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栄光の果て 3

 久々の非番、ウジーヌは王都イクリスの街中を散策していた。

 家で過ごす気にもなれず、あてもなく彷徨っている感覚がある。

 季節はすっかり夏になり、昼間の厳しい日の光が容赦なく降り注ぐ。

 道を行き交う馬車の馬もこの暑さに参りかけていて、汗で光る馬体を動かして馬車を引いている。


 ウジーヌは公園の木陰にある椅子に腰を掛けて、人々が憩う風景を眺めた。

 かけっこをする子どもと遊んでいる父親、芝生の上で上半身裸になり日焼けを作っている若い男、お互いを見合わせながら楽し気にお喋りをする女たち。

 いろいろな人が公園を訪れていた。


 ――憲兵の仕事は……。


 こういう日常を守るべきだ、と青臭いことを考えていた。

 いつしか出世することしか頭になかった彼には、どこか新鮮な思想のように感じた。

 以前なら全く考えなかったことである。


 目の前を通り過ぎる老紳士が手に本を持っているのが目に入った。

 タイトルは良く見えなかったが、分厚く、なにかの専門書のようだった。

 装丁が古びており、かなり読み込んだ後が窺えたので、図書館で借りてきたものかもしれなかった。


 不意に十代のころを思い出した。

 あの頃は特級試験に受かるべく、寝食を忘れて勉学に励んだものだった。

 国を動かし、民のために奉仕する清廉な志があったことを思い出したのだ。

 図書館から本を借り、手元に置いておきたいものはイクリス中の本屋を巡って探し求めたものだ。

 目当ての本は古本屋にあり、そこの親爺と親しくなり、色々な書物を紹介してもらって、購入した。


 ――そうだ。


 あの古本屋はまだあるのか、と思い立った。

 憲兵になったあとも何年間か親爺とは親交があり、好奇心をくすぐる書物の話をしたものだった。


 ウジーヌは公園を出てイクリスの北地区へ向かう。

 少し遠いので、小舟を使うことにした。

 公園の東側にある船着場から、小舟に乗る。

 船頭は寡黙な男で、行き先を訊いてから、黙々と魔力を駆使し、小舟を動かした。

 古本屋近くの船着き場に到着し、代金を払うと、早足で古本屋へ向かった。


 記憶を辿って、道順を探る。

 ここ一帯は学び舎が多いため、必然と若者が集まる学生街ができた地区である。

 ウジーヌも地方の領地から出てきて城下屋敷に寄宿したものだった。

 当時から若者向けの店が多く、安価で見栄えのする服を売る店や、量の多い飯を出してくれる飲食店、それにちょっとした娯楽を提供する店も数多く営業している。

 そして、勉学に励む若者のために本屋も多かった。親爺の店は勉学に向いた書物を置いてあったな、と思い出した。


 大きな通りの半ばあたりで、脇道に入る。

 このわき道の両側には、本屋が軒を連ねているはずだった。

 日当たりの少ない場所に本屋が多いのは、陳列している本の劣化を防ぐ目的があるらしかった。

 本に優しいこの通りを、いつしか書籍小路という俗称で呼ぶようになった。


 だが、月日が経ち書籍小路の風景も様変わりしたようだ。

 本屋の数が少なくなり、猥雑な店が増え、少々いかがわしい雰囲気がある。

 昼間から酒を飲んでいる若者たちが騒ぎながらウジーヌの横を通り過ぎて行った。

 彼らは明らかに酒の飲める年齢ではなく、大人ぶっている雰囲気がある。

 憲兵として注意しようとも考えた。

 しかし、誰にだって背伸びをしたい時期があり、そういう時に見知らぬ大人が正論を叩きつけても、ただ反感を買うだけで、お互い気分が悪くなるものだ、と思い直す。

 酒を飲むくらいのことは大目に見てもいい気がした。


 書籍小路の半ばあたりに、目的の古本屋があった。

 店頭に法律や商業、それに魔法関係の書籍が並べられた本棚が置かれ、その両横に入口がある。

 右側の入口から中へ入ると、古びた紙とインクの匂いがした。

 古本屋の造りは昔と変わっておらず、夥しい数の本が店内に並んでいて、カウンターの前にも本が横になって積まれている。


 店番の姿が見当たらず、カウンターまで足を進めた。

 左に目を遣ると、髪を縛った女性が蹲って、本の整理をしているところだった。

 ウジーヌが近づくと、女性は足音に気づいたらしく振り向いた。


「あ、ごめんなさい。お客さん、なにかお探しですか?」


 予想外に若かった。

 丸眼鏡をかけた瞳は大きく、髪を後ろに束ねた額の広い女性である。


「ちょっと人を訪ねてきたんだが、親爺はいるかな?」

「親爺?」

「失礼。フランツさんのことだよ」

「ああ、おじいちゃんの知り合いの方」


 彼女の言ったことに、少なからず衝撃を覚えた。

 親爺にこんな大きな孫がいてもおかしくないくらいの年月が経っていたことに、今さらながら気づく。


「親爺は私が若いころに、世話になっていてね。いたら挨拶をと思ったんだが」

「もしかしてご存じなかったのですか?」


 女性は立ち上がると、かなしげに言った。


「おじいちゃんは、だいぶ前に亡くなったんです」

「そうだったのか」


 あのときでも五十は超えていたはずだった、と思い出した。


「不義理なことをしてしまったな。生きている間に、もう一度会っておけばよかった」

「お客さん、おじいちゃんと知り合いですか?」

「ああ、よくこの本屋で勉学に必要な本を贖ったものさ。今は君がこの店を?」

「はい。お父さんもお母さんも、この店の役割は終わったって、手放そうとしたんですけど、この店を必要としてくれるお客さんがいてくれて、まだ終わっていないと思ったんです。私も本が好きでしたし、それならと思って継いだんですよ」


