栄光の果て 2
「いかがでしたか?」
ミレイユとウジーヌの話が終わると、アメリアはラージヒルのネクタイを引っ張りながらミレイユに近寄った。
「予想外だったわ。まさかあんなに怒るなんて。驚いた」
ミレイユは実際に驚いたようだった。後ろ姿だけでも局長が怒っているのがわかり、その様子を間近で見たミレイユの目が見開いていたのだ。
今回、査察課の二人は、ミレイユの頼みで離れた席から様子を窺っていた。
次長が最近変わってしまったようで、なにか覇気がないと感じたのだという。
過去にウジーヌが服務規程の穴を潜り抜けた経験から、後ろ暗いことをしている可能性があると考えたらしかった。
河川交通課の憲兵は裏社会の人間たちに便宜を図って、船屋の営業を許可した疑いが浮上した。
アメリアとラージヒルが憲兵を尋問にかけ、裏社会の人間から多額の賄賂を貰っていたとの自供をえた。
そして、その金は別の人間に渡したというのだが、彼はそれ以上話すと命が危ないと証言を拒んだ。
おそらく、次長が賄賂を貰って部下の評価に便宜を図るようにしたのでは、と考えたのだが、今日の反応を見るとどうも見当違いのような気がする。
「あの人なら、やりかねないと思ったんだけど」
とミレイユは当てが外れてがっかりしたようだ。
「だから言ったでしょう。昔ならいざ知らず、最近の次長に不正の疑いなんてこれっぽっちもないって。どんな恨みを持っているか知りませんが、私怨を捜査に持ちこんじゃいけませんて。それとも年取って脳みそに皺でも出来ましたか?」
ラージヒルはネクタイを掴まれたまま喋った。
「ティレット警部補、ラージヒル警視のネクタイ緩んでいるから締めてあげなさい」
ミレイユはこめかみに青筋を立てて言った。
「はい」
アメリアはラージヒルのネクタイを締めあげた。
それも躊躇なく。
壁際の席にいたときから、喧嘩しているカップルを装うと言いながら、減らず口を叩き続けた。
腹を立てたアメリアはラージヒルのネクタイを掴みここまで引っ張ってきたのだ。
よほど魔法を撃とうかと考えたぐらいだ。
「ア、アメリア、手を離せ。く、苦しい」
ラージヒルの顔が赤くなる。
「いかがいたしますか?」
アメリアはネクタイを締めあげながら、ミレイユに訊いた。
「もういいわ。これで少しは品行方正になるでしょう」
と、ミレイユが言うと、アメリアは手を離した。
ラージヒルはわざとらしく咳き込んで、ネクタイを緩めた。
「課長、上役の方になんてことを言うんですか」
普段から余計な一言の多い男だとわかっていたが、上役にもこういう口を利くのかと、呆れる思いだった。
「おまえさん、こんなことやってよくそんなことが言えるな」
「自業自得ですよ。余計なことを言わなければいいんです」
「まあいいわ。二人とも席につきなさい」
二人は席につく。ミレイユの対面にラージヒルが座り、テーブルの右側にアメリアが腰を下ろす。
「ラージヒル警視が言った通り、次長に賄賂が渡っていないと思う。私もあくまで確認した程度。もし本気で疑っていたら、こんなところでは話さないわ」
「デルベーネ局長は他にも心配事があると伺いましたが」
アメリアが訊く。
ミレイユは両手を重ねて、テーブルに肘をついた。
「あの人はあらゆる手を使って今の地位を手に入れたと言ってもいいわ。でも、長官の椅子が見えた今になって、まるで欲がなくなったみたい」
「で、局長。我々に何をしろと。ここでお二人の話を聞く意図がわかりませんな」
ラージヒルが遠慮なく訊く。アメリアもなぜこんなことをするのか理解できなかった。
「あそこを見て」
ミレイユはカウンター席の方を一瞥した。
視線の先には、わずかにこちらを振り向いている髪の長い女性の姿があった。
アメリアと目が合うと、ぱっと視線を外し、カウンターに向き直った。
「あの人ですか?」
アメリアは声を落として訊く。
「次長秘書のマルガレッタ・バトリ。ウィッグを被って変装しているけど、あの人の動向を探っているみたいね」
「では、あの秘書の方が何かしたということですか?」
「次長が不正をするのかを見張っている」
「なんのために?」
ラージヒルが訊く。
「ちょっと待って」
なぜかミレイユはもったいぶった。
急に言いにくくなったらしい。
「局長、はっきり仰っていただかないと困りますな。我々だって暇じゃないんですから」
上役への口の利き方ではないが、ラージヒルの言っていることはもっともだった。
ミレイユは二人に手招きをして顔を近づけるように指示した。
三人の距離が縮まると、小声で話した。
「彼女、次長への賄賂を受け取っているみたいなの」
「先日の事件も彼女が一枚噛んでいると?」
「おそらくね」
「では、局長は証拠を掴んでいるのですね?」
アメリアが訊く。
「ええ。状況証拠だけど、たぶん間違いないわ。ストライヴァー人事課長からの報告よ」
「で、その状況証拠というのは?」
「それは」
ミレイユはまた言いづらくなったようだ。
どうもさっきから歯切れが悪い。
と、そのときカウンターにいた秘書が店を出て行くのがアメリアの目に入った。
「あの人、出て行きました」
「それなら好都合ね」
彼女がいては話しにくいことだったらしい。
「じゃ、お聞きしましょうか」
ラージヒルが訊く。
「彼女、人事課係長のガスパー・メイエ警部と交際しているみたいなの」
「へ?」
