 髪を後ろに撫でつけた髪型で、きりっとした顔つきになのに、どこかとぼけた印象がある不思議な風貌である。

 年齢は三十前後に見え、警視という階級と課長という役職をこなすには若すぎる気がした。


 そんなアメリアの視線を気にする素振りを見せずに、ラージヒルは背もたれに大きく寄りかかり、詰所の中を見渡した。

 とりあえずの出来栄えに、満足げな表情を浮かべた。


「あっ、お茶をお持ちしましょうか?」


 不意に思いついて言った。


「いや、いいよ。どうせすぐ飯の時間だし。それとうちの課では、お茶ぐらいは自分で淹れるようにしよう」


「そうですか」


 さんざん掃除でこき使っておきながら、自分のことは自分でするという感覚がいまいち理解できなかった。どうやらラージヒルは自分の中では明確なルールがあるのかもしれないと感じた。


 ――いったい……。


 どういう人なのかしら、とアメリアは彼を訝しむ気持ちになる。


「ん、どうした?」

 

 考え事を読んでいたかのように、ラージヒルは訊いてきた。


「あ、いえ、なんでも」


 アメリアは口ごもってしまう。

 さらにラージヒルはアメリアの顔を覗き込むように見つめてきた。


「なにか?」


「いやなに、噂通りだと思ってさ」


「はい?」


 いったい、何の噂だろうか。


「お偉いさんが言ってたんだよ。アメリア嬢は貴族社会の中でも評判の才媛で器量よしだけど、気が強くて見どころのあるって。まあ、もっとも、女だてらに憲兵を志したんだ。言い寄る男を魔法でもぶっ放して退散させるぐらいじゃないとつとまらんわな。でも、気が強いというよりはキレやすいというか。美人が台無しだ」


「課長」


 アメリアの胸に、不快感が芽生える。


「今の言葉、れっきとした侮辱ではありませんか」


「まさか。俺は褒めたつもりだよ。気が強くなきゃ、憲兵なんて務まらんからな。それに研修中、嫌がらせをしてくる男に魔法をぶっ放したのは事実だろ」


「キレやすいというのは褒め言葉と思えませんが。それに人の外見をどうこう言うのは、たとえ部下に対してでも失礼ではありませんか」


「おまえさんも杓子定規だね。褒め言葉は褒め言葉として素直に受け取ればいいじゃないか。それともなにか、いい身体してるなっていった方が嬉しかった?」


「怒りますよ」


 アメリアはきっと睨みつける。


「わるいわるい。つい思ったことを口にしてしまうもんでさ。今度から気をつけるよ」


 片手拝みをして謝ったが、悪びれている様子がない。

 その証拠に手の奥に見える顔には無理やり作った笑みが見える。


「さて、そろそろ昼飯だ。今なら食堂は空いているかな」


 とラージヒルは席を立ち、そそくさと査察課の詰所を出て行った。


 一人取り残されたアメリアは、呆然と見送ってしまった。


 ――なんなのよ、あの男。


 アメリアは自分の境遇を呪った。今日会ったばかりの人間にあんなことを言われるなんて……。


 と同時に、ラージヒルがこんな部署に飛ばされた理由がわかった気がした。

 遠慮なくずけずけとものを言う態度が反感を買い、追い払われたのだろう。


 査察課は人事課の負担を減らすために作られた経緯があるらしかったが、ラージヒルの存在を疎ましがった上層部が、適当な理由をつけて左遷部屋を作ったとしか思えなかった。


 そのようなことを考えていると、ラージヒルが戻ってきた。


「早く来たら? 今日ぐらいはおごってやるからさ」


 さっきアメリアが怒りを示したのを忘れたかのような口調だった。


「今、行きます」


 と言ってアメリアはラージヒルのあとについていく。

 

 ――辛抱しなきゃ。

 

 下積みは辛く長いもの、と胸の内で自分に言い聞かせた。


   ◇


 昼食を終えて査察課の詰所に戻ると、ラージヒルからこれからの仕事について説明を受けた。


 査察課の仕事は憲兵庁内部の不祥事を調査、取り締まりをする部署である。

 もし素行に問題のある憲兵がいたら調査の上、警務局長に報告するのが役目である。

 そのほかにも手が空いた場合、他の部署の手伝いをすることがあるという。

 

 そんな任務を、たった二人の部署でできるのかとアメリアは疑問に思う。

 なにしろ王都イクリスだけでも数えきれないほどの憲兵がいる。

 その調査となると査察課だけでは無理だろう。


 その疑問をラージヒルにぶつけてみた。


「別に俺たちが全部やるわけじゃないさ。人事課だけじゃ手に余る事案を扱うようなもんだ。ま、肩ひじ張らず、気楽にやればいい。まずは仕事に慣れることだな」


 と言った。


「ですが、私のような新人がする仕事なのでしょうか? 憲兵庁にもふさわしい方々がいると思います」


「こればかりは、どうしようもないわな。今、おまえさんがやることは与えられた仕事を一生懸命やるだけだよ」


 と、ラージヒルは事も無げに言うと、机に上に資料を置いた。


「んじゃ、初仕事と行くか。先日、タレコミがあってな。担当地区の薬屋から付届けを貰っているスレイ・ウェバー巡査部長の身辺調査だ」


 ラージヒルは手招きをしてアメリアを呼び寄せて、一枚の資料を渡す。


「今どき、付届けなんてするのですね。お芝居の中だけかと思っていました」


 アメリアは資料に目を通しながら言った。


「因習ってやつだよ。そう簡単になくなるもんじゃない。店の連中も憲兵によくしないと、万が一のときには守ってもらえないって思いこんでいるだろうし。そいつを利用して憲兵がそれとなく要求するんだよ」


「民に奉仕すべき憲兵がそんなことをするなんて」


 アメリアは資料を読み終えて、ラージヒルに目を向けた。


「憲兵だって人間の集まりさ。なにも善人ばかりじゃない。悪さをした仲間を叱るのが俺たちの役目ってわけ」

 

 子どもにものを教えるような言い方をするラージヒル。


「じゃ、行こうか」

 

 とラージヒルは言い、詰所を出て行く。

 

 アメリアも彼の後に続いた。

 

 ――それでも……。

 

 この役目って、新人の私がすることなのかしら、と改めて思う。

 右も左もわからないうちから同僚を取り締まっても説得力がない気がする。

 それに、ラージヒルはアメリアが査察課に配属になったことに対して何の疑問も持っていないように見えた。


 希望に満ちあふれた憲兵生活のはずが、にわかに見通しが暗くなったような気がした。

 

 ――やるしかないか。

 

 沈んだ気持ちを何とか奮い立たせて、アメリアは胸を張って歩く。

 暗い道を歩かなければいけないのなら、光を灯せばいい。

 そう思いながら、仕事にとりかかろうと決意した。


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