 女性は笑って答える。


 ――役割、か。


 ウジーヌは自分のことに考えが及ぶ。

 清廉な志を忘れ、出世にかまけた男の役割とは何だったのか。

 正道から外れ、振り返ることもせずに間違った道を歩み続けた気がした。


 親爺は良い役割を果たして逝ったのだ。

 客から愛され、孫が店を継いでくれる。

 これ以上の幸せがあろうか。


「お客さん。どこか具合でも?」


 女性が訊くと、ウジーヌははっとなって我に返った。


「いや、ちょっと懐かしくなってね。私もこの本屋で本を買って勉学に励んだものでね。親爺さんにはずいぶん世話になった」


 年甲斐にもなく感傷に耽った。


「ところで少し気になったんだが、この辺りは本屋が多かったはずだ。ずいぶん様変わりしたようだね」

「ええ、ここ二、三年でやめた店が多くなって」


 彼女は元気なく言った。


「後継者が不足しているとか?」

「それもあるのですが……」


 顔を背けて伏し目がちになった。はっきり言うには勇気がいるようだった。


「しばらく本を眺めてもいいかな? 久しぶりに好奇心が湧いてきたよ」


 彼女を慮って話題を変えた。


「ええ、おじいちゃんも喜ぶと思いますよ、えーと」

「そうだ。まだ名乗っていなかったな。私はウジーヌ・ラスト。官吏だよ」


 ウジーヌは手を差し出した。


「ジェイン・サルガーリです」


 ジェインが微笑んで手を握った。

 手を離したとき、入口に影がさした気配が感じられた。

 目を向けると、悪相の男たちが固まって入口をふさいでいる。


「ジェインさん。返事を聞きに来たぜ」


 一番前にいた長身痩躯の男がしまりのない笑いを浮かべて、中に入ってくる。

 後ろに続くチンピラたちは、平積みしてある本に身体をぶつける。

 それがわざとらしい動作に感じた。


「帰ってください。この店を売る気はありません」


 ジェインの顔が険しくなり、彼らの前に進み出る。


 ――地上げか。


 古いやり口だ。チンピラに迷惑行為をやらせて、客足が遠のいたタイミングを見計らい、店の権利や土地を売るように仕向ける。

 ここに来る途中、書籍小路にいかがわしい店があったのを思い出した。

 どこかの商人がこの路地にある家や店を買収しようとしているらしかった。

 詳細を知りたくなり、ウジーヌは事の成り行きを見守ることにした。


「そんなこと言わねえでよ。二十万オーロだぜ。こんなボロい店にしちゃいい値段じゃねえか」

「こんなカビくせえ本屋なんて流行らねえよ。とっとと売っぱらっちまった方が身のためだぜ」

「そうそう。何だったらうちで働けばいい。姉ちゃんみたいな地味な女でも需要があるってもんだ」


 男たちはげらげら笑った。

 そろそろ注意の一つでもしてやるか、と思ったとき、ジェインがきっとなって男たちを強い眼差しで見つめた。


「何度も言っていますが、この本屋を必要としてくれる人がいる限り、売る気はありません。お引き取りください。さもないと」

「さもないと、何だ?」


 痩躯の男が笑いを引っ込めてジェインを睨めつける。

 異様に粘着質な目つきになり、得体のしれない光を湛えている。


「つけあがらない方がいいぜ。いい条件で買ってやろうってのにその言い草はなんだ。それとも値を吊り上げようってのか、業突く張り女が」

「ですから、値段の問題ではありません。いくらお金を積まれようと売る気はないって言っているんです」

「おい」


 痩躯の男が顎をしゃくった。

 すると、仲間たちが平積みしてあった本を払いのけ、床に落とす。

 棚からも本を出して床に叩きつけた。


「やめてください!」


 ジェインが身体を張って止めようとした。

 すると、痩躯の男が手の甲でジェインの頬を叩いた。


「うるせえ、さっさと売るって言えばいいんだよ」


「それまでだ!」


 ウジーヌが大喝すると、男たちの手が止まった。


「なんだおっさん、引っ込んでろ。これは俺たちの問題なんだよ」

「そうはいかんな。この店に世話になった者として、見過ごすわけにはいかない。ましてや貴様らのような輩が汚していい場所じゃない。とっとと失せろ」