アメリアは思わず間抜けな声を出した。
重大な不正問題が卑近な情事に格下げされた感がある。
「実は、ストライヴァー人事課長から報告があって、メイエ警部の査定が甘い疑惑があるから、調査するって言うんだけど……」
「それなら、なおさら我々の知ることではありませんな。たしか係長は独身でしょう。別に同僚の恋愛事情に首を突っ込むことはないでしょう、外部の話にすぎませんな」
ラージヒルは興味が失せたようだ。
「それだけならいいんだけど、問題はバトリ秘書が次長宛の賄賂を着服して、メイエ警部に渡している疑惑があるの。次長も昔は無茶なことしていたから、未だにその手の誘惑を持ちかけられるのよ。次長にその気がないとわかると、バトリ秘書が窓口になって賄賂を着服しているみたい。けど、彼女だってそこまで大きな力はないから、せいぜい交際相手の人事課係長に相談を持ちかけるぐらいね」
「でも、効果はある。憲兵って生き物は面子に弱い。一般採用の憲兵なら刑事一課を擁する生活保全局、幹部候補なら警務局といった力のある部署に行きたがる。金で役目を買えるなら安いもんでしょうな」
「呆れた話ですね」
民に範を示すべき憲兵にあるまじき醜態を聞いてしまい、アメリアはどう口にしていいかわからなくなった。
「それに、あなたたちが捕まえた河川交通課の憲兵は元の部署――つまり刑事一課に戻りたがっていたでしょ」
「で、河川交通課の憲兵かバトリ秘書のどちらかがメイエ警部に話を持ちかけたってわけですな」
「ストライヴァー人事課長も頭を抱えていたわ。人事の査定に金銭を絡める部下がいるんだから。しかも他の部署にまで影響が及んでいるとなると、人事課だけでは処理しきれないわ」
ミレイユは指先でこめかみを押さえた。直系の部下の不始末を嘆いていた。
「そこまでわかっているなら、なぜ取り調べを行わないのですか? 係長に証拠を突きつけて処分なさればいいのに」
アメリアが当然の疑問を口にする。
「はっきりした証拠が見つからないの。ストライヴァー人事課長も躍起なっているんだけど、金の流れがはっきりしなくて。どこかに賄賂を隠し持っているみたいなんだけど、全然見つからないのよ。係長に聴取しても、知らないの一点張りで埒が明かないわ」
「わかりました。では、賄賂の受け取る瞬間、もしくは隠し場所を突き止めればいいわけですね」
アメリアはやる気を出して言った。上手く尾行すれば突き止められるかもしれないと思った。
「そうしてもらえると助かるわ。ただ気をつけて。秘書は次長の護衛も兼ねている魔法遣いで、かなり手ごわいわ。それにメイエ警部も憲兵庁内でも屈指の剣客よ。でも」
と、ミレイユは横目でラージヒルを見た。
「ラージヒル警視の剣には及ばないわね」
「とんだ買い被りですな。こっちはデルベーネ局長に負け越しているのに」
「え? そうなのですか」
アメリアは素直に驚いた。
ラージヒルの剣術は何回も見ている。
魔法を打ち消し、相手を瞬時に叩き伏せる凄腕の剣客なのだ。
「昔の話よ。ラージヒル警視の幼いころに稽古をつけてやっただけ」
ミレイユは照れ臭く微笑んだ。
「結局、勝ち逃げされたんだよ」
ラージヒルはアメリアに語り掛けた。
「俺が十歳のころから何年間か、稽古をつけてもらったんだが、最初の内は全く歯が立たなかったな。やっと一本取れたときは、十三歳ぐらいだったか」
「そうでしたか」
珍しく自分の話をするラージヒルにちょっと興味が湧くアメリア。
「これから巻き返そうってときに、デルベーネ局長は俺に稽古をつけてくれなかったな」
「私じゃ、もう相手にならなかった」
「そんな殊勝なもんではないでしょう。十歳以上年下の弟弟子をボコボコにできないから、逃げたんだと思ったんですがね」
ラージヒルは怪しげな笑みを零す。
「なんですって?」
ミレイユの眉が動く。
「今まで自分が可愛がって打ちのめした弟弟子に仕返しされるのが嫌だったのでは? 負けるとわかったら稽古をつけないというのはどうもね。これじゃ、弱い人間をいたぶるサディストと間違えられるだけだなと、局長を心配しているんですよ」
「シズマ、もしかして恨んでいるの?」
「まさか、俺はそこまで根に持つタイプじゃありません。ただ当時デルベーネ局長は憲兵小町なんてもてはやされて調子に乗って、男なんか大したことないって息巻いてましたし、これじゃあ言行不一致じゃないかって思っただけです」
ラージヒルはうんうん頷いた。
――いや、根に持っているでしょ。
アメリアは心の内で突っ込んだ。
「わかった、わかったわ。でも私では稽古の相手にならなかったのは事実よ。逃げたわけじゃないわ」
「どうだかなぁ」
ラージヒルは不敵な笑みを漏らす。
すると、ミレイユは机を両手で強くたたいた。
アメリアは驚いてびくっと身体が震えた。
「じゃあ、こうしよう。この事件が終わったら、私と稽古しましょう」
「ほう」
「憲兵庁の稽古場は押さえておくわ」
拒否を許さない口調だった。
完全な売り言葉に買い言葉である。
「楽しみですなあ。ミレイユ姐さんの稽古」
「私だって楽しみよ。久々に腕が鳴る」
「四十肩で剣を振り上げられないっていうのは、なしですよ」
「その減らず口、今度こそ治してあげましょう」
お互いに含みのある笑い声をあげた。
――どっちもどっちね……。
つくづく上役に恵まれない気がしたアメリアであった。