「へえ、勇ましいじゃねえか、おっさん。いいぜ、表に出な。おれたちにそんな口を聞いたことを後悔させてやるぜ」


 男たちはぞろぞろと外へ出て行った。


「ウジーヌさん」


 ジェインは心配そうに声を震わせた。


「心配ない。あなたは本の片づけをしなさい」


 と言って、ウジーヌは外へ出た。


 店の前で待ち構えていた男たちは、魔法道具を取り出した。

 全員何らかの魔法が遣えるようだった。


「さて、おれたちの商売の邪魔をしようってんだ。覚悟はできてるんだろうな」


 男たちは余裕たっぷりに嘯いた。

 喧嘩慣れをしている連中らしく、ねじ伏せるのは容易いと言いたげだった。

 不意に痩躯の男が魔法を撃った。

 無属性の光球で、当たれば骨の一本は持っていかれる。

 だが、速度が遅い。

 ウジーヌは前かがみになり痩躯の男に突進した。

 懐に潜り込むと、鳩尾に当て身を食らわせた。

 痩躯の男の顔が歪み、地に片膝をついた。


 次に後ろの短髪に向けて駆け出す。


「このやろう!」


 短髪の男が魔法を撃とうとした。

 しかし、発動が間に合わず、差し出した腕が無防備になった。

 ウジーヌはその腕を掴み、身体を反転させて投げを打った。

 短髪の男はウジーヌの身体に沿って回転し、背中から地に落ちた。


 ――残り三人か。


 なんとか二人を倒したものの、体力の心配が頭をよぎった。

 かつては訓練に励んだとはいえ、身体が衰えている。

 戦いの緊張感も相まって少し動いただけなのに心臓の鼓動が速くなる。


「ち、くそ」


 残りの連中は足を止めた。

 ウジーヌをただ者ではないと見て取り、慎重になったようだ。

 それを見て、ウジーヌは仕掛けようとした。

 待っていても体力が消耗するだけだ。


「なにをしている!」


 突如、女の声が響いた。

 ウジーヌは後ろを振り向くと、秘書のマルガレッタが駆け寄ってくる。


「やべえ、憲兵だ」


 連中は背を向けて逃げ出した。

 地面に伸びている二人は、満足に身体が動かせず、見捨てられた形となった。


「マルガレッタ、なぜここに?」


 ウジーヌは訊いた。

 彼女は見廻り担当ではない。

 内勤なので、外にいるのが意外だった。


「次長こそ、なぜここにいらっしゃるのですか? 非番のはずでは」

「知り合いのところに寄っていたんだよ。それよりもこの二人を逮捕するぞ」


 ウジーヌに命じられて、マルガレッタは〈捕縛魔法(マジックバインド)〉を遣って二人の両腕を縛った。


「あの、大丈夫ですか?」


 店から出てきたジェインはおそるおそる訊いた。

 不安げな色を浮かべて、ウジーヌを見上げている。


「ああ、ひとまず。この二人を逮捕する。あいつらのやったことは違法行為だ。きっちり取り調べてやる」

「ウジーヌさん、憲兵だったんですね」

「ああ、黙っていてすまない。あまり言うものではない気がしたのでな」

「いえ、おかげさまで助かりました。でも」


 ジェインは伏し目がちになって言った。

 そう、まだこの本屋に漂う不安を払拭できていないのだ。

 あの手の連中はこうなった以上、必ず仕返しをしてくるはずだ。

 そのとき、ジェイン一人で守るのは厳しくなるだろう。

 憲兵に見廻りを強化するように命じても、限界がある。

 仮に、店にやってくる連中を追い返せたとしても、この手のチンピラのしつこさは常軌を逸している。

 ジェインが店を売るというまでは手を緩めることはないだろう。


「次長、拘束しました」


 マルガレッタが言った。


 ウジーヌはマルガレッタに目を遣ると、彼女の肩越しに見える建物の壁が一瞬揺らめいた気がした。

 すぐに収まったので、気のせいかと思ってやり過ごした。


「よし、すぐに連行しろ」


 そう命じると、マルガレッタは地に倒れた二人を立たせて連行しようとした。


「こうなったら」


 ウジーヌは独りごちた。

 世話になった親爺に不義理な真似はできないと思った。


 次長という地位を捨ててでも、この本屋とジェインを守らねばと胸の内で誓った。


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